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第二章 呪いを探す話
第13話 生きて欲しいという願い
しおりを挟む目を開けた咲良子がいたのは、白い空間だった。
咲良子の正面に、二人の人影が現れる。目を閉じたまま立っているのは、愛美と見知らぬ少女。彼女が、榎本優子なのだろう。
咲良子の夢の中に意識を引き込まれた愛美と優子も、ゆっくりと目を開く。
愛美は咲良子を見て、ギョッと目を見開いた。
「わ!! な、何で!?」
愛美が慌てて後ずさる。愛美の隣にいた優子は、不思議そうな顔で首を傾げた。
「あーちゃん。知り合い?」
優子と視線が合って、咲良子はにこりと微笑む。優子は咲良子に見惚れて「綺麗……」と呟いた。
「私は鬼降魔咲良子。あなたが、優子?」
咲良子が名前を知っている事に驚きながらも、優子は頷く。
「優子! 逃げるよ!!」
「え?」
愛美が優子の手を引っ張って走り出す。咲良子から離れようとした二人の前に、白い虎が行手を阻むように姿を現した。
赤い色の光を纏った白い虎。愛美はその虎が、咲良子の加護の”寅”だと理解して顔を引き攣らせる。
「逃げる事は出来ない。諦めて」
咲良子が近づくと、優子が愛美を庇うように前に出た。
「あなたは一体、何なんですか? あーちゃんの親戚の人じゃないんですか?」
同じ苗字から、親戚だと判断したのだろう。咲良子は頷く。
「遠い親戚。私はその子の両親から、愛美を助けるように依頼された」
「助ける?」
優子は戸惑いの表情を浮かべる。咲良子は優子の目をジッと見つめた。
「優子。自分が事故に遭った時の事、覚えてる?」
「やめて!」
愛美の悲痛な叫び声と共に、優子の頭の中に記憶の波が一気に押し寄せた。
***
優子にとって、その日はいつもと変わらない朝だった。
待ち合わせ場所の公園で、愛美が来るのを待っていた。しかし、いつも会う時間を十分過ぎても、愛美は現れなかった。珍しく、寝坊したのかもしれない。
学校に遅刻する時間ではないが、今日は日直。早めに着いておかなければならなかった。
メッセージアプリで愛美に先に行く事を伝えてから公園を出た。
愛美に話したい面白い事があった。お喋り出来ない事を少し残念に思ったが、また明日には会える。
優子は一人で歩道を歩いていた。
目の前の視界に映る直線の道路には、こちら側に向かって走る一台の車があった。優子から十メートルほど離れた車から、突如けたたましいクラクションが鳴り響いた。
「え?」
コントロールを失くした車が、道路の上を滑りながら、優子のいる歩道へ向かって来た。
”危ない”と思った。同時に、”避けられない”と感じた。
目の前の景色がスローモーションで流れる。思考は動くのに、体は動かない。何も出来ないまま、車が勢いよく自分に衝突するのを見ていた。
息も出来ない強い衝撃が襲い掛かり、優子の意識は途切れた。
***
(私、どうなったんだっけ?)
自分の記憶に混乱しながらも、優子は思考を巡らせる。
(ああ、そうだ。その事故は夢で、私はいつも通りに朝起きて、学校に行って、放課後にあーちゃんと会ったんだ。お店に寄り道したり、久しぶりに思い出の裏山に行ったりして、二人で仲良く遊んだ)
その記憶を信じたかった。けれど、その記憶が正しいのだと証拠を探そうとすればする程、愛美と遊んだ記憶に違和感が生まれる。
(あーちゃんと寄り道した日の学校の記憶が無い。あーちゃん以外の人に、会った覚えが無い)
二人で遊んだ時、周りに人がいなかった。まるで、世界に自分と愛美しか存在していない記憶。楽しくて夢のような時間は、本当に夢だったのではないだろうか。
「……私は、どうなったの?」
優子は俯いて震えながら問う。咲良子が口を開くのを見て、愛美が前に足を踏み出した。
「やめてったら!!」
愛美は両手で咲良子を突き飛ばそうとする。咲良子は最小限の動きで、愛美の攻撃を避けた。勢いをつけていた為か、愛美は踏鞴を踏んで転んだ。
優子は慌てて、愛美を助け起こした。愛美は座り込んだまま、悔しそうな目で咲良子を睨みつける。今にも咲良子に掴みかかって行きそうな愛美の体を、優子は抱き締めるように押さえつけた。
咲良子は表情ひとつ変えずに、優子達を見下ろす。
「優子。あなたは、意識不明の重体で入院している。もう助からな」
「やめてって言ってるでしょ!!」
愛美が咲良子に向かって吠えた。目に涙を滲ませ、顔を真っ赤にして荒い呼吸を繰り返す愛美。愛美は普段、ここまで感情を荒げない。そんなに必死になってまで優子に聞かせたくないという事は、咲良子の言葉が真実だという証拠でしかなかった。
優子は自分の体を見下ろす。怪我は一つもなく、いつもの制服姿だ。
咲良子の話では、優子は意識不明の重体の筈なのに、何もない真っ白な空間にいる。
「ここは何処ですか? どうして、私はここにいるの?」
「優子! この人の話なんか」
「あーちゃん。お願いだから黙って」
