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第八章
第206話 適任者
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——週明けの月曜日の放課後練習。
心身ともにリフレッシュした巧と香奈はグラウンドにコーンを並べて、それを選手に見立てながらサッカー談義をしていた。
「さっきのプレーなんですけど、こんな布陣でしたよね?」
「うん、合ってる」
「キャプテンからボールもらった瞬間に前向いて、水田先輩の前に出しても良かったんじゃないですか?」
香奈が指でボールの動きを再現した。
現在行われているのは、五人制のミニゲームだ。
「そうだね。けど、何となく相手の林先輩がそれを警戒しているような気がしたから、勝ってたし無理する場面でもないかなって思ったんだ」
「なるほど。確かにちょっと半身ですぐにヘルプに行けそうでしたもんね」
「そう。でも、もし同点とか負けてたら香奈の言う通りにしてたと思う」
「ふむふむ」
近くにいたメンバーは総じて思った。なぜ二人の表情も話題も真剣そのものなのにこんなにも甘ったるい雰囲気を出せているのか、と。
もちろん互いの顔の距離感が近いというのはあるのだろうが、それでは到底説明できない内部から漏れ出す甘さがあった。
もっとも、二人とはかれこれ二ヶ月ほどの付き合いで交際を公表して三週間が経っているため、一軍メンバーはいい加減慣れていたが。
しかし、リラックスしている彼らとは対照的に、ガチガチに緊張している者もいた。初めて一軍に合流した優である。
散々な出来に終始していた彼は、練習の区切りがついたときに水飲み場へ姿を消した。
香奈はその背中に心配そうな視線を送った。
隣に立つ巧に話しかけた。
「百瀬先輩、かなり緊張してますね」
「だね。生まれたての子鹿みたいになってたから、昨日は水族館で今日は動物園なのかと思っちゃったよ」
「ちょっとひどくないですか?」
香奈がクスクス笑った。
「でも、それでいうと巧先輩は全然緊張してなかったですよね。昇格したとき」
「そんなことはないけど、なりふり構ってられなかったし、香奈が応援してくれてたからね」
「百瀬先輩にも声をかけてあげたらどうですか?」
「うーん」
巧が唸り声を上げた。
「どうなんだろう。盛り上げるのはともかく、慰めるのってあんまり同じ部活の友達がしないほうがいい気もするんだよね」
「男のプライドってやつですか?」
「まあ、そんな感じかな。特に僕と優はライバルになるかもしれないわけだしね。それにほら、今はもっと適任がいるじゃん?」
「あぁ、確かに」
香奈は適任者——あかりを見やった。
ちょうど向こうもこちらを見ていたようだが、視線が合う直前に再び作業に集中し始めた。ボールの空気入れをしているようだ。
「ちょっと私、仕事代わってきます」
「うん」
巧に断りを入れて、香奈は親友の元まで歩いて行った。
「あかり。代わるよ」
「香奈。如月先輩と話してたんじゃないの?」
「大丈夫。後は私がやっておくからさ、百瀬先輩に声かけてあげてよ。恋人に励ましてもらったらきっと力も出るし」
あかりがスッと目を細めた。
「……もしかして、揶揄ってる?」
「えっ? ううん、違う違うっ」
香奈は両手を胸の前に突き出してぶんぶん振った。
「そういうのじゃないよ。好きな人に応援してもらったら、きっと百瀬先輩も落ち着けるかなって思って」
「でも、彼女とか好きな人とか、部活にあんまりそういうのは持ち込まないほうがいいんじゃないの? 部の規律のためにさ」
