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第十話

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「つ、疲れました……」
「自分も、いささか消耗しました」

 街にたどり着き、宿の部屋に入るなり、フィオナとナッシュはぐったりと崩れ落ちる。

「なんだなんだ、だらしねぇぜ」
「くっ……この体力バカめ……」

 ナッシュは忌々し気に呟き、フィオナは反応さえしない。
 森の中を三日間行軍して、フィオナは完全にバテてしまっていた。その日はそのまま宿に泊まり、明くる日の朝。

「後は帝都のエトワール家に向かうだけだな。霊薬を飲めるのが待ち遠しいぜ」
「そのことなんですが」

 ウキウキとしたメルにフィオナが手を挙げて提案する。

「今日一日、ここで休養を挟むというのはどうでしょうか」
「え? なんで?」

 メルは首をかしげる。

「後は街道沿いを何日か歩くか、乗合馬車に乗せてもらえば二日で帝都だろ。なんでここで休む必要があるんだ?」
「それはそうですが……」

 いつになく歯切れの悪いフィオナ。

「その……皆さんも疲れが溜まっているのではないかと」
「そうか?」
「今までは他に先を越されないうちに、いち早く霊薬を手に入れようと動き続けていましたし、工房のあった遺跡からも三日歩き続けてきたでしょう」
「たしかに強行軍の連続だったかもしれないけどよ。昨日宿のベッドでしっかり寝たろ?」
「常人は一日寝ただけで体力が全回復する訳じゃないんです!」
「……まるで俺が異常みたいな言いぐさだな」

 その通りだ! ──とフィオナとナッシュの目は語っていたが、鈍感なメルには通じなかった。 

「と言う訳で! 本日は休養にして、帝都には明日から向かいましょう」
「私は賛成です」

 ナッシュは身体の強張りをほぐすように、大きく肩をまわす。

「盗賊ギルドが狙ってきたらどうすんだよ」
「工房の倒壊で、しばらく盗賊ギルドの連中はがれきの山と格闘しているだろう。我々が霊薬を手に入れたと知っている人間は誰もいない。ならば安全だと思っていい。ここで無理をして、途中で体調を崩す方が大きなロスになりかねん」
「決まりですね」
「……分かったよ」

