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第三章 呪いを暴く話
第34話 邪神との戦い
しおりを挟む「ダメだよ。僕の親友に手を出しちゃ」
丈の耳に、冷たい声と共に風切り音が届く。血飛沫が辺りに飛び散り、離れた地面に何かが落ちる。
丈を傷付けようとした邪神の右前足が切り落とされ、地面に転がっていた。痛みに吠えながら後退した邪神の胴体と足が不自然にズレる。瞬きの間に、邪神の両足が斜めに切断され、邪神は横向きに倒れていた。血と穢れが辺りに広がっていく。
「今の内に逃げろ」
丈は再び親子に避難を促す。這うように立ち上がった母親は子供を連れて脱兎の如く逃げ出した。
痙攣する邪神が更に吠える。邪神の四肢は全て切断されていた。
邪神の左側方から、壮太郎が姿を現す。冷たい視線で邪神を見下ろす壮太郎の手には、白銀色の羽と赤い柄と房飾りで作られた団扇が握られている。
人外を見る目を持つ結人間家では、妖や霊と命を使ったやり取りを行う事がある。
壮太郎は十一歳の時、天狗と賭け事をして勝利した。
その戦利品として天狗の協力を元に、壮太郎が作り上げた呪具。
『天狗の羽団扇』
風や天候など様々な物を操るという天狗が所持する『羽団扇』に似せて作った物だ。もちろん、神と互角に戦える天狗ほどの強い力は無い。操れるものは風のみ。
されど、その殺傷能力は並みのものではない。人間相手ならば一振りで、周囲にいる全ての人間の首を”斬られた”と気づかない内に斬り落として絶命させる事も出来る。
結人間家は三家の中で最も攻撃性が高く、容赦がない一族と言われる。その性質を、壮太郎は色濃く受け継いでいた。
壮太郎は『天狗の羽団扇』を頭上に持ち上げて振り下ろす。
生み出された風の刃が邪神の首を刎ねる。邪神を倒した様に思える状況だが、壮太郎の表情は険しく、『天狗の羽団扇』を構えたままだ。
「壮太郎」
丈が壮太郎へ近づき、声を掛ける。壮太郎の目は邪神に注がれていた。
「集会場にいた村の人達は全員避難させたよ。待宵月之玉姫が余計な穢れを負う事は防げたけど……」
壮太郎は溜め息を吐く。
「見てよ。丈君。流石は神様だよね」
壮太郎が『天狗の羽団扇』で示したのは、邪神の傷口。切断された四肢や首に周囲の穢れが吸い寄せられて、湯が湧き立つように切断面がボコボコと音を立てて骨や筋肉や皮膚を作り上げていく。
「周囲の穢れが多い……」
丈は顔を顰める。邪神の傷を治しても、周囲にはまだ大量の穢れがある。壮太郎は、やれやれと肩を竦めた。
「本当に消耗戦だ。チビノスケ達が月人君の魂の欠片を取り戻して、『神隠シ』の術を使えれば解決するんだろうけどね」
***
月人は走っていた。
あの遠い夏の日と同じ様に。
怪我で悲鳴を上げる体に鞭を打つように、自分が出せる全力で待宵月之玉姫の元へと走る。
(待宵……)
頭に思い浮かぶのは、今の月人として出会った頃の待宵月之玉姫の顔。
『覚えていないのね』と寂しそうに目を伏せた。当時、月人はそれを『神隠シ』の事だと思っていた。
でも、それは違っていたのだと今ならわかる。
待宵月之玉姫が言いたかったのは、『月人』が持っていた恋情だった。
初代として生きていた頃、月人は待宵月之玉姫に恋をした。
一目惚れだった。初めて会った美しい神様に、幼い月人は一目で恋に落ちた。
恋をしてからは待宵月之玉姫に好かれようと必死だった。
毎日会いに行って、花や野苺などを贈った。笑顔が見たくて、あれこれ話を考えて笑わせた。
語り継がれる物語の様に、二人を結びつける特別な出来事なんてない。
