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第三章 呪いを暴く話
第31話 価値なんて知るか!
しおりを挟む暗い洞窟の中を狛犬達に導かれて日和は走る。
地面を這う謎の虫達に鳥肌が立つ。蝙蝠らしきものが、日和の頭上を掠めて行った。
(待って、待って! 怖い!!)
狛犬達は、どんどん進んで行く。眼鏡の無い視界不良の中で置いていかれたら、完全に遭難状態に逆戻りだ。
『もうすぐ着くぞ』
『火薬と血の匂いがする』
狛犬達が日和を振り返り、声を掛けてくる。
ふと、狛犬の一匹が急に進路を変えた。
『日和。これを持って行こう』
進路を変えた狛犬が示したのは、古びたシャベルだった。
『いいね。これで、富持の頭を思い切り殴っちゃえ!』
狛犬の言葉に、日和はギョッとする。
(いや、それ死んじゃうよね? え? 狛犬さん? 可愛い顔で何を仰っているのかな?)
『ほら、早く拾うんだ』
『武器は必要だよ!』
狛犬達に促されて、日和はシャベルを拾う。ズシリとした重みを持つシャベルは、確かに武器になるだろう。
狛犬達が走り出したので、日和もシャベルを手に持ったまま再び走り出した。
(どうして、こんな事になっているの!? 呪いとか、儀式とか、生贄とか邪神とか!! 武器とか!! 私の平凡平和な人生は本当に何処に行ったの!?)
日和は歯を食いしばり、半泣きになりながら走った。
暫くして、人の怒声が聞こえた。
前を走る狛犬達が強烈な光を放つ。
後に続いていた日和は、走ったままの勢いで光の中に飛び込んだ。日和の足が何かに躓き、体が宙へと投げ出される。
「のわああああ!!」
間抜けな叫び声を上げて、日和は地面に転がった。
(私、どんだけ転がるの!?)
日和は自分自身にツッコミを入れながら、シャベルの先端を地面に突き刺す。シャベルを支えにして、日和は上体を起こした。
「……日和?」
名前を呼ばれて振り返った日和は、驚きで目を見開く。
「碧真君?」
そこには、地面に膝を着いた状態の碧真がいた。無事に合流出来た事に安堵の息を吐いた後、日和は眉を寄せる。
日和は膝で這うように近づいて、碧真の顔に両手を添える。近視で見えない為、顔を近づけて確認する。碧真は額から血を流し、右頬は大きく腫れていた。
「え!? 大丈夫なの!? 止血! てか、病院!!」
碧真の怪我に、日和は慌てる。上着のポケットに入れていたハンカチを取り出して、碧真の額に垂れている血を拭った。碧真を見れば、顔以外にも右足や右腕も血で赤く染まっていた。
いつもなら憎まれ口を発する筈なのに、碧真は戸惑うように日和を見つめる。普段とは違う碧真の反応に、日和は不安な気持ちになった。
(頭を殴られて、脳に異常が起きているのかも……)
「助けを呼ばないと! あ! 月人さんは!?」
日和は周囲を見る。ぼんやりとしか見えない視界で、動くものを見つけた。
「日和さん。生きていたんですね」
聞きたくなかった声に、日和はビクリと肩を揺らす。
「富持さん……」
表情は見えないが、富持の声から嬉しそうな様子が感じられた。富持に踏みつけられている月人から呻き声が上がる。
「待っていてください。先に、いらない連中を片付けます。その後に一緒に此処から出ましょう」
富持のねっとりとした優しい声に、日和はゾッとする。
「富持さん。月人さんから足を下ろしてください」
「おや? どうしてですか?」
富持は首を傾げて笑う。愉快そうな様子に、日和の不快感が上がった。
「この村の人間は全員、生きている価値も無い人間です。傷つこうが、死んでしまおうが、あなたが気にする事は無いですよ」
日和は訝しげな表情で富持を見る。
「まるで、村の人達が嫌いな様に聞こえますけど……。富持さん。私達に村を案内してくれた時、この村の事を嬉しそうに話していましたよね?」
「ええ。ここは良い所ですよ。屑な人間を踏みつけて、思うように蹂躪出来る。俺と兄上には、あいつらの命を好き勝手に出来る権利がある。助けを求めて苦しむ顔は、最高にそそりますよ!! この村は、俺たち兄弟にとって、最高の娯楽場所なんです!」
「兄弟?」
富持に兄弟がいるのは知らなかった。この事件に村長以外の人間も関わっているのだとしたら厄介だ。
「はい。ああ、今は父親ですがね。今の父は、前世で俺の兄上だったのですよ」
(前世……って、この人も生まれ変わってるの!?)
