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決闘の後、ナハトや他の隊士たちはそれぞれの持ち場に戻って行き、フェリスと団長も事務室に戻った。
「それでは取り決め通り、フェリス嬢の補佐にナハトをつけるという事で異論ありませんな」
「騎士に二言はありません。それと私は既に衛兵団の一隊士です、敬称は不要に願います」
表情こそ沈んでいるが、それでも気丈にフェリスは答える。
「うむ。それではフェリス、今後の隊の編成なのだが──」
「その前に一つ、お聞かせください」
「何だ?」
「あの男は何者なのですか?」
「──ナハトか」
フェリスは小さくうなずく。
「あの失礼な男の事を、私は何も知りません。補佐につけることに口は挟みませんが、人となりについて団長からお聞かせ願いたい」
フェリスがナハトについて知りたくなるのも当然か──そう思った団長はポツポツとナハトについて話し始めた。
「そうさな……名前はナハト・アストレイ。歳は21で三番隊所属の平隊士だ。剣の腕に関しては──立ち合った通りだ」
「今まで立ち合った事のない、不思議な剣筋でしたが……一体どこであんな剣術を?」
「私も詳しくは知らん。何でも数年間、ふらりと現れた剣士に師事して、東方の剣術を習ったとかぬかしていたが」
「東方剣術……私の剣の師である父から聞いたことがあります、遥か東方では我々とはまったく違う理合を持った玄妙な剣術がある、と」
(だとすればあの男の技には納得がいく……本当に見たこともない極限の神業だった)
脳内で先ほどの剣戟を反芻し、フェリスは内心で一人ごちる。
「それと知っての通り腕は立つが、それ以上に金にがめつい奴でな。隊士たちからは守銭奴というあだ名をつけられている」
「何故、あれ程の使い手が平隊士なのですか。もっと上の位についても、問題ない腕前だと思いましたが」
「それがそうも行かんのだ。奴は他の隊士の危険な任務を代行して、その分の金を貰うという事を度々繰り返していてな。兎にも角にも金々とうるさい」
「それで守銭奴ですか」
フェリスは臨時給与を出すと言われた途端に雰囲気を一変させたナハトを思い出す。
団長は渋い顔で眉間を押さえる。
「役職がつくとなれば、対外的にもまともな人間を置かねばならん。任務代行で金を稼いでいる素行不良な人間の役職を、おいそれと上げるわけには行かんのだよ」
「それで未だ平隊士のままだと」
団長は首肯する。
そこでフェリスは疑問に思った。
「何故、あの男はそんなにも金に拘るのですか?」
「気になるかね」
「ええ、あの男の剣の腕は本物です。真摯に訓練を積み重ねなければ──才能だけでああはならない。それだけに、あの男のプライドの無さは気にかかる」
フェリスの知っている強者とナハトの立ち振る舞いが、どうにも重ならないのだ。
立ち合った後だから余計にそう思う。
ナハトの剣技には、本人の態度のような俗臭さがまるでなかった。
才能だけであれほどの絶技は成し得ない──ナハトが真摯に鍛錬を積み重ねたであろうことは明白だ。
それだけにナハトの卑しい態度が解せない。
「訓練を積み重ね、技量を上げた人間はそこにプライドと自負を持つようになり、卑しい行いはしない。出来なくなるのが普通です。しかしあの男は金の為に戦うと、憚りもなく公言している。それがどうにも腑に落ちません」
「ふむ……」
団長は顎を撫でさすりながら思案げに視線を彷徨わせる。わずかな逡巡の後に、声のトーンを落として話し始めた。
「君ならば知っても問題ないだろう。これから話すことは公言しないと約束して欲しい」
「はい」
「奴の名前、アストレイという性に聞き覚えはあるかね」
「いえ、ありません。変わった名だとは思いましたが」
「だろうな。奴の姓は勝手に名乗っているだけだからな」
姓を勝手に名乗っている──それが意味するところをフェリスはすぐに理解する。
「ここまで言えば分かるだろう。奴は元孤児なのだよ」
「十年前の戦ですか」
帝国は建立以来、周辺の小国を侵略・併合しながら徐々に大きくなった国だ。数年置きにどこかしらで戦争をやっている。
戦災孤児が増えるのは避けられない。
ナハトもそういった数多いる孤児のひとりだったという事か。
「底辺から這い上がったゆえに、金にがめついと?」
「それもあるだろうが、それだけではない」
団長は静かに首を振った。
「ナハトが元孤児と言っただろう──今ナハトは自分と同じような境遇の子供を引き取って面倒を見ているのだ」
「それは本当ですか⁉」
思いがけない言葉を聞いて、フェリスは驚愕に目を丸くする。
