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 フェリスが大通りを離れてから十五分ほど。

「強いとは聞いていたが、これ程とは……敵でなければどれだけ良かったかと思わずにはおれん」

 ダブリスはナハトに掛け値なしの賞賛を口にしていた。

「我が剣をここまで凌いだ男は貴様だけだ、敵ながら天晴れと言っておこう」

 ナハトが必殺を狙わず、手足を斬り落とすことを狙っていると知ったダブリスは攻め方を変えた。
 不死身に任せて不用意に斬り込むことを止め、ナハトの動きを見極めて隙を作ることに注力する──その戦い方にもはや慢心も油断もありはしない。

 そうなるとナハトは劣勢に立たされた。
 ナハトは間違いなく剣達者であるが、ダブリスも引けをとらぬ腕前の持ち主だ。両者の実力が伯仲すればするほど小さな要素が戦況を傾ける。
 徐々にナハトは押され、防戦一方になった。

(奴の不死身が解かれない限り、活路が……ない……)
「っ……っ……」

 ナハトは息も絶え絶えであり、防ぎきれなかった斬撃が浅く身体中を斬り刻み、血みどろという有様だった。
 立っているのもやっとと言ったところだろうか、しかし闘志だけは未だ衰えていない。目だけはダブリスを凝視し、少しの隙も見逃すまいと爛々と輝いている。
 ダブリスはその姿に敬意さえ覚えた。

「──だが既に限界であろう、これで終わりにしてやる」

 いたずらに戦いを長引かせる方が哀れだとダブリスは判断し、今まさに引導を渡さんとナハトに迫る。
 側にヒシヒシと感じる死の気配を感じながら、ナハトは身体の奥底から闘志を奮い立たせる。

(諦めるな……死んでたまるか……!)

 残された力を振り絞り、刀を持つ手に力を込める。
 その時だった。

「むっ? これは──」

 ダブリスの放つ雰囲気が変わった。ダブリスも戸惑っている。
 何が起きたのかは分からない。ただその隙を見逃すナハトではなかった。

「隙あり!」
「ぬうっ⁉」

 獲物を前にした猟犬が飛び出すように、ナハトは地を駆けた。
 ダッと地を蹴り、飛び込みざまにダブリスの目を狙って斬り付ける。久々のナハトの攻勢にダブリスは戸惑い──しかし上体を逸らして両目を切り裂かれるのだけは回避した。
 刀の切っ先がダブリスの頬を掠め、血が流れる。そして血は流れるままであり、治る気配がない。

(──傷が再生しない!)
「フェリス、やったのか!!」

 ナハトは快哉を叫び、ダブリスは目を見開いて歯噛みする。

「むうぅ……まさか術者をもう倒したのか……⁉」
「形勢逆転のようだな──大人しく投降しろ! お前たちの治癒魔術は解けた。こうなればそちらはただの寡兵‼ あとは討たれるのみ!」
「くっ……」

 周囲の戦況も変わり始めていた。魔術の解けた他の過激派たちが、徐々に討ち取られつつある。
 もはやここからの逆転はあり得ないだろう。

「……投降したところで、我らは極刑を免れぬ。ならば最後まで戦うのみ‼」

 しかしそれでもなお、ダブリスは戦う姿勢を崩さない。

「引かぬ──引けぬのだ! 仕える王国がなくなってから、我らは貧困に喘ぎ苦渋を舐め続けてきた‼ その仇である帝国の皇族を前にして、どうして引くことが出来ようか⁉」

 それは己が身命を賭した悲願が成せぬと悟った男の、魂の叫びだったのかもしれない。ナハトはそれを聞き流すことが出来ず、静かに聞き入っていた。
 軽々に流すべきではない。一人の人間として真正面から受け止めなくては──何故かは分からないが、そう感じていた。
 ダブリスもナハトを真正面から見据える。

「聞くところによれば守銭奴、お前は孤児だったそうだな」
「ああ、戦で親をなくした」
「ならば帝国が憎くはないのか⁉ 貴様の肉親を奪ったのは、帝国が始めた侵略戦争によるものだろう!」
「帝国に対して恨めしく思わなかったと言えば嘘になる」

 何故両親は死なねばならなかったのか?
 何故自分は天涯孤独にならねばならなかったのか?
 何故自分はこんなにも苦しく、悲しい目にあわなければならないのか?
 かつてナハトはずっとそれを思い続けていた。誰かを恨まなければ、発狂しそうなほどに。

「なら──」

 と言い募るダブリスに、ナハトは首を振った。

「だがそれ以上に、今の俺には守る者が多いのでな。復讐に身を投じるわけにはいかない──何より目を血走らせて復讐に燃えるよりも、子供と遊んで飯の席を囲んでいる方が俺は好きなんでね」

 そう答えるナハトの目に迷いはない。
 ナハトは既に過去よりも未来を見ている。そして目の前の現実を見ている。過去にとらわれ、復讐の鬼と化すことはない。 
 ナハトの返答に毒気を抜かれ、瞬時にダブリスは自問自答する。

(我は一体どこで間違えた……どうしてこうなれなかった……?)

