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第四章『恋惑』~揺れる記憶~

フェリデロード家での一夜・騎士の本領発揮

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「アレクさん……」

 アレクさんが目覚めた日の夜、私はベッドの中に入っても眠れなくて……。
 一泊する事になったフェリデロード家の庭へと足を延ばしていた。
 もうすでに、このお屋敷の人達は眠りに入っているのだろう。
 誰とすれ違う事もなく、私は綺麗な星空の広がるその下で、長椅子に座って空を見上げているアレクさんの姿を見つけた。
 エリュセードの空に輝く、三人の神々の象徴……。
 それを見つめるアレクさんの瞳には、物悲しさのような気配が感じられる。
 神様として覚醒したものの、自分の本当の名も、完全な力も、記憶も、全てが中途半端になってしまったアレクさん……。不安にならないわけがない。

「アレクさん、こんばんは」

「ユキ……? どうした? こんな夜遅くに」

 微笑と共にこちらを向いてくれたアレクさんの隣に座り、眠れない心を落ち着かせる為にやって来た事を告げると、予想通り、同じ答えが返って来た。
 一週間もの間眠り続けていたせいもあるけれど、やはり、神様としての目覚めを迎えてしまった事が、彼の心に翳りを落としているらしい。
 私と同じように、外の空気を吸いに来たと答えたアレクさんの表情は、暗かった。
 一緒に星空を見上げ、暫しの間、静寂に包まれる……。

「アレクさん……」

「ん?」

「神様は……、いつか、天上に帰ってしまうんでしょうか」

 もうアレクさんは、ただの狼王族ではない。
 エリュセードを見守る神の一人として目覚めを迎えてしまった……。
 それが何を意味するのか……。ルイヴェルさんから覚悟をしておけと言われてはいたものの、アレクさんが目覚めるまでの一週間、そして、今も不安は大きくなり続けている。
 頭上の空から視線を外したアレクさんが、困ったようにその手を伸ばして、私の頭をくしゃりと撫でた。

「不完全な目覚めを迎えてしまったが……、このエリュセードが今、どんな状態なのかは、わかっているつもりだ」

「エリュセードの、状態?」

「世界とは、神々の力を受ける事によって存在し続ける事が出来る……。エリュセードの柱たる三人の神を主軸とし、それを支え、各々の力を揮う神々。彼らの存在がなければ、この世界は生きる事が出来ない」

 世界の創造、維持、流転、その全てを司っているのが、エリュセードの神様達……。
 けれど、今のエリュセードは、非常に危ういバランスの上に成り立っているらしい。
 古の時代、ディオノアードの鏡が騒動を引き起こした際、神々が受けた負荷は相当のものだった、と。そう語るアレクさんは、きっと昨日の事のように、当時の事を思い出しているのだろう。

「全てを思い出す事は出来ないが……、疲弊しきった神々は、世界に散らばろうとしたディオノアードの欠片をその魂に取り込み、天上にて眠りに就いた。自分達が目覚めるまで、己の力の一部を切り離し、エリュセードという世界を安定させる為の力を残して……」

 眠りに就いた神々は、ディオノアードの欠片をその魂に抱き、神だけが行使する事の出来る術式を用いて、地上に生きる命となり、浄化と癒しの時を過ごし始めた……。
 時が来れば、その肉体の死と共に魂は天上へと戻り、神としての目覚めを迎える。
 けれど、今の天上には、僅かな神の気配しかないのだと、アレクさんは眉根を寄せて険しげに呟いた。

「あれ、でも……。アレクさんは死んでいませんよね?」

「あぁ。俺の覚醒は、人の身を媒体に強引な方法を用いて促されたものだったからな……。本来、この身が死した後(のち)に、天上で目覚めを迎えるはずだった」

「じゃあ、今のアレクさんは……」

「狼王族であり、神でもある、その狭間の存在と言ったところだな。別に支障はないんだが、最終的には、神の器に戻る必要がある」

 その話に不安を覚えていると、アレクさんはそれを払拭するように、自分の胸へと右手の親指を軽く突いた。確かに、本来の目覚めとは違ったけれど、別に今の身体を壊すような真似をする気はない。私を安心させる為に笑みを浮かべたアレクさんは、狼王族の身体で、いつか一度天上に戻るのだと言った。

