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後編 恋の道
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あの試合の日から、数か月経った。
夏の気配がやや遠ざかった九月のある日。前日、私はラインで順規くんに呼び出されたので、待ち合わせのオープンカフェへと向かっていた。街路樹の木々は未だ元気だが、隙間から秋の虫の音が漏れ聞こえてきた。
日差しが和らいだこの季節は嫌いではない。空は高くて青く、吹きつける風も心地よかった。花壇に咲いている秋桜の赤やピンクが目を楽しませてくれる。
オープンカフェに着いて、ぐるりと順規くんを探す。道路に面した眺めのよい席で、姿勢よく読書をしている彼を見つけた。
「お待たせ、順規くん」
声をかけると、すぐに彼は気づいたようだった。律儀に立ち上がってお辞儀をしてくれる。黒髪が太陽の光を弾いて、美しく煌めいた。
「こんにちは、恭子さん。急にお呼び立てして申し訳ありません」
「ううん、特に用事はなかったから平気だよ」
順規くんの向かいに座り、ココアを注文する。今日は少し肌寒く感じたのでホットココアにした。彼の前にはソーダが置かれていた。
オーダーが終わると、順規くんはバッグから紙袋を取り出した。そのまま、私に手渡してくれる。
「何かな、これ?」
「お誕生日プレゼントです。当日に渡せてよかったです」
おめでとうございます、と言われてびっくりした。まさか彼が私の誕生日を知っているとは思わなかった。「開けていい?」と訊いてから、受け取った紙袋のシールを丁寧に剥がす。中には温かそうな水色の手袋と、折り畳まれたメッセージカードが入っていた。
「ありがとう、こんな可愛い手袋……。これから寒くなるもんね、大切に使わせてもらうよ」
「いいえ、ささやかなものですから、気兼ねなく使ってください」
メッセージカードにも目を通す。シンプルな銀のカードに、流麗な文字でただ一言だけ綴られていた。
【待っていてください】
「えっと、待っていて……って?」
意味がわからず、疑問を述べると、順規くんは僅かに頬を染めた。何か物言いたげな様子で、でも躊躇っているようにも見受けられる。少し間を置いて、彼は思い切ったように私に告げた。
「僕は恭子さんのことが好きです。だから……待っていてください」
「……え」
思いがけない告白に、私は凍りついたように動けなくなった。彼は形のよい薄い唇をいったん結び、それから再び話し出す。
「結婚相談所の件……沙也華さんから聞きました。まだ恭子さんと交際を始めている男性はいないそうですね」
水色の手袋を握りしめ、ただ私は順規くんの凛々しい顔を見つめていた。頬は紅潮したまま、目は逸らさずに真っ直ぐ私を捉えている。ホットココアが運ばれてきたが、それに手を付ける余裕はなかった。
「僕は小さい頃から、貴女に惹かれていました。いつも心から応援してくれて、僕が勝ったら喜んでくれて。その笑顔が大好きなんです」
だから、と彼は続ける。
「この間は言えなかったんですけど、今日は言わせてください。僕が恭子さんの交際相手に名乗りを上げていいですか? もう少ししたら……大学に入って落ち着いたら、きちんと交際を始めたいです。それまで、待っていてもらえませんか?」
夢のような出来事に、私はひたすら呆然としていた。だが、順規くんの誠実な言葉は耳に入っている。剣道の試合のときに感じたような、ひたむきな熱い想いが伝わってきて、私は目を見開いたまま尋ね返した。
「私で──私でいいの?」
「恭子さんがいいんです。恭子さん以外に考えられません」
「本当……?」
叶えられた想いに、視界が涙で滲む。彼が指で拭ってくれた。
「恭子さんは、僕でいいですか?」
自信なさげに、澄んだ瞳が揺れる。剣道はとてつもなく強いけれど、彼は九歳年下の男の子だった。それを反芻し、私は自然と笑みがこぼれる。
「いいに決まっているじゃない。好きだよ、順規くん!」
手の中の手袋と、ホットココアから立ちのぼる湯気、彼の指のぬくもり。それらすべてがあたたかい。私の引き胴に、彼は面で追いついてくれた。九歳差を追いついてくれた。私の剣道の得意技も、なかなかのものではないだろうかと、内心自画自賛する。
順規くんも柔らかく微笑んだ。優しい表情に、改めて私は惚れ直してしまう。
「……僕は恭子さんの剣道姿も好きです」
「私は順規くんほど強くないよ?」
「僕と相打ちですから、同じくらいの強さですよ。それと、素直な剣道といいますか……純粋に剣道が好きなんだなと思わせてくれます」
「あはは、それはそうかもねー」
私は肯定せざるを得なかった。順規くんのことも大好きだけれど、剣道も大好きだ。私と彼を出会わせてくれた剣の道は、奥が深くて、抜け出すことはできそうもない。
「結婚相談所は退所するよ。──待っているから」
「はい。絶対待っていてくださいね」
私と順規くんの九歳差は、埋めることが可能な年月だった。きっと沙也華ちゃんも祝福してくれる。剣道をしながら、私は彼をのんびりと待っていよう。互いに同じ道で繋がっているのだから。