日和は頭を抱えたくなった。他にも呪術を使える人間がいないのは幸いだが、事情が厄介そうだ。
「俺たち兄弟は、今は三回目の人生を生きています。一度目の人生で、俺達は村人達に金目の物を奪われて山に捨てられ、熊に喰い殺されて死にました。二度目の人生は、村人達に復讐する為に旅の呪術師達と共に、村の守り神となっていた熊を邪神化させました。そして、三度目の人生の今、村人達は俺たち兄弟の奴隷です」
「……復讐ですか」
日和の呟きに、富持は頷く。
「はい。悪い奴等は報いを受ける。当然の事だと思いませんか? それとも、あなたは復讐は悪だとでも言いますか?」
富持の問いに、日和は首を横に振る。
「私は『復讐は絶対にしてはいけない』なんて思いません。私だって、大切な人が傷つけられたのなら、そいつをブン殴りますし、精神的に追い詰めてやると思います」
”復讐をしても何もならない”という綺麗な言葉を聞いた事がある。
けれど、酷い目に遭わされたのに黙っていられる訳が無い。自分を、自分の大切な人を傷つけて笑う奴達は許せない。
復讐を正当化する訳でもない。ただ、やられたらやり返す。復讐の連鎖など知らない。
「わかってくれますか! 俺たちが正義であることを!!」
富持が興奮気味に嬉しそうな声を上げる。
「いえ、わかりません。あなた達が正義だとは思いません」
日和は首を横に振って否定した。
「私は『正義』という言葉が大嫌いです。一方の意見を『正義』と決めつけて、違う意見を『悪』と見なす。『正義』という綺麗な言葉で飾って正当化して、『悪』とされた誰かの思いを踏み躙るのは暴力と一緒です」
正義という言葉に、幼い頃は憧れていた。
しかし、大人になるにつれて、疑問に思うようになった。
誰にでも大切にしている思いがある。それを『違う』からと否定して踏み躙って『同じになれ』と強制するのは、『正しい』事なのか? そもそも『正しい』とは、一体何なのだろうか。
「前世で殺されたから、子孫である村の人達を苦しめようとする気持ちもわかりません。そもそも復讐する相手が違う。親と子供は別の人間です。親が犯罪を犯したからって、子供に罪は無いでしょう? それに、誰かの命を好き勝手する権利なんて誰にも無い!」
日和が立ち上がって富持を睨みつける。富持は笑いながら月人を踏みつけた。
「生きる価値の無い人間の命を踏み躙る事の何がいけないんですか? 例えば、こいつは『月人』としての役割も果たせず、村で仕事を与えても失敗ばかり。目障りで苛々する存在です。誰の役にも立たないのに、生きている価値がありますか? いらないでしょう?」
月人から嗚咽が聞こえる。富持に体を踏みつけられたせいか、それとも言葉で心を踏み躙られたせいか。どちらにしろ、日和は怒りを感じた。
「生きる価値? そんなもん知るか!!」
日和は吠えた。
「そりゃ、誰かの役に立てる生き方は素敵だと思うけどね! 生きているだけで、どうしてダメなの!? 生物の目的は『生存』でしょ!? そうやって、命を否定するのが『価値』というものなら、そんなものいらない!! 命という土台を否定する後付けの付属品の方がいらないわよ!!」
富持にではなく、過去の自分に向けた言葉だった。
生きる事を投げ出したかった過去の自分。
辛さを感じる原因は、他の人が作り上げた『立派な人間でないと生きる価値は無い』という偏った価値観に自分を合わせようとしていたからだ。
立派な人間を目指して、無理して自分を蔑ろにして、心を殺して。それに一体、何の意味があるのだろう。立派な人間に擬態したとして、そこに終わりはない。死ぬまで苦しんで生きる事になる。
この世界にあるもの全て、生きていてこそ、感じるもの。
生きる事こそ目的。その目的を見失わせてしまうものは、日和にとって必要の無いものだ。
日和はシャベルを構えて、切っ先を富持へ向けた。
睨み付ける日和を、富持は嗤う。
「そのシャベルで、私を倒すつもりですか? こちらには銃があるんですよ? 抵抗するだけ無駄です。あなたの体は出来れば傷つけたくないですし。さあ、それを置いて。こちらへ来てください」
(確かに、銃で撃たれたら終わりだ……。それに、碧真君も怪我している。月人さんも、よく見えないけど怪我をしているだろうし)
絶望的な状況だった。
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