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第四章

第七十一話 新たなる敵

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 祐馬ゆうまによると、吉田よしだは誰かと二人で北北東へ向かっているということだった。その移動速度はゆっくりで、おそらく徒歩だろうと祐馬は言っていた。

 馬車が発進する。

「ん……」

 ミサが身じろぎをした。
 間もなくして目を覚ました彼女に、吉田が動き出したことを伝える。

「徒歩ってことは、誰かと密会していたわけじゃないのかな? 手練れと一緒ってわけでもなさそうだし」
「かもしれない。けど、一つ気になることがある」
「何?」

 ミサが空也を見てくる。

「僕とミサの異界への侵入を防いだやつはどこにいるのかなって。ちょいちょい【索敵さくてき】しているんだけど、一度も引っかからないんだよね」
「気配消しているってこと?」
「多分」

 空也は頷いた。

「確かに怪しいわね」

 あかねが唸り声を上げた。

「……貴族の面会相手と二軒目っていうのが一番良いオチかもね」

 ミサが、外に目を向けながら呟いた。



◇   ◇   ◇



 どこへ向かっているのですか——。
 前を歩く背中に問おうとして、吉田は口をつぐんだ。

 彼の前を歩く青い瞳の男、ライアンは不気味な男だった。空也たちが全員生還するという想定外の事態にも全く怒らず、今も呑気に鼻歌を歌いながら歩いている。

 不意に、ライアンが足を止めた。

「うーん、まあここら辺で良いかな」
「えっ、ここら辺って……」

 吉田は辺りを見回した。店もなければ人もいない、ただの空き地だ。

「……何もありませぬが」
「それが良いんだよ」
「……何をするおつもりで?」
「じきにわかるよ。もうちょっと待ってて」
「はあ……」

 相変わらず読めない相手だ、と吉田は苦々しく思った。



 ——それから数分後。

「あっ、来たよ」

 ライアンが南西の方角を指差した。
 吉田が耳を澄ますと、馬車の駆ける音が聞こえてくる。

 間もなくして、全部で三台の馬車が土埃つちぼこりを上げながら停車した。
 そこから降りてくる九人の顔を見て、

「——なっ⁉︎」

 吉田は、目を見開いた。



◇   ◇   ◇



 目を見開いて固まる吉田——ではなく、その隣に立つ青い瞳の男を見て、空也は半歩下がった。
 その男からは大した魔力は感じられないし、空也とミサの異界への侵入を阻んだ人物でもないことは、魔力ですぐにわかった。

 それでも、空也の直感がその男を危険だと告げていた。

「吉田」
「はっ、はい」

 大河たいがの鋭い声に、九条くじょう家副執事長は身を固くした。

「その者は、天馬てんま家の人間ではないな?」

 天馬家とは、吉田が面会していたはず・・の地方貴族だ。

「そうだよー」

 答えたのは、青い瞳の男だった。

「俺はライアン。よろしくねー」

 男、ライアンはピースをした。
 空也は警戒心を強めた。おちゃらけているのに、全く隙が感じられない。

 空也はライアンに絞って【索敵】を発動させた。

「っ——!」

 空也は息を呑んだ。

(何、これ……!)

 ライアンの中に、現在の彼から感じられる魔力とは似て非なる、もう一つの魔力・・・・・・・の気配が感じられたのだ。

 それは、空也がこれまで相対してきたどんな敵よりも危険な気配だった。

「ライアン。君は何者だ?」
「さあねぇ」
「なぜ吉田と一緒にいる?」
「そりゃ、マブダチだからさ」

 ライアンがのらりくらりと大河の詰問をかわしている。

 空也はライアンと吉田を観察した。
 もし吉田が天馬家以外の人間と一緒にいた場合、最優先事項は彼の身柄の確保だ。

 そして、ライアンが本気ではない今こそがチャンスだと、空也は判断した。

 空也は【身体強化しんたいきょうか】を発動させた。
 そして吉田に向かって一歩踏み出そうとして——、

「皆、離れて!」

 と叫び、自らも後方に跳躍した。
 非戦闘員である大河と祐馬は、前者を護衛隊の江坂えさかが、後者をすぐるがそれぞれ抱えて後方に飛び退いた。

 直後、ライアンの・・・・・手先から伸びた爪・・・・・・・・が、九人のいた場所に突き刺さった。

「かはっ……!」

 苦痛に満ちた声が聞こえる。
 しかしそれは空也の周囲ではなく、正面から聞こえた。

「吉田!」

 大河が叫んだ。
 ライアンから伸びた爪が、吉田の喉元を突き刺していた。

「なっ……⁉︎」
「全く……君の【索敵】は精度が高すぎるよ。並の魔法師の【解析かいせき】よりも凄いんじゃない? ——まあ、さすがに俺の狙いまではわからなかったみたいだけど」

 ライアンが腕を横にスライドさせた。その鋭い爪が吉田の首をなぞり、彼の頭と胴体を切り離した。
 ゴトリ、という音がする。吉田の首が地面に落ちた音だ。

「……口封じか」
「そういうこと。いつまでも隠してはおけないだろうし、コイツ多分拷問ごうもんでもされたらすぐ吐いちゃうだろうからね」

 ライアンが吉田の生首を足で蹴った。
 空也は眉を顰めた。たった今のやり取りで吉田が裏切り者であることが確定したわけだが、殺されてしまっては情報を吐かせることもできない。

