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第四章

第七十二話 取引

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「やあ。待っていたよ、アレックス」

 ライアンにアレックスと呼ばれた背中に羽の生えたピンク色の瞳を持つ男を見て、正確にはその魔力を【索敵さくてき】して、空也くうやは確信した。
 ——アレックスこそが、空也とミサの異界への侵入をはばんだ張本人であると。

 そしてこちらは確証はないが、空也はアレックスの魔力についてもう一つ、思い当たる節があった。
精神統一せいしんとういつ】で気持ちを落ち着かせた後、空也は魔力消費が激しいため使用するか迷っていた技を、アレックスに向けて発動させた。

「闇属性魔法——【深眼しんがん】」

【深眼】は強制的に対象の記憶を盗み見る技だ。

 しかしそれは、アレックスによって防がれた。
 アレックスが空也を見た。

「……お前か、瀬川せがわ空也くうや
「さすがに防御力あるね。僕とミサの異界への侵入を妨害しただけのことはある」

 ミサがえっ、と声を上げた。

「あっ、わかる?」

 空也はアレックスに向かって話していたが、答えたのはライアンだった。彼はさすがなのはそっちの【索敵】だよ、と拍手をした。

「あいつが……⁉︎」

 ミサがアレックスを睨みつけた。今にも飛びかからんばかりの形相だ。
 アレックスの妨害のせいで沙希さきを助けに行くのが遅れたのだから、その怒りは当然なのだが……、

「落ち着け、【光の女王】」

 空也より先に、すぐるがミサに声をかけた。

「ライアンはもちろん、あのアレックスってやつ、おそらくは鳥科か何かの魔族だろうが、あいつも相当手強い。考えなしに突っ込んだらやられるだけだ」
「ぐっ……!」

 ミサも頭の中では理解していたのだろう。悔しげな表情を浮かべつつも、彼女は一つ頷いた。

「そう。アレックスは鳥科だよ。格好良いよねー、この羽」

 ライアンがアレックスの羽に手を伸ばした。アレックスがそれを振り払う。

「触るな」
「もう、相変わらずツンデレなんだからー……ということで」

 ライアンが空也たちに向き直った。

「アレックスも来てくれたところで、俺たちと取引しないかい?」
「取引……だと?」

 どういうつもりだ、と傑が目を細めた。

「いやあ、このまま激突したら双方に被害出るでしょ? それは嫌だから、見逃してほしいなって思って。ああもちろん、タダでとは言わないよ。代わりに、そちらの質問に答えられる限りは答えてあげる。ま、目的とかはさすがに言えないけどね」

 皆の視線が、この場の最高責任者である大河たいがに集中した。
 大河がミサ、傑を見た後、空也にも目線を合わせてくる。空也は苦笑した。

 このまま戦うのは厳しい——。
 その空也の意思表示を、大河は正しく受け取ってくれたようだ。

「……わかった」

 大河が首を縦に振った。

「そちらの要求を呑もう」

 空也は一歩下がり、祐馬ゆうまを見た。彼は空也と合わせた目を一瞬だけ右にずらした。お前は右——東側を警戒しろ、ということだろう。
 空也は東側半分に絞って【索敵】を発動させた。

「オッケー。それじゃあ、質問コーナー開幕ー! はい、拍手ー」

 ライアンがパチパチと手を打ち鳴らした。



 大河は「お前も拍手しろよー」とアレックスに絡んで鼻で一蹴されているライアンから目を逸らし、空也に目を向けた。

 君に任せる——。
 目線でそう伝えると、空也は頷いた。

 空也はここにいるメンバーでは最も今回の出来事に深く関わっていて、魔法的な知識もあり、あの年頃の少年らしからぬ冷静さも備わっている。質問者として適任だろう。

「じゃあ、僕から」

 空也が手を上げた。

「ピンポイントで沙希のところに異界を発生させることができたのは、太一たいちが彼女に対して打ち込んでいたナニカを起点にして異界を作ったからですか?」
「そ。良くわかったねー」

