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第八章 執着する呪いの話
第17話 心優しい王子様
しおりを挟む壮太郎は結界に意識を集中する。
社型の結界の外側には、四体の妖の力を使った術式が描かれている。
結界に近づいた瞬間、『天狗の羽団扇』の風の刃に切り裂かれ、『羽犬』が牙を剥く。『がしゃどくろ』によって体を潰され、『野槌』に丸呑みされる仕掛けだ。
結界の中には、祖父と共に凶悪な妖や怨霊達と戦った経験を持つ霊獣の唐獅子がいる。メトリ神が結界の外へ日和を連れ出すのは困難だ。
(問題は、神気による内部侵食だね)
壮太郎が作った社型の結界では、縁を通じて送られてくる神気を防ぐことは出来ない。しかし、このままメトリ神の好きにさせる気は全く無い。
メトリ神の神気から日和を守る為に作り出したのが、結界の中に配置したヒヨコ型の身代わりの人形達だ。
日和の髪の毛を媒体にして作った身代わり人形達が、縁を通して送られてくる神気を分散して請け負う。日和へ送られる神気の量を、最小限に抑えることが出来るのだ。
日和の代わりに神気を流し込まれた身代わり人形達が、次々と破壊される。
メトリ神の神気による侵食は、壮太郎の想像以上の物だった。日和が人間のままで生きられたのが、奇跡的なことだと分かる。
神気の量が一気に増える。
身代わり人形達が壊される度に、壮太郎は新しい身代わり人形を作り続けた。
***
牡丹の花の結界を何とか抜け出した先に現れた白銀色の社の前で、ワシは歯軋りをする。
社から、複数の妖の力を感じた。しかも、神と並ぶ強さを有する天狗の力まで感じられる。
社に一歩近づくと、風の刃が飛んできた。体の一部が切り落とされて地面に落ちる。切り落とされた体は神気を消費して再生させたが、これ以上無闇に近づいて、せっかく集めた神気を消耗するのは避けたい。
(まあ、いい。あと少し神気を注げば、女はワシの隷属となる。外から侵入出来ずとも、本人が外に出てくるように操ればいい)
縁を辿って女に神気を送り込むが、いつもなら感じる女との縁を感じ取れなかった。というより、女に繋がる縁が幾つも枝分かれしていた。
(あの女の周りには、本当に奇妙な者達がいるな。狛犬達さえ消せば楽勝だと思ったが……)
女が住む部屋の玄関扉の前にいた時。
神の加護を持つ人間の気配を感じたと思ったら、突然離れた場所へ飛ばされた。
戻って来れたのは、女を乗せた車が走り去った後だった。すぐに車を止めようとしたが、男の守り神の力が働いて攻撃が弾かれてしまった。
眠っている女を夢の中で連れ去ろうとしたが、弱小でも神使の力を持った蛇と男の守り神が女を守り、連れていく事は叶わなかった。
車が目的地で停車した時、何故か、男から守り神の加護が消えた。好機と思って襲い掛かろうとしたが、強い力を持つ霊獣が男の側にやって来て来た。手を出せないまま、女は強固な結界の中に連れて行かれてしまった。
女の加護である狛犬達の力を吸い取ったお陰で、周辺の神社の弱い神を取り込む事が出来た。神力も上がってきてはいるが、力のある霊獣や神格のある神には、今はまだ太刀打ち出来ない。
(もっと神気を手に入れねばならぬ。ワシの長年の想いを成就させる為にも、さっさと今の契約者の願いを叶えて、次の契約者を見つけたいものだが……)
ふと、夢の中で女を連れて逃げた男の目を思い出す。男の目には、ワシもよく知る感情が色濃く滲んでいた。
(あの男は使えるかもしれないな)
浮かんだ妙案に、ワシは思わずニタリと笑った。
***
俺は息を切らせて、夜の闇の中を走る。
手に持ったビニール袋がガサガサと音を立てるのが気になるが、早く逃げなければならない。
学生の頃は、よく年寄りの店を狙って万引きを繰り返していたが、大人になってからの盗みは初めてだ。
心臓が壊れそうな程のスリルに、冬なのにダラダラと汗が流れた。
戦利品を手に、急いで車に乗る。思った以上にスムーズに盗めた事に達成感があり、笑いが込み上げた。
車を走らせる。足が付かないように、少しだけ回り道をして家に帰った。
バタバタと音を立てながら家の中に入る。畳の上に散乱している弁当の空箱を適当に足で押し退け、ちゃぶ台の前に立った。
