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三章 絡まり始めた糸

5.

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 由依は「ううん」と首を左右に振る。まだ呆然としたまま眉を顰め、樹は矢継ぎ早に質問を繰り出した。

「由依。いつの間に付き合っていたヤツがいたんだ? 相手はどんなやつだ。ちゃんと言ったのか?」

 その喋り方がなんだか父に似ていて、懐かしくて頰が緩む。

「たっちゃん、なんかお父さんに似てきたね」
「……いさみさんの話は、今いいだろ」

 自分でも自覚があるのかほんのりと顔を赤くしている。一瞬だけ張り詰めた空気が和らいだ。

「さっきの質問だけど……」

 由依はそこで一呼吸おくと真っ直ぐに樹を見つめて続けた。

「相手の人とは付き合ってるわけじゃないの。たまたま知り合った人。その人には……言わないつもり」

 そんな答えが返るなんて思っていなかったのだろう。樹はしばらく言葉を無くしていた。

「相手は……責任も取れないような男なのか? まさか……既婚者、じゃないよな?」

 そう考えるのは至極当然な話だ。自分を信用してくれているのはわかっている。けれど樹も確認しておきたいのだろう。その心配そうに眉を下げた表情を見て思う。

「既婚者じゃないから安心して。彼に言えば……責任を取ろうとすると思う。優しい人だから。でも、それが重荷になるのは嫌なの」

 キッパリとそう言う由依を見て、樹は大きく息を吐いた。

「既婚者じゃないならいい。いや、よくはないか。……あのな、由依。一人で子ども育てるって、想像以上に大変だぞ?」

 真剣な表情で言う樹に、わかってるなんて、気軽に言える言葉ではない。口を噤んだまま由依は視線を落とした。

「由依には……話したことはなかったんだけどな。俺は母子家庭だったんだよ」

 樹は両親と同じ施設にいたから、てっきり両親がいないものだと思い込んでいた。驚いて顔を上げると、樹は続きを話し出した。

「施設に入ったのは小学生の高学年になってからだ。それまでは母親と二人暮らしだった。父親が誰なのか、最後まで教えてもらえなかった。だがおそらく既婚者だ。俺たちはそいつに見捨てられた」

 昔を思い出しているのか、樹は痛々しく顔を歪めた。その痛みが伝わってくるようで、胸が苦しくなる。

「母は看護師でな。頼れる人もなく、無理をして俺のために働き続けた。自分の体調なんか、二の次だったんだろうな。おかしいと思ったときには、もう手遅れだった。病気が見つかって、半年もしないうちにそのまま亡くなったんだ。だからな、由依。俺はお前に、同じ目に合わせたくないんだよ」

 樹が、自分のことを大事に思ってくれているのが伝わってきた。血の繋がった家族が欲しいなんて、今思えばなんて酷い願いなんだろうと泣きたくなる。自分のそばには、家族と呼べる人がいたのに。 

「ごめん……。ごめんね、たっちゃん……」

 あまりにも短絡的な自分が情け無くて、あんなことを考えていたことがとても後ろめたい。震える声で謝ると、同時にぽつりと涙が溢れた。

「謝らなくていい」

 困ったような表情を見せる樹は、向かいから腕を伸ばし、由依の頭を慰めるように撫でた。

「由依。一緒に暮らそう。前から言ってたろ? 家探してるって。いいところ見つかってな。近いうちに引っ越すつもりだ」
「でも……。たっちゃん、眞央まおさんと住むための家でしょ? 私がいたら邪魔じゃ……」

 樹の公私とものパートナーである眞央は、今パリで仕事をしている。長い付き合いで、由依も何度も会ったことがあった。穏やかでゆったりとした空気をまとう、雰囲気のある人だ。ファッションスタイリストをしていて、仕事を通じて知り合ったと聞いている。いずれ眞央は帰国して、二人は一緒に住むつもりだと話していた。

「そんなことないって。眞央だって喜ぶさ。新しい命が誕生するのを間近で見守れるなんて。それに家は、二人で住むには広いからな。古いが一戸建てにしたんだ。だから、な?」

 髪をくしゃくしゃと撫で諭すように言う樹の優しい表情に、ポロポロと涙が落ちる。

「うん……。うん、ありがとう……。たっちゃん」

 由依は胸をいっぱいにしながら、頷き返した。
 樹は頭から手を離し体勢を戻すと、「ただ……」と心配そうな声を漏らす。

「由依の職場がちょっと遠くなるんだよな」

 そう言う樹に、由依は昨日の出来事を話した。
 もちろん樹は眉を吊り上げ、自分の代わりに怒り出した。

「はぁ? 不当解雇だろ。そのじいさんの頭の中どうなってんだ。万智子先生に相談するか?」

 両親の事故のとき担当してくれた弁護士、万智子先生のことを樹も知っている。元々樹が、眞央の遠い親戚に弁護士がいると紹介してくれたからだ。

「ううん。もういいかな。そこまでして戻っても居づらくなりそうだし。それに、たっちゃんと心置きなく暮らすにはちょうど良いのかも」

 そういう巡り合わせだったのだ。樹のおかげでそう前向きに捉えることができる。

「そうか。じゃあ由依。これからよろしくな」

 握手を求めるように笑顔で手を差し出され、由依はその手を笑顔で握り返した。
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