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第十九話 殺人の意味―後編―
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ベラ・フローレスは平凡な家に生まれたが、徐々に家庭は崩壊していった。
父は酒やギャンブルに明け暮れ、母は不貞を繰り返すようになったのだ。
ベラが生まれて五年後に妹のオードリーが生まれたが、両親の育児放棄はますます加速していった。
ベラは幼いながらも必死に妹の世話をした。
働ける年齢になると、近所の人間にお手伝いとして雇ってもらうなどしてコツコツと妹の育児費を稼ぎ、九歳の頃に家を出た。
まだ会話が出来るようになったばかりの妹を連れた少女にとって、世の中はあまりにも厳しいものだった。
幸せそうな家族を見るたび、ベラは自分の両親を恨んだ。
しかし、そんな時に決まって思い出されるのは微かな両親との楽しい思い出。
ベラは両親を恨んでいたが、それと同時に両親を恨んでしまう自分に悩んでいた。
そんな時、ベラに救世主が現れた。
その時働いていた職場の娘、ステラだ。
ステラはベラの愚痴を聞き、魂の自由を説いた。
「両親を恨む。自分に悩む。良いじゃない。それが誰かに強制されたわけでもない、貴女の本心なら。誰かを恨んだりするのは悪い事じゃない。負の感情も全て肯定しなさい。貴女は誰よりも頑張ってきた。私は貴方の全てを肯定するわ」
その言葉は、今までずっと一人で頑張ってきてすでに崩壊しかけていたベラの精神を救った。
それから、ベラはステラの勧めるままに《解放軍》に入った。
《解放軍》の構成員は皆ベラに優しく、ベラが霊術の修行をする事を条件にベラとオードリーの生活を保障してくれた。
ベラは特に回復技で頭角を現し、集団の中でも一目置かれる存在になった。
ベラは《解放軍》に返しきれないほどの恩を感じていた。が、彼女はオードリーが成長しても自分が《解放軍》に入っている事は言わなかった。
彼女の中には、《解放軍》の理念に対する疑念があったのだ。
『精神こそが人間の格であり、自分の素直な感情に向き合い、それに基づいて行動する事こそが正しい行いである。それゆえに、本能に忠実に従う霊は人間の精神の最終形態で、人間はこれを崇めなければならない――』
この理念に首を傾げつつも、ベラは《解放軍》のために尽力した。
しかし、優秀な人材の多くは軍に流れていくため、《解放軍》は次第に数を減らしていき、数年前の殲滅戦では壊滅的なダメージを受けた。
ベラは後方での支援に当たっていたため巻き終えになる事はなかったが、これを機に《解放軍》は実質的に解散状態になった。
しかし、最近になって再び招集がかかるようになった。
ベラが行ってみると、顔ぶれこそあまり変わっていなかったが、情報媒体が豊富に取り揃えられていた。富豪でも引き入れたのかもしれない。
ベラ達は各地方のチームに分かれ、ベラはステラ等と共にミネス班となった。
そして班員が全員ミネスにやってきてから一週間、ついに命令が下された。
「夜更けにハイダ森にやってくる軍の連中を奇襲しろ」
と。
……以上が、ベラの家に隠されていた日記の全貌だった。
机の引き出しの二重構造をリリーが見破り、この日記を見つけたのだ。
日記を読み終わっても、オードリーは何も言わずに日記を抱き締めていた。
長い沈黙の後、オードリーがポツリと呟いた。
「ごめん」
こちらを振り向く。
「私は、君達を殺すところだった。謝って済む事じゃないけど、本当にごめんなさい」
レイモンドは何と返せばいいか分からず、黙ってその顔を見つめた。
リリーもいえ、と首を振るのみで、その口は無意味な開閉を繰り返している。
「あんたはもう……この子らを恨んでいないのか?」
「どうだろう」
アンドリューの問いに、オードリーが力なく笑う。
「恨んでない……とは言い切れないかな。それでも、お姉ちゃんはあんたらを全力で殺そうとして、返り討ちにあった。なら、私がこの子らを恨むのは筋違いだよ。お姉ちゃんは言っていた。人は考え方の違いから衝突する事は多々あるけど、お互いが本気でぶつかり合ったなら恨みっこなしだよ、って」
オードリーが深呼吸をする。
