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第三章

第74話 今世紀最大のびしょハラ(美少女ハラスメント)

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「お前、今の本気で言ってんの?」
「っ……な、なんだよっ!」

 小太郎こたろうは一歩後ずさってから、怯えたのを誤魔化すように大声を上げた。
 たくみは再び彼との距離を縮めて、

「今の本気かって聞いてんの。白雪しらゆきさんが容姿で一軍昇格したっていうやつ。マジで言ってんならやばいよ? お前、白雪さんより前から二軍にいるよね。彼女が昇格してきてから二ヶ月間、何を見てたの? 彼女がこのタイミングで一軍に上がれたのは、それだけの努力をしてきたからだよ」
「そ、それはっ……でも、結局は顔ありきだろうが!」
「たしかに容姿がまったく関係してないわけじゃないかもしれない。けど、それ以上に彼女は頑張ってきたよ。どうすればもっとチームに貢献できるのか、もっと選手のモチベーションを上げられるのかを考えて声かけだったりをやってきた。そうじゃない? 今まで何回彼女の鼓舞こぶに励まされてきた? 何回彼女のアドバイスでプレーが改善できた? それに、そもそもその容姿だって彼女は努力をしているよ。そうじゃなきゃここまでのレベルは保てない。その上で白雪さんは——」
如月きさらぎ君、ストップです」

 二軍マネージャー長のかえでから制止の声がかかった。
 巧は自分をまったく制御できていなかったことに気づき、大きく深呼吸をした。

「……すみません。熱くなりすぎました」
「いや、それはいいんですけど、こっちに君以上に熱くなっている子がいるので、その辺で勘弁してあげてください」

 楓が、自分と玲子れいこの背中に隠れている香奈かなに視線を向けて苦笑した。
 わずかに見えるその白肌は、完熟したイチゴですらも見劣りするほど真っ赤に染まっていた。

「えっ、な、なんで?」

 巧はその理由がわからず、混乱した。

「ヒートアップしてて自分が何を言ったのかあんまり覚えてないかもしれないですけど、香奈ちゃんは努力していないと保てないくらいの可愛さで、しかもそれにあぐらをかかずに人一倍努力をしてきた凄腕マネージャーだ……要約するとそう言ってましたよ、如月君」
「ちょ、か、楓先輩っ!」

 香奈が悲痛な叫び声を上げた。

「あー……まあ、はい。そうですね」

 巧は若干桜色に染まった頬を掻いた。
 恥ずかしいことを言った自覚はあった。

「否定しないんですね」
「嘘を言ったつもりはありませんから」
「ふ、二人ともっ、も、もうやめてください!」

 香奈が玲子れいこの背中に抱きついて、顔を埋めた。

「楓も性格が悪いな」

 玲子が、香奈の頭を撫でて苦笑した。

「だって、可愛いじゃないですか」
「間違いない」
「れ、玲子先輩までっ……!」
「はは、すまないな」

 玲子はもう一度香奈の頭を優しく撫でた後、厳しい表情で小太郎に目を向けた。

山田やまだ君。如月君と香奈ちゃんが一軍昇格に相応しいと思うかは君の勝手だけど、二人がこれまでしてきた努力は否定させないよ。そしてそれは、彼らを見てきた君だってわかっているはずだ」
「せやな」

 二瓶にへいが玲子の言葉を引き継いだ。

「俺らももちろん全力でやってるが、それは巧と白雪を否定することにはならへん。小太郎、納得がいかなくても誰かをけなすんやない。まずは祝福して、それからそいつ以上に努力して追い抜いてやればええんや」
「っ……くそ!」

 小太郎は顔を真っ赤にした後、悪態を吐いてその場を走り去っていった。

「……すみません。チームの和を乱してしまって」
「ご、ご迷惑をおかけしました」

 巧と香奈は、チーム全員の顔を見回して頭を下げた。

「お前らのせいやない。今のは小太郎が悪いやろ」

 二瓶がヒラヒラと手を振ってみせる。

「巧は運が味方したかもしれんし、白雪は生まれ持った容姿も影響したかもしれん。けど、それとお前らが努力してきたことは別や。お前らが一番相応しいかは俺もわからんけど、不相応であることはない。自信持てや。そもそも、飛鳥あすか京極きょうごく監督がチームに必要ない人材を昇格させることなんてあり得へんしな」

 二瓶は巧と香奈にというよりは、他の部員たちに語りかけているようだった。
 彼らの中に巣食う小太郎に、と言ったほうがいいだろうか。

「まあただ、巧と白雪にも一つだけアドバイスしとこか」
「なんですか?」
「お互いを庇い合うんじゃなくて、自分のことは自分で擁護ようごできるようにもなっておいたほうがええで。自分で言うと角が立つ場合もあるけど、そのほうが舐められないで済む。特に、上のほうに行けば行くほど、過剰なくらいの自信は必要になってくるからな」
「はい」
「わかりました」
「ほな、解散しよか」

 結局、巧と香奈が帰るまで、小太郎が戻ってくることはなかった。



◇   ◇   ◇



「……巧先輩。山田君も一応頭は冷えたみたいだから、私たちに何かするようなことはないだろうって、玲子先輩から」
「良かった」

 玲子は「君たちがいると彼も色々難しいだろうから」と巧と香奈を帰した後、小太郎が戻ってくるまで待っていてくれたのだ。
 完全解決とまではいかないだろうが、ひとまずは安心していいだろう。