 ライアンはあっさりと肯定した。

「異界を作ったのは、魔法じゃなくて呪術ですよね?」
「イエス」

 また、ライアンが頷く。

「その大元となる呪術自体は瑞樹みずきが発動させたんですよね? 自らの命と看守二人の命を代償として」
「いや、それはどうだろうね」

 ここで初めて、ライアンが答えを濁した。

「ここではぐらかすなんて、空也君の考えを肯定しているようなものじゃない」

 ミサがカマをかける——もしかしたら挑発しただけかもしれない——が、ライアンは曖昧な笑みを浮かべるのみだ。

「俺からも良いか」

 傑が空也を見た。空也が頷く。

「ライアン。お前の中にあるソレは何だ?」
「さあ、何だろう? ——使うときが来たらわかるよ」

 ライアンがニヤリと笑った。チッ、と傑が舌打ちをした。
 空也が大河に視線を送ってくる。

「少し、個人的な質問をしても良いですか?」
「ああ」

 大河は頷いた。

「おっ、何? 個人的な質問って。女のタイプ? 性癖? それとも——」
「なぜ、貴方たちはそうまでして僕や僕の周囲を狙うのですか? 今回の一件しかり——【流星メテオロ】の一件しかり」
「【流星】⁉︎」

 ミサが驚きの声を上げた。

「ど、どういうことっ?」
「あのアレックスってやつ、しげるに精神干渉していたやつだよ」
「……本当にすごいね」

 ライアンは本気で感心しているようだった。

「で、どうなんですか?」
「……良いよ。ご褒美に説明してあげる」
「おい」
「良いじゃん良いじゃん」

 制止をかけるアレックスに対して、ライアンが手をヒラヒラさせた。
 ため息を吐くアレックスに対して手を合わせてお辞儀をしてから、ライアンが口を開いた。

「確かに俺たちはこれまで何回か君の周囲を狙ったけど、最初から君がターゲットだったわけじゃない。瑞樹に目をつけたのが最初なんだ」
「瑞樹さんに?」

 空也が眉を顰めた。

「どうしてですか?」
「彼女が利用できそうだったからだよ」

 最初から説明していこうか、とライアンが言った。

「瑞樹は貧しい家の生まれで、幼い頃に金に目がくらんだ両親によってロリコンに売られて、毎日体をもてあそばれていたんだ。彼女は十五歳のときにその家を飛び出したんだけど、そのときにはその心はゆがんでしまっていたんだ」

 悲しい話だよね、とライアンが少しもそうは思っていないであろう軽い口調で言った。彼は続けた。

「あるとき、彼女は夫の兄夫婦の子供である少年に出会った。その少年は魔法の才能があって人気もあった。それを見て、彼女は殺意にも似た嫉妬を覚えたんだそうだ。辺境という自分よりも恵まれない環境のはずなのに、なぜ自分よりも楽しそうにしているんだってね」

 ライアンの言う「少年」が空也を指しているのは明白だった。

「そんなみにくい嫉妬心を抱えた彼女に、俺たちは目をつけた。彼女は俺らの提案した呪術に飛びついたよ。それが、つい最近まで君を苦しめていた、『常時支援魔法を発動し続けなければならない』っていう呪術さ。浩二郎こうじろうに対してかけていた呪術もそうだね」

 まるで罪悪感などなく話すライアンに対して、ミサなどは殺気を丸出しにしていた。
 しかし、空也は冷静だった。

「それで、僕に目をつけたのですか?」
「あれ、反応薄くない? ——まあ良いや。そういうこと。で、瑞稀と君を観察していたら、今度は君のパーティメンバーが君に負の感情を抱いていることを知って、利用しようと思ったんだ。醜いよねー。茂君は嫉妬だし、ほのかちゃんだってフラれたことへの逆恨みだよ?」
「っあんたねえ!」
「ミサ」

 ライアンに飛びかかろうとしたミサの肩を、空也が掴んだ。
 空也がゆっくりと首を振った。ミサは唇を噛み、彼から目を逸らした。

「どちらも人間として普通の感情でしょう。そもそも、ほのかはそちらに記憶を操作されていたわけですし」
「あれ? 記憶操作まで見抜いていたのか。本当にすごいね」

 けど、とライアンが続けた。

「茂君に関しては普通の感情って言っちゃって良いのかなぁ? 呪術について教えてあげたときの彼の喜びようは凄かったよ? 男の嫉妬は醜いってよく言うけど、あのときの彼はまさにその体現者だったよ」
「はあ」

