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第八話

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 中は一種異様な光景が広がっていた。
 かび臭い空気が充満している。所狭しと本が積み上げられ、壁のようになっている。一方には何らかの薬草と思わしき植物、見たこともない色合いの鉱石、乾燥させた獣や虫の手足──等々、胡乱な品物が立ち並んでいた。
 奥には大きな釜戸と、いくつもの管が繋がれた装置がある。

「これはまた……いかにもって感じですね」
「ですわね」

 ナッシュは独り言ち、フィオナはかび臭い空気にハンカチを鼻に当てた。
 メルはかび臭い空気の中に、わずかな腐臭──死臭とでも言うべきものが混じっているのを感じ取った。
 匂いの元を辿っていくと、メルは白骨化した死体を発見した。

「おーい、ここに死体があるぞ」
「ひぃっ⁉」
「む……本当か?」

 フィオナは小さく悲鳴をあげ、ナッシュは片眉を上げる。

「ほらここだ」

 メルは死体に近づいて、検分する。

「見たところ死んでから数週間は立ってる感じだな。多分、こいつが病死したっていう魔術師じゃねぇか?」
「お前……よく躊躇なく死体に近づけるな」
「俺は貧民街の浮浪児だぜ? 死体なら見慣れてるよ」

 おかげで死んだ人間が放置されたら、どのくらいの期間でどうなるか、大体分かるようになった。

(なんかこいつの周りに、霊薬がどこにあるかヒントになる物ないか?)

 メルは魔術師の死体の周辺を探る。すると、足元に小さな手帳が落ちていた。
 メルは字が読めないので内容は分からない。ただ、所々に/で区切られた数字が書いてあるところを見ると、どうやら日記のようだ。

「フィオナ、これなんて書いてあるんだ」
「わたくしが読むんですか?」
「だって俺、字読めないし」
「うう~……」

 死体の近くにあった物を触りたくないのだろうが、渋々フィオナは手帳を手に取り、中身に目を走らせる。

「所々掠れたり虫食いがあったりで、断片的にしか分かりませんが、どうやら研究日誌のようですわね」

 パラパラとページをめくるフィオナ。

「霊薬作りとは関係のない、バルキリス人の伝承についても調べていたようですが……これは」

 フィオナは気になる部分を抜粋して読み上げる。


『■■■■様から依頼と多額の研究費をいただいた』
『これから霊薬の精製を始める』
『失敗続きだ。この霊薬は本当にできるのか?』
『いや、理論上は可能なはずだ。そう言い聞かせて研究を続ける』
『実験の結果、この地方から切り出される希少な鉱石と、■■の一部を混合したものが、身体の造りを変異させる効果があると分かった』
『このところ体調が優れないが、研究が進んだことで気分がいくらか晴れた』
『研究に没頭するあまり、どうやら病魔に侵されていたのに放置してしまったようだ。既に取り返しのつかない所まで来ている』
『私の命は長くない。しかし何としてもあの霊薬だけは完成させる。それが私の生きた証なのだから』
『蒸留装置を使い、霊薬は完成した。私は生きた証を遺せたのだ。しかしこの研究成果を、誰にも伝えられないのが心残りである』
 

「……読んだ限り、霊薬は無事完成したのは間違いなさそうですわね」
「どうやらここの魔術師は誰かから依頼されて霊薬を作っていたようですが、一体誰が……」
「んな事は別にいいだろ、それより霊薬の在りかだ。たしか蒸留装置って言ってたよな。てことは」

 メルは管がいくつも繋がった装置を見やる。
 慎重に上蓋を開けると、中には小さな薬瓶が入っていた。
 薬瓶を取り出し、灯りの下で透かして見る。
 薄桃色の半透明な液体が入っていた。よく見れば、光の反射ではなく、液体自体がわずかに発光しているように瞬いている。
 見るからに尋常な代物ではない。

「これが……」
「……霊薬ですわ!」

 呆然と薬瓶を見つめるメルに、フィオナが飛びつく。

「やりましたわメルさん! わたくしたち、霊薬を手に入れました‼」
「やったなフィオナ!」

 小躍りする勢いで盛り上がる二人。

「それじゃ早速」

 メルが薬瓶の蓋を開けようとした時、

「待て」

 ナッシュが待ったをかける。

「何すんだよ」
「少し確認させてほしい」

 苛立つメルを飄々と受け流すナッシュ。

「貴様がここで霊薬を飲んだら──フィオナ嬢が霊薬を手に入れたと、誰が保証するのだ?」
「はっ⁉」
「へ?」

 フィオナは息を吞み、メルは間の抜けた声を出す。
 ナッシュはフィオナに向かって再度確認する。

「たしかフィオナ嬢が御父上とされた賭けは『霊薬を手に入れられるか』──つまり本当に霊薬を手に入れたとしても、それを証明できなければ、賭けは無効になってしまうのでは?」
「そうです! わたくし霊薬を手に入れることばかりに頭がいって、肝心なところを忘れておりましたわ‼」

