呪いの一族と一般人

呪ぱんの作者

文字の大きさ
上 下
79 / 277
第四章 過去が呪いになる話

第8話 醜い感情

しおりを挟む

 
 人は苦労した分だけ、後で大きな幸福を手にする。

 人に優しく、自分に厳しく。
 自分より他の人を思いやって、頑張って生きていれば、必ず報われる。愛されて素敵な人生になる。
 人は皆平等。誰だって幸せになる権利がある。

 物語の世界の中で見てきた綺麗なものを、ただ信じていた。
 

***


 遠くからアラームの音が聞こえた。
 自分でセットしたのに、とても憎らしく感じる。
 
 まだ夢の中にいたいが、諦めて目を開ける。鳴り続けていたアラームを止めて体を起こせば、簡素な自分の部屋と仕事用のスーツが見えた。

「今日も仕事か……」
 重たい溜め息を吐き出す。ベッドから出て部屋にある姿見を見れば、不幸そうな顔をした女が映っていた。

「ひっどい顔……」
 日和ひよりは自嘲的な笑みを浮かべた。

 日和の人生はうまくいかない事ばかりだ。
 幼い頃から家族関係は良好とは言えず、学校でも良好な人間関係を築く事が出来なかった。

 特別で立派な人間になろうと、アルバイトをして学費を稼ぎながら、情報処理系の専門学校へ通った。
 手に職をつけて将来困らない様にと、睡眠時間も遊ぶ時間も削って勉強した。専門的な職業を目指して就職活動も頑張ったが、努力も虚しく、一社も受からずにアルバイト生活。

 アルバイト先はブラックな会社で、残業させる癖に残業代を支払わない。それでも、ようやく働けたのだからと頑張っていれば、経営不振で潰れた。
 夢を諦め、他の人が言う『普通の幸せ』を目指す事にした。自分に出来る仕事をして、結婚して家庭を築けたのなら、周りも認めてくれると思った。

 新しく見つけたデパートの販売の仕事で手酷いパワハラに遭って消化器官を壊し、二ヶ月で退社した。体重も十八キロ落ちてしまい、暫く通院しなければならなくなった。

 痩せすぎた結果、子供が産めない体になっていると医者から診断されたのは、二十三歳の時。
 温かな家庭を築く事を夢見た日和にとっては、絶望でしかなかった。

 無職期間で徐々に体を回復させて、アルバイトや契約社員として別の職場で働いた。
 二年半ほど勤めていた会社が再び経営不振で潰れた時には、気がつけば二十八歳目前だった。

 『正社員になっておかないと人生終了する』と周りに言われて、正社員を目指して就職活動を頑張った。転職回数が多く、度々無職期間もある為、職歴は悲惨だった。資格を取得しても、うまく活かせない。就職活動は難航した。

 二十八歳の八月。半年の就職活動の末に、小さな企業の事務員の内定をもらった。職場から通勤しやすい場所に引っ越しをして、九月から働き始めた。

 世間が認めてくれる『正社員』という肩書きを手に入れる事が出来た日和は心底安堵した。

『失敗作』
 子供の頃に、母親から言われた言葉。日和の心を凍らせる呪いの言葉は、事あるごとに蘇り、心を騒つかせる。

(仕事、行きたくないな……)
 そろそろ家を出なければならない時間だ。身支度を終えた日和は、鞄を持って玄関へ向かう。

「頑張るしかないんだ。ちゃんとしなくちゃ」
 自分を叱咤して、玄関のドアノブを握りしめる。

 この部屋を出れば、戦いの世界だ。
 
(今日はミスしませんように。怒られたり、嫌な事が起きませんように)
 日和は切実に祈りながら外へ出た。


「おはようございます」
 職場に到着した日和は、明るく挨拶をする。同じ部署の女性上司二人は無反応だった。

(今日の機嫌は大丈夫かな?)
 日和は横目で上司達の顔色を伺う。

 女性上司達は、入社当時から日和に冷たかった。
 機嫌が悪い時には理不尽な事を言われる上に、陰口も日常茶飯事。クレーム対応など嫌な仕事も押し付けられる。人の目を異常に気にしてしまう日和は、精神的な苦痛を感じていた。

「おはようございます。赤間さん」
 振り向くと、美しい笑顔を浮かべる同僚の湖坂こさかがいた。
 湖坂は大学生の時にモデルをしていたらしく、美人でスタイルが良かった。男性社員や取引先の男性達からも大人気だ。