「一度だけ奴の家に行ったことがあるが、その時は十人以上の子供がいた」
「十人以上も……」
「子供たちは皆幼く、自分で稼げるような者はいない。ナハトはたった一人でその食い扶持を稼がなくてはならんのだ、それは金にうるさくもなるだろう」
「……」
フェリスは貴族だ。細々とした金の計算などしたことがない。しかしそんなフェリスでも分かる。それだけの人数の食い扶持がいくらかかるか──そしてそれを一人で稼がなくてはならないのがどれほど困難か。
「ナハトの任務代行を責められないのはそういった事情があるからだ。本来認められない行為だが、我々も黙認して
いる。幸い腕は立つので、ナハトが出る回数が多い方が実務上ありがたい、というのもあるがね」
「この事を他の隊士は知らないのですか」
「私を含め各隊の隊長などの幹部連中は知っているが、ほとんどの隊士は何も知らん。中には薄々感づいている奴もいるだろうが……」
「何故ナハトは自分の事情を打ち明けないのでしょうか」
「孤児としての経験がそうさせるのか……中々人に弱みを見せん男なのだよ。本人が言うには『苦労なんて人に見せびらかすものでもない』という事らしいがな」
誰にも理解されず、誰に助けを求めることもなく、ナハトは戦い続けているのだ。衛兵団という、腕一本で己の命を質に出して日銭を稼ぐ──そんな鉄火場に身を投じて。
「私にはよく分からなくなってしまいました……」
「む?」
ポツリポツリとフェリスは言葉を紡ぐ。
「騎士とは武をもって民を守り、救う、理想の体現者だと……そう思っていました。そうあるべきだと……あの男は清廉でもなければ潔白でもない、金の為に剣を執るなど言語道断だと思っていました。でも──」
事情を知ってしまった今、もう以前のようにナハトを見下すことなどできない。守るべきもののために困難にも屈辱にも耐え、身を粉にして戦う──それは正に騎士のあるべき姿そのものではないだろうか。
団長はそんなフェリスを見て微笑んだ。現実と理想のギャップに思い悩み、苦悩していた己の若き日を重ねるように。
「現実は理想通りには中々ならないもの。しかしその現実の中で、腐ることなく戦っている者もいる。フェリス、ナハトは決して清廉潔白な人間ではないが、それでも騎士として学べることが多いはずだ。どうか金にうるさいというだけで、奴を色眼鏡で見ないでやってくれ」
「……はい」
「それでは取り決め通り、フェリス嬢の補佐にナハトをつけるという事で異論ありませんな」
「騎士に二言はありません。それと私は既に衛兵団の一隊士です、敬称は不要に願います」
表情こそ沈んでいるが、それでも気丈にフェリスは答える。
「うむ。それではフェリス、今後の隊の編成なのだが──」
「その前に一つ、お聞かせください」
「何だ?」
「あの男は何者なのですか?」
「──ナハトか」
フェリスは小さくうなずく。
「あの失礼な男の事を、私は何も知りません。補佐につけることに口は挟みませんが、人となりについて団長からお聞かせ願いたい」
フェリスがナハトについて知りたくなるのも当然か──そう思った団長はポツポツとナハトについて話し始めた。
「そうさな……名前はナハト・アストレイ。歳は21で三番隊所属の平隊士だ。剣の腕に関しては──立ち合った通りだ」
「今まで立ち合った事のない、不思議な剣筋でしたが……一体どこであんな剣術を?」
「私も詳しくは知らん。何でも数年間、ふらりと現れた剣士に師事して、東方の剣術を習ったとかぬかしていたが」
「東方剣術……私の剣の師である父から聞いたことがあります、遥か東方では我々とはまったく違う理合を持った玄妙な剣術がある、と」
(だとすればあの男の技には納得がいく……本当に見たこともない極限の神業だった)
脳内で先ほどの剣戟を反芻し、フェリスは内心で一人ごちる。
「それと知っての通り腕は立つが、それ以上に金にがめつい奴でな。隊士たちからは守銭奴というあだ名をつけられている」
「何故、あれ程の使い手が平隊士なのですか。もっと上の位についても、問題ない腕前だと思いましたが」
「それがそうも行かんのだ。奴は他の隊士の危険な任務を代行して、その分の金を貰うという事を度々繰り返していてな。兎にも角にも金々とうるさい」
「それで守銭奴ですか」
フェリスは臨時給与を出すと言われた途端に雰囲気を一変させたナハトを思い出す。
団長は渋い顔で眉間を押さえる。
「役職がつくとなれば、対外的にもまともな人間を置かねばならん。任務代行で金を稼いでいる素行不良な人間の役職を、おいそれと上げるわけには行かんのだよ」
「それで未だ平隊士のままだと」
団長は首肯する。