 フィオナがパンと手を叩き、メルは渋々頷いた。

「そうと決まれば」

 一日滞在が決まった途端に、ナッシュは街着に着替えて部屋を出ていく。

「どこ行くんだ?」
「街の麗しい女性たちに声をかけに」
「ようはナンパだろうが」
「何とでも言え」

 メルの呆れた声に耳も貸さず、ナッシュは軽やかな足どりで街へと繰り出していった。

「めちゃくちゃ元気じゃねーか。あいつに休養とかいらねぇだろ」
「あ、あははは……」

 フィオナも乾いた苦笑いをしている。

「メルさんはどうします?」
「俺? 俺はフィオナのそばにいるよ」
「え?」

 フィオナは少し頬を赤らめるが、それも

「フィオナが持ってる霊薬に何かあったら大変だからな」

 というメルのセリフですぐに引く。

「ああ……そういう意味で……」

 どことなくガッカリしているフィオナに、メルは全く気付かない。

「? どうかしたのか?」
「いえ、何でもありません」
「……なんか怒ってないか?」
「何でもありません‼」

 声を荒げるフィオナに、メルは首をかしげるしかない。
 そんなメルを見て、フィオナは大きくため息をついた。

「……部屋にこもっているのも性に合わないので、市場でも見に行こうと思います。メルさん、エスコートをお願いできますか」
「あ、ああ分かった」

 フィオナのテンションの上がり下がりに、若干気後れしつつ、メルは頷いた。
 


 それから市場を二人で歩いた。
 賑やかな市場を回っていくうちに、フィオナの表情も少しずつほころび、機嫌も直ってきたようだ。
 それを見計らってメルは口を開いた。

「それで……ここに一日滞在する本当の理由は何なんだ?」
「なんの事でしょう?」
「とぼけるなよ」

 市場の露店で売られているアクセサリーに目を奪われるフィオナ。こちらを振り向きもしない。

「霊薬を手に入れるまで、お前はずっと合理的に判断をしながら動いていた。だけど、今日の提案だけはいつもと違う気がする」
「……鋭いですね」

 フィオナが肩をすくめた。

「そうですね、たしかにメルさんの言う通り。今日ここで油を売っているのは、わたくしのワガママです」
「なんだってこんな事を」
「この旅を終えたくなかったんです」

 そう答えるフィオナの表情は、とても儚げであった。

「わたくしの願いはお父様との賭けに勝ち、自由を勝ち取ること──ですが、自由に
なるだけなら賭けなんてする必要はありません。その意味で、わたくしの願いは既にかなっている……お父様との賭けは、今までの鬱憤を晴らすための当てつけのようなものですわ」

 フィオナの目は遠くを見つめる。

「そして、それもかないそうになっている。そうなったら、急に途方に暮れるような感覚になってしまって……自由になったその時、わたくしは何がしたいのだろうと……」

 黙って聞いていたメルにフィオナは問いかける。

「メルさんは霊薬を飲んで、男らしい姿形になれたとして……その後は何がしたいですか?」
「俺か? 俺は……」

 その時になって、メルは気が付いた。
 今までずっと男らしい姿になりたいと──今の女のような顔や身体は嫌だと、ずっと思ってきた。だからこそ、霊薬を求めてフィオナの用心棒を買って出た。
 でも、その願いがかなったとして、その後メルはどうするだろうか。

 その先の願い。
 今の思いに引っ張られすぎて、その先をメルは思い描けていなかったのだ。
 答えに窮するメルに、フィオナは優しく微笑む。

「わたくしも、まだその先の答えに辿り着いてはいません。ただ……」
「ただ?」
「わたくしメルさんやナッシュ様と過ごす毎日が、この旅が、楽しいのです。とても」

 そう言うフィオナの顔には、掛け値なしの笑顔があった。

「だからですね……ちょっとワガママを言って、旅を少しでも長く続けてたくなってしまいましたわ」 

 いたずらっ子のように笑うフィオナが、メルには眩しいくらいに輝いて見える。
 ドキリ──メルの胸が高鳴る。

(ん……なんだこれ?)

 何故胸が急に高鳴るのかが分からず、メルは慌てる。急に胸が苦しくなって、身体が火照るようだった。

(そう言えば俺、女の子と街を歩くとか初めてじゃん……)

 そう思ったら、余計に身体の熱が増す。

「? どうしたのですかメルさん」
「ど、どど、どうしたって、何が?」
「言え、急に黙り込んでしまわれたので」
「別に何ともないぞ!」
「ですがお顔も赤いような……メルさんもやはり疲れがあったのでは?」
「いや大丈夫。胸が苦しいし身体が熱いけど、全然! 全然大丈夫だから!」
「それは大丈夫ではないのでは?」

 不自然なメルの言動にフィオナは首を傾げ、ジッとメルの顔を覗き込む。

「メルさん、本当に大丈夫ですか?」
「だから大丈夫だって言ってんだろ!」

(だからそんなに顔を寄せるな──!)

 とは言えず、メルは顔をそむける。
 と、

「おおフィオナ嬢。メル」
「うおあぁぁっ! ──ってナッシュか、脅かすなよ」

 通りの向こうから緩み切った顔のナッシュが、得意げに歩いてきた。隣には派手な服装の女性を連れている。
 それを見て気がまぎれたのか、メルの心拍数は一気に平常値へ戻る。

「うわぁ……もう女ひとり引っ掛けてやがる……」 
「ふん、何とでも言え」

 メルは呆れ気味だが、ナッシュは鼻を鳴らすだけだった。

「ナッシュ~? この二人は?」

 派手なメイクと格好の女性が、甘ったるい口調でナッシュを見やる。

「こちらはフィオナ嬢。私の雇い主です。もう一人は……性別不詳の野蛮人です」
「オイコラ! 誰が性別不詳の野蛮人だ‼」
「性別不詳なのも、野蛮人なのも間違ってはいないだろうが」
「へっ、女好きの三流騎士に言われたくねぇな」
「……」
「……」

