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第一章

第42話 頼って、甘えてください

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 エリアからのお叱りを受けたその日の放課後、僕はシャルの家で彼女と向かい合っていた。
 放課後に話がしたいと申し出たところ、「私もお話ししたい事がありますし、私の家に来ませんか」と提案してくれたのだ。
 二人きりで話したかったので、ありがたかった。

 僕はシャルの目を見て、口を開いた。

「シャルも気づいてたと思うけど、ここ数日、僕はずっと君に対して距離を取ってた。本当にごめん」

 頭を下げる。
 シャルは何も言わない。
 僕の話を最後まで聞いてくれるつもりなのだろう。

「僕がシャルを遠ざけた理由は、簡単に言えば気後れを感じていたからだよ。ロクに魔法も使えず、シャルに助けてもらう事しかできない自分が情けなくて、シャルに守ってもらわなきゃいけないのが悔しくて……そのやるせなさを君にぶつけちゃった。僕のくだらないプライドのために不快な思いをさせて、本当に申し訳ない」
 
 再び頭を下げる。
 怒鳴られる事はないにしても、愚痴の一つや二つは覚悟していた。
 だから、シャルの返答には驚いた。

「顔を上げてください、ノア君。謝らなければならないのは私の方です」
「……えっ?」

 何で、シャルが?

「私の心ない言葉でノア君を傷つけてしまいました。こちらこそ、本当に申し訳ありませんでした」

 シャルが深々と頭を下げる。
 僕は慌てて手を振った。

「ちょ、シャルは何も悪くないよっ! 僕が勝手にうじうじしてただけだから」
「いえ、今思えば、私の言い方も悪かったです。それに以前、ノア君はおっしゃいましたよね? どういう意図で伝えたかよりも、どういう意図で伝わったかの方が大事だと」
「うっ……」

 昔の自分の言葉を持ち出されると、なかなか反論し難いな。

「私は、ノア君と支え合える関係になりたいのです。家事をしてくださったり、風邪の看病をしてくださったり、私はたくさんノア君に助けられてきました。精神的にもいっぱい救われました。だから、せめてノア君の体くらいは守らせてください。私の得意分野では、頼ってほしいのです」
「……シャルには敵わないね」

 ここまで真っ直ぐな想いを伝えられては、もう意地を張る事など不可能だった。

「ありがとう、シャル。おかげさまで心が軽くなったよ」

 シャルがストレートな想いをぶつけてくれたから、僕も彼女の役に立っていると自信を持つ事ができた。
 すると不思議なもので、人間主義者たちに襲撃された日からずっとくすぶっていた彼女への気後れが、煙のようにスッと消えていった。

「僕もできる限りの事はするから、お互いフォローしながらやっていこう。多分、今後はもっと頼っちゃう事になるけど……」
「それはお互い様ですよ。むしろ、基本的には私が甘えてばかりなのですから、ノア君はもっと頼って、甘えてください。以前から言っていますけど」

 シャルが頬を膨らませた。
 いかにも不満です、というその表情が可愛らしくて、僕は思わず笑ってしまった。

「……ノア君。私は頼ったり甘えたりしろ、と言ったのです。馬鹿にしろとは一言も言っていません」
「馬鹿にはしてないよ。ただ、可愛いなって思っただけ」
「なっ……⁉︎」

 シャルの顔がみるみる真っ赤になっていく。
 クマのぬいぐるみに顔を埋め、上目遣いで睨んでくる。

「……ばか」
「っ……!」

 あまりの可愛らしさに、僕は息を呑んだ。
 自分でも、頬が熱を持つのがわかる。

「そう、それでいいのです。私ばかりはずかしめを受けるのは不公平ですから」

 ふふん、と得意げに笑うシャルが可愛くて、それ以上に優位を取られている事が悔しかった。
 シャルが抱えているぬいぐるみごと、その華奢な体を抱きしめた。

「あ、あの、ノア君っ……⁉︎」

 腕の中で、シャルが上ずった声を出した。

「だめだった?」
「だ、だめではありませんけどっ、いきなりというのはその、心の準備が……!」
「だめじゃないならよかった」

 僕はシャルのサラサラの髪の毛に頬を寄せた。
 いい匂いだ。
 もちろん恥ずかしいし、性的興奮もき立てられはするが、それ以上に安心した。

「……ずるいです、ノア君は」
「知らなかった? 男って皆、ずるいんだよ」
「知りませんよ。こういう事をするのも、したいと思うのもノア君だけなのですから」
「っ……!」