「その時は喧嘩とかの事かと思っていたけど……まさか、この時のための伏線だったとは、大した、役者だな……っ」
オードリーの声に、嗚咽が混じっていく。
「たった一人の姉で……たった一人の家族、だったんだよ……っ」
涙が床に染みを作る。
オードリーの前に、リリーがハンカチを差し出す。
見開かれたその両目から、涙が溢れ出した。
「お姉ちゃん……っ!」
部屋には、彼女の嗚咽のみが響いていた。
家の前で待機していた隊員にオードリーを引き渡すと、レイモンドはリリーと共に家へと足を向けた。
「リリーさん」
先に沈黙を破ったのはレイモンドだ。
「有難う」
「何が?」
「僕は、本当は彼女、オードリーさんも殺すべきだと思っていた。一番こちらを恨んでいたし、一番何をするか分からなかったから。けど、今は殺さなくて良かったと思ってる。殺したらきっと後悔していた。だから有難う」
「殺さなくて良かった、か……」
「えっ?」
リリーは小声で何か言ったようだが、レイモンドには聞き取れなかった。
「何でもない」
そう首を振ったきり、リリーは黙り込んでしまった。
レイモンドは珍しくリリーとの沈黙に居心地の悪さを覚えたが、何か考え事をしているようだったので、無理に話しかけようとはしなかった。
「ねえ、レイ」
レイモンドがなんとなく景色を眺めていると、隣から声が掛かる。
「何?」
「ベラさんの日記、どう思った?」
「どうって……」
何を答えて良いのか分からず、レイモンドは答えに詰まった。
「私は、直接的な言い方をするなら、殺しておいて良かった。そう思ったわ」
「えっ?」
およそリリーのものとは思えない台詞だ。
「誰も殺したくない、殺させたくないという思いは変わってない。けど、それと同時にこの思いがいかに甘くて傲慢かを思い知ったわ。彼女の《解放軍》への忠誠を見て、私は恐怖を覚えた。これは、生かしておけば何度でも私達の脅威になるって。ああいう人を生かした先に待っているのは、おそらく仲間の死だけ。殺さなければならない命もあるという事を、初めて実感したわ」
殺さなくてはならない命。
それは、レイモンドからすれば自分の大切な人を害するもの全てがそうだった。
ただ、今回の一件で、オードリーを見てそうではない事を知った。
でも、リリーはベラを見て、逆の事を思ったようだ。
「皮肉なものね。殺そうとした貴方が助ける事を、殺させなかった私が殺す事を考えているのだから」
同じような事をリリーも考えたようで、苦笑している。
それにしても、とレイモンドはリリーを見た。
この人は本当に色々な事を見て、考えて、先を見据えている。
学校での騒動だけでなく、ベラの日記だって、レイモンドは何となく読んでいただけで、意見を求められても咄嗟に出てこなかった。
見習おう、この人を。
「よしっ」
不意にリリーが頬を叩いた。
「リリーさん?」
「これからソフィアに会うんだから、私達がこんな雰囲気じゃ無駄な心配かけちゃうよ。ほら、笑って!」
「いててっ」
リリーに頬を引っ張られる。
……この人は、本当に先を見据えているな。
家で二人を待っているであろう少女への気遣いも、レイモンドには思い付かなかった事だ。
「ほらっ、ソフィーの頭撫でに行くよ」
オードリーたちが連行された時のソフィアを思い出す。
二人が助けてくれるから怖くないよ、と気丈にも笑っていたが、本当は怖くて堪らなかったはずだ。早く安心させてやらないと。
「分かったよ」
先を行くリリーに合わせて、レイモンドは歩く速度を上げた。
「全員、軍に捕まったかー」
「今度はまた何をしてくれているんですか。封印箱まで手放しちゃって。あれ、希少なんでしょう?」
「いや、そうでもないよ。確かに市場には出回ってないけど、あるところにはあるのさ」
「そういうものですか。まあ、それはそれとして、何か得られるものはあったんですか?」
「勿論さ。今回誰も死ななかったというのは興味深いし、それに、彼らの実力を少し上に見積もった方が良いみたいだ。前はいつでも潰そうと思えば潰せると思っていたけど、多分それじゃあ失敗するね」
「やはり、彼ですか?」
「彼もそうだけど、もう一人面白い子がいるんだ」
「へえ……まあ、それでもやる事は変わらないですよね?」
「ああ、引き続き頼むよ」
「了解です。あと、今後は何かやるならせめて一声かけて下さいよ?」
