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第三章 呪いを暴く話
第9話 私の帰りを待っているものがある
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「もう嫌だ。お家帰りたい……」
日和は頭を抱えて泣き言を口にする。
怪しげな仕事だと事前に覚悟をしていたが、その覚悟を余裕で飛び越えられた。
明らかに、日和の精神が許容出来るレベルの話ではない。
「アハハ。ピヨ子ちゃん。これからも鬼降魔に関わっていくなら、このくらい慣れないとやっていけないよ?」
あっけらかんと壮太郎に言われ、日和は涙目になる。
「無理です! そんな物騒な事に慣れたくない! 住みやすい素敵な家も条件の良い仕事も諦めますから、どうか平凡平和な日常に戻して!! もう帰るぅっ!!」
家も仕事も手放したくないが、命あっての物種だ。
立ち上がって走り出そうとした日和の後襟を、碧真が掴んで止める。思い切り首が絞まり、日和は「んぐぅっ」と変な呻き声を上げて尻もちをついた。
「俺達は村に残るんだぞ? どうやって帰るんだ? 歩いてか?」
碧真が呆れたように言う。日和はピタッと動きを止めた。
「私、方向音痴だから無理だ!!」
「いや、方向音痴とか関係なく、距離的な問題だろう。アホか」
頭が回っていない日和に、碧真が溜め息混じりのツッコミを入れた。確かに、車でも結構な時間が掛かっていた。徒歩で帰るのは無謀だろう。
日和は望みをかけて丈を見た。丈は気まずそうな顔をする。
「すまないが、俺の一存では君の解雇を承諾出来ない。それに、君を家に送り届けるのも仕事が終わった後にしか出来ない」
「そ、そんなぁ……」
丈が悪くないのはわかっているが、日和はガクリと項垂れた。
「まあ、何とかなるよ。ピヨ子ちゃんが一人きりにならなければ大丈夫」
「……それって、『一人きりになる=何か起こるよ』って事ですか?」
「うん。絶対に起きるね。何されるかは想像つくけど……言った方がいい?」
「……いえ。もういいです。これ以上は私の精神衛生上、良くないと思いますので」
人を殺して埋めるような事が起こるのだ。考えられるのは『死』だけだろう。
日和は結界に目をやり、ふと思いつく。
「あ! じゃあ、結界の中に閉じ籠るのは……」
「やめた方がいいよ。この結界は場所に対して効果を発揮する物で、術者に合わせて移動する事は出来ない。攻撃を防ぐ事は出来るけど、相手を退ける物じゃないし。使い方を間違えたら、ピヨ子ちゃんにとって、死を待つ牢獄になるだろうね」
「ひえっ……」
日和は青ざめる。
目の前に殺人鬼がいる状態で、結界を張ったとする。攻撃が効かない事に殺人鬼が諦めて去ってくれたらいいが、日和が出てくるのを待つ場合は悲惨だ。殺人鬼が一人なら隙を見て逃げ出す事は出来るだろうが、殺人鬼が複数で見張りを交代する場合も考えられる。日和は結界から出られず衰弱死するか、結界を出て殺人鬼に殺されるかの二択になる。
落ち込む日和を見て、碧真が呆れたように溜め息を吐く。
「諦めろよ。見苦しい」
「この命を諦めろと!? 私には、帰りを待っている未読の漫画達がいるの! 絶対に、続きを読むまで……いや、読んでも死ねない!」
「仕事を放棄するのを諦めろって意味だ。……本当に面倒臭い奴だな」
「ピヨ子ちゃん。そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。チビノスケが責任持って、ピヨ子ちゃんを守ってくれるからね。なんたって夫婦役だし。ねえ、チビノスケ?」
「……まあ、仕事ですから。仕方なくですけど」
嫌そうな顔だから少し不安はあるが、日和にとって頼みの綱である。
「勝手な行動をしたら、即見捨てます」
「心底安心できない。終わった……」
頼みの綱なんてなかった。日和の頬をツーッと涙が流れていった。
「いざとなったら、ピヨ子ちゃんの加護も頑張って働いてくれるだろうし。何とかなるんじゃない?」
「私の加護?」
壮太郎の言葉に、日和は首を傾げる。
日和には、碧真や丈の様な干支の加護は無い筈だ。