 僕が、ライアンの本当の狙いが吉田だと見破っていれば——、

「後悔している暇はねえぞ」

 空也の耳元に傑の声が届く。

米倉よねくらさん」
「死んじまったもんは仕方ねえ。それより、今はあいつをどうするか、だ」

 はい、と空也は頷いた。

「あいつ、明らかに人間じゃねえだろ」

 傑が吐き捨てるように言った。

 空也は改めてライアンを観察した。
 吉田を殺した爪だけではない。その頭からは鋭い耳が生えていたし、ニヤニヤと余裕そうな笑みを浮かべるその口からは、牙が覗いていた。

 その姿はまるで——、

「……どちらかというと、犬よね」

 ミサが呟いた。

「おっ、正解! さすがSランク」

 ライアンがパチンと指を鳴らした。

「魔法で生やしてるわけじゃねえだろう。てめえ、何者だ?」

 傑がライアンを睨んだ。

「てめえって、口が悪いなぁ」

 肩をすくめて見せてから、ライアンはサラリと、

「俺は犬科の魔族だよ」

 と言った。

「魔族……ですって?」

 あかねが呻きに近い声を出した。

「そんなの、おとぎ話にしか出てこない空想上の存在じゃ——」
「それが違うんだよ」

 ライアンはチッチッチ、と指を振った。

「魔族は実在するよ。現に、君たちの目の前にいるじゃないか」

 ライアンが爪を見せびらかしてくる。

「魔族ねえ……どうするよ? 九条家当主」

 傑が大河に目を向けた。
 今回、ウルフはあくまで協力しているだけで、その場の最終決定権は大河にある。

「……これ以上の問答は不要だ。どこまで正確かもわからんし、仲間が来る可能性もある」
「了解」

 空也たちは一様に戦闘体制に入った。

「えー。もう少し耳寄りな情報教えてあげようと思ったのになぁ……まあ、いっか」

 不満げな表情を浮かべていたライアンが、不意にニヤリと笑った。

「良いよ——やろっか」

 その言葉を皮切りに、戦いの火ぶたは切って落とされた。



◇   ◇   ◇



 ——これは、ヤバいなんてものじゃないわね。
 更地を縦横無尽に駆け抜けるライアンを前に、茜は驚愕を覚えていた。

 人数的には圧倒的に上回っているが、押されているのは人族側だった。

 ライアンの戦闘スタイルは肉弾戦と魔法の混合という、空也や傑と似たものだが、いかんせん彼の動きは速すぎた。
 スピード勝負で互角に渡り合えているのは空也くらいで、ミサと傑でさえ喰らいつくのがやっとという状況だ。犬科の魔族というのは真実なのかもしれない。

 舞衣は治癒魔法で援護しているようだが、遠距離魔法や防御技を得意とする茜はほとんど手が出せていない状況だ。
 元々戦闘は専門外の祐馬は大河とともに距離を取っているし、九条家護衛隊の二人は完全に大河の護衛に意識を切り替えたようだ。

 今も、空也が彼の愛剣である【絶空ぜっくう】で斬りかかり、動きを止めたライアンの足元を傑の【泥沼ボルボロス】が襲うが、【泥沼】が届く直前、ライアンは【絶空】を爪で払い、一瞬で距離を取った。
 そこにミサが【炎の咆哮ファティア・ヴリヒスモス】を放つが、その雨のように降り注ぐ無数の炎の槍を、ライアンは俊敏性と【魔の結界マギア・カリマ】で防ぎ切ってみせた。

 三人とライアンが、距離を取って向かい合う。

「ねえ、あいつらなんか消極的じゃない?」

 舞衣が不満げな声を上げた。

 言われてみればそうかもしれない、と茜は思った。
 空也の戦闘はほとんど見たことがないが、確かに彼らの闘い方は少し慎重が過ぎるようにも感じられる。

「それは仕方ないですよ」

 祐馬が言った。

「どういうこと?」
瀬川せがわたちが仕掛けようとするたび、ライアンの中の何かが発動しかけるんです。それが九条くじょう家襲撃の際に【漆黒カタマヴロス】の奴らが使っていたような内蔵型の【魔法展開補助装置キクロス】なのか、それとも別の何かなのかはわかりませんが、多分三人はそれを警戒して踏み込めないんだと思います」
「それが何なのかわからないの?」
「周囲の警戒をしなければならないので、これ以上ライアンに対する精度は——」

 不意に、祐馬が南西の方角に目を向けた。そして叫ぶ。

「強力な魔法師がこちらに向かってきています!」

 祐馬の言葉を聞いた瞬間、空也たちが一気に攻勢を強めた。
 これまで以上に激しい攻撃を仕掛けていく。

「おいおい、いきなりペース上げないでくれよ!」

 ライアンが【魔の障壁マギア・トイコス】や【魔の結界】を使いつつ後退する。
 その表情には、口調ほどの余裕は感じられなかった。

 連携にも慣れてきたのか、三人の攻撃は時間とともに激しさを増していった。
 ライアンは防戦一方になり、その身体に傷が増えていく。

「ちっ!」

【魔の結界】を張りつつ、ライアンが【魔の波動マギア・キーマ】を放った。
 空也たちがそれを防御しているうちに、ライアンは【魔の障壁】を斜めに生成し、それを踏み台として大きく後ろへ跳躍した。

 しかし、空也はその動きを読んでいたようだ。
 彼は【魔の波動】を逸らすと地面を蹴り、ライアンに突進した。

「——瀬川!」

 祐馬が叫ぶのと、空也が動きを止めたのは同時だった。
 その直後、人の頭ほどはあろうかという魔力の砲弾が、そこら中に降り注いだ。

 土煙が上がる中、その場に一人の人間が降り立った。

 ——否、それは人間ではなかった。
 ピンク色の瞳を持つそれの背中には、二枚の白い大きな羽が生えていた。

「やあ」

 ライアンがそれに向かって手を挙げた。

「待っていたよ——アレックス」
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