「努力する」
「全く……」
女が溜息を吐きながら部屋を出て行く。
それを見送り、男はにやりと口元を緩めた。
父は酒やギャンブルに明け暮れ、母は不貞を繰り返すようになったのだ。
ベラが生まれて五年後に妹のオードリーが生まれたが、両親の育児放棄はますます加速していった。
ベラは幼いながらも必死に妹の世話をした。
働ける年齢になると、近所の人間にお手伝いとして雇ってもらうなどしてコツコツと妹の育児費を稼ぎ、九歳の頃に家を出た。
まだ会話が出来るようになったばかりの妹を連れた少女にとって、世の中はあまりにも厳しいものだった。
幸せそうな家族を見るたび、ベラは自分の両親を恨んだ。
しかし、そんな時に決まって思い出されるのは微かな両親との楽しい思い出。
ベラは両親を恨んでいたが、それと同時に両親を恨んでしまう自分に悩んでいた。
そんな時、ベラに救世主が現れた。
その時働いていた職場の娘、ステラだ。
ステラはベラの愚痴を聞き、魂の自由を説いた。
「両親を恨む。自分に悩む。良いじゃない。それが誰かに強制されたわけでもない、貴女の本心なら。誰かを恨んだりするのは悪い事じゃない。負の感情も全て肯定しなさい。貴女は誰よりも頑張ってきた。私は貴方の全てを肯定するわ」
その言葉は、今までずっと一人で頑張ってきてすでに崩壊しかけていたベラの精神を救った。
それから、ベラはステラの勧めるままに《解放軍》に入った。
《解放軍》の構成員は皆ベラに優しく、ベラが霊術の修行をする事を条件にベラとオードリーの生活を保障してくれた。
ベラは特に回復技で頭角を現し、集団の中でも一目置かれる存在になった。
ベラは《解放軍》に返しきれないほどの恩を感じていた。が、彼女はオードリーが成長しても自分が《解放軍》に入っている事は言わなかった。
彼女の中には、《解放軍》の理念に対する疑念があったのだ。
『精神こそが人間の格であり、自分の素直な感情に向き合い、それに基づいて行動する事こそが正しい行いである。それゆえに、本能に忠実に従う霊は人間の精神の最終形態で、人間はこれを崇めなければならない――』
この理念に首を傾げつつも、ベラは《解放軍》のために尽力した。
しかし、優秀な人材の多くは軍に流れていくため、《解放軍》は次第に数を減らしていき、数年前の殲滅戦では壊滅的なダメージを受けた。
ベラは後方での支援に当たっていたため巻き終えになる事はなかったが、これを機に《解放軍》は実質的に解散状態になった。
しかし、最近になって再び招集がかかるようになった。
ベラが行ってみると、顔ぶれこそあまり変わっていなかったが、情報媒体が豊富に取り揃えられていた。富豪でも引き入れたのかもしれない。
ベラ達は各地方のチームに分かれ、ベラはステラ等と共にミネス班となった。
そして班員が全員ミネスにやってきてから一週間、ついに命令が下された。
「夜更けにハイダ森にやってくる軍の連中を奇襲しろ」
と。
……以上が、ベラの家に隠されていた日記の全貌だった。
机の引き出しの二重構造をリリーが見破り、この日記を見つけたのだ。
日記を読み終わっても、オードリーは何も言わずに日記を抱き締めていた。
長い沈黙の後、オードリーがポツリと呟いた。
「ごめん」
こちらを振り向く。
「私は、君達を殺すところだった。謝って済む事じゃないけど、本当にごめんなさい」
レイモンドは何と返せばいいか分からず、黙ってその顔を見つめた。
リリーもいえ、と首を振るのみで、その口は無意味な開閉を繰り返している。
「あんたはもう……この子らを恨んでいないのか?」
「どうだろう」
アンドリューの問いに、オードリーが力なく笑う。
「恨んでない……とは言い切れないかな。それでも、お姉ちゃんはあんたらを全力で殺そうとして、返り討ちにあった。なら、私がこの子らを恨むのは筋違いだよ。お姉ちゃんは言っていた。人は考え方の違いから衝突する事は多々あるけど、お互いが本気でぶつかり合ったなら恨みっこなしだよ、って」
オードリーが深呼吸をする。
「その時は喧嘩とかの事かと思っていたけど……まさか、この時のための伏線だったとは、大した、役者だな……っ」
オードリーの声に、嗚咽が混じっていく。
「たった一人の姉で……たった一人の家族、だったんだよ……っ」
涙が床に染みを作る。