 しかし、巧にはまだ解決しなければいけない問題が残っていた。それは——、

「香奈、大丈夫?」

 今日は土曜日だが、らんが化粧品を買うために少し遠くまで足を伸ばしている間、彼女は巧の家にやってきていた。
 それはいいのだが、来訪して以降、彼女はずっとソファーでクッションを抱えて丸くなっていた。
 赤くなった顔をクッションに押し当て、巧のほうを見たかと思えばさらに赤面してクッションに顔を埋める、というのを繰り返していた。

 下校中はさまざまな話題を振ることで気を逸らしていたみたいだが、改めて羞恥が襲ってきているらしい。
 先の報告も、クッションに顔を埋めたままなされた。

「大丈夫じゃないですっ……! みんなの前で、あ、あんなっ……!」
「ごめんね。ちょっと苛立っちゃって、セーブできなかった」

 小太郎が香奈のことを容姿で一軍に昇格したと侮辱ぶじょくしたとき、巧は自分でも驚くほどに腹が立った。
 誰かのことをお前と呼んだのは初めてかもしれない。

「でも、その場の勢いでもなんでもなくて、僕の本心だから——」
「だから困るんですっ、うぅ……!」

 巧はフォローしようとしたが、逆効果だったようだ。香奈は完全にクッションで顔を覆ってしまった。
 髪の毛から覗く耳は真っ赤だが、この状況でそれを指摘するほど巧は無神経ではない。

 どうしたものかと頭を悩ませていると、香奈が顔をずらして視線を送ってくる。

「……これは今世紀最大の、歴史に残るびしょハラです。その認識はお持ちですか?」
「えっ? えっと、はい」

 香奈の圧に負け、巧はうなずいてしまった。

「なら、こっちに来てください」

 香奈がソファーをポンポンと叩いた。隣に座れ、ということだろう。
 巧は何をされるのだろうとビクビクしながらその指示に従った。

「これから五分間、巧先輩は一切抵抗も逃避もしないでください」
「や、やっぱりこちょこちょ——」
「違います」

 頬を引きつらせた巧の肩に、香奈がもたれてきた。

「か、香奈?」
「逃げないで、と言ったはずです」
「うっ……」

 香奈に不満げに睨まれ、巧は観念して持ち上げかけた腰を下ろした。
 ホラー映画を観た後とほとんど同じ状況だ。

(こ、これはやばいっ……)

 現在進行形で巧の本能を刺激してくる香奈の女の子特有の甘い匂いだけでなく、どうしてもあの日感じた彼女の胸の感触などを思い出してしまう。
 とても平常心ではいられなかった。

「か、香奈。さすがにこれはアウト——」
「巧先輩。前にそのアウトとかセーフとかやめてくださいって言いました。嫌なら嫌って言ってください」
「い、嫌っていうわけじゃないけど……なんでこんなことを?」
「ハンムラビ法典です。目には目を、歯には歯を、羞恥には羞恥をです——ふふ、巧先輩。鼓動早くなってますよ?」

 香奈が巧の胸に耳を当てて、イタズラっぽく笑った。
 頬に手を伸ばしてくる。

「それに、お顔も赤いです」
「そ、そりゃこれだけ密着されてたらそうなるよ」
「ふふ、そっかそっか。それじゃあ仕方ないですね」

 嬉しそうな表情を浮かべて、香奈は再び肩にもたれて目を閉じた。

「……ありがとうございます、巧先輩」
「えっ?」
「山田先輩に対して言ってくれたことです。たしかにめっちゃ恥ずかしかったですけど、同じくらい嬉しかったです。やっぱり、一軍に上がったらまた色々言われるんじゃないかって不安もあったんですけど、そんなのヒュルヒュル~って吹き飛んじゃいました」
「ならよかった」

 巧は安堵の息を吐いた。
 余計なお世話だったのではないかと心配していたが、どうやら杞憂だったらしい。

「こっちこそありがとね。小太郎に言ってくれた言葉もそうだし、そういう不安とかも打ち明けてくれて。僕は絶対に香奈の味方だから、いつでも話くらいなら聞くからね」
「っ……ま、またそうやって私をはずかしめる……!」

 香奈がみるみる顔を赤くさせながら、巧に厳しい視線を送った。

「いや、これに関しては香奈が恥ずかしがり屋さんなだけじゃ——」
「おりゃっ!」

 香奈が巧の脇腹をつついた。

「うっ⁉︎ ちょ、か、香奈⁉︎」

 反射的に立ち上がりかけた巧の腕を、香奈がつかんだ。

「まだ五分経ってませんよ、巧先輩」
「なっ……」
「嬉しかったので羞恥を覚えてもらうだけで勘弁して差し上げようと思っていましたが……今のは許せません。ここから二分間、全開で行きます!」
「ちょ、ちょっとま——あはははは!」

 脇や脇腹をくすぐられ、巧が耐えられるはずもなかった。

「おりゃりゃりゃりゃ!」
「ちょ、か、香奈っ、本当にまっ——」



 二分後、肩で息をしつつも満足げに笑う香奈の前で、巧は屍になっていた。
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