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第十五話 代償―後編―
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「レイ、何してるの!」
「ああ、リリーさん」
声を荒げる私とは対照的に、レイモンドの声は落ち着いていた。
「どうして戻ってきたの?」
「そんな事はどうでも良いわ。その《霊弾》を解いて」
「それは出来ないよ。この人達には釘を刺しておく必要がある」
「釘ならその《霊弾》を見せれば十分よ」
レイモンドは首を振った。
「リリーさんは甘いよ」
「え?」
私はレイモンドの横顔を凝視した。
彼は、ゾーイ達に鋭い視線を向けたまま続ける。
「確かに大抵の人は力を見せるだけで効果あるけど、一握りの人達は違うんだ。実際にその力が自分に向けられる可能性があるという事。それを理解せずに繰り返したりもっと酷い行為に出る場合もある。例えばリリーさん」
レイモンドの目が初めて私を捉えた。
「もしここで許したとして、この二人がもうソフィーに手を出さないって断言出来る?」
私は何も言えなかった。
彼は多い少ないの話をしていない。ゼロかそうでないかの話をしているのだ。
……それでいうなら、答えはノーだ。
「勿論、そんな確率が殆どない事も、今僕がやっている事が一般的におかしい事も理解している。でも、それがもし大切な人を少しでも守れるなら、僕はやるよ」
そう言うと、レイモンドは躊躇いもせずに《霊弾》を放った。
「レイ!」
咄嗟にゾーイとマディソンを《聖域》で囲む。
軌道の逸れた《霊弾》は、二人の横の地面に大きなクレーターを作った。
私はその間に二人とレイモンドの間に入り込んだ。
「早く逃げて!」
「え、ええ」
二人が慌てながらも走り去っていく気配を後ろに、私はレイモンドと向き直った。
「……もし私が来なかったらどうしていたの?」
「そのまま打っていたよ。勿論、殺しまではしないけど」
「どうしてそこまで……」
「僕は仲間の安全が少しでも多く保障出来るのなら、何かを切り捨てる事は躊躇わない。さっきも言ったけど、僕はこの考えがおかしい事も理解している。だけど、僕は後悔したくないんだ。もう、絶対に」
初めてレイモンドの口調に感情が乗った。
覚悟を決めたような、噛み締めるような口調。
「生意気言うけど、いつかその甘さは後悔に繋がると思う」
それだけ言い残すと、レイモンドはその場を去っていった。
午後の授業の開始のベルが鳴る中、私はその場に突っ立っていた。
「あっ」
《霊弾》の軌道がずれて、一発で仕留め損ねる。
二発目で霊は蒸発した。
「リリー」
グレイスの厳しい声。
「調子が悪いなら休んでいろ。こちらにも迷惑がかかる」
「ちょ、グレイスさん。そんな言い方は……」
「良いんです」
リリーより三つ上のベンジャミンがこちらを気遣ってくれるが、私はそれを遮った。
今の自分が集中していない事も、お荷物である事も分かっていた。
周囲は私を信頼してくれている。その私が期待通りの動きが出来なければ、そのシワ寄せが皆に行ってしまう。
この仕事では、実力がある事よりも実力通りの働きが出来る事の方が求められるのだ。
私は自分の頬を叩いた。
「大丈夫です。やります」
考え事は後で良い。今は除霊のみに集中するんだ。
「……なら良い」
グレイスが僅かに口元を緩めて頷いた。
「北東の方角より、多数の霊が襲来! レベルB以上も多いと思われます」
見張りの隊員が大声で告げた。
「レイ。行くよ」
「了解」
短く言葉を交わし、私はレイモンドと走り出した。
「リリー、レイモンド」
