上 下
84 / 260
第三章

第84話 美少女後輩マネージャーは妖艶に笑う

しおりを挟む
 香奈かなたくみの肩に頭を乗せていた時間は、一分にも満たなかった。
 離れたわけではない。むしろ、逆だった。

 彼女はおもむろに巧の胸に耳を当て、

「ふふ、先輩。前よりも鼓動早くないですか? そんなにドキドキしてくれてるんですか?」
「っ……そ、そりゃ、仕方ないじゃん」

 前回同じようなことをされたとき——ホラー映画を見ていたときだ——は、まだ香奈からの好意を確信しきれてはいなかったし、ただでさえ昨日から愛の言葉をささやかれ続けているのだ。
 巧の心臓は、うるさいほど脈を打っていた。

「えへへ、嬉しいなぁ……」

 香奈が夢見心地でつぶやいた。

「……好き……」
「っ……!」
「……あっ」

 香奈は慌てた様子で飛び退いた。口を手のひらで覆い、元々ピンクに染まっていた頬を真っ赤にした。
 彼女は顔を赤らめたまま、再び巧に体を密着させた。
 肩口から彼を見上げてはにかみながら、

「えへへ……好きが溢れ出ちゃいました」
「っ——!」

 勘弁してくれ——。
 巧は叫び出したい衝動を必死に堪えた。

 香奈ほどの美少女が、無意識のうちに好きとこぼしてしまうほどの好意を寄せてくれている。
 こんな状況で自分を保っていろなど、もはや拷問ごうもんに等しい。フルマラソンを完走した後に、目の前に並々と注がれているスポーツドリンクをただ眺めているようなものだ。

 しかし、彼はそれに成功していた。
 精神力や自制心が強かったから、というわけではない。

 香奈から好きと言われれば言われるほど、巧の中では回答を保留にしている自分に対する情けなさもつのっていたのだ。
 それらはやがて、ため息という形で漏れ出した。

「はあ……」
「っ——」

 香奈がビクッと体を震わせた。
 巧から体を離して、泣きそうな表情で、

「……やっぱり、しつこいですか?」
「えっ……? あっ、いや、違う違うっ、そういう意味じゃないよ!」

 巧は慌てて首を振った。

「ただ……こんなに香奈は好意を示してくれてるのに、ウジウジしてる自分が情けなくて」
「あっ、そういうことですか。よかったー……」

 心配そうな表情を浮かべていた香奈が、安心したように笑った。
 その瞳には光るものがあった。

 巧は罪悪感から、彼女の顔を見続けることができなくて下を向いた。

「……ごめんね。優柔不断で」
「大丈夫ですよ。それだけ真剣に考えてくれている証拠じゃないですか」

 香奈が巧の顔を覗き込んだ。
 硬く握りしめられた彼の手を、両手で優しく包み込む。

「ノリでオッケーしちゃう人なら多分私は好きになってなかったですし、そういうところも他にはない巧先輩の魅力ですから、そんなに卑下ひげする必要ないと思います!」

 香奈が励ますように力強く言い切り、照れたように笑った。
 巧は胸の内がポカポカと温かくなるのを感じた。

「……ありがとね、本当に」
「いえいえ、こちらこそですよ」

 香奈が朗らかに笑った。

「あっ、でも巧先輩。申し訳ないとは思ってるんですよね?」
「えっ? う、うん」
「じゃあ——」

 香奈が巧の太ももに手を置き、下から覗き込んで、

「一つだけ、私のわがままを聞いてもらってもいいですか?」
「っ……!」

 これまで数多く見せてきたイタズラっぽいものとは違う、女の色気を感じさせる妖艶ようえんな笑みを前に、巧はゴクリと唾を飲み込んだ。
 前に彼女が、自分の瞳をアニメに出てくるようなサキュバスに似ていると言っていたのを思い出した。

 香奈が食卓の椅子を指差した。

「巧先輩、あそこに座ってください」
「う、うん」

 サキュバスのような魅了の力は持っていないはずだが、巧は香奈に逆らわなかった——逆らえなかった。

「先輩、動いちゃダメですよ?」

 そう忠告をした後、香奈は背後から巧を抱きしめ、その首筋に顔を埋めた。

 ——むにゅ。

「えっ……⁉︎」

 巧は驚きのあまり、固まってしまった。

(こ、この感触って……⁉︎)

