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第七章 未来に繋がる呪いの話

第20話 転移の代償と歪み

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壮太郎そうたろう。無事か?」
「……何とかね」

 うつ伏せに倒れていた壮太郎は、フラつく頭を手で押さえながら体を起こす。大丈夫だと笑みを浮かべれば、じょうはホッと息を吐いた。

「……また厄介な所に飛ばされたね」
 周囲を見回した後、壮太郎は苦い顔をする。

 一目でわかる、現実世界ではない空間。
 森の景色を灰色で塗り潰した世界の中を、水に浮かんだ油のような赤や緑の色彩がゆっくりと移動していく。

 現実世界の森の中で、壮太郎の足元の地面に一瞬で現れた転移術式。
 転移術式を発動中に破壊すれば、別の空間へ放り出される危険性があった為、破壊する事は出来なかった。
 壮太郎達は術者の思惑通りの場所へと飛ばされたのだろう。

「ここは、術者が作り出した異空間か?」
 丈の問いに、壮太郎は首を横に振る。

「違うね。ここは、ムカデの神が作り出した異界だ」

 浄化の術式によって穢れが祓われた後、地面の上には小さなムカデの神達がいた。
 浄化後のムカデの神達が纏っていた赤と緑の力の色と、この世界が纏う力の色や性質は一致している。
 
 壮太郎は手近にあった灰色の草花に触れる。草花は細かい粒子となって崩れた。異界の主であるムカデは浄化されたが、邪神化の後で力を失っている。
 
 この世界は、脆く壊れやすい。

「あの術式は、鬼降魔きごうまの転移術式を元に作られていた。術者は鬼降魔の者の可能性が高いが……。どうやって、異界に転移したんだ?」

 丈は眉を寄せる。
 転移術式は、転移元と転移先に対となる術式が必要だ。術者は転移先を訪れ、術式を作り上げなければならない。

「異界に渡る方法は、たくさんあるよ。異界の主である神に招かれたら、力の無い一般人でも簡単に渡る事が出来る。神が自分を堕とす存在を歓迎するとは思えないけど、守護対象である分家の人達を人質に取引するという手もある」
 
 術者は何かしらの方法で、ムカデの神達が作り出した異界に渡り、転移術式を作り上げたのだろう。
 
「だが、転移元の場所に、術式は仕掛けられていなかった筈だ。術者が隠蔽していたとしても、俺か壮太郎が気づくだろう。周囲に術者がいた気配も無かった。術式だけが、急に現れたようにしか見えなかった」

「丈君。転移術式が現れる前に、周りの景色が歪んだ事に気づいた? 術者は転移術式によって生まれた歪みを利用して、僕達を罠にめたんだと思う」

「まさか!」
 丈が目を見開く。壮太郎は皮肉げな笑みを浮かべる。

 転移術式は、空間の理を変え、歪みを生み出す。

 一般的には、『時間』か『力』を代償にして、歪みを消化する。
 代償を『時間』にすれば、時間の歪みが発生する。転移対象者の時間を支払うことで、転移元から転移先へ移動する際に時差が生まれるが、歪みは解消する。
 代償を『力』をにすれば、力の歪みが発生する。術者の力を必要分消費すれば、歪みは解消する。

 時間がある程度経過しても代償が支払われなかった場合は、『生まれた歪みを強制的に正す力』が働く。転移は無効化され、転移の『対象』は転移元へ戻される。

「術者は、転移対象を『転移術式の上にいる人間』に設定して術式を構築した。術者自身が、転移術式を利用して現実世界に帰る時に代償を払わず、歪みを放置した。僕達がいた転移元の場所には、『時間』の歪みがあったんだ」

 時間が歪んだ事で、転移術式が描かれていない時間へ空間が歪まされていた。『生まれた歪みを強制的に正す力』が働いた事で歪みが正され、あの場に転移術式が急に現れたように見えたのだろう。