「おはようございます。今日は体は大丈夫ですか?」
 日和が尋ねると、湖坂は微笑みながら愛おしそうに自身のお腹を撫でた。

「今日は調子がいいんです」
 三ヶ月前に妊娠が分かった彼女は、とても幸せそうだった。

「赤間さん! おしゃべりしないで仕事して!!」
 棘のある声がフロアに響く。恐る恐る振り返ると、女性上司の一人が日和を睨みつけていた。

 時刻は始業の二十分前。おしゃべりしていても問題無い時間だった。
 しかし、ここで反論すれば、空気が悪くなる。平和に過ごす為にも言う通りにした方がいい。

「はい。すみません」
 日和は頭を下げて仕事に取り掛かる。
 湖坂は出勤してきた男性上司と和やかにお喋りをしていた。


 ようやく訪れた休憩時間。
 女性社員だけが使う狭く簡素な休憩室の椅子に沈むように腰掛ける。

 最低限の人数で仕事を回しているので忙しい。休憩が一人ずつなので、一人きりになれる時間があるのは有り難かった。

 フルで動かした頭が熱と痛みを訴える。
 今日も、他の部署の社員の仕事を押し付けられた。日和が断れないと分かっているのだ。仕事を押し付けてきた男性社員達は、楽しそうに湖坂と談笑していた。それを見る度に、日和はモヤモヤとした思いを抱いてしまう。

(そんな風に思っちゃダメだ。下っ端だから、仕事を押し付けられるのは当然だし。私が認めてもらうには、人の何倍も努力しなくちゃいけないんだから。頑張れば、いつか必ず報われる時がくる。だから、頑張ろう!)

 休憩後も忙しい時間が流れた。
 女性上司達も湖坂も先に帰宅し、日和は一人で仕事をしていた。

 自分の部署の四人分の仕事が一気にやってくる。問い合わせの電話、窓口の応対。他の部署のミスの対処が一気に押し寄せる。

「おい。赤間」
 別部署の男性上司が携帯を手にして、日和に声を掛けてくる。

「アプリのダウンロードがわからん。やれ」
 日和は内心舌打ちしたい気持ちだった。
 何度も教えているのだが、男性上司は「わからないからやれ」と命じてくる。こちらが忙しくてもお構いなしだ。

「すみません。今は忙しいので、また後で……」
「は!? できん!! 今すぐやれ!!」
 男性上司に怒られ、日和は渋々と応じた。

(やばい。さっきの問い合わせの返信をしないと!)
 日和は慌ててメールを打つ。男性上司はアプリゲームで遊びながら、日和を鼻で笑った。

「お前はいつも忙しい振りばっかりだな。俺みたいに余裕で仕事出来る様にならなきゃいかんぞ」

(忙しい振り!? あなたやあなたの部下達が、私に自分の仕事を押し付けるからでしょう!?)
 ただでさえ、自分の部署の四人分の仕事を押し付けられている。その上、他部署の仕事も毎度複数人から押し付けられているのだ。

 言い返したい気持ちをグッと堪えて、日和は仕事をこなした。


 仕事が終わり、一人暮らしの暗く冷たい部屋に帰る。
 カバンを下ろしてスーツを脱ぐと、ようやく解放されたような気分になった。

「疲れた……」
 日和はグッタリと床の上に座り込んだ。

 求人内容が詐欺でしかない、週六日勤務で手取り十二万円の仕事。
 けれど、辞める訳にはいかない。
 
 実家は頼れない。
 父は、日和が高校生の時から無職だ。健康には何の問題もない。「人に頭を下げるのが嫌だから働きたくない」と言い出し、突然仕事を辞めてきてしまった。
 母が正社員で働いて家計を支えているが、給料は少ない。父は家族に無関心で、毎日携帯アプリのゲームをしているだけ。
 お金が無いと心に余裕がなくなり、家族関係は崩壊する。

「私が、もっと頑張らなくちゃ」
 立派な人間になって、苦労してきた母を安心させたい。良い物を買ってあげたい。自分を産んで良かったと言ってもらいたい。『失敗作』という言葉を打ち消してほしい。

 日和は目を閉じる。涙が一粒零れ落ちた。


***


「まだ産まれていないのに、両親がベビーベッドとか洋服とか買ってきちゃって。旦那も子供の将来の為に仕事頑張るって張り切っちゃって。お兄ちゃんも弟も安産守りを買ってきてくれたんですよ」

(幸せな家族って、フィクションの世界じゃなかったんだな……)
 湖坂の顔を見ながら、日和はそんな事を思った。

 温かく、裕福な家庭。子供を待ち望む人達。愛する旦那さん。そして、赤ちゃん。
 湖坂の天真爛漫な笑顔と愛される事が当然という感覚は日和とは対照的で、全てが眩しく感じた。