アンドリューから声を掛けられる。
「予想以上に手強そうだ。君達だけで祓ってもらって構わない」
「了解です」
普段は他の隊員が経験を積むために私やレイはサポートに回る事も多いが、今回は相手が相手なようだ。
確かに、向かってくる霊は高レベルのものが多い。
「レイ、一発でいける?」
「うん」
レイと目線を交わし、霊に向き直る。
私はその集団の左右と上空に《霊壁》を展開した。
三枚の壁と地面に囲まれ、より密集しながら霊の集団がやってくる。
その先には、無数の霊力の槍を生成したレイ。
その大量の槍が、一斉に霊の集団に襲い掛かった。
《槍嵐破》だ。
数秒の後、煙が完全に消え去っても、霊は一体として姿を現さなかった。
「相変わらずの威力だな……」
ネイサンが苦笑した。
しかし、そこで一安心、という訳にはいかなかった。
「緊急、緊急!」
町の警備が馬に乗って駆け寄ってくる。
「ハイダ森に二体の《憑依生物》を確認! レベルS、レベルAと推定! 至急、応援を!」
その場がざわついた。
「メンバーを絞る!」
アンドリューの鋭い声で、その場が静まり返った。
「俺、グレイス、ネイサン、リリー、レイモンド、ベンジャミンで行く! 残った者はウィリアムの指揮に従え! ……ウィリアム、任せたぞ」
「了解しました」
「よし。では行くぞ」
先頭にグレイス、その後ろに左から私、アンドリュー、ネイサンが並び、後衛にレイとベンジャミンが並んだ。
この中で言えば、グレイスが防御、レイとネイサンが攻撃、その他がバランスタイプと言ったところだろう。
「近いな」
森に入って暫く歩くと、ネイサンが呟いた。
微かな霊の気配と……血の匂い。
どこだ。
近いのは分かるが、正確な位置が捕捉出来ない。
「っ上だ!」
レイモンドが叫び、グレイスが即座に《聖域》を展開した。
黒い物体が上から超スピードで降下してくる。
「鳥か!」
その物体は鳥だった。
鳥が《聖域》に突っ込んできて力が拮抗するが、レイモンドの《霊撃破》を浴びて再び空中に舞い戻った。
同時に今度は左から犬のような個体が飛び出してきた。
それに私も《聖域》で対抗し、ネイサンが犬を《霊撃破》で飛ばした。
鳥、犬の爪により、グレイスと私の《聖域》にはそれぞれ傷が走っている。
恐らく前者がレベルSで、後者がレベルAだろう。
「俺とグレイス、レイモンドで鳥を担当する! 他の者は犬だ!」
「了解!」
私の横にネイサンとベンジャミンが並んだ。
ネイサンが口を開く。
「こいつは強敵だ。長期戦は不利だし、中途半端な攻撃は霊力を無駄に消費するだけだ。最初から全力で行くぞ」
「了解」
「俺が先鋒だ。お前らはサポートをしてくれ」
「分かりました」
単純な作戦だが、強敵相手にはこれが一番効率的だ。
私は《聖域》を解除した。《聖域》内で霊力を解放しても、結界の内側に当たって消滅するか結界が壊れるかの二択だからだ。
突っ込んでくる犬に向かって、ネイサンが《霊刃》を放つ。避けた犬にベンジャミンの《霊弾》が飛来した。
犬がベンジャミンに目標を切り替えて突進するが、ベンジャミンの《障壁》と私の《聖域》で動きを止め、そこをすかさずネイサンが《霊刃》で狙い撃ちした。
犬が奇声を上げる。
「良い連携だ! リリー、ベン!」
ネイサンの鼓舞する声が聞こえる。
抜けているところも多いが、彼は戦闘経験が豊富だ。戦場では頼りになる。
それからも、私達は自分達は殆どダメージを負わずに犬に着実にダメージを与えていた。その証拠に、犬の損傷部分の回復スピードが遅くなっている。
そして遂に、最大のチャンスがやってきた。
犬の身体から、煙のようなものが上がったのだ。
