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第四章

第八十一話 油断

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「いよいよやべーな……」

 すぐるは顎からしたたる汗を拭った。

 まだまだ魔物はひっきりなしにやってくるにも関わらず、傑は倦怠けんたい感を感じ始めていた。
 異界で戦っていた空也くうややミサほどではないものの、二人と一緒にライアンと戦ったときに、傑もそれなりの魔力を消費していたからだ。

 蒼士そうじ舞衣まいあかねはまだ余裕がありそうだが、長いこと戦場にいる【ニフタ】のメンバーにも疲労は見えてきている。もちろん、それは他の冒険者も同様だ。
 それにともない、撃ち漏らす魔物の数も増えてきていた。

「舞衣、茜、ちょっと良いか」

 傑はウルフの二人に声をかけた。

「何? 傑」
「現状を改善する策がある。付き合え」
「どんな策?」

 舞衣が尋ねた。

「端的に言えば、茜が障壁でトンネルを作って一部の魔物を誘い込み、俺が舞衣の回復を受けつつ地上戦でそいつらを倒すって作戦だ。そのほうが他の冒険者たちも的を絞れるし、撃ち漏らしが少なくなる」
「えっ、それは危険すぎない?」
「ええ、私もやめたほうが良いと思うわ。傑君の負担が大きすぎる」

 二人から反対の声が上がった。
 しかし、傑に引く気はなかった。

「だが、このままじゃカイス沼組の負担がやべえことになるぞ。最悪、九条くじょう壊滅かいめつなんてことにもなりかねねえ」
「それはそうだけど……」

 舞衣がうつむいた。

「迷っている時間はねえ。やるぞ」

 傑は茜に目を向けた。
 彼女は覚悟を決めた表情で頷いた。

「わかったわ」
「茜っ?」

 舞衣が茜を見た。

「大丈夫」

 茜は微笑んだ。

「私たちならできるわ」
「そういうことだ」

 傑は二人に背を向けた。

「茜が魔物を誘い込んでくれさえすりゃ、俺が仕留める。それに、もし俺が怪我をしたとしても舞衣が治してくれんだろ」
「傑……」

 頼むぜ——。
 そう言い残して、傑はそれまで陣取っていた高台から飛び降りた。



◇   ◇   ◇



「おいおい、マジか」

 早織さおりは、傑たちの取った作戦に半分驚嘆し、半分呆れていた。

「とても正気とは思えないね。猪突猛進してくる魔物と地上戦やるとか、リスクが高すぎる」

 瑠璃子るりこが肩をすくめた。

「でも、本当にすごいよあの人。米倉よねくらすぐるさんだっけ?」

 瑠璃子と対照的に、もっぱら感心しているのは文香ふみかだ。

「【泥沼ボルボロス】と無属性魔法をうまく使って、ほとんど突破を許していない」
「ああ、やべーな」

 Sランク冒険者パーティのリーダーであり、個人としてもAランクの実力を持つ早織からしても、傑の動きは凄まじかった。

 まず、【泥沼】の使い方が巧い。そもそも習得が難しい混合魔法である【泥沼】は、地面を走る相手には【浸水プリミラ】以上に効果的な技だが、傑はそれを闇雲に使うのではなく、要所要所の的確なタイミングで使っていた。
 そして、【泥沼】に足を取られた魔物を確実に、かつ素早く仕留め切る剣技と【身体強化しんたいきょうか】の合わせ技も見事だった。あれなら、わざわざ地上戦という選択肢を選んだのも頷ける。

 しかし、いくら傑がすごいといっても、それだけでは彼らの作戦は成立しなかった。

「たしかに彼もすごいんだけど……他の二人も同じくらいすごいわ」

 優奈ゆうなが感心したようにうなった。

「茜さんは、傑さんが相手できるギリギリの量の魔物だけが障壁のトンネルに入るように、常時障壁の大きさを調節しているし、細かいところで戦闘の手助けもしている。そして、舞衣さんは信じられないほどの速度と正確さで治癒魔法を使っている。米倉さんが常に全力で戦えているのは、間違いなくあの二人のおかげよ」
「間違いねえな。けど——」