優子が眉を下げてお願いすると、愛美は泣き出しそうに顔を歪めながらも口を噤む。優子は改めて、咲良子へ問う視線を向けた。咲良子は頷き、唇を開く。
「ここは、私の夢の世界。私が二人を連れてきた。愛美を説得する為に」
「あーちゃんを、説得?」
咲良子は頷く。
「優子は、鬼降魔の力の事を覚えているんでしょ?」
咲良子の問いに、優子は頷いた。
小学生の頃、愛美が見せてくれた不思議な術。魔法みたいで綺麗だと感動していたら、愛美の母親が血相を変えて、優子達の間に割り込んで来た。愛美の母親の手が額に触れた後、優子の意識は途切れた。
その後、優子は気づけば家にいた。母親の話では、愛美の家で遊び疲れて眠ってしまったらしい。愛美の母親が、優子を家に送り届けてくれた聞いた。その日は、愛美の家で人形遊びしていた記憶だけが残っていた。
翌朝、学校で会った愛美の様子は何処かぎこちなかった。話しかけようとすると、逃げられてしまう。それが繰り返されて、少し距離が出来てしまった。
暫く月日が経つと、以前のように愛美と仲良く遊ぶ事が出来た。
鬼降魔の力の事を思い出したのは、再び仲良くなって一年後の事だった。
愛美に話を聞けば、一年生の時も周りに力の事を知られて転校したと言う。
もし、愛美の母親に、再び優子達が仲良くなった事や記憶が戻った事を知られたら、愛美はまた転校してしまう。今度こそ、離れ離れになってしまうのだ。
愛美の両親には内緒で、二人は交友を続けた。
愛美が特別な力を使える事は、他の友人達には勿論秘密にした。
優子の母親が病死してから、父親が『呪いだ』と騒いでおかしくなった時、愛美は親身に相談に乗ってくれた。
愛美が鬼降魔の本家の人達の事を教えてくれた。派遣されて来た男の人が、派手な術を使って父親の呪いを解いてくれた。父親は安心したのか、穏やかな顔に戻った。解呪の儀式をすると、仕事も上手くいくらしい。
その後も、何度か父親が騒いだのには困ったが、解呪の儀式をすると正気に戻ってくれる。
愛美には、本当に助けられていた。
意識を今に戻せば、咲良子が真っ直ぐな目で優子を見つめていた。無表情に見えて、その目の奥には少しだけ悲しそうな色がある。咲良子は珊瑚色の唇をゆっくりと開いた。
「愛美は鬼降魔の術を使って、自分の寿命と引き換えに、優子の命をこの世に繋ぎ止めている。術を使い続ければ、愛美の寿命は無くなって、優子と一緒に死ぬ事になる」
優子は目を見開く。普通なら信じられない話だが、鬼降魔の力の事を知っている優子には、それが本当の事だと分かった。
「愛美の寿命を削るのを止めるには、鬼降魔の術を刻んだ呪具を見つけ出して壊さなければならない。ただ、呪具を壊せば、優子を生かしている力が消える。私は、あなたに『死ね』と言っているのと同じ」
咲良子が目を伏せる。驚きで固まる優子の体を、愛美がギュッと抱きしめた。
「死なせない! 絶対に術を破らせない!! あなたに、呪具の在り処は教えない!!」
愛美は体を震わせながら、涙を流していた。
優子は唇を引き結び、涙が溢れてしまいそうになるのを堪える。しっかりと言葉で伝えなければならないのに、どうしても唇が震える。それでも、願いを紡いだ。
「もういいよ。あーちゃん」
「………え?」
戸惑う愛美に、優子は精一杯の笑みを浮かべる。
「もう、私の命を繋がなくていいよ。お別れ、しよう」
愛美の顔が一気にクシャりと歪む。愛美は何度も首を横に振った。
「いや、嫌だ! 一緒にいようよ! 私、まだ優子と一緒に居たい!!」
「私も一緒にいたいよ。でも、あーちゃんの命を奪うなんて嫌だよ」
「私の命より、優子の方が大事だもん! それに、優子が事故に遭ったのは、私のせいなの! 私が待ち合わせに遅れたから!! 優子は、私の寿命なんて気にしないでいいの!! 二人で一緒にいよう。夢の中なら、たくさん遊べる。一緒にいられる!!」
愛美は縋り付くように、優子をギュッと抱きしめた。
優子は愛美の頬に手を伸ばす。そのまま、愛美の頬を両手で軽く引っ張った。
「へ?」
愛美が間の抜けた声を出した。優子は笑いながらも、真剣な目で愛美を見つめる。
「私が事故に遭ったのは、あーちゃんのせいじゃない。偶々起きちゃった事なの。勘違いしちゃダメだよ」
愛美の中にある罪悪感を消したくて、言い聞かせるように伝える。
愛美は目を見開く。優子は愛美の頬から手を離して、目の前の親友をしっかりと抱き締めた。
「あーちゃんの命は、あーちゃんのものだよ。そして、これから、あーちゃんと出会っていく人達の為のもの。私は、もう十分もらった」
「……ゆうっ……は、死んで……いいのっ? 生きてったく……の?」
涙混じりの震え声で、愛美は言う。優子は苦笑した。
「私だって、生きてたい。死にたくなんてないよ。でも、それ以上に、あーちゃんに生きて欲しい。あーちゃんが思ってくれたように。私も、あーちゃんに生きて欲しいんだ」
優子は泣き続ける愛美の背中を撫でながら、親友の心に届くように祈りを込めて言葉を紡いだ。
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