《憑依人間》や《憑依生物》と呼ばれるものは、低レベルの霊が宿主に憑依して凶暴化したものだ。
それらは攻撃を受け続けると、霊と宿主の結合が緩む時がある。結合が緩むと霊の身体の一部は体外に出てくる。
それが、今犬の身体から上がっている煙だ。
これを体内に戻る前に攻撃出来れば、霊は宿主と完全に乖離し、低レベルの霊だけが残る。
「一斉攻撃だ!」
ネイサンの指示に従って煙に向かって攻撃しようとした時、私は背筋に寒気を覚えた。
「っ……!」
咄嗟に攻撃を中止し、自分を《聖域》で覆う。
直後、カキンという金属音が鳴り、振り向こうとした私の視界の隅に銀色に光る何かが映った。
「おや、防がれてしまいましたか」
そこには、全身を白い布で覆った人間が、折れたナイフを手に持ちながら闇に紛れて立っていた。
「おい、リリー。どうし――」
「《解放軍》です!」
ネイサンの言葉を遮り、私は叫んだ。
少し震えてしまう。
「闇に紛れて潜んでいます! 皆さん、気を付けて!」
「ナイフも持っているようです!」
私に続いた声はレイモンド。
彼も襲われていたようだ。
「せめてどちらかは殺せると思ったんですがねえ」
その声と同時にぞろぞろと《解放軍》のメンバーが出てくる。十人はいるだろうか。
しかし、それを確認している余裕は私にはなかった。
私の奇怪な行動のせいで、私達は千載一遇のチャンスを逃していたのだ。
再び霊と宿主がしっかりと結合した犬が襲い掛かってくる。
そして厄介な事に、それに呼応するように《解放軍》が後ろから襲い掛かってきた。
「んな事していたらあんたらまで死ぬよ!」
警告してみる。
「霊はより強い霊力に向かっていく傾向にある。基本的に我々は攻撃対象外だ。それに、戦闘中に死ねるのなら悔いはない」
私の後ろにいる男の口調は冷静で、迷いがなかった。
洗脳でも受けているのではないか、と疑ってしまうが、今はそんな事はどうでも良い。
とにかく、この状況を何とかしないと。
ベンジャミンもネイサンも上手くかわしてはいるが、このままでは犬を倒す前に霊力が切れる可能性がある。
特に防御技のストックがないネイサンはしんどそうだ。《霊弾》や《霊刃》で何とか凌いではいるが、その程度の攻撃は向こうの霊能者の《霊壁》や《聖域》で対処されてしまっている。
ベンジャミンも防御が出来るとはいえ、基本的に装備している霊能具はそこまで高難度ではないため、耐えるのが精一杯という感じだ。
それに、一番厄介なのは《解放軍》の中に《付与回復》を使える人間がいるらしいという事だ。
限界はあるのだろうが、攻撃をして怪我を負わせてもすぐに回復をしている。埒が明かない。
『こちらに損害が発生する場合は殺しも許可する』
脳内にアンドリューの言葉が蘇る。
「うわっ⁉」
ベンジャミンが犬の攻撃を防ぎきれずに吹っ飛んだ。
ネイサンの援護で《解放軍》からの追撃は逃れたが、その身体は明らかに疲弊していた。
それからも攻防は続き、ベンジャミンは明らかに体力も霊力も少なくなっていた。
ベンジャミンの前に《霊壁》を作り、援護をする。
その時、私は微かな霊力の気配を感じ、そちらに目を向けた。
「なっ⁉」
見つけた先では、三人の霊能者がこちらに手を向けていた。その指が光り、霊力が集まっていく。
あれは恐らく……《霊撃破》。標的は、私とネイサン、ベンジャミンの三人だ。
あれは駄目だ。そう直感した。
特段感知能力に優れている訳でもない私でも感じ取れたという事は、あれは相当な霊力量だ。
私は《聖域》でなんとかなるが、防御技のないネイサンと消耗の激しいベンジャミンは危険だ。万が一《霊撃破》を防いでも、犬の攻撃が続いたらまず間違いなく重傷を負う。
いっそ全員を《聖域》で覆うか?
