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一章 一夜の幕開け

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 九月に入ったばかりの金曜日、時間はまもなく午後七時になるところだ。高級路線を売りにしている居酒屋の半個室で、由依はスマートフォンの画面を眺めながら溜め息を吐いていた。

(たっちゃん……遅いよぉ……)

 今は部屋に誰もいないとは言え、一人で来ることなどない居酒屋で待ちぼうけを食らい、由依は心細くなっていた。居た堪れない気持ちでつい身を縮こませていると、画面に"佐保さほたつき"の文字が浮き上がりスマホが震え出した。

「もしもし? たっちゃん?」
『由依、ごめんっ!』
 
 出るなり謝られ嫌な予感がする。今まで樹と外で会う約束をして、破られたことなど一度もない。だからこそ、切羽詰まった様子の樹の声にそう思うしかなかった。

『どうしても今日は行けなくなった。本当にごめん!』
「たっちゃん、そんなに謝らないでよ。仕事なんでしょう? 私は大丈夫だから」

 樹は新進気鋭の服飾デザイナーとして業界で活躍している。時々話しに聞くだけでもかなり忙しいのは容易に想像できた。なのにその合間を縫って自分と会ってくれているのだ。

『埋め合わせはまた近いうちにするな? そこ、もう決済は終わってるからちゃんと食って帰れよ? それから遅くなる前に気をつけて帰るんだぞ』

 幼い頃からの知人で八つ年上の樹は、とっくに成人している由依をいまだに子ども扱いしている。兄というよりすっかり過保護な父親になっていた。

「うん。遅くならないうちに帰るから」

 由依が明るく返すと、樹は安心したのか『また連絡するな。じゃ』とだけ短く言い電話を切った。


(と、言ったものの……。どうしたらいいのか……)

 すでに由依の前には予約してあったコース料理が二人分並び始めていた。そうたくさん食べるほうでもない由依が一人で食べ切れる量でははない。
 今からでもキャンセルできないだろうかと考えていると部屋の扉が開く。入ってきたのは、季節に合わせたノーネクタイのワイシャツ姿で、大きなビジネスバッグを携えた男性たちだった。

「にしても、まだまだ暑いよなぁ」
「ビール‼︎ ビール‼︎」
「お前、気早すぎ!」

 そんなことを言いながらガヤガヤと入ってきた三人は、そのまま隣の四人掛けのテーブルについた。

「とりあえずビールで……。食いものは?」
「悪い。人数不確定だったからコースは予約してない。単品適当に注文して」

 一人がそう言うと、他の二人に品書きを渡している。

「俺、絶対枝豆な。あと……」

 そんなことを言いながら三人は品書きを眺めていた。

 由依はその会話を耳にしながら目の前の料理を眺めた。
 少量ずつ酒の肴が盛り付けられている八寸に、刺身の盛り合わせ。テーブルに置かれているコース料理の品書きを見る限り、これからまだ数品出てくることになっている。

(迷惑……かも、知れないけど……)

 料理を残すのは気が引けるし、なによりまだほとんど自分も手をつけていない。それなら、と由依は思い切って立ち上がった。

「あのっ。すみません」

 隣のテーブルに近寄り意を決して話しかけると、三人は一斉に顔を上げた。
 年はおそらく由依より少し年上だろう。三人ともどちらかと言えば真面目そうに見え、由依は内心ホッとしていた。
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