 息が止まる。

(本当に、この子は……)

 たまに無自覚でクリティカルを繰り出してくるのだから、心臓に悪い。

「どっちがずるいんだか……」
「えっ、何かおっしゃいましたか?」
「ううん、何でも。もうしばらく、こうしていていい?」
「ノア君の気の済むまで、ご自由にどうぞ」

 ふふっと笑い、シャルが僕の背中に腕を回してくる。
 僕らはしばし、無言で抱き合っていた。



 十分ほどそのままでいただろうか。
 これ以上はさすがに良くないだろうと思い、僕はシャルを解放した。
 ……本当は五分ほど前からよくないとは思っていたのだが、シャルが文句を言わずに身を預けてくれていたので、ズルズル引き伸ばしてしまっていた。

 正面から抱き合っていたので、離れると自然に向かい合う形になる。
 シャルの表情は、どこか夢見心地だった。
 目はとろんとしており、頬は上気していた。

 小さく開かれたままの唇に目が吸い寄せられる。

(キスしたい)

 切実にそう思った。
 今の雰囲気なら、シャルも許してくれそうな気がした。

(いや、だめだよね普通に)

 大人ならともかく、僕たちはまだ中学三年生だ。
 恋仲ならともかく、そうでもないのにキスをするのはまずいだろうし、シャルとはそんな曖昧で不健全な関係でいたくない。

 名残惜しさを感じつつも、僕はシャルから視線を逸らして、ソファーに座り直した。

「……はっ」

 隣から小さな声が聞こえた。
 シャルも慌てて体勢を整えているらしく、衣服のこすれる音がした。

 チラリと横目でうかがうと、その頬は先ほどよりもさらに赤みを帯びていた。
 気まずいし、何より照れ臭い。

 机に置かれていた新聞に手に取ってみる。
 一面に書かれていたのは、一つの惑星が僕たちの住むスーア星に近づいてきているという情報だった。

 魔法技術の発展に伴い、少しずつ世界の謎は解明されてきていた。
 一例として、宇宙にはたくさんの星がある事がわかっている。
 世界の全てだと思っていたスーア星が、実はその中の一つに過ぎないと知った時には、衝撃を受けるとともに男心をくすぐられたものだ。

 他の惑星との交流も、魔法技術の発展により可能になった。
 本来なら到底交われないほど遠くに存在する星同士でも、魔法を使えば繋がる事ができるからだ。

 ただし、別の惑星への扉を開ける事のできるほどの技術を有している星は数少ない。
 かくいうスーア星もそちらの方面の技術は発展途上で、実験自体は進められているが、実用化には至っていない。

「シャル、この記事はもう読んだ?」
「惑星の接近ですか? はい、読みましたよ」
「何年ぶりだっけ?」
「前回は確か……まだ中学生にはなっていなかったので、三年か四年ぶりですね」
「そんなもんか」

 記事によると、接近中のサター星は、前に友好関係を築いている他の星から「攻撃的だから気をつけろ」と忠告されていた星だそうだ。
 決して歓迎すべき事ではないが、スーア星としても対策はしている。

 具体的には、魔法で扉が必ず一定の地域——特定来訪区域と呼ばれている——に開くように誘導しているのだ。
 一般人は立ち入り禁止のところだし、今までそこで戦争が行われた事もないため、正直あまり危機感は覚えない。