「生きている人間、みんな何かしらの加護は持っているんだよ。お金に恵まれる加護だったり、才能に恵まれる加護、必要な人に出会える加護だったり、色々だね。ピヨ子ちゃんは命の危険から守ってくれる加護がついてるね。今まで、危ない目に遭っても無事だった事が多かったんじゃない?」
日和は驚いた。
呪いに関わった時もそうだが、日和は今までの人生で何度か危ない目に遭った事があるが、不思議と無事だった。
横道から飛び出して来た車に引きずられた時も、不思議と打撲のみで済んでいた。いつも通る道で大きな事故が起きた時も、なんとなく気分で道を変えて巻き込まれずに済んでいた。
「ピヨ子ちゃんは、普段から神社に行っているよね? 元々の運もあるだろうけど、神社の神や狛犬達から加護を貰ってる。よく行く神社は二つかな?」
「何でわかるんですか!?」
日和が驚くと、壮太郎は怪しげな笑みを浮べて自分の目を指差した。
「結人間家の人間は、人外が見える目を持っているんだ。神の専門は天翔慈家だから、詳しく知りたいのなら、そっちに聞いた方がいいけどね」
「日和の加護とかどうでも良いから、これからの話をしませんか? 俺、早く風呂入って寝たいんですけど」
碧真が少し苛立ったような声で言う。思えば脱線ばかりして、肝心の話があまり出来ていない。
「まあ、圧倒的に情報が足りないから、もっと情報が集まってから話そうか。思ったよりも複雑そうだから。明日は手分けして行動した方がいいかもね」
壮太郎の言葉に、丈も頷く。
「俺と壮太郎は、明日もう一度神社へ行く。赤間さんと碧真は集会場で村人への聞き込みを頼む」
「わかりました」
碧真が了承し、日和も力なく頷いた。
(どうせ逃げられないし……やるしかないんだ)
日和は自分の気持ちと戦いながら料理を口へ運ぶ。しょっぱい味がした。
***
「あ゛ー。生き返るー」
温かいお湯の中で、日和はホッと息を吐く。
食事の後、風呂に入る事になった。日和の安全の為に、脱衣所の外には見張り役として碧真が待機している。別れ際に見た碧真は、心底面倒臭そうな顔をしていた。
「ピヨ子ちゃん。おじさん臭いよー」
壁越しに、男湯に入っている壮太郎の声が聞こえた。
女湯と男湯は隣接しており、壁で仕切られていた。天井付近は壁がなく繋がっている為、お互いの声が丸聞こえだ。
「お風呂くらいゆっくり味わいたいんです。休息は大事ですから」
「ハハ。確かに大事だね。束の間の休息だろうし」
(ううっ、私の安息は一体何処に……)
束の間の休息という言葉に、日和は泣きたい気分になる。
「嫌だなー。怖いなー。逃げたいなー」
「泣き言ばかりだねぇ」
「泣き言くらい言わせてくださいよ」
頬を膨らませて言うと、壮太郎の笑い声が聞こえた。
「ピヨ子ちゃんは格好つけないんだね。正義感だとか、人助けだとか、張り切らないの?」
漫画の主人公だったら、泣き言も言わずに「誰かの為」にと命を張る。
勇気を奮い立たせて強い敵に戦いを挑んだり、困難を恐れずに突き進む事が出来るだろう。
美しく、気高く、優しく、強く。理想的で誰もが称賛する生き方。
しかし、日和はそんな事は出来ない。
「怖いものは怖い。逃げられるものは逃げたい。誰かと戦うのも嫌だし、困難なんて避けて、平和に笑っていたい。私は汚い人間です。見ず知らずの誰かの事より、自分が生きる事が何より大事です」
綺麗な心でいたいと願って、ガムシャラに頑張っていた時があった。
人の為に、人に優しく。周りを笑顔で幸せにして、自分は後回し。
そうすれば、いつかきっと報われる。自分も幸せになれる。
そう思い、必死で生きていた頃。
いい人間で在りたいという願いとは裏腹に、心が荒んで、人を妬んだ。
(私は汚い人間。情けない存在だって、あの時、嫌になる程に思い知らされた)
日和は膝を抱えて座り、自分の両腕に爪を立てた。
「心配しなくても、ピヨ子ちゃんは無事に家に帰れるよ」
壮太郎の言葉に、日和は訝しげな顔になる。
「どうしてですか?」
「勘」
(勘かー)
つい最近も、こういうやりとりを聞いた気がする。
「僕の勘は当たるから、安心していいよ」
壮太郎の言葉に、日和は困った笑みを浮かべる。
(そうだといいなー)