「ごめんなさい。こんなやり方、卑怯だとはわかってるんですけど……」
「う、ううん。卑怯なのは僕のほう——」
「こら」

 香奈が巧の頬をつついた。

「先輩は卑怯じゃなくて真面目なだけです。さっき言ったはずですよ? 自分を卑下するなって」
「うっ……ごめん」
「仕方のない人ですね。罰として、もう少しこのままでいてもらいます」

 香奈がさらにギュッと腕に力を込めた。巧の耳元に口を寄せ、ささやくように、

「——大好きですよ、巧先輩」
「っ……!」

 巧はクラクラした。
 まるで耳から侵入した香奈の声に脳が溶かされているような、甘美な感覚だった。

 それだけでも巧を官能的な気持ちにさせるには十分だったが、それに加えて相変わらずの香奈の甘い匂いと背中から肩にかけてずっしりと感じる弾力が、男としての本能をダイレクトに刺激する。
 香奈の吐息が首筋にかかるたびに、ゾクゾクと体が震えた。

(こ、これはっ……)

 巧がさすがにまずいと判断して声を上げようとしたとき、香奈が「充電完了!」と言って彼を解放した。

「巧先輩成分がアンモニアに変化したので、お花摘んできます!」

 敬礼をしてから、香奈はダッシュでリビングを出て行った。
 巧は、呆気に取られて何も言えなかった。

 少し経ってから、自分のその部分が痛いほど元気になっていることに気づき、彼は慌てて掛け算九九の歌を脳内で再生した。

 ——一方、香奈は着衣のまま便座に座り、頭を抱えていた。

(ヤバいヤバいヤバいっ……!)

 香奈が突然巧を解放して逃げるようにトイレに駆け込んだのは、無意識に首筋にキスを落としそうになったからだ。
 巧へのアピールは続けるつもりだが、もう少し自制しないと襲ってしまいそうだ。もちろん性的な意味で。

 その証拠に、抱きついていただけで触ってすらもいないのに、そこはすでに濡れてしまっていた。
 香奈は半ば無意識に手を伸ばしかけ——、

(だ、ダメ! 巧先輩いるんだからっ)

 トイレにいるのも危険だと判断し、香奈は小用だけ足してからすぐにリビングに戻った。

「た、巧先輩。ゲームでもしませんか?」
「う、うん。そうしよっか」

 巧としても意識を逸らせるものがほしかったため、二つ返事で了承した。



 ゲームを終え、巧は自宅に戻った。
 ソファーの背にもたれかかり、ぼーっと天井を見上げる。

「僕、香奈のことが好きなのかな……」

 先程までのみっともないほどの自分の狼狽うろたえようやたかぶり、そして心臓の高鳴りをかんがみると、その可能性は十分にあるように思えた。

「でも、香奈にあそこまで言われたりあんなことされたら誰でもそうなっちゃうだろうし、他の人にもされたことはないからな……」

 巧はウンウンと頭を悩ませた。
 結局、いくら考えても「香奈に好意を持っているのは間違いないが、それがどういった種類の好意なのかがわからない」という状態からは進めなかった。

 このままいくら考えてもキリがなさそうだと判断した巧は、他の人の意見を聞いてみることにした。

 翌日、夏休みの最終日は一軍の公式戦だった。
 一軍に合流したばかりの巧はベンチ外だったが、無事に咲麗しょうれいは勝利した。

 試合後、巧は誠治せいじを自宅に誘った。
 一通りゲームなどをして楽しんだ後、ここ二日ほど脳内をぐるぐる回り続けている疑問を、ソファーでだらけている親友にぶつけた。

「ねえ、誠治」
「あー?」
「人を好きになるって、どういうことなのかな?」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