「メトリ神」
ちゃぶ台の上に載ったメトリ神に声を掛けると、周囲に立ち込めていた力の気配が緩まる。
俺がニヤリと笑って戦利品を見せると、メトリ神は感嘆の声を漏らした。
『おおっ!! よくやってくれた。お前はワシが見た中でも最高の男よ!!』
「まあな。俺は出来る男だからな」
俺は得意げに胸を張る。メトリ神の体から出た赤紫色の触手が、戦利品を大事そうに受け取った。
「その道具で、日和ちゃんを確実に俺の嫁に出来るんだろう? 早く、日和ちゃんを連れてきてくれ」
ようやく、毎晩妄想していた日和ちゃんとの触れ合いを実現出来るのだと、俺はワクワクとしながらメトリ神を見る。
『……女の周りにいる者達に邪魔をされて、侵食が進まない。このままでは厳しいかもしれん』
「はあ!? ちゃんとしろよ!! 戦利品を使えばいいんじゃないのか!?」
『それは必ず必要になるものだが、まだ使えない。明日にでも、また他の神を取り込んで力を補充しなければ』
「ふざけんな!! 何回先延ばしにするんだよ!!」
メトリ神に向かって怒鳴ると、隣室の住人から「ドン!」と壁を殴られる。時刻は深夜二時。大声を上げた自覚はあるが、邪魔された事が腹立たしい。俺は怒りを発散する為に、壁を殴り返した。
「日和ちゃんも日和ちゃんだ! あの男とは、一体どういう関係だ!? 俺というものがありながら、あんな若いだけの男に現を抜かすとか、裏切り行為だろ!?」
日和ちゃんは俺と一つになる時まで、穢れを知らない純粋な存在でいなければならない。もし、あの男と既に関係を持っているのかもしれないと思うと、怒りと憎しみで発狂しそうになる。
俺の純粋な恋心は傷つけられていた。
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「日和ちゃんを手に入れられなかったら、お前を川に投げ捨ててやるからな!!」
『落ち着け、契約者。女は確実に、お前の嫁になる。……そうだな。早く手に入れる為にも、お前の血を少し分けてくれないか?』
「は? 何でだよ」
『血を貰う事で、ワシと契約者の繋がりが強くなり、今以上の力を発揮出来るのだ。ワシの額に、ほんの二、三滴だけ垂らしてくれればいい。お前なら容易いだろう?』
俺はグッと呻く。
メトリ神にも、俺の高校時代の武勇伝として、乱闘の末に近隣の番長三人を舎弟にしたエピソードを話していた。
ここで引けば、また昔のように嘘吐き扱いされるかもしれない。
俺は百円ショップで買った滅多に使わない包丁で、人差し指の皮を切る。最初は薄い皮しか切れず、仕方なく少しだけ力を入れて包丁を引くと、血の玉がプクリと肌の上に滲んだ。
俺は痛みに顔を顰めながら、指の肉を絞って血を垂らす。
メトリ神の額に落ちた血が、血管のように広がって消えた。
『これで妨害を潜り抜けて、お前の嫁に神気を送ることが出来るだろう』
言葉通り、メトリ神の体から力が溢れた。
『契約者よ。安心しろ。お前の嫁は、まだ身綺麗なままだ。お前と一緒になれることを心から望んでいる』
「そ、そうか」
俺は安堵の息を吐く。怒りで冷静さを欠いてしまったが、よく考えれば、日和ちゃんが俺以外の男に靡く筈がなかった。
俺のことが好きで、見つめただけで照れ隠しに俯く日和ちゃん。俺が手を握ると、恥ずかしそうに顔を逸らしていた。抱きついた時には、震える程に感動していた。そんな日和ちゃんが、あんな若いだけの男と関係を持つ訳が無い。
日和ちゃんの運命の人は俺だ。
三十一歳にもなって恋愛経験が無く、誰からも相手にされずに行き遅れた日和ちゃんに、救いの手を差し伸べる心優しい王子様は俺なのだから。
(あの男に付き纏われて嫌々一緒にいたのだとしても、俺が傷ついたことには変わらない。日和ちゃんが誠心誠意、俺に生涯かけて尽くしてくれるなら許してやろう。俺の寛大さと素晴らしさに、日和ちゃんは涙を流して感謝するだろうな)
「日和ちゃん。愛してあげるから、早く俺の元においで」
運命の糸を手繰り寄せて、もうすぐ自分の元に日和ちゃんが来るのを感じながら、俺はニヤリと笑った。
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