毎日、会いに行った。
毎日、言葉を重ねた。
毎日、彼女を想った。
幼い頃に抱いた想いは、歳を重ねるごとに募る。
「好きだよ」
月人は胸にある想いを何度も言葉にして伝えた。
『あなたは人間。私は神。違う存在よ。あなたは人間と一緒になる方がいいわ』
待宵月之玉姫は毎回そう言って、月人の言葉を受け取りはしなかった。
悲しそうな目で『違う存在』だと告げられる度に、互いに寂しい気持ちになるのを感じて。それでも繋ぎ止めたくて手を握りしめた。
夕焼け空の下。並んで歩いた道に、影は一つ。
月人は人間で、待宵月之玉姫は神。存在も、生きている時間も違う。
月人は待宵月之玉姫を置いていく。待宵月之玉姫は月人を通り過ぎていく。
それでも、想わずにはいられなかった。
心優しく、愛しい月人の神様。
初代と二代目の月人にとって、待宵月之玉姫はそういう存在だった。
『神隠シ』の術で穢れを祓い終え、この世界に戻ってきた待宵月之玉姫は、月人の真剣な想いを受け入れてくれた。
月人が死ぬまで一緒にいた。
二代目に生まれ変わった時も、ずっと一緒だった。
二代目の月人は待宵月之玉姫と、ある約束をした。違う存在である自分達を結びつけられる特別な約束。
今の月人は、待宵月之玉姫を愛しいと想う恋情を受け継がなかった。
しかし、今の月人にとっても、待宵月之玉姫は大切な存在だ。
儀式を失敗して、村の人達に虐められるようになっても。両親が亡くなって、ひとりぼっちになっても。ずっと側にいてくれた月人の神様。
待宵月之玉姫の笑顔が好きだ。
村の人達の目に自分の姿が映らなくても、大切に守ってきた優しい心。
誰かの悪意によって、想いを歪められて、愛した村の人達を傷つける。
「そんなの、絶対にダメだ!!」
月人は叫ぶ。穢れの中心である集会場へ向かって、ひたすらに走った。
***
(お願い。逃げて。助けて)
待宵月之玉姫は暗闇の中で祈る。
目の前に広がる光景は、確かに自分の目で見る物なのに、体は自分の物ではないように村人達を傷つけていく。
穢れに蝕まれ、飲み込まれていく。
村人に噛みつき、口に広がる血の味を”美味しい”と感じた自分に涙が溢れる。
ただの熊だった頃なら、食事としか思わなかったが、神になった今では違う。
自分を祀って、信頼してくれた人間の子孫。守りたいと願った存在。大切な存在を自分が傷つける。喰らった血肉を甘美だと思う自分が恐ろしい。心が張り裂けそうに痛い。
待宵月之玉姫は静かに涙を流す。
(ああ、助けて。お願い。もう嫌なの。殺したくない。私に傷つけさせないで!)
待宵月之玉姫の祈りは虚しく、爪は村人の肉を裂き、顎は骨を噛み砕いていく。
突如、体が傷つけられる感覚がした。
目に映るのは、月人に会いに来ていた村の外の人間達。二人は待宵月之玉姫を攻撃してきた。
(ダメ。これでは、私は死ねない……)
痛みは確かにあるが、穢れを吸い取って待宵月之玉姫の体は再生する。穢れを祓わない限り、待宵月之玉姫は死なない。
(お願い。逃げて。あなた達も巻き込まれる……)
待宵月之玉姫の祈りは届かない。二人は攻撃を繰り返して、待宵月之玉姫が人を殺さないように手を尽くしている。
待宵月之玉姫は、目を閉じて耳を塞いだ。
もうこれ以上、誰かを傷つける自分を見たくなかった。助けを求めて泣き叫ぶ声を聞きたくなかった。
(私は、もう何も……)
「待宵!!!」
待宵月之玉姫は目を見開く。耳を塞ぐ手を離し、目の前に立つ人物を見つめる。涙が滲む声で愛しい人の名を叫ぶ。
『月人!!』
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