 その日の午後、日和は人事部の男性上司から会議室に呼び出された。

「湖坂さんは妊娠していて、体調的にも仕事で出来ない事が多いから、君が彼女の分も働いてね」
「はい」
 仕事のお叱りではなかった事に、日和は安堵する。言われなくても、既に湖坂の分の仕事をやっている。

「湖坂さんは大事な存在だから。美人だし、お客さんの評判もいい。……それにしても」
 上司は日和を上から下まで眺めた後、鼻で笑った。

「君、その見た目はどうなの? 湖坂さんとは大違いだよね。スタイルよくないし。女は、やっぱり見た目が良くないと価値が無いと思うよ。事務員は会社の顔なわけでしょ? お客さんも不愉快だと思うだろうし。わかるかな?」

 日和は呆然としたまま、人を貶めて笑っている上司を見ていた。

「君はどうでも良い存在なんだから。湖坂さんの為に、せいぜい役立ってね。それじゃあ、これからも馬車馬の如く働いてね」

 上司は上機嫌に会議室から出て行く。日和の心臓がドクドクと嫌な音を立て、指先から血の気が引いていく。

(……戻らないと)
 席に戻って仕事をしなければ。あまり長い時間デスクから離れていると、女性上司の機嫌も悪くなる。またヒステリーを起こされたら怖い。

 席に戻った日和の元に、湖坂が笑顔でやってきた。

「赤間さん! ちょうど良いところに!! 今、赤ちゃんがお腹を蹴ったんです! 触ってください」
 湖坂は無邪気に笑って日和の手を取り、自分のお腹へ添えさせる。

(どうして?)
 日和の心にドロリとした感情が流れ込んだ。 

 ”人類は皆平等である”という言葉が嘘だという事を、日和は理解した。
 
 恵まれた容姿を持ち、仕事をしなくても怒られず、周りから贔屓される。愛のある家庭で育ち、幸せな結婚して、赤ちゃんまで手に入れている。

 日和が欲しいものを、何の苦労もなく手に入れている。

(私は将来、子供を産めないって言われたのに……。頑張ってきたのに、どうして、いつも手に入れられないの? どうして、私は幸せじゃないの?)

 日和は湖坂のお腹を見つめる。

(赤ちゃん。死んじゃえば良いのに。そうしたら……)
 自分の感情にゾッとして、日和は湖坂のお腹から手を離した。

「あ! 今動いたのわかりました? もう、元気すぎて困っちゃいます」
 湖坂が幸せそうにお腹を撫でる。

「……無事に産まれるといいですね」
 日和はぎこちない笑みを浮かべて、綺麗な言葉を吐いた。

(今、私は何の罪も無い命の死を……いや、違う! 私は、そんな事は望んでいない! 私はそんな嫌な人間じゃない。私は、私は!!)

 心の中に生まれたドロドロとした醜い感情が恐ろしい。そんな事を一瞬でも思った事を信じたくなかった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

【短編】冤罪が判明した令嬢は

砂礫レキ
ファンタジー
王太子エルシドの婚約者として有名な公爵令嬢ジュスティーヌ。彼女はある日王太子の姉シルヴィアに冤罪で陥れられた。彼女と二人きりのお茶会、その密室空間の中でシルヴィアは突然フォークで自らを傷つけたのだ。そしてそれをジュスティーヌにやられたと大騒ぎした。ろくな調査もされず自白を強要されたジュスティーヌは実家に幽閉されることになった。彼女を公爵家の恥晒しと憎む父によって地下牢に監禁され暴行を受ける日々。しかしそれは二年後終わりを告げる、第一王女シルヴィアが嘘だと自白したのだ。けれど彼女はジュスティーヌがそれを知る頃には亡くなっていた。王家は醜聞を上書きする為再度ジュスティーヌを王太子の婚約者へ強引に戻す。 そして一年後、王太子とジュスティーヌの結婚式が盛大に行われた。

頭が花畑の女と言われたので、その通り花畑に住むことにしました。

音爽(ネソウ)
ファンタジー
見た目だけはユルフワ女子のハウラナ・ゼベール王女。 その容姿のせいで誤解され、男達には尻軽の都合の良い女と見られ、婦女子たちに嫌われていた。 16歳になったハウラナは大帝国ダネスゲート皇帝の末席側室として娶られた、体の良い人質だった。 後宮内で弱小国の王女は冷遇を受けるが……。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...