オードリーの前に、リリーがハンカチを差し出す。
見開かれたその両目から、涙が溢れ出した。
「お姉ちゃん……っ!」
部屋には、彼女の嗚咽のみが響いていた。
家の前で待機していた隊員にオードリーを引き渡すと、レイモンドはリリーと共に家へと足を向けた。
「リリーさん」
先に沈黙を破ったのはレイモンドだ。
「有難う」
「何が?」
「僕は、本当は彼女、オードリーさんも殺すべきだと思っていた。一番こちらを恨んでいたし、一番何をするか分からなかったから。けど、今は殺さなくて良かったと思ってる。殺したらきっと後悔していた。だから有難う」
「殺さなくて良かった、か……」
「えっ?」
リリーは小声で何か言ったようだが、レイモンドには聞き取れなかった。
「何でもない」
そう首を振ったきり、リリーは黙り込んでしまった。
レイモンドは珍しくリリーとの沈黙に居心地の悪さを覚えたが、何か考え事をしているようだったので、無理に話しかけようとはしなかった。
「ねえ、レイ」
レイモンドがなんとなく景色を眺めていると、隣から声が掛かる。
「何?」
「ベラさんの日記、どう思った?」
「どうって……」
何を答えて良いのか分からず、レイモンドは答えに詰まった。
「私は、直接的な言い方をするなら、殺しておいて良かった。そう思ったわ」
「えっ?」
およそリリーのものとは思えない台詞だ。
「誰も殺したくない、殺させたくないという思いは変わってない。けど、それと同時にこの思いがいかに甘くて傲慢かを思い知ったわ。彼女の《解放軍》への忠誠を見て、私は恐怖を覚えた。これは、生かしておけば何度でも私達の脅威になるって。ああいう人を生かした先に待っているのは、おそらく仲間の死だけ。殺さなければならない命もあるという事を、初めて実感したわ」
殺さなくてはならない命。
それは、レイモンドからすれば自分の大切な人を害するもの全てがそうだった。
ただ、今回の一件で、オードリーを見てそうではない事を知った。
でも、リリーはベラを見て、逆の事を思ったようだ。
「皮肉なものね。殺そうとした貴方が助ける事を、殺させなかった私が殺す事を考えているのだから」
同じような事をリリーも考えたようで、苦笑している。
それにしても、とレイモンドはリリーを見た。
この人は本当に色々な事を見て、考えて、先を見据えている。
学校での騒動だけでなく、ベラの日記だって、レイモンドは何となく読んでいただけで、意見を求められても咄嗟に出てこなかった。
見習おう、この人を。
「よしっ」
不意にリリーが頬を叩いた。
「リリーさん?」
「これからソフィアに会うんだから、私達がこんな雰囲気じゃ無駄な心配かけちゃうよ。ほら、笑って!」
「いててっ」
リリーに頬を引っ張られる。
……この人は、本当に先を見据えているな。
家で二人を待っているであろう少女への気遣いも、レイモンドには思い付かなかった事だ。
「ほらっ、ソフィーの頭撫でに行くよ」
オードリーたちが連行された時のソフィアを思い出す。
二人が助けてくれるから怖くないよ、と気丈にも笑っていたが、本当は怖くて堪らなかったはずだ。早く安心させてやらないと。
「分かったよ」
先を行くリリーに合わせて、レイモンドは歩く速度を上げた。
「全員、軍に捕まったかー」
「今度はまた何をしてくれているんですか。封印箱まで手放しちゃって。あれ、希少なんでしょう?」
「いや、そうでもないよ。確かに市場には出回ってないけど、あるところにはあるのさ」
「そういうものですか。まあ、それはそれとして、何か得られるものはあったんですか?」
「勿論さ。今回誰も死ななかったというのは興味深いし、それに、彼らの実力を少し上に見積もった方が良いみたいだ。前はいつでも潰そうと思えば潰せると思っていたけど、多分それじゃあ失敗するね」
「やはり、彼ですか?」
「彼もそうだけど、もう一人面白い子がいるんだ」
「へえ……まあ、それでもやる事は変わらないですよね?」
「ああ、引き続き頼むよ」
「了解です。あと、今後は何かやるならせめて一声かけて下さいよ?」
「努力する」
「全く……」
女が溜息を吐きながら部屋を出て行く。
それを見送り、男はにやりと口元を緩めた。
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