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第八章

第214話 クールな二年生マネージャーはぬいぐるみに顔を埋める

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 十一月の夕方ともなれば、すっかり陽は落ちていた。かすかに赤みを残している紫色の空は宇宙に包まれているような安心感を覚えるが、飲食店やカラオケなどが立ち並ぶその通りはそれらのおごそかな雰囲気を良い意味でも悪い意味でも破壊していた。
 この時間になると湧き始めるキャッチの類をスルーして一際明るい店内に足を踏み入れる。プリクラ機とUFOキャッチャーの間をすり抜け、まずは定番のコインゲームに挑戦した。

 誠治せいじのコインゲームに「ご利用は計画的に」の信念は存在しない。
 開始早々に一つのゲームに一点がけしてコインを溶かした後、少しの間冬美ふゆみの慎重かつ大胆な手法を眺めて感嘆の念を抱いた後にUFOキャッチャーに挑戦した。

 好きな人とは少しでも長く一緒にいたいのが人間の性だろうが、今の誠治には近くに冬美がいないというのはむしろ好都合だった。

「くっ……!」

 お菓子などには見向きもせず、一際大きなパンダのぬいぐるみを狙い続けた。
 しかし、せいぜい角度が変わる程度で落とすことはできなかった。

「くそっ、もう一回……!」
「そんなでたらめにやってもダメよ」
「おわっ⁉︎」

 不意に隣から声が聞こえて、誠治は猫のように飛び上がった。
 その拍子にボタンに触れてしまい、アームは見当違いなところに腰を下ろした。小さなクマのぬいぐるみの頭を撫でてゆっくりと定位置に帰還した。

「お、驚かすなよっ」
「ごめんなさい。普通に声をかけたつもりだったのだけれど。サッカー以外で珍しく集中しているのね。そんなにほしいものがあるのかしら?」
「ま、まあな。これなんだけどよ」
「ずいぶん大きなものを取ろうとしているのね。こういうアームで引き上げられないものは、しっかりと計算して予測を立てる必要があるわ」
「お、おう」

 冬美が誠治の隣から透明ケースを覗き込んだ。

「力の弱いアームでも引っ掛ければ落ちる程度の位置まで持っていくことが……って、聞いているの?」

 冬美はやや苛立ちを見せながら、返事をしない誠治を振り向いた。

「っ……!」

 彼女は息を詰まらせて目を見開いた。
 自身を呆けた表情で見つめる誠治の顔が、思った以上に近くにあったからだ。

 冬美はごくりとつばを呑んだ。蛍光色の明るい光に照らされた誠治の顔から、なぜか目を逸らすことができなかった。
 先程まで聞こえていたゲームセンター特有のガチャガチャという喧騒や子供の甲高い声はかき消え、世界にはただ己の心音のみが響いていた。

 息がかかるほどの至近距離で見つめ合う中、先に我を取り戻したのは冬美だった。

「な、何見てるのよ!」
「あっ、悪いっ、つい……!」

 誠治も我に返り、慌てて顔を背けた。顔から火が出そうなほど熱かった。まるで百メートル走を全力疾走した後のように心臓がバクバクしていた。
 冬美は頬を赤らめてそっぽを向きながら、

「ついって何よ……」
「えっ?」
「なんでもないわっ! ふぅ……」

 冬美は体内の熱を全て吐き出すように大きく息を吐いた後、背を向けてツカツカと大股で離れていった。
 見惚れてしまって気味悪がられたかと誠治は肝を冷やしたが、それは杞憂だった。