 己の復讐に巻き込んで、部下たちは死なせてよい存在だったのか。もっと別の道を示し、導いてやる事が自分の責任だったのではないか──そんな考えが去来し、ダブリスは被り振る。
 たとえ悔いていたとしても、もうダブリスは止まれない。止まるわけにはいかない。
 自分が掲げた復讐に、多くの部下を巻き込んでしまった以上、自分が今までの行いを無駄だったなどと認めるわけにはいかないのだ。
 ──最後まで、帝国に牙を突き立てる一匹の獣で在らねばならない。

守銭奴スクルージ、貴様名は?」
「名乗るほどの者じゃない」
「戦の作法も遠い昔か。かつては騎士同士が決闘する時には、必ず名乗りを上げたのだがな」
「……」
「我は今一度だけ、逆賊からただの剣士になろう──元ガルーダ王国騎士団第二遊撃隊隊長、ダブリス・グラムハート」

 ダブリスは大きく剣を振りかぶった。
 剣士として名乗りを上げた以上、剣士として倒してやるのがせめてもの礼儀だろう──ナハトも構えを取って名乗りを上げる。

「……現エレボス帝国正騎士団直轄、アステリオン衛兵団七番隊副長、ナハト・アストレイ。字名は守銭奴スクルージ

 ダブリスはニヤッと笑った。

「いざ!」
「──参る」

 ダブリスは大上段に振りかぶり、ナハトは左手を刀の峰に添えた構えで、それぞれ一気に間合いを詰めた。
 満身創痍のナハトにもはや歩法による目晦ましは使えない。一切の牽制もなく、ただただ真っ直ぐに前へ向かう。

「ずああああああああああああああぁぁぁっ!」

 咆哮と共に繰り出されるダブリスの剣は、さながら大木を断ち割る落雷のようだった。対するナハトは中段に構えていた刀を上段に跳ね上げる。

(受けるつもりか⁉ 守銭奴──いやナハト‼)

 刀の峰に手を添えた状態は、通常よりも受けに強い──しかしその程度の工夫で受けられるほど、ダブリスの剣は甘くない。下手に受ければ剣ごと斬られて終わりである。 
 ダブリスは勝利を確信した──剣と刀が触れ合うまでは。

「むっ⁉」

 なんとナハトは相手の攻撃を受ける瞬間、刀が折れるか折れないかという刹那に左手を添えた峰を押し上げ、ダブリスの斬撃を逸らしたのである。
 相手の刀ごと押し切るつもりだったダブリスがわずかにバランスを崩す──その隙をナハトは見逃さない。

「はあぁ……!」

 斬り合いの間合いからさらに一歩前へ──接近戦を通り越して接触戦ともいうべき超至近距離の間合いへナハトは踏み込む。
 ダブリスは二撃目を放とうとするが、余りにも距離が近すぎてナハトを斬り付けられない。対するナハトは刀の峰に手を添えたまま、鍔元を握る右手を後方に送るという刀を短く持つ姿勢。

「しまっ──」

 ダブリスが自身の失着に気付いた時にはもう遅い──ナハトは肩からダブリスにぶち当たりながら、その切っ先を胸板に突き立てていた。
 横に倒した切っ先は肋骨をすり抜け、過たずに心臓を貫く。
 ダブリスの胸に深々と突き刺さったナハトの刀をつたって、おびただしい血が滴り落ちた。

 ダブリスは「がはっ……」と血を吐き出し、そして力なく微笑んだ。まるで憑き物でも落ちたように。

「見事──最後にこれほどの剣士と立ち合えたこと、僥倖だった……な」
「……すまない」
「謝るな。これも剣に己が人生を賭けた者の宿業であろうよ──我には剣しかなかった、戦うことでしか生きる術がなかった。それに執着するあまり大切な物を見失った、その末路がこれだ」

 自らの有様を自嘲するように、しかし少しの誇りを含ませて、某国の騎士は最後に嘆く。

「ああ──だがやはり口惜しい。この一命を賭しても、我が本懐を成し遂げられなかったか──どこに行ったのだ同盟者よ」

 最後に付け加えられた単語が、ナハトの胸をざわめかせる。

「同盟者?」
「おお、そこにいたか──」

 ダブリスは顔を上げた。ナハトもそれに追従し、ダブリスの視線の先に目をやる。
 ──そこにいたのはロランスだった。
 ロランスは憎悪に満ちた目で、群衆の中からこちらを睨んでいた。憎しみに燃えるその瞳が、一瞬強く燃え盛った気がした。
 剣士としての第六感かナハトの背筋に悪寒が走る──反射的にナハトはダブリスから離れた。
 その刹那、

(なっ⁉)
「──かはっ」

 ダブリスは斜めに両断され、ナハトも肩からわき腹にかけて大きく切り裂かれた。
 意識を失う寸前、視界が血に染まるのをナハトは見た。
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