 フィオナはメルから霊薬の入った薬瓶をひったくる。

「何すんだよ!」
「メルさん、ここで霊薬を飲んじゃダメです!」
「何でだよ⁉」
「ここで霊薬を飲んだら、わたくしが霊薬を手に入れたと証明できなくなります」

 もしここでメルが霊薬を飲み、男らしい姿かたちになったとしよう。その後エトワール家に向かい、フィオナの父親にあって霊薬を飲んだと言って信用されるだろうか。
 何しろメルの元の姿を知っている人間が、変身したメルを見るから、霊薬の存在を信じられるのだ。
 メルを知らないフィオナの父に、霊薬を手に入れたと言っても信じてはもらえないだろう。

「じゃ何時なら飲んでいいんだよ! 俺はこの霊薬で変身できるって聞いたから、ここまで頑張ってきたんだぞ‼」
「帝都に戻ってお父様にあった時──その時に飲んでください。目の前で見れば、お父様も納得せざるを得ないはずです!」
「ぐぅ……!」

 メルは口惜しそうに歯噛みする。
 メルにとっては、長年抱えていたコンプレックスを払拭できるチャンスが、目の前にあるのだ。今すぐにでも霊薬を飲みたいと思うのも、当然だろう。
 メルの諦めきれない視線を察してか、フィオナは釘を刺す。

「メルさんはわたくしが賭けに勝つために、用心棒をすると約束してくださいましたわよね──まさか約束を反故にするという、男らしくない真似なんてしないですよね?」
「ぐぬぬ……!」

 血涙でも出そうな勢いで、メルは歯噛みする。
 本当は今でも喉から手が出るほど霊薬がほしい。だが、

(男らしくない、男らしくない、男らしくない、男らしくない、男らしくない……──)

 フィオナが付け加えた一言が、メルの心を押しとどめる。
 男らしくない──それはメルが一番言われたくない言葉だ。男らしくありたいという強烈な思いがあるが故に、どれだけ霊薬を飲みたくても絶対にメルは手が出せない。

(言葉一つでこうも人を手玉に取るとは……底知れない方ですねフィオナ嬢は……)

 二人のやり取りを見ていたナッシュは、フィオナの巧みな弁論に舌を巻く。
 と、不意に地響きのような音がして、工房が揺れる。

「な、何だ⁉ 地震か⁉」
「いえ! これは魔法の作用ですわ──‼」

 揺れる工房内。ほのかな光──魔力光が壁を縦横に走っている。 

「この工房自体も一種の罠だったのですわ! 研究成果を盗み出そうとすれば、建物が崩壊するように、魔法式を仕込んであったのでしょう」
「ボロボロの遺跡を工房に選んだのは、いざという時簡単に倒壊させやすいからか!」
「とにかく逃げましょう!」

 三人は出口目掛けて全速力で走りだした。
 


 工房の外では入口を囲むようにして、倒壊しそうになっている工房を遠巻きに盗賊ギルドの面々が見守っていた。
 気付けば見張りが気絶しており、霊薬がある工房が崩れようとしているのだから、ただただ驚くばかりである。

「気を付けろ! 倒壊に巻き込まれるぞ‼」

 盗賊たちの叫び声が木霊する。

「チッ! なんてこった! これじゃ三億ルミーが瓦礫の下敷きになっちまう!」

 遠くから工房を見ていたダニアンは舌打ちをする。
 工房は遂に崩れ落ち、砂煙がもうもうと舞い上がる。

「ん?」

 蛇の目とも言われる鋭い眼が、視界の端に見覚えのあるものを捉えた。
 砂煙の合間に、栗毛の少女の姿が一瞬だけ見えた。

(たしかあの娘は、昨日の酒場にいた金髪の女のツレ……)

 その娘たちがあの工房にいた──それも倒壊寸前のところから出てきた。

(てぇ事は……!) 

 ダニアンはニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。
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