「そんなことないよ。選手のモチベーションを上げるのはマネージャーの役目の一つだし、彼女のあかりが一番適任なのは間違いないんだから、むしろ部のためにあかりが行くべきだよ。私も巧先輩に慰められて何回も気持ちが楽になってるし、好きな人の言葉がきっと一番力になるはずだから」
「……うん。そうだね」
あかりは「じゃあお願い」と空気入れの針を香奈に手渡し、早足で水飲み場に向かった。
香奈はその背中を目で追いながら、あかりってあんなに部内恋愛に厳しかったっけ、と首を傾げた。
(なんだかんだで緊張しているのかな)
香奈はそう思い直して仕事に取り掛かった。
戻ってきてから、優は先程までとは打って変わって好調だった。間違いなくあかり効果だろう。
実践形式の紅白戦でも、彼は水を得た魚のように活き活きとプレーしていた。
「優、ナイス!」
同じチームになった巧は、ここぞとばかりにポジティヴな声かけをした。
笑顔で手をあげる優からは、すっかり緊張の色は消え去っていた。
(今の絶好調な優なら、多分そこにいるでしょ)
巧はノールックパスを送った。
彼の予測通りのポジションを取っていた優にボールが渡り、そこからの流れでゴールが決まった。
二人の連携を起点に得点が生まれるのは初めてではなかった。
「息合ってんなぁ、お前ら」
練習が一段落した休憩時間に、一軍キャプテンの飛鳥が感心したように巧と優に声をかけた。
周囲のメンバーもうなずいている。
「そうですね。一番一緒にやってますから」
「そっか。そういうことになるのか。どれくらいだ?」
「一年四ヶ月です」
入部してから巧が二軍に昇格するまで、優とはずっと三軍で切磋琢磨していた。
基礎練習ではコンビも組むことも多かったし、巧と違って優はプレースタイルを変えていない。彼の動きやプレーの予測はつきやすかった。
「なので、誠治なんかとは比べ物にならないほど連携できます」
「んだとこの野郎」
「いたたたたっ」
いつの間にか近くに来ていた誠治に首を絞められ、巧は悲鳴をあげた。
「いつからいたのっ?」
「あっ? 普通に近づいてきたらお前がなんか言ってたからよ」
「体育祭のとき僕が忍者みたいに言われてたけど、実は誠治のほうが忍者なんじゃないの? あっ、でも図体と態度だけはでかいから隠密作戦とか無理か」
「馬鹿にされたのはわかるぞコラァ」
「いくらバ縢でもそれくらいは——ごめんごめんギブっ!」
周囲の目も気にせずに戯れ合う友人たちを見て、優は苦笑いを浮かべた。
「あいつら、一軍でもあんな感じなんすね……」
「意外か?」
飛鳥に話しかけられ、優は緊張を覚えた。
「……まあ、もうちょっとヒリヒリしてると思ってました」
「そりゃもちろん、誰も手を抜いているやつはいないし、そんなやつはいらないさ。あいつらがああしてふざけても許されているのは、常に全力を尽くしているからだ」
巧と誠治を見る飛鳥の目は優しかった。
「軍隊じゃないし、やることをやっていれば早々怒られることはない。百瀬も試合に出るために上がってきたんだろ?」
「はい」
「なら、リラックスして過ごせばいい。京極監督がお前を一軍にあげても大丈夫だと判断したんだからな」
飛鳥が苦笑混じりに京極を見た。
「あの人はいつも馬鹿笑いしているけど、選手を見る目は本物だ。気を抜かなければ振るい落とされることはないし、あの二人くらい自然体で過ごしたほうが結果も出るだろ」
「わかりました。ありがとうございます」
「おう。期待してるぞ」
優の肩を叩き、飛鳥は去っていった。
飛鳥は雑誌の特集が組まれるほどの選手だ。全国常連のチームのキャプテンなのだから不思議なことではないが、そんなこれまでは雲の上のような存在だった人物にポジティブな声かけをしてもらい、優は俄然やる気になった。
よっしゃ、やってやるぞ——!