 メルとナッシュの間で火花が散ったかと思うと、お互いに胸倉を掴みあう。

「上等だ! てめぇ表出ろ‼」
「いいだろう! いい加減貴様とは白黒ハッキリさせんとなぁ‼」

 取っ組み合いのケンカを始めようとする二人。それを見ていた派手な格好の女性は、「うわぁ……ないわ……」と顔を引きつらせる。

「女二人連れのくせしてアタシに声かけてきた訳? しかも一人とはケンカしだすし……女相手にムキになるとか、マジないわ」
「……え」
「遊びたいならそこの二人と遊んでれば」

 ナッシュに幻滅したらしく、派手な格好の女性は踵を返して去っていった。

「うわあああぁぁ!」

 絶望に打ちひしがれた顔で、ナッシュは崩れ落ちる。

「……そのナッシュ様、お気を確かに」
「いいってフィオナ。コイツの自業自得だろ」
「──貴様ァァァ!」

 頭の後ろで手を組んで心底どうでもよさそうに呟くメルに、ナッシュは血涙を流す勢いで掴みかかる。

「お前のせいで、お前のせいで!」
「アアン⁉ てめぇが自分のナンパ成功を自慢したくて、俺らに話しかけたのが原因だろうが!」

 ボカスカと子供のようなケンカを繰り広げる二人を、フィオナは可笑しそうに微笑んで見ている。

「お二人とも仲が良いですね」
「「どこが⁉」」

 メルもナッシュも渾身のツッコミを叫ぶが、フィオナはただ笑うだけ──なんとも緩んだ空気が流れる。

 その時だった。
 大通りを歩いていた馬が、突然走り始めたと思った時には、フィオナは馬上から伸ばされた手に手繰られていた。

「⁉」
「フィオナ⁉」

 メルは突然の事に驚くが、すぐにフィオナを攫った馬を追いかける。一瞬遅れてナッシュも駆け出す。
 馬の手綱を握っているのは──

「また会ったな、お嬢ちゃん」
「「「ダニアン⁉」」」

 フィオナを馬に乗りながら、すれ違いざまに連れ去ったのは、盗賊ギルド『赤い毒蛇』の頭目、ダニアンだった。
 片手で手綱を握って馬を御しながら、もう片手で人ひとりを攫うなど、並みの人間にはできない業だ。さすが盗賊ギルドの頭目を張っているだけのことはある、見事な手際の良さである。

「ちょいちょい聞き耳を立てていたが、やっぱりお嬢ちゃんたちが霊薬を持ち逃げしてたんだなぁ?」
「!」

 霊薬を手に入れたことまでバレている。
 フィオナもメルも気付かないほど離れたところから、二人の会話を盗み聞きしていたとは何という地獄耳か。
 ダニアンは得意顔でメルを見やる。
 いくらメルでも、馬より速くは走れない。どんどんメルとダニアンの距離は離れていく。

「お嬢ちゃんごと霊薬はいただいてくぜ?」 
「クソッ! ──フィオナ!」

 叫ぶ声も虚しく響くばかりだ。
 フィオナもダニアンの腕を振りほどこうと暴れるのだが、びくともしない。

(このままじゃマズい……!)

 フィオナは咄嗟に持っていた鞄を投げた。

「メルさんこれを!」
「これは!」
「ッ⁉ しまった!!」

 ダニアンはほぞを嚙む。
 投げられた鞄をキャッチするメル。中を改めると、割れないように緩衝材で包まれた霊薬の薬瓶が入っている。

「やってくれたなお嬢ちゃん……!」
「……」

 ダニアンは憎々し気にフィオナを睨む。しかしフィオナは毅然とした態度のまま、何も答えない。
 ダニアンはまた舌打ちをすると、背後のメルに向かって叫ぶ。

「明日の正午、近くのルミナスの滝に来い! そこでこの小娘と霊薬を交換だ! 来なければこの小娘の命はないと思え‼」

 街中でこれ以上騒ぎを起こせば、駐屯している衛兵が集まってくる──そう判断したダニアンは、それだけ言い残してフィオナを連れ去ってしまった。

「フィオナ……」

 後には途方に暮れたメルだけが残された。
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