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第一章

第128話 アローラ・スミス

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「嫌だ、死にたくない!」
「ここから出してくれぇぇぇえ!」
「うわああああ!」

 まさに阿鼻叫喚あびきょうかん
 意味のある怒号から獣のような雄叫びまで、様々な叫び声が響き渡っている。
 仕方のないことだろう。その一角には、死刑が確定した者のみが収監されているのだから。

「あんなに叫んだって、せいぜいお腹が空く程度なのにね」

 そう呟いたのは、数多ある牢屋の一つで静かに座る年端もいかない少女だった。
 アローラ・スミスである。

 つい先日までは、彼女も阿鼻叫喚の一端を担っていた。中心選手だったと言ってもいいだろう。
 しかし、あるとき彼女はふと気づいたのだ。
 死刑が確定したという、その意味を。

 その瞬間から、アローラは叫ぶ事をやめた。
 意味がないからだ。後はどうせ、魔法で作られた頑丈なこの牢屋で死を待つしかない。
 脳と心の両方が理解してしまえば、もう何をしようという気も湧いてこなかった。

 しかし、人間とは面白いものだ。
 何もする気が湧かなくとも、脳は正常に機能している。
 輝かしい未来など待っていない彼女の脳裏に流れるのは、もっぱら過去の映像だった。

 ——そのほとんどが、ノアとの思い出だった。

「ここ数ヶ月の私は、別の人格に乗っ取られてたのかね……」

 アローラは苦笑した。
 全てを諦めた事により、彼女はこれまでの出来事を俯瞰して捉える事ができていた。
 そうして思うのは、自分はなんと愚かな判断を下し続けていたのだろうという事だ。

「いっその事、覚醒なんてしてなきゃ良かったのに。そしたらこんなところにはいなかったのにな」

 アローラの人生が狂い出したのは、突然の覚醒がきっかけだった。
 ……いや、そもそも生まれた瞬間から、彼女の人生は狂い始めていたのかもしれない。

 新興貴族である彼女の両親は、自分たちの血筋に異様なほどの執着を見せていた。
 だから、アローラ以降に子供を授かる気配がなくても、頑なに養子を取らなかった。

 しかし、だからと言って一人娘に愛情を注いでいたのかと言えば、そうではなかった。
 魔法の才能がなかったからだ。

 特に地盤の安定していない新興貴族であれば、当主はある程度の魔法力を備えていなければ話にならない。
 だから、スミス夫妻はアローラの魔法を少しでも伸ばそうと躍起になり、それでもEランクのままである娘に冷たく当たった。

 そんな時に、アローラが心の拠り所にしていたのがノアだった。
 自分と同じEランクだが、決して諦めたりはせず、自分にも励ましの言葉をかけ続けてくれた少年を好きになるまで、さして時間はかからなかった。

 ノアと付き合う事ができてからは、毎日が幸せだった。
 両親に「お前はどうして才能がないんだ」「覚醒できないのはお前の努力不足だ」と言われて落ち込んでも、ノアの顔を思い出せば耐えられた。彼に会えば元気をもらえた。

 覚醒してからも、ノアへの気持ちがすぐになくなったわけではなかった。
 むしろ、彼のアドバイスのおかげで覚醒できた事もあり、想いは強くなる一方だった。

 しかし、そこから両親の徹底的な思想のすり付けが始まった。
 一種の洗脳だったと今のアローラならわかるが、両親がこれまでとは打って変わって自分を褒めてくれるようになった事に浮かれていた当時は、まったく気づいていなかった。

 魔法の才能と身分こそが絶対であり、覚醒していない魔法師は総じて意識が低い。そんなのと付き合っていればいずれ自分も廃れていく——。
 ノアとの交際を掴んでいたアローラの両親は、娘に実力主義と貴族主義を徹底的に叩き込んだ。