 特定来訪区域におもむいて異星人と接触しなければならない国家魔法師などは、それこそ緊張するんだろうけど。

「にしても、接近はクリスマス前後か……慌ただしくならないといいな」

 エリアに発破をかけられた事もあり、僕はクリスマスにシャルに告白する方針を再度固めていた。
 もちろん、本人には言っていないが。

「そうですね。でも、スーア星の国家魔法師の方々は優秀ですから、大丈夫でしょう」
「そういえば、ルーカスさんも国家魔法師なんだっけ」

 ルーカスは、シャルとエリアの魔法の師匠である。
 以前話題に上った時に、エリアがあの人国家魔法師なんだよ、と話していて意外に思った記憶がある。

 国家魔法師は、職や給料が国から保障される代わりに、他の魔法師ほど自由が効かなくなる。
 ルーカスには一匹狼気質だという印象を抱いていたので、当然そういうのは忌避するだろうと思っていた。

「えぇ。ちょうど昨日お会いしたのですが、喧嘩でも売られたら面倒くせえな、とぼやいていました」
「一回しか会った事ないのに、すごい想像できる」
「ですよね」

 僕らは顔を見合わせて笑い合った。



◇   ◇   ◇



 一切のものが置かれていない、真っ白い四角い空間。
 そこでは二人の男女が向かい合っていた。

 否、向かい合っていたという表現は正しくないだろう。
 なぜなら、どちらも超高速で移動を続けているのだから。

 男の周囲から出現した無数の氷の槍が、女に全方位から襲いかかる。
 球形の結界で防いだ女から、お返しとばかりの無数の土の弾が飛ぶ。
 男は氷の壁でそれらを防ぎ切った。

 そして互いに次の技を展開しようとしたところで、

『訓練、終了』

 感情のない女の声が、その時間の終わりを告げた。



 男——ルーカスは足早に退出して、外に置いていた水筒を口に含んだ。
 全力に近い戦いをした後だ。
 喉を通る冷たい感触が心地よい。

「お疲れー」

 同僚のアヴァが笑いかけてくる。
 先程までルーカスと戦っていた、国家魔法師の中で一、二を争う実力派の女魔法師だ。

「あぁ」
「相変わらずルーカスは強いね。これならサター星の人たちが攻撃してきても安心だ」
「んな面倒くせえ事態はごめんだがな」

 二人は、一ヶ月半後のクリスマス頃と推測されているサター星の接近に備えた訓練に参加しているのだ。
 国家魔法師は全員が強制参加であるため、拒否権はない。

「まあ、これまでにも争いごとに発展するような事はなかったから大丈夫だとは思いたいけど、最大限の警戒はしておかないとね」
「あぁ」
「ねえ、私に対する返事が半分以上それなのは気のせい?」
「あぁ」
「絶対気のせいじゃないっ!」

 アヴァがプンスカと怒ってみせるが、ルーカスは取り合わなかった。
 いつもの事なので、アヴァも特に気にしたりはしない。

「そういえば最近、愛弟子はどう?」
「あぁ? まあ順調に育ってんじゃねーの?」

 無論、シャーロットとエリアの事である。

「適当ね。どっちも中三でしょ? そろそろ彼氏でもできた?」
「さぁな。姉の方はそれっぽい相手はいるみてえだが」

 ノアの事だ。
 ルーカスは、先日エリアに会った時に「ラブラブなんですよ、あの二人。妬いちゃいますよね~」と冗談とも本気ともつかない声色で愚痴を言われた事を思い出した。

「あらまぁ」

 アヴァが口元に手を当て、目を輝かせた。

「それは寂しくなるわね。泣きたければ私の胸に飛びついてきてもいいのよ」
「はっ」
「あっ、鼻で笑ったわね⁉︎ ひどい! 私、これでも結構大きいのに!」
「うるせえ」

 抗議の声をにべもなく一蹴しながら、ルーカスは、

(いっその事、サター星の奴らが素通りしてくれりゃ、それが一番楽なのにな)

 と思った。
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