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第五章 呪いを封印する話
第7話 一つ目の名前の玉
しおりを挟む日和が悲鳴を上げそうになった瞬間、ぶら下がっていた庇から足を外した『影』が大きく口を開けて落下してきた。
「お姉ちゃん!!」
陽飛が叫んだ時、日和の両肩に『影』の歯が突き刺さって鋭い痛みが走る。
(痛い! 痛い! やだ!)
皮膚を引き剥がされる感覚と痛みに、日和の目から涙が零れる。頭全体を『影』の口に覆われて、視界は真っ暗で息が苦しい。陽飛の声がするが、何を言っているかまでは聞き取れない。
ブチリと引き千切られるような音がした後、『影』の口から解放される。
よろけて家屋の壁に背中を打ちつけた日和が前を見ると、『影』が文字の書かれた玉を咥えていた。
玉を飲み込んだ赤い唇が消えて、『影』の顔は黒一色に戻る。
「何やってんだ馬鹿!」
先へ進んでいた碧真が異変に気づき、慌てて戻って来た。
碧真は日和の腕を引いて自分の背中の後ろに押しやり、『影』の足の甲に向かって銀柱を投げる。碧真が指を鳴らすと、銀柱から炎が燃え上がって、『影』の体を飲み込んだ。
燃え上がっていた炎が収まると、碧真は舌打ちした。最初に遭遇した『影』と同じように、ダメージを受ける事なく、変わらぬ姿で佇んでいる。
「逃げるぞ」
碧真が陽飛と日和に声を掛けて走り出す。
『影』は、こちらを見つめたまま、固まってしまったように動かなかった。
***
『影』から逃げた日和達は、高く聳え立つ塀の前に辿り着いた。
碧真が言うには、地図の一番右端の下部に辿り着いたらしい。日和達は現在、塀と建物の間の細い道にある茂みに姿勢を低くして身を隠している最中だ。
「『名取君』、追いかけてこないね。上手く逃げれたのかも」
陽飛は安堵したように息を吐く。碧真は眉を寄せた。
「上手く逃げたというより、わざと見逃したように見えたがな」
一度に名前を奪うのではなく、時間を置いて一文字ずつ奪いに来る『影』。名前を奪った後、すぐに追いかけずに見送るように立ち尽くしていた理由は何だろうか。
「また名前奪られた。あんなの反則じゃない? 完全に空中ブランコにぶら下がってる人だったじゃん。サーカスじゃん。才能溢れる癖に、何でこんな狭い世界閉じこもってんの? 引きこもってないで、世界に進出しろよ。私の名前『ま日和』になっちゃったじゃんよ」
小声で泣き言を並べる日和に、碧真は溜め息を吐く。
「離れるなと言ったのに、ボサッと突っ立っているからだろう。足りない二文字を足して、『まぬけ日和』に改名したらどうだ? 元々の苗字より似合ってるぞ」
嘲笑する碧真の背中を、日和はキッと睨みつける。
「こんな時まで性格の悪さ発揮しなくていいじゃん! 碧真君が名前を奪われたら、『鬼畜ドS野郎』って呼んでやるからね!」
「俺の名前がわからなくなる前に、日和の存在が奪われそうだがな」
「……否定出来ない発言やめて。不吉すぎる」
異空間に辿り着いてから三十分程しか経過していないだろうが、日和既に二文字も名前を奪われた。残る名前は四文字。今のペースで『影』に名前を奪われていたら、およそ二時間後には日和の存在も奪われてしまう。
(存在が奪われたらどうなるんだろう? 私が消えるって事なのかな? それで、あの『影』が私に成り代わるの?)
”目が覚めたら違う人間の体に入って、転生していた”という感じの物語を読んだ事がある。『影』が転生した主人公ポジション。日和は行方すら気にかけてもらえない、体の元の持ち主ポジションになるのだろう。
(私の体で、あんな奇怪で不気味な行動をしちゃうって事だよね?)
『影』の脳内がどうなっているのかはわからないが、アクロバティックに人に噛み付くような行動を自分の体でされた時の事を考えて、日和は顔を引き攣らせる。
(ぜ、絶対に『影』に存在を渡さないようにしよう!)