いや、無理だ。堪えきれないに決まっている。
じゃあ、どうすればいい。
……いや、私の中ではすでに答えは出ていた。臆病な私がただ目を背けているだけだ。
『僕は後悔したくないんだ。もう、絶対に』
浮かんできたのは、昼間のレイモンドの言葉。
「後悔……か」
私は目を閉じた、
確かに、後悔はしたくないな。
目を開けて、手の平に霊力を集める。
――ごめんなさい。
心の中で謝罪をしながら、私は全力の《霊撃破》を放った。
その時こちらを向いた彼らの目を、私は一生忘れないだろう。
私の《霊撃破》は《付与回復》を使えた《解放軍》の霊能者も巻き込んだようで、それ以降は負傷した敵兵が再び襲ってくる事はなくなった。
それにより優位を取り戻した私達は、短期決戦に持ち込んで、瞬く間に犬を追い詰めた。
「乖離しませんね」
「仕方がない。ベンも弱っている。祓おう」
ネイサンの決断は素早かった。
「了解です」
犬の四方を《霊壁》で塞ぐ。
立ち往生した犬にネイサンが《霊撃破》を打ち込み、犬は絶叫しながら蒸発した。
レイモンド達も鳥を相手に善戦しており、そこに私とネイサンが加われば、鳥が消耗するのは時間の問題だった。
《解放軍》の残党に時間を与えて回復させたくない、という事もあり、鳥もそのまま除霊した。
気を失ったり重傷を負っている《解放軍》のメンバーを回収し、私達は本部へ足を向けた。
皆が今後についてポツリポツリと意見を交わす中、私はその背中を見つめた。次いで自分の右手を見る。
大切な仲間を助けた代わりに、私は大切でない人達をこの手で殺した。
後悔はしていないが、《霊撃破》を受ける直前の彼らの恐怖に染まった瞳が、頭から離れない。
大切なものを失いたくない。
それは誰しもが持っている感情であると同時に、とても傲慢な考えだと思う。
だから、この後味の悪さはそんな傲慢を突き通した代償なのだろう。
私は人を殺した。
もう、以前の私には戻れない。
「ああ、リリーさん」
声を荒げる私とは対照的に、レイモンドの声は落ち着いていた。
「どうして戻ってきたの?」
「そんな事はどうでも良いわ。その《霊弾》を解いて」
「それは出来ないよ。この人達には釘を刺しておく必要がある」
「釘ならその《霊弾》を見せれば十分よ」
レイモンドは首を振った。
「リリーさんは甘いよ」
「え?」
私はレイモンドの横顔を凝視した。
彼は、ゾーイ達に鋭い視線を向けたまま続ける。
「確かに大抵の人は力を見せるだけで効果あるけど、一握りの人達は違うんだ。実際にその力が自分に向けられる可能性があるという事。それを理解せずに繰り返したりもっと酷い行為に出る場合もある。例えばリリーさん」
レイモンドの目が初めて私を捉えた。
「もしここで許したとして、この二人がもうソフィーに手を出さないって断言出来る?」
私は何も言えなかった。
彼は多い少ないの話をしていない。ゼロかそうでないかの話をしているのだ。
……それでいうなら、答えはノーだ。
「勿論、そんな確率が殆どない事も、今僕がやっている事が一般的におかしい事も理解している。でも、それがもし大切な人を少しでも守れるなら、僕はやるよ」
そう言うと、レイモンドは躊躇いもせずに《霊弾》を放った。
「レイ!」
咄嗟にゾーイとマディソンを《聖域》で囲む。
軌道の逸れた《霊弾》は、二人の横の地面に大きなクレーターを作った。
私はその間に二人とレイモンドの間に入り込んだ。
「早く逃げて!」
「え、ええ」
二人が慌てながらも走り去っていく気配を後ろに、私はレイモンドと向き直った。
「……もし私が来なかったらどうしていたの?」
「そのまま打っていたよ。勿論、殺しまではしないけど」
「どうしてそこまで……」
「僕は仲間の安全が少しでも多く保障出来るのなら、何かを切り捨てる事は躊躇わない。さっきも言ったけど、僕はこの考えがおかしい事も理解している。だけど、僕は後悔したくないんだ。もう、絶対に」