「多くの神々が眠りに就いた事により、エリュセードという世界を調整し、それを維持する存在が少なくなってしまったからな……。天上に帰らない、という選択肢は、ない」

「そう、ですか……」

 アレクさんとの別れは避けられないもの……。
 その言葉を本人の口からはっきりと聞いた私は、目元にじわりと涙が浮かぶのを感じた。このエリュセードに帰った私を、ずっと支え続けてくれたアレクさんが、手の届かない所に行ってしまう。その事実に、胸の奥が……、引き裂かれるような苦痛を覚える。

「絶対に……、ですか?」

「あぁ……。俺は神として、このエリュセードを支える存在として在らねばならない」

 淡々と事実を口にしているアレクさんは、……平気、なのだろうか。
 今までずっと一緒にいた私達と離れて、神様の世界に戻る事を、当然、だと。
 事実をありのままに受け止め、私達とは違う道を歩む事に、迷いは?
 皆と別れる事を、寂しいと、悲しいと、思い悩んではくれないのだろうか……。
 それとも、神様として目覚めた事で……、もう、以前のアレクさんではなくなってしまったのか。

「だが……、俺はお前の事を諦める気はない」

「え……」

 不意に、アレクさんが俯いて涙を堪える私の肩を抱き、自分の方へと振り向かせた。以前と変わらない、優しく穏やかな蒼の双眸に、強い決意の光が宿る。
 
「たとえ神として目覚めても、ユキ……、お前を愛し求める感情は止められない」

「あ、あの……っ」

「神としての俺も、アレクディース・アメジスティーとして生きてきた俺も、どちらも同じものだ。目覚めを迎えたとしても、お前に対する想いが消える事はない。だから、天上に戻る事が避けられなくても、俺は必ずまた、お前の許に戻る。必ず……」

 だから、何も不安に思う事はない。
 その声音に嘘はなく、アレクさんは私をそっと自分の胸に抱き寄せると、もう一度同じ言葉を繰り返した。

「戻ってくる……。俺は、まだお前の答えを聞いてはいないからな」

「アレクさん……」

「それに、俺にとってこのウォルヴァンシアは、かけがえのない、大切な場所だ。その何もかもを捨てるような事は、絶対にしたくはない」

 神としての責任も果たすけれど、狼王族の騎士として生きる事も、諦めたくはない。だから、絶対にその方法を探すと、アレクさんは低めた声音の底に確かな力を込めた。ほんの僅かでも、アレクさんが変わってしまったのかもしれないと思った自分が恥ずかしい。
 アレクさんはちゃんと、私達と一緒に生きていく道を考えてくれていたのに。
 私を見つめ誓いを交わすアレクさんは、以前と一緒。何も、何も、変わらない。
 その言葉にほっと安堵していると、今度はムッとしたような表情を目にする事になった。

「あ、アレク、さん?」

「大体……、俺が自分からあの男にお前を譲り渡すような真似をするはずがないだろう?」

「え? あ、あの男、って」

「竜の皇子の事だ。俺がいなくなれば、嬉々としてお前に手を出しにかかるだろうからな。……そんな真似、絶対に許すものか……!」

 瞬間、ゴォオオオッ!! と、アレクさんの背後に燃え上がる炎を見た気がした。
 神様として目覚めたからといって、そのまま自分が恋の戦いからフェードアウトすると思うなよ? 的な、カインさんへの凄まじい敵意が溢れんばかりに伝わってくる!
 私の身体を抱く力がぐっと強まって、アレクさんの双眸に苛烈すぎる殺気の気配が……っ。

「初めて抱いたこの気持ちを……、自分から捨てたりはしない」

「あ、アレクさん、お、お気持ちはよくわかりましたっ、から、あの、手を、ですねっ」

 何だか、やっぱり以前よりも少しだけ何かが変わったような気がして仕方がない。
 戸惑う私を、アレクさんはさらに強く抱き締め、その温かな手のひらに私の頬を抱いた。
 
「俺は今まで通り……、いや、これまで以上に、一日も早く、お前の心が俺を求めてくれるように努力していく気だ」

「い、今まで、以上、ですか?」

 正直それは、私の心臓に悪すぎるのでご遠慮して頂きたい!
 けれど、アレクさんはカインさんに先を越される未来を想像してしまったらしく、その恐ろしい宣言を撤回してくれる気はないらしい。
 困惑に揺れる私のブラウンの瞳を見つめながら、そっと目元に唇を寄せてきた。
 