 冬美は透明ケースの側面のアームをちょうど横から観察できる場所で立ち止まった。
 仁王立ちになり、腰に手を当ててビシッと指を突きつけてきた。

「と、とにかく! ちゃんと観察しなさい。横から見ていてあげるから」

 瞳は誠治を睨みつけているかのように鋭かったが、頬はほんのりと赤らんだままだった。

「お、おうよ」

 気まずい沈黙の中、誠治は再びコインを投下して挑戦した。
 冬美のアドバイスが的確だったのか、二回で場所を調整して三回目で落とすことができた。

 アームの移動速度がゆっくりだったおかげでもあるだろう。
 誠治がパンダのぬいぐるみを取り出すころには、彼らはいつもの雰囲気を取り戻していた。

「それにしても、あなたがこういうものを好きだとは知らなかったわ」

 冬美が意外そうに言った。
 誠治は無造作にぬいぐるみを差し出した。

「ん」
「……何?」

 怪訝そうに眉をひそめる冬美に、誠治はぶっきらぼうな口調で言った。

「やるよ」
「えっ?」

 冬美はパンダを見てパチパチと瞬きをした後、真意を測るように凝視してきた。
 端正な顔にじっと見つめられ、誠治は気恥ずかしさから視線を逸らしてしまった。明後日の方向を向いたまま、後頭部をポリポリと掻いて言い訳をするような口調で、

「いや、お前って結構可愛いものとか好きだし、さっきもこれ欲しそうに見てたじゃねーか。だから、ほら」
「……よく見ていたわね」

 物欲しそうな視線を見抜かれていたことが恥ずかしかったのか、冬美は照れくさそうな表情でおずおずとぬいぐるみを受け取った。
 パンダの頭を小さく撫で、思わずといった様子で笑みをこぼした。嬉しさがにじみ出ていた。稀に見る柔らかい表情だった。

「っ……!」

 誠治は慌てて目を逸らした。なんだか見てはいけないものを見たような気分になったし、とても直視できるものではなかった。
 ——それ以上眺めていると、無意識に抱きしめてしまいそうだった。

 冬美は笑みを浮かべてしげしげとパンダを観察していたが、ハッと慌てたような表情になって財布を取り出した。

「それで、いくらかしら?」
「……はっ?」
「はっ? じゃないわよ。これを取るまでにかかった代金よ」
「いや、お前が金払ったら意味ねーだろ」
「どうして?」
「どうしてってそりゃ……ぷ、プレゼントなんだからよ」
「っ……!」

 今度は冬美が視線を逸らす番だった。髪の毛から覗く耳に赤みが差していく。

「……私、別に誕生日でもないのだけれど」
「い、いや、プレゼントっつーかなんつーかそのっ……べ、勉強っ、勉強教えてくれてるお礼だ!」

 あたふたしながら誠治は言い添えた。

「つ、つーかなんでも良いだろっ、たまには素直に受け取っとけ」
「……たまにはって何よ」

 冬美は不満げに誠治を睨みつけたが、その目に怒りの色は浮かんでいなかった。
 鼻までパンダで隠しながら、ほんのり赤く染まった瞳で彼を見上げて、小さな声で呟いた。

「でも……ありがとう」
「っ……! だからそれは反則だっつーの……!」
「は、はぁ⁉︎ あんたが大袈裟なだけよっ」

 冬美は頬を染め、思わずといった様子でパンダを振り上げた。
 誠治は頭を隠したが、衝撃はやってこなかった。
 誠治はおそるおそる顔をあげた。

 冬美は空中でピタッと静止したまま、パンダをまじまじと見つめていた。
 みるみる顔を赤くさせながら、ゆっくり腕を下ろした。周囲の大半の想像とは違って可愛い物好きの彼女に、ぬいぐるみで人を殴打することはできなかったのだろう。

「……ぷっ」

 思わず吹き出した誠治の鳩尾みぞおちに、冬美の渾身こんしんの拳が炸裂した。

「が、は……!」

 彼はなすすべなく膝から崩れ落ちた。
 冬美はうずくまる幼馴染をキッと睨みつけてから、今度こそ本当にスタスタと遠ざかっていった。

 いつの間にか扉の付近にやってきていたようで、制服姿の男女が手を繋ぎながら入店してきた。高校生だろう。
 冬美たちが素通りをしたプリクラ機に、笑みを交わし合いながら迷うことなく入っていく。誰がどう見ても仲睦仲むつまじいカップルだった。

 冬美は少しだけその様子を見つめた。一つ息を吐いた。
 スッと視線を逸らしたちょうどそのとき、己を呼ぶ声がした。

 冬美は迷わず反対方向へ早足で歩き出した。
 背中から「おっ、ちょい!」と慌てた声が聞こえて、思わずクスッと笑いを漏らした。
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