初めてレイモンドの口調に感情が乗った。
覚悟を決めたような、噛み締めるような口調。
「生意気言うけど、いつかその甘さは後悔に繋がると思う」
それだけ言い残すと、レイモンドはその場を去っていった。
午後の授業の開始のベルが鳴る中、私はその場に突っ立っていた。
「あっ」
《霊弾》の軌道がずれて、一発で仕留め損ねる。
二発目で霊は蒸発した。
「リリー」
グレイスの厳しい声。
「調子が悪いなら休んでいろ。こちらにも迷惑がかかる」
「ちょ、グレイスさん。そんな言い方は……」
「良いんです」
リリーより三つ上のベンジャミンがこちらを気遣ってくれるが、私はそれを遮った。
今の自分が集中していない事も、お荷物である事も分かっていた。
周囲は私を信頼してくれている。その私が期待通りの動きが出来なければ、そのシワ寄せが皆に行ってしまう。
この仕事では、実力がある事よりも実力通りの働きが出来る事の方が求められるのだ。
私は自分の頬を叩いた。
「大丈夫です。やります」
考え事は後で良い。今は除霊のみに集中するんだ。
「……なら良い」
グレイスが僅かに口元を緩めて頷いた。
「北東の方角より、多数の霊が襲来! レベルB以上も多いと思われます」
見張りの隊員が大声で告げた。
「レイ。行くよ」
「了解」
短く言葉を交わし、私はレイモンドと走り出した。
「リリー、レイモンド」
アンドリューから声を掛けられる。
「予想以上に手強そうだ。君達だけで祓ってもらって構わない」
「了解です」
普段は他の隊員が経験を積むために私やレイはサポートに回る事も多いが、今回は相手が相手なようだ。
確かに、向かってくる霊は高レベルのものが多い。
「レイ、一発でいける?」
「うん」
レイと目線を交わし、霊に向き直る。
私はその集団の左右と上空に《霊壁》を展開した。
三枚の壁と地面に囲まれ、より密集しながら霊の集団がやってくる。
その先には、無数の霊力の槍を生成したレイ。
その大量の槍が、一斉に霊の集団に襲い掛かった。
《槍嵐破》だ。
数秒の後、煙が完全に消え去っても、霊は一体として姿を現さなかった。
「相変わらずの威力だな……」
ネイサンが苦笑した。
しかし、そこで一安心、という訳にはいかなかった。
「緊急、緊急!」
町の警備が馬に乗って駆け寄ってくる。
「ハイダ森に二体の《憑依生物》を確認! レベルS、レベルAと推定! 至急、応援を!」
その場がざわついた。
「メンバーを絞る!」
アンドリューの鋭い声で、その場が静まり返った。
「俺、グレイス、ネイサン、リリー、レイモンド、ベンジャミンで行く! 残った者はウィリアムの指揮に従え! ……ウィリアム、任せたぞ」
「了解しました」
「よし。では行くぞ」
先頭にグレイス、その後ろに左から私、アンドリュー、ネイサンが並び、後衛にレイとベンジャミンが並んだ。
この中で言えば、グレイスが防御、レイとネイサンが攻撃、その他がバランスタイプと言ったところだろう。
「近いな」
森に入って暫く歩くと、ネイサンが呟いた。
微かな霊の気配と……血の匂い。
どこだ。
近いのは分かるが、正確な位置が捕捉出来ない。
「っ上だ!」
レイモンドが叫び、グレイスが即座に《聖域》を展開した。
黒い物体が上から超スピードで降下してくる。
「鳥か!」
その物体は鳥だった。
鳥が《聖域》に突っ込んできて力が拮抗するが、レイモンドの《霊撃破》を浴びて再び空中に舞い戻った。
同時に今度は左から犬のような個体が飛び出してきた。
それに私も《聖域》で対抗し、ネイサンが犬を《霊撃破》で飛ばした。
鳥、犬の爪により、グレイスと私の《聖域》にはそれぞれ傷が走っている。
恐らく前者がレベルSで、後者がレベルAだろう。
「俺とグレイス、レイモンドで鳥を担当する! 他の者は犬だ!」
「了解!」
私の横にネイサンとベンジャミンが並んだ。