 最初は両親の教えに違和感を覚えていたアローラがそれに染まるまで、さして時間はかからなかった。
 どこか自信なさげな表情を見せる時のあるノアよりも、自分こそが絶対であると信じて疑っていないジェームズの方が、だんだん魅力的に映るようになった。

 だから、ジェームズに言い寄られた後はすぐにノアを振った。
 相変わらずEランクだった彼を切り捨てる事に、何の躊躇ためらいも覚えなかった。覚醒できるほど努力していない彼が悪いのだと、本気で思っていたから。

 ジェームズとの交際は思い描いていたほど順調ではなかったが、これが成功への道なのだと信じて疑っていなかった。
 というより、それが唯一の正解であると思っていた。
 だから、ケラべルス襲撃の際に自分を助けようとしてくれたノアを裏切る事だってできた。

 良心の呵責かしゃくを全く感じなかったと言えば嘘になるが、ジェームズの圧力に抗えるほどではなかった。
 しかし、クラスメートの援護もあってノアの主張が通り、ジェームズは退学する事になった。

 アローラは足元から地面が崩れ落ちていくような感覚を覚えた。なりふり構っていられないと思った。
 この時点で、彼女の精神は崩壊を始めていた。

 学校に復帰してからは、それまで取り巻きだった者たちも含めて全員がアローラに関わらないようにしていた。
 遠巻きにヒソヒソと自分の事をささやかれるストレスも、彼女を追い詰める原因の一端となった。

 そんな中で、魔法学の実験の際にノアが普通に接してくれた事で、アローラは彼と再び付き合う事ができれば全てがうまくいくと考えた。

「普通に接してくれただけでヨリを戻せると思うなんて、どんな思考回路してんだ。自分から振って、あまつさえ裏切ったくせに」

 今ではそう苦笑いを浮かべるしかないが、当時はそれしか起死回生の一手は思い浮かばなかったし、まだ手遅れではないと信じていた。
 しかし、当然のように拒絶された。

「あれが最後の分岐点だったね……」

 今思えば、ノアは相当寛大な対応をしてくれたと思う。
 あそこで踏みとどまっておけば、まだやり直せたかもしれなかった。
 彼とではない。すっかり歯車の狂ってしまった人生を、だ。

 ——しかし、アローラは止まれなかった。
 スミス家の秘宝を持ち出し、強引にシャーロットを排除してノアの隣の席を奪おうとした結果が、死刑を待っている現状である。

「あーあ、私処女のまま死ぬのかぁ」

 そんな事を嘆いていると、突然周囲に遮音の結界が張られた。

(暗殺者かな? まあなんでもいいけど)

 姿を現したのは初老の男だった。

「アローラ嬢でございますな」
「誰?」
「テイラー家執事のイーサンと申します」
「テイラー家の執事? 何、死刑執行が待っていられなくて、殺しにでもきた?」
「はっは、もうすぐ死ぬとわかっている者を殺しにくるほど暇ではありませぬ。その逆です」
「逆?」
「えぇ。アローラ嬢、私はあなたに死ななくて済む道を提示しに参りました」
「……馬鹿なの?」

 アローラは鼻で笑った。

「私はあんたのところの次期当主とその姉を襲ったのよ? それに、私にもう生き延びる意味はないわ」
「なるほど。逃げの選択をするという事ですか」
「……はっ? 死刑を受け入れる事がなんで逃げになるのよ?」

 イーサンに鼻で笑われ、アローラはムキになった。
 テイラー家の執事は涼しい表情のまま、

「逃げでございましょう。シャーロット様とエリア様、そしてノア様に対する罪の意識から解放されるわけですから」
「っ……!」

 アローラは目を見開いた。
 予想外の言葉だったからではない。彼女も心の奥底では思っていたのだ。
 これだけ迷惑をかけて罪を重ねておいて、自分はただ死ぬだけでいいのか、と。

 唇をかむアローラに、イーサンは問いかけた。

「彼らに少しでもつぐなえる道があるのだとしたら、貴女はそれを選びますかな?」
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