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第八章 執着する呪いの話
第25話 消えた日和
しおりを挟む「日和!?」
目の前にいた筈の日和の姿が、一瞬で消えた。
碧真は信じられない思いで周囲を見回す。
「一体、何が……」
俐都も唖然として周囲を見回す。賀援が息を呑んだ。
『縁切刀を使って、あの子と現実世界を結ぶ縁に傷をつけたんだ! 人気より神気が多かったから、縁を傷つけただけで、娶リ神の神界に引き摺り込まれちゃったんだよ!!』
碧真は賀援の胸ぐらを乱暴に掴む。
「今すぐ、日和がいる場所へ連れて行け」
怒りに満ちた碧真の表情に、賀援が涙目で怯える。
「おい! やめろ!」
止めようとする俐都を、碧真が睨みつける。俐都は真っ直ぐに睨み返した。
「日和が大事なのは分かるが、周りに八つ当たりすんなよ。ここに居るのは、お前の敵じゃねえだろうが」
「うるさい」
碧真は賀援を掴む手に力を込める。俐都は眉を吊り上げて、碧真の手首を掴んだ。
「やめろって言ってるのが分かんねえのかよクソガキ!」
「うるさいって言ってるのが分からねえのかよ単細胞!」
碧真の怒りの矛先が、俐都へ向かう。碧真が手を離した隙を見計らって、千草が賀援を抱え上げて後退した。
「イキってんじゃねえぞ、クソガキ。お前一人で解決出来る問題じゃねえ。日和を守りてえなら、ちゃんと状況を見ろよ!」
「お前らなんか当てに出来るか! 何が天翔慈だよ! 今だって、何も出来なかっただろうが! 道さえあれば、俺が一人で行く!」
「道も開けられねえくせに、偉そうに言ってんじゃねえよ!!」
「偉そうに言ってるのは、お前だろうが!」
互いに胸ぐらを掴んで睨み合う二人に、賀援はオロオロとし、千草は静観する。立ち上がった篤那が、右手をスッと天へ向けた。
頭上から金色の光が降り注ぎ、碧真と俐都の頭に金盥が二つ落下する。ゴォワァンッと鈍い音が周囲に響いた後、追い討ちと言わんばかりに、二人の頭に真っ白な雪の塊がドサドサと降り注いだ。
「二人共、喧嘩はダメだぞ」
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「またやりやがったな、クソ篤那!! 盥だけでも地味に痛えのに、雪とかふざけんな!!」
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怒鳴る俐都の横で、碧真は静かに銀柱を取り出す。篤那に銀柱を投げようとしている事に気付き、俐都が碧真の手首を掴んで止めた。
「おい。クソガキ。キレるのは分かるが、落ち着け」
碧真は無言のまま、俐都の手を振り払おうとする。俐都の力が強い為に手は抑えられているが、篤那に対する殺意は抑えられない。千草が呆れて眉を寄せる。
『御三方。女人の身に危険が迫っているというのに、喧嘩をしている場合ですか』
『そ、そうだよ。早くしないと』
「だから、早く日和がいる場所へ連れて行けと言ってるだろうが!」
碧真が怒鳴りつけると、賀援は「ぴえ」と悲鳴を上げて、千草の後ろに隠れた。千草はやれやれと溜め息を吐く。
『貴方。賀援様は基本ビビりなので、あまり睨まないで下さい。ただでさえ無い威厳が消え失せてしまいます』
『千草!? 僕は偉い神様だよ!?』
『自分を偉いと言って行動しない無能になりたくなければ、さっさと娶リ神の神界へ御三方を送ったらどうですか?』
『僕の神使が辛辣すぎるぅ!! わかったから、そんな冷たい目で見ないでよ』
賀援は涙目になりながら、碧真達に向き合う。
『君達を娶リ神の神界へ送るよ。僕は、そこでは助けられないけど』
「問題ねえよ。俺達で何とかしてみせる」
俐都は頷く。賀援は身に着けていた勾玉の首飾りを外して、俐都に手渡した。
『この場所へ戻ってくる為の神具だよ。握りしめて、僕の名前を呼んでくれたら、こっちに引っ張り上げるから』
「ありがとな。賀援」
俐都はコートのポケットに神具をしまう。
賀援に社の外へ出るように言われ、三人は靴を履いて砂利の上に立つ。横一列に並んだ三人に向かって、賀援が手を翳した。
『全員、無事に帰ってきてね』
萌葱色の光を纏った温かい風が三人を包む。賀援が天に向かって手を向けると、三人の姿は消えた。