優は小さくガッツポーズをした。
そんな友人を見て、巧と誠治は笑みを交わした。
「優って意外とミーハーだよね」
「結構素直だよな」
「ねっ。可愛いとこある」
「それな」
小声でヒソヒソと会話をする彼らは、友達と仲良く遊んでいる子供を遠くから見守る親のような穏やかな表情を浮かべていた。
心身ともにリフレッシュした巧と香奈はグラウンドにコーンを並べて、それを選手に見立てながらサッカー談義をしていた。
「さっきのプレーなんですけど、こんな布陣でしたよね?」
「うん、合ってる」
「キャプテンからボールもらった瞬間に前向いて、水田先輩の前に出しても良かったんじゃないですか?」
香奈が指でボールの動きを再現した。
現在行われているのは、五人制のミニゲームだ。
「そうだね。けど、何となく相手の林先輩がそれを警戒しているような気がしたから、勝ってたし無理する場面でもないかなって思ったんだ」
「なるほど。確かにちょっと半身ですぐにヘルプに行けそうでしたもんね」
「そう。でも、もし同点とか負けてたら香奈の言う通りにしてたと思う」
「ふむふむ」
近くにいたメンバーは総じて思った。なぜ二人の表情も話題も真剣そのものなのにこんなにも甘ったるい雰囲気を出せているのか、と。
もちろん互いの顔の距離感が近いというのはあるのだろうが、それでは到底説明できない内部から漏れ出す甘さがあった。
もっとも、二人とはかれこれ二ヶ月ほどの付き合いで交際を公表して三週間が経っているため、一軍メンバーはいい加減慣れていたが。
しかし、リラックスしている彼らとは対照的に、ガチガチに緊張している者もいた。初めて一軍に合流した優である。
散々な出来に終始していた彼は、練習の区切りがついたときに水飲み場へ姿を消した。
香奈はその背中に心配そうな視線を送った。
隣に立つ巧に話しかけた。
「百瀬先輩、かなり緊張してますね」
「だね。生まれたての子鹿みたいになってたから、昨日は水族館で今日は動物園なのかと思っちゃったよ」
「ちょっとひどくないですか?」
香奈がクスクス笑った。
「でも、それでいうと巧先輩は全然緊張してなかったですよね。昇格したとき」
「そんなことはないけど、なりふり構ってられなかったし、香奈が応援してくれてたからね」
「百瀬先輩にも声をかけてあげたらどうですか?」
「うーん」
巧が唸り声を上げた。
「どうなんだろう。盛り上げるのはともかく、慰めるのってあんまり同じ部活の友達がしないほうがいい気もするんだよね」
「男のプライドってやつですか?」
「まあ、そんな感じかな。特に僕と優はライバルになるかもしれないわけだしね。それにほら、今はもっと適任がいるじゃん?」
「あぁ、確かに」
香奈は適任者——あかりを見やった。
ちょうど向こうもこちらを見ていたようだが、視線が合う直前に再び作業に集中し始めた。ボールの空気入れをしているようだ。
「ちょっと私、仕事代わってきます」
「うん」
巧に断りを入れて、香奈は親友の元まで歩いて行った。
「あかり。代わるよ」
「香奈。如月先輩と話してたんじゃないの?」
「大丈夫。後は私がやっておくからさ、百瀬先輩に声かけてあげてよ。恋人に励ましてもらったらきっと力も出るし」
あかりがスッと目を細めた。
「……もしかして、揶揄ってる?」
「えっ? ううん、違う違うっ」
香奈は両手を胸の前に突き出してぶんぶん振った。
「そういうのじゃないよ。好きな人に応援してもらったら、きっと百瀬先輩も落ち着けるかなって思って」
「でも、彼女とか好きな人とか、部活にあんまりそういうのは持ち込まないほうがいいんじゃないの? 部の規律のためにさ」
「そんなことないよ。選手のモチベーションを上げるのはマネージャーの役目の一つだし、彼女のあかりが一番適任なのは間違いないんだから、むしろ部のためにあかりが行くべきだよ。私も巧先輩に慰められて何回も気持ちが楽になってるし、好きな人の言葉がきっと一番力になるはずだから」