無事に生きて帰って、机の上に置いて来た漫画の続きを読めたらいい。日和は湯気が上る先にある天井を仰いで、そう願った。
日和は頭を抱えて泣き言を口にする。
怪しげな仕事だと事前に覚悟をしていたが、その覚悟を余裕で飛び越えられた。
明らかに、日和の精神が許容出来るレベルの話ではない。
「アハハ。ピヨ子ちゃん。これからも鬼降魔に関わっていくなら、このくらい慣れないとやっていけないよ?」
あっけらかんと壮太郎に言われ、日和は涙目になる。
「無理です! そんな物騒な事に慣れたくない! 住みやすい素敵な家も条件の良い仕事も諦めますから、どうか平凡平和な日常に戻して!! もう帰るぅっ!!」
家も仕事も手放したくないが、命あっての物種だ。
立ち上がって走り出そうとした日和の後襟を、碧真が掴んで止める。思い切り首が絞まり、日和は「んぐぅっ」と変な呻き声を上げて尻もちをついた。
「俺達は村に残るんだぞ? どうやって帰るんだ? 歩いてか?」
碧真が呆れたように言う。日和はピタッと動きを止めた。
「私、方向音痴だから無理だ!!」
「いや、方向音痴とか関係なく、距離的な問題だろう。アホか」
頭が回っていない日和に、碧真が溜め息混じりのツッコミを入れた。確かに、車でも結構な時間が掛かっていた。徒歩で帰るのは無謀だろう。
日和は望みをかけて丈を見た。丈は気まずそうな顔をする。
「すまないが、俺の一存では君の解雇を承諾出来ない。それに、君を家に送り届けるのも仕事が終わった後にしか出来ない」
「そ、そんなぁ……」
丈が悪くないのはわかっているが、日和はガクリと項垂れた。
「まあ、何とかなるよ。ピヨ子ちゃんが一人きりにならなければ大丈夫」
「……それって、『一人きりになる=何か起こるよ』って事ですか?」
「うん。絶対に起きるね。何されるかは想像つくけど……言った方がいい?」
「……いえ。もういいです。これ以上は私の精神衛生上、良くないと思いますので」
人を殺して埋めるような事が起こるのだ。考えられるのは『死』だけだろう。
日和は結界に目をやり、ふと思いつく。
「あ! じゃあ、結界の中に閉じ籠るのは……」
「やめた方がいいよ。この結界は場所に対して効果を発揮する物で、術者に合わせて移動する事は出来ない。攻撃を防ぐ事は出来るけど、相手を退ける物じゃないし。使い方を間違えたら、ピヨ子ちゃんにとって、死を待つ牢獄になるだろうね」
「ひえっ……」
日和は青ざめる。
目の前に殺人鬼がいる状態で、結界を張ったとする。攻撃が効かない事に殺人鬼が諦めて去ってくれたらいいが、日和が出てくるのを待つ場合は悲惨だ。殺人鬼が一人なら隙を見て逃げ出す事は出来るだろうが、殺人鬼が複数で見張りを交代する場合も考えられる。日和は結界から出られず衰弱死するか、結界を出て殺人鬼に殺されるかの二択になる。
落ち込む日和を見て、碧真が呆れたように溜め息を吐く。
「諦めろよ。見苦しい」
「この命を諦めろと!? 私には、帰りを待っている未読の漫画達がいるの! 絶対に、続きを読むまで……いや、読んでも死ねない!」
「仕事を放棄するのを諦めろって意味だ。……本当に面倒臭い奴だな」
「ピヨ子ちゃん。そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。チビノスケが責任持って、ピヨ子ちゃんを守ってくれるからね。なんたって夫婦役だし。ねえ、チビノスケ?」
「……まあ、仕事ですから。仕方なくですけど」
嫌そうな顔だから少し不安はあるが、日和にとって頼みの綱である。
「勝手な行動をしたら、即見捨てます」
「心底安心できない。終わった……」
頼みの綱なんてなかった。日和の頬をツーッと涙が流れていった。
「いざとなったら、ピヨ子ちゃんの加護も頑張って働いてくれるだろうし。何とかなるんじゃない?」
「私の加護?」
壮太郎の言葉に、日和は首を傾げる。
日和には、碧真や丈の様な干支の加護は無い筈だ。
「生きている人間、みんな何かしらの加護は持っているんだよ。お金に恵まれる加護だったり、才能に恵まれる加護、必要な人に出会える加護だったり、色々だね。ピヨ子ちゃんは命の危険から守ってくれる加護がついてるね。今まで、危ない目に遭っても無事だった事が多かったんじゃない?」