 早織はパーティメンバーを見回した。

「いつまでも感心しているわけにはいかねえぞ。私たちだってSランクパーティなんだ。もうひと頑張りしなきゃな!」
「おう!」

 拳を突き合わせ、四人は一斉に魔法を放った。



 それからいくばくかの時間が経過したとき、

「皆!」

 その場に突然、大声が響いた。
 その声は、緊迫した状況には似合わない明るい雰囲気をまとったものだったが、その理由はすぐに明らかになった。

「キース森からの魔物の排出が止まったぞ!」
「えっ?」

 早織は思わず優奈を見た。
 数秒間目を閉じた後、彼女はゆっくり目を開いた。

「……本当だ」
「マジか……」

 早織はゆっくりと息を吐いた。

「おい、それマジかよ!」
「ってことは、後ちょっとでこの地獄とおさらばじゃねーか!」
「イヤッホー!」

 その場は冒険者たちの熱狂に包まれ、それまで以上に魔法が飛び交った。
 誰かが言っていたように、もう少しでこの地獄のような戦闘とおさらばできると知って、皆ハイになっているのだろう。

「ちょっとテンションはおかしくなっているけど、誰も油断はしていないしこのままいけそうね」
「ああ」

 優奈の言葉に頷きつつ、早織は何気なく周囲を見回した。
 すると、視界に信じられない光景が飛び込んできた。

「……はっ?」

 早織の脳は、一瞬そこで何が行われているのか理解できなかった。
 なんと、第五隊が障壁作りそっちのけでハイタッチをしながら談笑していたのだ。

「——油断するなっ、第五隊!」

 衝撃から立ち直った早織が叫んだときには、すでに遅かった。
 タイミングの悪いことに、冒険者の放った魔法の流れ弾が第五隊の生成していた障壁に衝突し、障壁はあっけなく崩壊した。

 そして、ぽっかりと空いたその空間から、魔物が続々とカイス沼誘導ルートの外へと飛び出した。

「チッ!」

 早織はすぐに障壁を生成してその空間を塞いだ。
 それにより魔物の脱走・・は収まったが、すでに何体かはその場を走り去っていた。その中には、【ファング・ハント】や【スペックル・スティンガー】といった高レベルの魔物も含まれていた。

「いよいよやべえことになったな……」

 早織はミサに視線を送ってから、舞衣や茜のいる高台へと向かった。



◇   ◇   ◇



「傑!」

 舞衣の声が聞こえた。

「どうしたっ?」

 傑は魔物を切り伏せつつ、返事をした。

「緊急事態よ! 上がってきて!」

 大きな【魔の障壁マギア・トイコス】が目の前に生成され、魔物たちの足止めをする。術者は茜だろう。
 その隙に、傑は元いた高台へと戻った。舞衣と茜が険しい表情を浮かべている。

「何だ? この異様な雰囲気は」

 傑は周囲を見回した。
 魔物との戦闘に全神経を集中させていたため気づかなかったが、先程までの熱狂から一転、その場の雰囲気は重苦しいものに変わっていた。

「それが——」
「ふざけんなよ、てめえら!」

 茜の説明は、突如として響いた怒号にさえぎられた。
 傑は声のしたほうに目を向けた。複数人の冒険者が、第五隊に詰め寄っていた。

「排出が止まっただけで、魔物はまだ目の前にウジャウジャいるだろうが! それなのに油断するとか何考えてんだこのクズども! ボーッとしてねえで、さっさと逃げた奴らを追いかけろよ! それか死ね!」
「だ、だけど、あそこでまさか流れ弾が飛んでくるとは——」
「んなもん想定内だろうが!」

 第五隊の小隊のリーダーである上村うえむら桐子きりこの弁明を、別の冒険者が一刀両断した。

「てめえら以外は魔物の身体が吹っ飛んでこようが流れ弾が飛んでこようが何しようが、しっかり耐えてんだよ!」

 なるほど。
 その会話——といって良いのかわからないが——から、傑は事態の概要を把握した。

「要は、魔物が何体か誘導の外に出やがったわけだ」
「そう。第五隊の空けた穴は【夜】のリーダーの早織さんが塞いでくれたから、そんなに大量じゃないけど……」
「なるほどな」

 傑は今後の対処に考えを巡らせた。
 蒼士、ミサ、そして【夜】のメンバーが近づいてくる。

 その顔を見回して、傑は決断した。

「女王、蒼士。逃げ出した奴らを追いかけるぞ。【夜】は冒険者たちを落ち着かせつつ、全体の指揮を取れ。舞衣と茜はその援護だ」
「了解!」

 ウルフの二人だけでなく、蒼士からも【夜】からも反対の声は上がらなかった。言い争っている場合でないことはわかっているのだろう。

「——行くぞ!」

 傑と蒼士、ミサは同時に地面を蹴った。
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