ネイサンが口を開く。
「こいつは強敵だ。長期戦は不利だし、中途半端な攻撃は霊力を無駄に消費するだけだ。最初から全力で行くぞ」
「了解」
「俺が先鋒だ。お前らはサポートをしてくれ」
「分かりました」
単純な作戦だが、強敵相手にはこれが一番効率的だ。
私は《聖域》を解除した。《聖域》内で霊力を解放しても、結界の内側に当たって消滅するか結界が壊れるかの二択だからだ。
突っ込んでくる犬に向かって、ネイサンが《霊刃》を放つ。避けた犬にベンジャミンの《霊弾》が飛来した。
犬がベンジャミンに目標を切り替えて突進するが、ベンジャミンの《障壁》と私の《聖域》で動きを止め、そこをすかさずネイサンが《霊刃》で狙い撃ちした。
犬が奇声を上げる。
「良い連携だ! リリー、ベン!」
ネイサンの鼓舞する声が聞こえる。
抜けているところも多いが、彼は戦闘経験が豊富だ。戦場では頼りになる。
それからも、私達は自分達は殆どダメージを負わずに犬に着実にダメージを与えていた。その証拠に、犬の損傷部分の回復スピードが遅くなっている。
そして遂に、最大のチャンスがやってきた。
犬の身体から、煙のようなものが上がったのだ。
《憑依人間》や《憑依生物》と呼ばれるものは、低レベルの霊が宿主に憑依して凶暴化したものだ。
それらは攻撃を受け続けると、霊と宿主の結合が緩む時がある。結合が緩むと霊の身体の一部は体外に出てくる。
それが、今犬の身体から上がっている煙だ。
これを体内に戻る前に攻撃出来れば、霊は宿主と完全に乖離し、低レベルの霊だけが残る。
「一斉攻撃だ!」
ネイサンの指示に従って煙に向かって攻撃しようとした時、私は背筋に寒気を覚えた。
「っ……!」
咄嗟に攻撃を中止し、自分を《聖域》で覆う。
直後、カキンという金属音が鳴り、振り向こうとした私の視界の隅に銀色に光る何かが映った。
「おや、防がれてしまいましたか」
そこには、全身を白い布で覆った人間が、折れたナイフを手に持ちながら闇に紛れて立っていた。
「おい、リリー。どうし――」
「《解放軍》です!」
ネイサンの言葉を遮り、私は叫んだ。
少し震えてしまう。
「闇に紛れて潜んでいます! 皆さん、気を付けて!」
「ナイフも持っているようです!」
私に続いた声はレイモンド。
彼も襲われていたようだ。
「せめてどちらかは殺せると思ったんですがねえ」
その声と同時にぞろぞろと《解放軍》のメンバーが出てくる。十人はいるだろうか。
しかし、それを確認している余裕は私にはなかった。
私の奇怪な行動のせいで、私達は千載一遇のチャンスを逃していたのだ。
再び霊と宿主がしっかりと結合した犬が襲い掛かってくる。
そして厄介な事に、それに呼応するように《解放軍》が後ろから襲い掛かってきた。
「んな事していたらあんたらまで死ぬよ!」
警告してみる。
「霊はより強い霊力に向かっていく傾向にある。基本的に我々は攻撃対象外だ。それに、戦闘中に死ねるのなら悔いはない」
私の後ろにいる男の口調は冷静で、迷いがなかった。
洗脳でも受けているのではないか、と疑ってしまうが、今はそんな事はどうでも良い。
とにかく、この状況を何とかしないと。
ベンジャミンもネイサンも上手くかわしてはいるが、このままでは犬を倒す前に霊力が切れる可能性がある。
特に防御技のストックがないネイサンはしんどそうだ。《霊弾》や《霊刃》で何とか凌いではいるが、その程度の攻撃は向こうの霊能者の《霊壁》や《聖域》で対処されてしまっている。
ベンジャミンも防御が出来るとはいえ、基本的に装備している霊能具はそこまで高難度ではないため、耐えるのが精一杯という感じだ。
それに、一番厄介なのは《解放軍》の中に《付与回復》を使える人間がいるらしいという事だ。
限界はあるのだろうが、攻撃をして怪我を負わせてもすぐに回復をしている。埒が明かない。
『こちらに損害が発生する場合は殺しも許可する』
