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第四章 過去が呪いになる話
第5話 鬼降魔幸恵の脱獄
しおりを挟む翌日、九月十二日の土曜日。
日和は『自然庵 桃次』に笑顔で出勤した。
(昨日は思ったより、ずっと楽しかったな……)
丈と壮太郎と一緒に出掛けるのは楽しかった。月人の見送りも出来た。何より、懸念していた碧真への手土産も受け取ってもらえた。
(月人さんと碧真君、お土産のお菓子食べてくれたかな?)
忙しい月末とは違い、業務時間は穏やかに流れる。
「日和ちゃん。休憩に行きましょう」
昼休憩の時間になり、真矢に声を掛けられる。二人で休憩室に向かうと、テーブルの上に賄いが並んでいた。
「わあ! ちらし寿司だ!!」
テーブルに並べられた料理を見て、日和は笑みを浮かべる。上機嫌で自分の皿に料理を取った後、日和はニコニコとしながら手を合わせた。
「わーい。いただきまー」
「日和ちゃん。いるかしら?」
休憩室のドアがノックされる。ドアが開いて、桃子が顔を出した。
「日和ちゃん。あと十分くらいで本家の使いの人が迎えに来るらしいから、帰る準備をしておいで」
「へ?」
桃子から告げられた言葉に、日和は手を合わせたままキョトンとする。
(本家の使いの人? それって、つまり……)
桃子はふんわりと柔らかい笑顔を浮かべた。
「呪いに関するお仕事が入ったそうよー」
鬼降魔の本家から来た迎えの車の中で、日和はどんよりとした表情を浮かべる。
(終わった。平穏が終わったんだ。せっかく楽しい気分だったのに……)
桃子から呪いの仕事が入った事を告げられた後、ちらし寿司を味わう暇も無く急いで胃袋に詰め込んで職場を出た。
日和を迎えに来たのは、総一郎の使いで運転手だと名乗る初老の男性だった。運転手の男性は、仕事について詳しい話は聞かされていないらしい。
(呪いの仕事なのは確定してるけど、碧真君は入院中だよね? 他の人と組むとか? まさか、一人でやれとか言わないよね!?)
日和は、あくまで碧真のパートナーとして雇われている。護衛をつけるという条件があるので、単身の仕事が入る可能性は低い。
窓から見える少し曇ってきた空を見上げて、日和は眉を下げる。
(また大変な事が起きなければ良いけど……)
車が鬼降魔の本家に到着した。
駐車場で運転手の男性と別れ、母屋の玄関へ向かう。
玄関までの道には金木犀の花が咲き誇り、甘い香りに満ちていた。
何度か見た事のある女中が日和を出迎える為に玄関前に立っていた。女中の案内で、日和は母屋の中に入る。
廊下の先にある右側の襖が開いて、見知った人物が出て来た。
「丈さん」
「! 赤間さん。君も呼ばれたのか」
日和が来る事は知らされていなかったのか、丈は驚いた様子だった。
「もしかして、今回は丈さんと一緒のお仕事ですか? 一体、どういう仕事なんですか?」
日和の問いに、丈は眉を寄せて思案顔を浮かべた。少しの間を置いて、丈は歯切れが悪そうに口を開く。
「……仕事ではなく、護衛の為に呼び出されたのかもしれない」
「護衛?」
どういう事だろうと、日和は首を傾げる。丈は疲れた溜め息を吐いた。
「俺も朝まで仕事をした後、今まで寝ていたから状況を掴めていない。総一郎に話を聞きに行こう」
丈は日和を案内してくれた女中を下がらせると、総一郎がいる部屋を目指して歩き出した。丈の後を追って、日和も歩き出す。
廊下を進んで行くと、見覚えのある後ろ姿が見えた。
艶のある黒髪と大人っぽい色気。凛とした雰囲気と真紅の着物を身に纏った美少女。
「美梅さん」
「あら、日和さん。久しぶりね」
振り返った美梅が、日和に気付いて笑みを浮かべた。