「……うん。そうだね」
あかりは「じゃあお願い」と空気入れの針を香奈に手渡し、早足で水飲み場に向かった。
香奈はその背中を目で追いながら、あかりってあんなに部内恋愛に厳しかったっけ、と首を傾げた。
(なんだかんだで緊張しているのかな)
香奈はそう思い直して仕事に取り掛かった。
戻ってきてから、優は先程までとは打って変わって好調だった。間違いなくあかり効果だろう。
実践形式の紅白戦でも、彼は水を得た魚のように活き活きとプレーしていた。
「優、ナイス!」
同じチームになった巧は、ここぞとばかりにポジティヴな声かけをした。
笑顔で手をあげる優からは、すっかり緊張の色は消え去っていた。
(今の絶好調な優なら、多分そこにいるでしょ)
巧はノールックパスを送った。
彼の予測通りのポジションを取っていた優にボールが渡り、そこからの流れでゴールが決まった。
二人の連携を起点に得点が生まれるのは初めてではなかった。
「息合ってんなぁ、お前ら」
練習が一段落した休憩時間に、一軍キャプテンの飛鳥が感心したように巧と優に声をかけた。
周囲のメンバーもうなずいている。
「そうですね。一番一緒にやってますから」
「そっか。そういうことになるのか。どれくらいだ?」
「一年四ヶ月です」
入部してから巧が二軍に昇格するまで、優とはずっと三軍で切磋琢磨していた。
基礎練習ではコンビも組むことも多かったし、巧と違って優はプレースタイルを変えていない。彼の動きやプレーの予測はつきやすかった。
「なので、誠治なんかとは比べ物にならないほど連携できます」
「んだとこの野郎」
「いたたたたっ」
いつの間にか近くに来ていた誠治に首を絞められ、巧は悲鳴をあげた。
「いつからいたのっ?」
「あっ? 普通に近づいてきたらお前がなんか言ってたからよ」
「体育祭のとき僕が忍者みたいに言われてたけど、実は誠治のほうが忍者なんじゃないの? あっ、でも図体と態度だけはでかいから隠密作戦とか無理か」
「馬鹿にされたのはわかるぞコラァ」
「いくらバ縢でもそれくらいは——ごめんごめんギブっ!」
周囲の目も気にせずに戯れ合う友人たちを見て、優は苦笑いを浮かべた。
「あいつら、一軍でもあんな感じなんすね……」
「意外か?」
飛鳥に話しかけられ、優は緊張を覚えた。
「……まあ、もうちょっとヒリヒリしてると思ってました」
「そりゃもちろん、誰も手を抜いているやつはいないし、そんなやつはいらないさ。あいつらがああしてふざけても許されているのは、常に全力を尽くしているからだ」
巧と誠治を見る飛鳥の目は優しかった。
「軍隊じゃないし、やることをやっていれば早々怒られることはない。百瀬も試合に出るために上がってきたんだろ?」
「はい」
「なら、リラックスして過ごせばいい。京極監督がお前を一軍にあげても大丈夫だと判断したんだからな」
飛鳥が苦笑混じりに京極を見た。
「あの人はいつも馬鹿笑いしているけど、選手を見る目は本物だ。気を抜かなければ振るい落とされることはないし、あの二人くらい自然体で過ごしたほうが結果も出るだろ」
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飛鳥は雑誌の特集が組まれるほどの選手だ。全国常連のチームのキャプテンなのだから不思議なことではないが、そんなこれまでは雲の上のような存在だった人物にポジティブな声かけをしてもらい、優は俄然やる気になった。
よっしゃ、やってやるぞ——!
優は小さくガッツポーズをした。
そんな友人を見て、巧と誠治は笑みを交わした。
「優って意外とミーハーだよね」
「結構素直だよな」
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