そこでフェリスは疑問に思った。
「何故、あの男はそんなにも金に拘るのですか?」
「気になるかね」
「ええ、あの男の剣の腕は本物です。真摯に訓練を積み重ねなければ──才能だけでああはならない。それだけに、あの男のプライドの無さは気にかかる」
フェリスの知っている強者とナハトの立ち振る舞いが、どうにも重ならないのだ。
立ち合った後だから余計にそう思う。
ナハトの剣技には、本人の態度のような俗臭さがまるでなかった。
才能だけであれほどの絶技は成し得ない──ナハトが真摯に鍛錬を積み重ねたであろうことは明白だ。
それだけにナハトの卑しい態度が解せない。
「訓練を積み重ね、技量を上げた人間はそこにプライドと自負を持つようになり、卑しい行いはしない。出来なくなるのが普通です。しかしあの男は金の為に戦うと、憚りもなく公言している。それがどうにも腑に落ちません」
「ふむ……」
団長は顎を撫でさすりながら思案げに視線を彷徨わせる。わずかな逡巡の後に、声のトーンを落として話し始めた。
「君ならば知っても問題ないだろう。これから話すことは公言しないと約束して欲しい」
「はい」
「奴の名前、アストレイという性に聞き覚えはあるかね」
「いえ、ありません。変わった名だとは思いましたが」
「だろうな。奴の姓は勝手に名乗っているだけだからな」
姓を勝手に名乗っている──それが意味するところをフェリスはすぐに理解する。
「ここまで言えば分かるだろう。奴は元孤児なのだよ」
「十年前の戦ですか」
帝国は建立以来、周辺の小国を侵略・併合しながら徐々に大きくなった国だ。数年置きにどこかしらで戦争をやっている。
戦災孤児が増えるのは避けられない。
ナハトもそういった数多いる孤児のひとりだったという事か。
「底辺から這い上がったゆえに、金にがめついと?」
「それもあるだろうが、それだけではない」
団長は静かに首を振った。
「ナハトが元孤児と言っただろう──今ナハトは自分と同じような境遇の子供を引き取って面倒を見ているのだ」
「それは本当ですか⁉」
思いがけない言葉を聞いて、フェリスは驚愕に目を丸くする。
「一度だけ奴の家に行ったことがあるが、その時は十人以上の子供がいた」
「十人以上も……」
「子供たちは皆幼く、自分で稼げるような者はいない。ナハトはたった一人でその食い扶持を稼がなくてはならんのだ、それは金にうるさくもなるだろう」
「……」
フェリスは貴族だ。細々とした金の計算などしたことがない。しかしそんなフェリスでも分かる。それだけの人数の食い扶持がいくらかかるか──そしてそれを一人で稼がなくてはならないのがどれほど困難か。
「ナハトの任務代行を責められないのはそういった事情があるからだ。本来認められない行為だが、我々も黙認して
いる。幸い腕は立つので、ナハトが出る回数が多い方が実務上ありがたい、というのもあるがね」
「この事を他の隊士は知らないのですか」
「私を含め各隊の隊長などの幹部連中は知っているが、ほとんどの隊士は何も知らん。中には薄々感づいている奴もいるだろうが……」
「何故ナハトは自分の事情を打ち明けないのでしょうか」
「孤児としての経験がそうさせるのか……中々人に弱みを見せん男なのだよ。本人が言うには『苦労なんて人に見せびらかすものでもない』という事らしいがな」
誰にも理解されず、誰に助けを求めることもなく、ナハトは戦い続けているのだ。衛兵団という、腕一本で己の命を質に出して日銭を稼ぐ──そんな鉄火場に身を投じて。
「私にはよく分からなくなってしまいました……」
「む?」
ポツリポツリとフェリスは言葉を紡ぐ。
「騎士とは武をもって民を守り、救う、理想の体現者だと……そう思っていました。そうあるべきだと……あの男は清廉でもなければ潔白でもない、金の為に剣を執るなど言語道断だと思っていました。でも──」
事情を知ってしまった今、もう以前のようにナハトを見下すことなどできない。守るべきもののために困難にも屈辱にも耐え、身を粉にして戦う──それは正に騎士のあるべき姿そのものではないだろうか。
団長はそんなフェリスを見て微笑んだ。現実と理想のギャップに思い悩み、苦悩していた己の若き日を重ねるように。
「現実は理想通りには中々ならないもの。しかしその現実の中で、腐ることなく戦っている者もいる。フェリス、ナハトは決して清廉潔白な人間ではないが、それでも騎士として学べることが多いはずだ。どうか金にうるさいというだけで、奴を色眼鏡で見ないでやってくれ」
「……はい」
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