夏の気配がやや遠ざかった九月のある日。前日、私はラインで順規くんに呼び出されたので、待ち合わせのオープンカフェへと向かっていた。街路樹の木々は未だ元気だが、隙間から秋の虫の音が漏れ聞こえてきた。
日差しが和らいだこの季節は嫌いではない。空は高くて青く、吹きつける風も心地よかった。花壇に咲いている秋桜の赤やピンクが目を楽しませてくれる。
オープンカフェに着いて、ぐるりと順規くんを探す。道路に面した眺めのよい席で、姿勢よく読書をしている彼を見つけた。
「お待たせ、順規くん」
声をかけると、すぐに彼は気づいたようだった。律儀に立ち上がってお辞儀をしてくれる。黒髪が太陽の光を弾いて、美しく煌めいた。
「こんにちは、恭子さん。急にお呼び立てして申し訳ありません」
「ううん、特に用事はなかったから平気だよ」
順規くんの向かいに座り、ココアを注文する。今日は少し肌寒く感じたのでホットココアにした。彼の前にはソーダが置かれていた。
オーダーが終わると、順規くんはバッグから紙袋を取り出した。そのまま、私に手渡してくれる。
「何かな、これ?」
「お誕生日プレゼントです。当日に渡せてよかったです」
おめでとうございます、と言われてびっくりした。まさか彼が私の誕生日を知っているとは思わなかった。「開けていい?」と訊いてから、受け取った紙袋のシールを丁寧に剥がす。中には温かそうな水色の手袋と、折り畳まれたメッセージカードが入っていた。
「ありがとう、こんな可愛い手袋……。これから寒くなるもんね、大切に使わせてもらうよ」
「いいえ、ささやかなものですから、気兼ねなく使ってください」
メッセージカードにも目を通す。シンプルな銀のカードに、流麗な文字でただ一言だけ綴られていた。
【待っていてください】
「えっと、待っていて……って?」
意味がわからず、疑問を述べると、順規くんは僅かに頬を染めた。何か物言いたげな様子で、でも躊躇っているようにも見受けられる。少し間を置いて、彼は思い切ったように私に告げた。
「僕は恭子さんのことが好きです。だから……待っていてください」
「……え」
思いがけない告白に、私は凍りついたように動けなくなった。彼は形のよい薄い唇をいったん結び、それから再び話し出す。
「結婚相談所の件……沙也華さんから聞きました。まだ恭子さんと交際を始めている男性はいないそうですね」
水色の手袋を握りしめ、ただ私は順規くんの凛々しい顔を見つめていた。頬は紅潮したまま、目は逸らさずに真っ直ぐ私を捉えている。ホットココアが運ばれてきたが、それに手を付ける余裕はなかった。
「僕は小さい頃から、貴女に惹かれていました。いつも心から応援してくれて、僕が勝ったら喜んでくれて。その笑顔が大好きなんです」
だから、と彼は続ける。
「この間は言えなかったんですけど、今日は言わせてください。僕が恭子さんの交際相手に名乗りを上げていいですか? もう少ししたら……大学に入って落ち着いたら、きちんと交際を始めたいです。それまで、待っていてもらえませんか?」
夢のような出来事に、私はひたすら呆然としていた。だが、順規くんの誠実な言葉は耳に入っている。剣道の試合のときに感じたような、ひたむきな熱い想いが伝わってきて、私は目を見開いたまま尋ね返した。
「私で──私でいいの?」
「恭子さんがいいんです。恭子さん以外に考えられません」
「本当……?」
叶えられた想いに、視界が涙で滲む。彼が指で拭ってくれた。
「恭子さんは、僕でいいですか?」
自信なさげに、澄んだ瞳が揺れる。剣道はとてつもなく強いけれど、彼は九歳年下の男の子だった。それを反芻し、私は自然と笑みがこぼれる。
「いいに決まっているじゃない。好きだよ、順規くん!」
手の中の手袋と、ホットココアから立ちのぼる湯気、彼の指のぬくもり。それらすべてがあたたかい。私の引き胴に、彼は面で追いついてくれた。九歳差を追いついてくれた。私の剣道の得意技も、なかなかのものではないだろうかと、内心自画自賛する。
順規くんも柔らかく微笑んだ。優しい表情に、改めて私は惚れ直してしまう。
「……僕は恭子さんの剣道姿も好きです」
「私は順規くんほど強くないよ?」
「僕と相打ちですから、同じくらいの強さですよ。それと、素直な剣道といいますか……純粋に剣道が好きなんだなと思わせてくれます」
「あはは、それはそうかもねー」
私は肯定せざるを得なかった。順規くんのことも大好きだけれど、剣道も大好きだ。私と彼を出会わせてくれた剣の道は、奥が深くて、抜け出すことはできそうもない。
「結婚相談所は退所するよ。──待っているから」
「はい。絶対待っていてくださいね」
私と順規くんの九歳差は、埋めることが可能な年月だった。きっと沙也華ちゃんも祝福してくれる。剣道をしながら、私は彼をのんびりと待っていよう。互いに同じ道で繋がっているのだから。
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