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第四章

第87話 彼女の「お仕置き」

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たくみ先輩、そこに座ってください」

 香奈かなは昨日と同じように、食卓の椅子に巧を座らせて背後から抱きしめた。
 胸を押し当て、その耳元に唇を寄せて、

「巧先輩、大好きです」
「っ……!」

 巧の頬が赤みを増す。密着している体から、動揺が伝わってくる。

(こんなに反応してくれてる……!)

 満足感を覚えながら、今度は首筋に顔を埋め、スンスン鼻を鳴らす。

「巧先輩っていい匂いしますよね」
「そ、そう?」
「はい……なんだか安心する匂いです」

 巧のジャージの匂いを嗅いでしまって落ち込んでいたのが、懐かしく感じられる。

(ねぇあのころの私、信じられる? 今、合法的に巧先輩の匂い嗅げるんだよ?)

 香奈は一通り巧の反応や匂いを楽しんだ後、彼を解放した。

「攻守交代です。今度は巧先輩がやってください」
「こ、こんな感じ?」

 巧が背後から覆い被さり、首筋に顔を埋めようとした瞬間。
 ——ちゅっ。
 香奈は不意打ちで頬にキスをした。

「っ……!」

 完全に予想外だったのだろう。
 巧は息を呑んで固まった。

 香奈は彼にもたれかかって体重を預けた。
 腰のあたりに硬い感触がある。抱擁ほうようをしていたときにも感じていたものだ。

 それが何か、もちろん香奈は理解していた。
 恥ずかしい。しかし、それ以上に嬉しかった。
 首だけ振り返って、ニヤリと笑いながら、

「巧先輩。何か当たってるんですけど?」
「うっ……ごめん」
「どうしてこうなってるんですか?」

 香奈は一瞬だけ視線を下に向けた。
 巧は頬を染めて視線を逸らしながら、まるで幼子が言い訳をするような口調で、

「そ、それは……香奈が可愛いから」
「っ……じゃあ仕方ないですね」

(ヤバいっ、もうやめとこ……!)

 本当はもう一個ほど「仕返し」をするつもりだったが、巧のそこに意識を向けてしまったこと。
 そして彼の恥ずかしがる姿を見たことで下腹部がウズウズして変な気持ちになりかけたので、香奈は自分が暴走してしまわないために、渋々切り上げることにした。

 巧の後頭部に手を添えてその顔を引き寄せ、もう一度頬にキスをしてから、

「今日のところはこれで許してあげます」
「えっ……これからもやられるの?」
「もちろんです」

 香奈は腰に手を当て、ビシッと指を突きつけた。

「巧先輩が無自覚に犯していた罪はこの程度で償えるものではありませんよ。覚悟しててください」
「うっ……わかりました」
「よろしい」

 香奈は満足げにうなずいて、巧から離れた。

 ——変な気持ちになりかけているのは、巧も同じだった。
 バックハグで愛をささやかれ、いい匂いだと言われ、頬にキスをされ、さらにはムスコが元気になっていることまで指摘されては、欲情しないわけがなかった。

 そういう方向に思考が向いてしまわないように、巧は話題を変えた。

「あっ、そうだ。隠す方向で行くのは変わらないけど、誠治せいじまさる大介だいすけにだけは言っちゃっていい?」
「はい、それはもちろん。私もあかりにだけ——あっ」

 香奈がさっと表情を青ざめさせた。

「どうしたの?」
「私、あかりにパフェとコーヒー奢んないといけないんでしたっ……!」
「えっ、なんで?」
「いえ、その……巧先輩とのあれこれについて、いろいろ相談していたもので。あいつ、最初はパフェだけの約束だったのにちゃっかりコーヒーもつけやがったんですよ~!」

 香奈が頭を抱えて転げ回った。

「えっと……僕も出す? その、僕のせいで色々悩んだだろうし」
「いえ、そんなわけにはいかないですよ。私だって好きってなかなか言えなかったわけですし」

 笑顔で手をひらひらさせた後、香奈が表情を固くした。

「あっ、あと、その……玲子れいこ先輩にも一応報告したいんですけど、いいですか?」
「あっ、うん。僕からは特に何も言わないほうがいいよね?」
「そうですね」
「ごめんね」
「いえ、玲子先輩はわざわざ私に気にするなって言ってくれただけじゃなくて、巧先輩との仲を応援してくれた聖人なので」
「……そっか」

 巧がなんとも言えない複雑そうな表情を浮かべた。
 なんと声をかけていいのかわからなかった香奈は、「はい」とだけ言って、メッセージを打ち始めた。



◇   ◇   ◇



「良かった。おめでとう、末長くお幸せに爆発しろ……と」

 香奈からの交際報告に返信し、玲子はホッと一息吐いた。
 二人が付き合ったことに対して、というのもあるが、それ以上に彼らを素直に祝福する気持ちが湧いてきたことに安堵していた。

(私は思ったよりも執着する性格だったが……幸いというべきか、みにくい嫉妬をするタイプではなかったらしい)

 もちろん、ねたみやそねみをまったく感じないわけではないが、自分がフラれた相手と付き合ったのだ。少しくらいは普通だろう。

「それにしても、香奈ちゃんも律儀だな。しばらく隠すつもりなのにわざわざ報告してくるとは」

 香奈が嫌味や自慢のために報告してきたわけではないことはわかっている。

(本当に、君が無事に射止めてくれて良かったよ)

 これで、玲子が巧と付き合える可能性は名実ともになくなったと言っていい。
 だからと言ってすぐに諦められるわけではないし、巧のことはまだ好きだが、玲子は少しだけ終わりが見えた気がした。

 携帯が振動する。
 香奈がスタンプでも送ってきたのかと思ったが、差出人は三葉みわだった。

 ——昨日愛沢あいざわと行ったカフェを気に入ってしまってな。今度また勉強でもしに行こうと思っているんだが、男一人でカフェというのは少し気が引けるから、よかったら一緒に行かないか?

 玲子は少しだけ考えた後、了承の返事をした。
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