「日和さんも、総一郎様のお誕生日をお祝いしに来たの?」
「誕生日?」
美梅の問いに、日和は首を傾げる。
「明後日の九月十四日は、総一郎様のお誕生日なのよ。私は月曜日は学校があって来れないから、今日と明日で総一郎様のお誕生日をお祝いしに来たの」
美梅は自信満々な笑みを浮かべて両拳を握りしめた。
「今日の為に、色々考えてきたのよ。総一郎様の好きなお店に食事の予約も入れたし、とびきりのプレゼントも用意しているの。今日こそ、私が総一郎様の婚約者に相応しい事を証明してみせるわ!」
美梅の髪型や着物は、いつもより気合が入っているように見えた。
「咲良子さんは?」
咲良子は、美梅と同じく総一郎の婚約者候補。咲良子も、総一郎の誕生日を祝う気ではないだろうか。
「来てないわよ。来たとしても、今日は私が総一郎様と会う約束をしているんだから、あの子は留守番ね。私に総一郎様を独占される事を悔しがればいいわ!」
美梅は高らかに笑った。
(恋愛関係の争いは大変そうだな……)
日和も丈も同じ事を心の中で思いながら、苦い表情を浮かべる。
三人は総一郎のいる部屋を訪れる。
室内に漂うピリッとした雰囲気に、日和は緊張した。
いつもなら穏やかな笑みを浮かべている総一郎は、張り詰めたような雰囲気と表情で座していた。
左側に美梅が座り、対面に日和と丈が座った所で、総一郎は口を開く。
「日和さん。急にお呼びして申し訳ありません」
総一郎は少し間を取った後、美梅と日和を見る。
「美梅さん、日和さん。二人とも、鬼降魔幸恵の事は覚えていますね?」
鬼降魔幸恵。
日和が鬼降魔家と出会う切っ掛けとなった人物である。
鬼降魔幸恵は、禁呪とされている『取リ替エ』を使い、自分の妹の子供を傷つけた。
しかし、日和が禁呪を目撃した事で呪いが変質した。幸恵は呪いを成功させる為に、目撃者となった日和を殺そうとしたが失敗する。
呪いが自身に跳ね返って殺されそうになった幸恵は、天翔慈上総之介の『身代わり守り』によって一命は取り留め、罰を受ける為に『呪罰行き』となった。
「昨夜、呪罰牢を管理している家から、鬼降魔幸恵が姿を消したという連絡がありました。彼女の行方は、現在も掴めていない状態です」
日和と美梅は驚きで目を見開く。
『呪罰行き』は刑務所のようなものだと日和は解釈している。その牢から逃げたとなると、脱獄と同じではないだろうか。
「呪罰牢を管理している家は何をしていたのですか!? 重要な役目を放棄して、『呪罰行き』の者を逃すなんて怠慢です!!」
美梅が怒りを露わに責め立てる。総一郎は硬い表情で口を開いた。
「呪罰牢には、通常通り四人の見張りがついていました」
「見張りをしていながら見逃すなんて、余計に大馬鹿者です! 鬼降魔幸恵の捜索をさせた後、然るべき罰を与えなければ!」
総一郎は静かに首を横に振った。
「……当時見張りについていた者達は、全員殺害されていました」
重たい言葉に、日和は息を呑む。美梅も驚きで言葉を失っていた。
「そんな……。呪罰牢の管理をする家の者は、優れた術者の筈では?」
美梅が戸惑いながら問う。総一郎は頷いた。
「はい。彼等は経験も知識もある優れた術者達でした……。しかし」
「相手がそれ以上だった、という事ね?」
凛とした美しい声と共に、部屋の襖が開かれる。美梅、日和、総一郎は驚いた顔で現れた人物を見つめた。
白のワンピースと『儚い』という言葉がよく似合う桜の妖精のような美少女。
「咲良子さん……」
総一郎が少し顔を引き攣らせながら、上擦った声で名前を呼ぶ。
咲良子は美しい微笑みを浮かべた。
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