日和は驚いた。
呪いに関わった時もそうだが、日和は今までの人生で何度か危ない目に遭った事があるが、不思議と無事だった。
横道から飛び出して来た車に引きずられた時も、不思議と打撲のみで済んでいた。いつも通る道で大きな事故が起きた時も、なんとなく気分で道を変えて巻き込まれずに済んでいた。
「ピヨ子ちゃんは、普段から神社に行っているよね? 元々の運もあるだろうけど、神社の神や狛犬達から加護を貰ってる。よく行く神社は二つかな?」
「何でわかるんですか!?」
日和が驚くと、壮太郎は怪しげな笑みを浮べて自分の目を指差した。
「結人間家の人間は、人外が見える目を持っているんだ。神の専門は天翔慈家だから、詳しく知りたいのなら、そっちに聞いた方がいいけどね」
「日和の加護とかどうでも良いから、これからの話をしませんか? 俺、早く風呂入って寝たいんですけど」
碧真が少し苛立ったような声で言う。思えば脱線ばかりして、肝心の話があまり出来ていない。
「まあ、圧倒的に情報が足りないから、もっと情報が集まってから話そうか。思ったよりも複雑そうだから。明日は手分けして行動した方がいいかもね」
壮太郎の言葉に、丈も頷く。
「俺と壮太郎は、明日もう一度神社へ行く。赤間さんと碧真は集会場で村人への聞き込みを頼む」
「わかりました」
碧真が了承し、日和も力なく頷いた。
(どうせ逃げられないし……やるしかないんだ)
日和は自分の気持ちと戦いながら料理を口へ運ぶ。しょっぱい味がした。
***
「あ゛ー。生き返るー」
温かいお湯の中で、日和はホッと息を吐く。
食事の後、風呂に入る事になった。日和の安全の為に、脱衣所の外には見張り役として碧真が待機している。別れ際に見た碧真は、心底面倒臭そうな顔をしていた。
「ピヨ子ちゃん。おじさん臭いよー」
壁越しに、男湯に入っている壮太郎の声が聞こえた。
女湯と男湯は隣接しており、壁で仕切られていた。天井付近は壁がなく繋がっている為、お互いの声が丸聞こえだ。
「お風呂くらいゆっくり味わいたいんです。休息は大事ですから」
「ハハ。確かに大事だね。束の間の休息だろうし」
(ううっ、私の安息は一体何処に……)
束の間の休息という言葉に、日和は泣きたい気分になる。
「嫌だなー。怖いなー。逃げたいなー」
「泣き言ばかりだねぇ」
「泣き言くらい言わせてくださいよ」
頬を膨らませて言うと、壮太郎の笑い声が聞こえた。
「ピヨ子ちゃんは格好つけないんだね。正義感だとか、人助けだとか、張り切らないの?」
漫画の主人公だったら、泣き言も言わずに「誰かの為」にと命を張る。
勇気を奮い立たせて強い敵に戦いを挑んだり、困難を恐れずに突き進む事が出来るだろう。
美しく、気高く、優しく、強く。理想的で誰もが称賛する生き方。
しかし、日和はそんな事は出来ない。
「怖いものは怖い。逃げられるものは逃げたい。誰かと戦うのも嫌だし、困難なんて避けて、平和に笑っていたい。私は汚い人間です。見ず知らずの誰かの事より、自分が生きる事が何より大事です」
綺麗な心でいたいと願って、ガムシャラに頑張っていた時があった。
人の為に、人に優しく。周りを笑顔で幸せにして、自分は後回し。
そうすれば、いつかきっと報われる。自分も幸せになれる。
そう思い、必死で生きていた頃。
いい人間で在りたいという願いとは裏腹に、心が荒んで、人を妬んだ。
(私は汚い人間。情けない存在だって、あの時、嫌になる程に思い知らされた)
日和は膝を抱えて座り、自分の両腕に爪を立てた。
「心配しなくても、ピヨ子ちゃんは無事に家に帰れるよ」
壮太郎の言葉に、日和は訝しげな顔になる。
「どうしてですか?」
「勘」
(勘かー)
つい最近も、こういうやりとりを聞いた気がする。
「僕の勘は当たるから、安心していいよ」
壮太郎の言葉に、日和は困った笑みを浮かべる。
(そうだといいなー)
無事に生きて帰って、机の上に置いて来た漫画の続きを読めたらいい。日和は湯気が上る先にある天井を仰いで、そう願った。
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