***
「碧真君?」
シンと静まり返った真っ暗闇の中に、日和は一人で座っていた。
見覚えのある暗闇。化け物は近くにいないが、碧真達もいない。手の中の握り飯をギュッと握りしめ、日和は俯く。
(また、ここに来ちゃったんだ)
何度逃げても、隠れても、追ってくる。
一生、逃げることは出来ないかもしれない。
日和は唇を噛み締めて立ち上がる。握り飯をコートのポケットに入れた後、自分の両頬を叩いて真っ直ぐに暗闇を睨みつけた。
(弱気になるのは、もう十分やった。私が私を諦めるのは、死んだ後でいい。今は、生きることを考えよう)
日和は暗闇に耳を澄ませる。
右側から、娶リ神が近づいてくる音が聞こえた。日和は左へ向かって走り出す。
日和が逃げ出したのが分かったのか、娶リ神が近づく音が早くなる。自分の存在をかけた鬼ごっこは、『名奪リ遊戯』以来だ。
普段からの運動不足と、数日間食べなかったことで落ちた体力では、もどかしすぎる程に早く走れない。
抵抗する日和を嘲笑う声が、すぐ近くに迫ってきた。
『諦めろ。花嫁。もう逃げる場所はない』
『どうして抵抗する?』
『諦めて、男に愛されたらいい。そうした方が幸せだ』
『女は結婚して、男に愛されるのが幸せだろう?』
しつこく話しかけてくる声に、日和は歯軋りする。怒鳴り返したいのに、言葉に割く力が無い。日和は娶リ神を無視して、ひたすらに走った。
『強情な女だ』
娶リ神が溜め息を吐き、日和の足を掴もうと触手を伸ばす。日和が右手の中指に嵌めていた指輪が、白銀色の光を放った。
鈍い衝突音が背後から聞こえ、日和は驚いて振り返る。
突然出現した白銀色の巨大な壁に、娶リ神が衝突して、後方へと吹き飛ばされた。娶リ神を追撃するように、白銀色の矢が宙を駆ける。体を射抜かれた娶リ神が悲鳴を上げた。
(壮太郎さんの呪具の事、忘れてた)
壮太郎から貰った二つの指輪の内の一つが発動して、日和を守ったようだ。
日和は再び走り出そうとしたが、ガクリと膝から頽れる。体力の限界と恐怖からか、膝がガクガク震えて立ち上がれない。
(……これ以上逃げるのは無理)
日和は残っていた指輪を外して、足元の地面に叩きつける。ドーム状の結界が生成され、日和を包み込んだ。
『結界か』
日和はビクリと肩を揺らす。振り返ると、結界の外側に娶リ神がいた。
矢に射抜かれた筈の体が再生している。先程の攻撃でも、娶リ神を仕留める事は出来なかったようだ。
結界に触れた娶リ神の触手が弾かれる。
『小癪な真似を』
悔しげな声を上げ、娶リ神は何度も結界を攻撃する。
日和は体を縮こませて恐怖に耐える。揺れてはいるが、白銀色の結界はヒビ割れる事もなく、日和を守った。
結界は日和を守ると同時に、閉じ込める檻にもなる。いつ助けが来るかわからず、すぐ外には自分を害する存在がいる。精神的におかしくなりそうな状況に追い詰められていた。
(碧真君達が、きっと助けに来てくれる。それまで、信じて待てばいい)
心の中に生まれる恐怖より、信頼している人がいる。希望に縋りつき、日和は震える手を握りしめた。
埒が明かないと思ったのか、娶リ神が攻撃を止める。
このまま諦めて何処かへ行ってくれる事を願ったが、娶リ神はその場に留まったまま、笑い声を上げた。
『ああ、そうか。お前から出るようにすればいいな』
日和の左腕に真っ黒な靄が絡みつき、強い力で引っ張られる。その先には、白銀色の指輪があった。
(待って! だめ!)
意思に反して、日和の左手の指先が指輪を払い飛ばす。
白銀色の結界が解除されて消え、日和の顔が絶望に歪んだ。
娶リ神の触手が、日和の頭部を掴む。ぬるりと湿った嫌な感触の触手に顔を覆われて息苦しい。もがき苦しむ日和を、娶リ神が嘲笑った。
『人間の気を取り込んだようだが、ここに居れば、すぐにワシの神気で染まる』
日和の中から、何かが引き抜かれる気がした。
『さあ、婚礼の準備をしようか。花嫁』
視界と意識が真っ黒に染まっていく。
逃げ出したいのに、体が動かない。
『日和!』
意識が遠のく中、碧真が呼ぶ声が聞こえた気がした。
「碧真君」
呟いた声は、涙と共に暗闇に飲み込まれていく。
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