脳内にアンドリューの言葉が蘇る。
「うわっ⁉」
ベンジャミンが犬の攻撃を防ぎきれずに吹っ飛んだ。
ネイサンの援護で《解放軍》からの追撃は逃れたが、その身体は明らかに疲弊していた。
それからも攻防は続き、ベンジャミンは明らかに体力も霊力も少なくなっていた。
ベンジャミンの前に《霊壁》を作り、援護をする。
その時、私は微かな霊力の気配を感じ、そちらに目を向けた。
「なっ⁉」
見つけた先では、三人の霊能者がこちらに手を向けていた。その指が光り、霊力が集まっていく。
あれは恐らく……《霊撃破》。標的は、私とネイサン、ベンジャミンの三人だ。
あれは駄目だ。そう直感した。
特段感知能力に優れている訳でもない私でも感じ取れたという事は、あれは相当な霊力量だ。
私は《聖域》でなんとかなるが、防御技のないネイサンと消耗の激しいベンジャミンは危険だ。万が一《霊撃破》を防いでも、犬の攻撃が続いたらまず間違いなく重傷を負う。
いっそ全員を《聖域》で覆うか?
いや、無理だ。堪えきれないに決まっている。
じゃあ、どうすればいい。
……いや、私の中ではすでに答えは出ていた。臆病な私がただ目を背けているだけだ。
『僕は後悔したくないんだ。もう、絶対に』
浮かんできたのは、昼間のレイモンドの言葉。
「後悔……か」
私は目を閉じた、
確かに、後悔はしたくないな。
目を開けて、手の平に霊力を集める。
――ごめんなさい。
心の中で謝罪をしながら、私は全力の《霊撃破》を放った。
その時こちらを向いた彼らの目を、私は一生忘れないだろう。
私の《霊撃破》は《付与回復》を使えた《解放軍》の霊能者も巻き込んだようで、それ以降は負傷した敵兵が再び襲ってくる事はなくなった。
それにより優位を取り戻した私達は、短期決戦に持ち込んで、瞬く間に犬を追い詰めた。
「乖離しませんね」
「仕方がない。ベンも弱っている。祓おう」
ネイサンの決断は素早かった。
「了解です」
犬の四方を《霊壁》で塞ぐ。
立ち往生した犬にネイサンが《霊撃破》を打ち込み、犬は絶叫しながら蒸発した。
レイモンド達も鳥を相手に善戦しており、そこに私とネイサンが加われば、鳥が消耗するのは時間の問題だった。
《解放軍》の残党に時間を与えて回復させたくない、という事もあり、鳥もそのまま除霊した。
気を失ったり重傷を負っている《解放軍》のメンバーを回収し、私達は本部へ足を向けた。
皆が今後についてポツリポツリと意見を交わす中、私はその背中を見つめた。次いで自分の右手を見る。
大切な仲間を助けた代わりに、私は大切でない人達をこの手で殺した。
後悔はしていないが、《霊撃破》を受ける直前の彼らの恐怖に染まった瞳が、頭から離れない。
大切なものを失いたくない。
それは誰しもが持っている感情であると同時に、とても傲慢な考えだと思う。
だから、この後味の悪さはそんな傲慢を突き通した代償なのだろう。
私は人を殺した。
もう、以前の私には戻れない。
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この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
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これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
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最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
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