 明らかな挑発に対しても、空也は気のない返事を返すのみだった。

「えっ、マジで反応薄くない?」

 ライアンが露骨にがっかりとした表情を浮かべた。

「じゃあこれはどう? 実は太一と百合ゆりは——」
「おい、言い過ぎだ」

 アレックスが再びライアンを制止した。

「えー、良いじゃん。どうせ何教えたって僕らの有利は揺るがないんだし。アレックスは何をそんなにビビっているの?」
「そうじゃない。ただ、リスクはリスクだ」
「大丈夫だよ。それに、もう少しリスクがないと楽しくないでしょ?」
「はあ……勝手にしろ」
「やったー!」

 ライアンが両手を突き上げた。

「というわけで、無知な人間君たちに俺がもう少し教えてあげるよ。太一と百合が瑞稀に執着して命を賭けるほどの復讐心に燃えていたのも、俺らの精神干渉のせいなんだ。可哀想だよね。精神操られていただけなのに殺されちゃってさ」
「そうですね」

 自分が殺した相手が、実はただの精神を操られていただけの被害者だったと知っても、空也は眉一つ動かさなかった。

 大河は眉を顰めた。
 唇を噛んでいるミサは少々感情を表に出しすぎだが、空也は逆に表に出なさすぎだ。

 大河には、そんな空也が少し恐ろしく見えた。

 ——空也が冷静でいられるのは、あくまで【精神統一】によるものだたったが、それを知る手段はこのときの大河にはなかった。



◇   ◇   ◇



 自分が大河に畏怖の念を抱かれているとは知らない空也は、ライアンへ質問を続けた。

「太一と百合のあの脅威の回復力や耐久力はどういう仕組みですか?」
「それは企業秘密だよ」

 ライアンが唇に人差し指を当てた。

「そうですか」

 空也は素直に引き下がった。カマをかけるほどのアイデアもなかったからだ。

「私からも良いか?」
「ええ」

 空也は大河に発言権を譲った。

「単刀直入に聞こう。秘密裁判が開かれているとき、【漆黒カタマヴロス】を我々に差し向けたのはお前たち魔族か?」
「そうだよー」

 ライアンはあっさりと肯定した。

「あいつら報酬さえ払えばやってくれるから、すごい便利なんだよねー」
「なぜ我々を狙った?」
「それについては答えられないけど、代わりにもう一つ、面白いことを教えてあげるよ」

 実はね、とライアンは楽しそうに続けた。

「九条家を襲った【ファング・ハント】とか、その直前の賊とかも俺らが差し向けたんだ。ま、あのときに空也君が出てきたのは想定外だったけどね」

 ハハハ、とライアンが笑った。

「あっ、あとあれもそうだ。茂君が異界作ったときに同時に発生した魔物ハザード。あれも俺たちがやったんだよ」
「……侑斗ゆうとの暗殺も、魔族の仕業か?」

 大河が、王宮で不審死を遂げた【漆黒】の隊員の名を挙げた。

「さあ? 同じタイミングで起こった【スカイ・ビースト】は俺たちの差し金だけどね。連携してくる熊さんたちはなかなか手強かったろ?」

 ライアンの台詞の後半部分は明らかに空也に向けられたものだったが、空也は黙殺した。

「無視とは冷たいなー……あっ、そうだ」

 ライアンがポンッと手を叩いた。

「そんな冷たい空也君に俺から一つ、聞きたいことがあるんだけど?」
「……何ですか?」

 空也は身構えた。

「闇属性魔法、どこで覚えた?」
「闇属性だと⁉︎」

 その驚愕きょうがくの混じった声は、大河のものだった。

「知っているのですか?」

 大河に尋ねたのは、彼の護衛をしている江坂えさかだ。
 ああ、と大河は頷いた。

「無属性魔法の究極系とも呼ばれる最強の属性だ。しかし、百年ほど前に使い手がいなくなり滅んだという話だったが……」
「魔族はまあまあな人数使えるよ。でも確かに、昔から人族は使うの苦労していたから、魔族との関わりがなくなってすたれたんだろうね」
「……待て。お前百年以上前から生きてんのか?」

 傑が尋ねた。
 そうだよ、とライアンが何でもないように頷いた。

「マジかよ……」
「魔族は人族と違って寿命が長いからね。見た目が老いることもほとんどないし」
「なるほど……お前らがちょっかいをかけてくる理由は、俺たちの知らない昔の歴史にあるのか」
「さあ? どうだろうね?」

 傑の鋭い指摘に、ライアンは小首を傾げた。

「というより、質問しているのはこっちなんだけど」

 ライアンが空也に鋭い視線を向けてくる。

「そんな廃れたはずの闇属性魔法を、君はどうして使えるの?」
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