 そして、『転移術式の上にいる人間』だった壮太郎と丈が、『対象者』として認識されてしまったという事だ。
 
鬼降魔きごうま雪光ゆきみつではなく、”お兄ちゃん”とやらの仕業か」
 確信は無いことだが、丈は言い切る。壮太郎は同意して頷いた。

 転移の術は、一歩間違えれば大きなリスクを生み出す。
 術式の構築を誤って、危険な場所に転移してしまったり。転移先の術式が欠損して、空間の狭間に取り残されて戻れなくなる事もある。
 生まれた歪みを敏感に感じ取り、力の加減を微細に調整する必要もある。

 雪光では、転移の術を意のままに扱う事は出来ないだろう。

総一郎そういちろう以外に、転移の術を上手く扱える者がいるとはな……」
 苦い顔をしながらも、丈は感心したように呟く。

(確かに、ヘタレ当主は転移の術を使うのだけは上手いんだよね。他はダメダメだけど)

 総一郎は当主としての器は未熟なものの、転移の術の扱いは三家の中でも目を見張るものがある。

 鬼降魔家の当主が『呪罰じゅばつ行き』の人間を呪罰牢じゅばつろうへ送る時に使用する転移の術。
 呪罰牢内は特殊な作りをしており、通常よりも大きな歪みが生まれやすい。その歪みは、昔から転移者である『呪罰行き』の人間に背負わせていた。

 前当主が転移の術を使っていた際は、呪罰牢に送られた者の体は酷く損傷して、転移後に即死する者もいた。時差も大きく、一ヶ月遅れで転移される事もあった。
 しかし、総一郎は傷一つなく、時差も最小限で送る事が出来ていた。

 臆病が故に、生まれた歪みを敏感に感じ取ることが出来る。歪みへの過分な代償を支払う危険を回避し、最小限の代償で済むように修正する。
 壮太郎から見ても、唯一感心出来る部分だ。

「術式を利用して戻るか」
 鬼降魔の術式だが、古い構築式が使われている上に、術者独自の考えが組み込まれた術だ。読み解くには、多少時間が必要だろう。

「丈君。やめた方がいいよ。現実世界にあった対の術式は破壊されている筈だからさ。僕が相手の術者の立場なら、出入口を塞いだ後、この世界を完全に破壊する」

 壮太郎の読みを肯定するように、ムカデの神達が作り上げた異界がピシリと音を立てて崩れていく。

 邪神化した事で力を使い、衰弱した神は、今にも消えかかっていた。
 ある程度の力を持った術者であれば、弱った神を殺すことも出来るだろう。

 壮太郎は声を上げて笑った。他の人間が見れば、発狂したのかと思うような笑い。長年の付き合いである丈は、壮太郎が笑った意味を察して苦笑する。

(僕を術で追い込む人なんて、いつぶりだろう。これだから、人生は面白いんだ)

 壮太郎の体が白銀色の光を纏う。
 白銀色の光が線となり、壮太郎の足元に術式が紡ぎ出されていく。

 異界の崩壊より早く、壮太郎は新たな転移術式を完成させた。

「丈君。ちょっと無茶するけど、いい?」
 壮太郎は丈に手を差し出す。

「今更だな」
 絶対的な信頼を感じさせる笑みを浮かべ、丈は壮太郎へ手を伸ばした。

 転移術式が発動し、光を放つ。
 丈が壮太郎の手を掴もうとした時、欠けた世界の隙間に、突如白い光が煌めいた。

 丈は伸ばしていた手を引っ込めて、スーツの裏地から銀柱ぎんちゅうを取り出す。
 転移術式の外側の地面に銀柱を投げて突き刺すと同時に、丈の体が白い光の糸に絡め取られる。

「丈君!」
 既に発動している転移術式に力を注いでいた壮太郎は、すぐに攻撃へ移れない。

 丈は白い糸に強い力で一気に引っ張られ、壮太郎から引き離された。追撃するように、壮太郎に向かって白い光の矢が飛んでくる。

 壮太郎に矢が届く前に、銀柱が緑色の光を放つ。生成された箱型の結界が壮太郎を守り、矢は砕けて消えた。

 壮太郎の体が白銀色の光に包まれる。
 伸ばした手は届かないまま、壮太郎と丈の世界は分たれた。

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