まずはお嫁さんからお願いします。

桜庭かなめ
恋愛
 高校3年生の長瀬和真のクラスには、有栖川優奈という女子生徒がいる。優奈は成績優秀で容姿端麗、温厚な性格と誰にでも敬語で話すことから、学年や性別を問わず人気を集めている。和真は優奈とはこの2年間で挨拶や、バイト先のドーナッツ屋で接客する程度の関わりだった。  4月の終わり頃。バイト中に店舗の入口前の掃除をしているとき、和真は老齢の男性のスマホを見つける。その男性は優奈の祖父であり、日本有数の企業グループである有栖川グループの会長・有栖川総一郎だった。  総一郎は自分のスマホを見つけてくれた和真をとても気に入り、孫娘の優奈とクラスメイトであること、優奈も和真も18歳であることから優奈との結婚を申し出る。  いきなりの結婚打診に和真は困惑する。ただ、有栖川家の説得や、優奈が和真の印象が良く「結婚していい」「いつかは両親や祖父母のような好き合える夫婦になりたい」と思っていることを知り、和真は結婚を受け入れる。  デート、学校生活、新居での2人での新婚生活などを経て、和真と優奈の距離が近づいていく。交際なしで結婚した高校生の男女が、好き合える夫婦になるまでの温かくて甘いラブコメディ!  ※特別編3が完結しました!(2024.8.29)  ※小説家になろうとカクヨムでも公開しています。  ※お気に入り登録、感想をお待ちしております。

友達の妹が、入浴してる。

つきのはい
恋愛
 「交換してみない?」  冴えない高校生の藤堂夏弥は、親友のオシャレでモテまくり同級生、鈴川洋平にバカげた話を持ちかけられる。  それは、お互い現在同居中の妹達、藤堂秋乃と鈴川美咲を交換して生活しようというものだった。  鈴川美咲は、美男子の洋平に勝るとも劣らない美少女なのだけれど、男子に嫌悪感を示し、夏弥とも形式的な会話しかしなかった。  冴えない男子と冷めがちな女子の距離感が、二人暮らしのなかで徐々に変わっていく。  そんなラブコメディです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

鬼上官と、深夜のオフィス

99
恋愛
「このままでは女としての潤いがないまま、生涯を終えてしまうのではないか。」 間もなく30歳となる私は、そんな焦燥感に駆られて婚活アプリを使ってデートの約束を取り付けた。 けれどある日の残業中、アプリを操作しているところを会社の同僚の「鬼上官」こと佐久間君に見られてしまい……? 「婚活アプリで相手を探すくらいだったら、俺を相手にすりゃいい話じゃないですか。」 鬼上官な同僚に翻弄される、深夜のオフィスでの出来事。 ※性的な事柄をモチーフとしていますが その描写は薄いです。

貞操観念逆転世界におけるニートの日常

猫丸
恋愛
男女比1:100。 女性の価値が著しく低下した世界へやってきた【大鳥奏】という一人の少年。 夢のような世界で彼が望んだのは、ラブコメでも、ハーレムでもなく、男の希少性を利用した引き籠り生活だった。 ネトゲは楽しいし、一人は気楽だし、学校行かなくてもいいとか最高だし。 しかし、男女の比率が大きく偏った逆転世界は、そんな彼を放っておくはずもなく…… 『カナデさんってもしかして男なんじゃ……?』 『ないでしょw』 『ないと思うけど……え、マジ?』 これは貞操観念逆転世界にやってきた大鳥奏という少年が世界との関わりを断ち自宅からほとんど出ない物語。 貞操観念逆転世界のハーレム主人公を拒んだ一人のネットゲーマーの引き籠り譚である。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

高校では誰とも関わらず平穏に過ごしたい陰キャぼっち、美少女たちのせいで実はハイスペックなことが発覚して成りあがってしまう

電脳ピエロ
恋愛
中学時代の経験から、五十嵐 純二は高校では誰とも関わらず陰キャぼっちとして学校生活を送りたいと思っていた。 そのため入学試験でも実力を隠し、最底辺としてスタートした高校生活。 しかし純二の周りには彼の実力隠しを疑う同級生の美少女や、真の実力を知る謎の美人教師など、平穏を脅かす存在が現れ始め……。 「俺は絶対に平穏な高校生活を守り抜く」 そんな純二の願いも虚しく、彼がハイスペックであるという噂は徐々に学校中へと広まっていく。 やがて純二の真の実力に危機感を覚えた生徒会までもが動き始めてしまい……。 実力を隠して平穏に過ごしたい実はハイスペックな陰キャぼっち VS 彼の真の実力を暴きたい美少女たち。 彼らの心理戦は、やがて学校全体を巻き込むほどの大きな戦いへと発展していく。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

処理中です...