「周囲に『影』はいないようだな。そろそろ移動するか」
碧真の言葉に頷いて立ち上がった日和は、何かに躓いて前のめりに倒れた。咄嗟に手を伸ばして顔から倒れる事は防げたが、茂みの中へ勢いよく両手を突っ込む形になった。木の枝で引っ掻いたのか、手の甲にピリッとした痛みが走る。
「お、お姉ちゃん。大丈夫?」
「だ、大丈夫」
茂みから手を引き抜こうとした日和の指先に、ツルリとした感触の物が触れる。日和は首を傾げながら、指先で触れた物を掴んで茂みから手を引き抜いた。
「それ! 名前!?」
陽飛が驚いた声を上げる。日和が掴んだものは、『い』と書かれた玉だった。
手にしても体に吸い込まれない為、日和が奪われた名前ではないだろう。
「もう一人の子の名前……ってわけでもないよね?」
陽飛と一緒に異空間に迷い込んだ子供の名前は『鬼降魔成美』なので、『い』という文字はない。
「術者の名前だろうな」
「え?」
キョトンとした顔の日和を見下ろして、碧真は溜め息を吐いた。
「総一郎から説明されただろう? 『名奪リ遊戯』から脱出するには、異空間内に散らばった術者の名前を見つけ出す必要がある」
碧真は日和の掌にある玉を取ると、上着のポケットに入れた。
「俺が預かっておく。日和だと、転んで失くしそうだからな」
「だから、否定できない発言はやめてってば」
立ち上がった日和は、自分の足元を見て苦い顔をする。いつものように、何も無い所で躓いたようだ。
「もう一人の子供が見つかれば、名前探しに集中出来るんだが……」
碧真は険しい表情で考え込む。異空間内を端から端へ移動しているのだが、成美の姿は見えなかった。
「やっぱり、何処かの建物の中に隠れているのかも」
ただ行き違いになっているだけという可能性もあるが、外にいるなら建物を爆発させた音や『影』と並走している時の日和の叫び声が聞こえている筈だ。
異空間内には、不気味な『影』が複数存在する。日和が成美と同じ立場なら、安心を求めて人の声が聞こえる方に行くか、何処かに身を隠して安全を優先するだろう。
「碧真君の加護で、成美ちゃんを探し出せない?」
「そいつの加護や力を知っているのなら俺の加護に辿らせる事は可能だが、そうでない場合は虱潰しに探す事になる。時間が掛かるだろう」
「あ! それなら、陽飛君の加護で成美ちゃんを探せるんじゃない?」
日和が期待の目を向けると、陽飛は気まずそうに視線を逸らした。碧真は呆れた顔をする。
「それが出来るのなら、とっくにやっているだろう。鬼降魔の人間全員が、術を思うままに使えるわけじゃない。鬼降魔特有の加護は一族の人間全てが所有しているが、術者の力を元に顕現する。術者に力が無い場合、加護は顕現出来ず、意のままに扱う事は出来ない」
碧真の説明に、陽飛は落ち込んだ顔で俯いた。
「俺、呪術は全然ダメなんだ。加護も何秒かしか出せないし、力を辿るなんて難しい事も出来ない」
「ごめん。私、何も知らなくて……」
失言を察した日和は、陽飛と同じように眉を下げてシュンと落ち込んだ。
「外にいるのなら、まだ見つけられるだろうが、建物の中に隠れているなら探し出すのは難しくなる。ある程度、行きそうな場所を絞れたらいいが……」
碧真の言葉に、陽飛は何か思いついたように顔を上げて「あ」と声を漏らした。
「それなら、大声で”助けに来たぞ”って言ってみたり、花火みたいなのを打ち上げて合図するとかは?」
「阿保か。警戒している人間が、『影』が集まるかもしれない行動をする奴がいる場所にノコノコやって来るわけないだろう。自殺行為でしかない」
碧真は陽飛の案をバッサリと切り捨てる。日和はパーカーのポケットから携帯を取り出して、異空間内の地図を見ながら考える。
(私なら、何処に隠れるだろう?)
建物に入って隠れたとしても、見つかったら終わり。日和ならば、部屋の出入り口が一つしかないような長屋の一室の中には絶対に隠れない。隠れる場所が多く、出入り口が数カ所あり、隠れ場所の移動が可能な場所を選ぶ。
「碧真君。この先の大きな建物から探してみない?」
日和は地図の凹状部分の右上の突き出した部分に描かれた建物を指さす。今いる場所から真っ直ぐ進めば辿り着ける位置にある上に、大きな建物なので『影』と遭遇しても逃げ隠れ出来るだろう。
「……行ってみるか。次は離れないようについて来いよ」
碧真の言葉に頷いて、日和達は移動を再開した。
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