「あ、アレクさんっ?」

「もっとお前と二人の時間をもって、俺の想いを、伝え続けたい……。しっかりと、余す事なく」

 私に対する真剣そのもののお気持ちはよぉおおおくわかりました!!
 だけど、唇以外はセーフだと思って、積極的なスキンシップをしてくるのは、お願いですからやめてください~!! 
 そう内心で絶叫したものの、前回のカインさんとの一件から、何かが吹っ切れてしまったらしいアレクさんは、その勢いのままに私を自分の膝へと抱えてしまう。
 
「あ、あの、アレクさん……、こ、この体勢は一体っ」

「少しだけ、じっとしていてくれるか」

「え? は、はい」

 確実に恋愛的積極度がレベルアップしているアレクさんに翻弄されていると、その大きな手のひらが私の鼓動の上に重ねられてしまった。羞恥のあまり小さく声が漏れたけれど、アレクさんは別に変な目的で私のそれを触ったようではなくて……。次の瞬間、蒼銀の光が私の胸元で溢れ出した。

「な、なにっ!?」

「すまない……。だが、一度確認しておきたかったんだ」

 何を……と、尋ねる暇もなく、私の胸から一気に溢れ出したのは、複雑な紋様を描く光の波。
 夜空を彩るように舞い上がったそれが、徐々にその形を変えていく。

「アレクさん……、これは、何なんですか?」

「開花の時を待ち望む……、お前の心だ」

「え……」

 真っ白な光は、やがてひとつの形、――柔らかな花弁を持つ、大きな集合体となった。
 アレクさんの腕の中から見えるそれは、とても温かな光で私達を照らし出している。

「想像した以上に、ユキの心は美しいな……」

「あ、アレク、さん? これが私の心、って……、どういう事なんですか?」

「勝手な真似をしてすまない……。だが、今のお前が、俺とあの男の事をどう思っているのか、確かな形で確認しておきたかった……」

 アレクさんが私を地面に下ろし、淡く発光する巨大な花へと促した。
 その中心を上から覗き込むと、――小さな蕾がふたつ。夜風から守られるように佇んでいた。
 花の中に、また、花の蕾……? 二つの蕾を彩るのは、薄桃の気配。
 それぞれの蕾には、蒼と真紅の光を帯びた、茨の蔦のようなものが別々にそっと寄り添っている。
 これが……、私の、心? 本来であれば、それは誰の目にも見える事のない存在のはず。
 それなのに、私の目には確かなそれが映り込んでいる。
 恐る恐るその花弁に手を触れてみると、しっとりと溶けるような感触が伝わってきた。
 
「感触はあるようですけど、掴んだりは出来ないんですね……」

 それに、心を表へと引き出されているというのに、私の身体は何ともない。
 だけど……、自分の心をひとつの形として見る、というのも不思議な感覚だけど、それとは別に、アレクさんの目にも触れているかと思うと……。うぅっ、やっぱり恥ずかしいっ。

「あ、アレクさん!! そ、そんなにじっくりと見ないでくれませんか? 何だか、凄く、は、恥ずかしいです」

 花の中心を熱心に見つめているアレクさんの袖を引いて、ぷるぷると震えながら懇願すると、はっとしたようにアレクさんが我に返った。
 僅かにその頬を赤く染めたアレクさんが、口元に手を当てて謝罪の言葉を口にする。

「す、すまない……。今までは、お前の心をこんな風に見る術(すべ)を持たなかったから、つい……、しっかりと見ておきたくて」

「い、いえ……。そ、それで、あの、この中心にある二つの蕾って、その、も、もしかして……」
 
「あぁ……。お前が思っている通り、これは俺達二人に対する、お前の感情を表したものだ」

 どちらも、今は同じくらいの濃さで、薄桃色に色づいている。
 二人に対する私の心が、はっきりと目にわかる形で……。
 固く閉じた蕾が、ふるっと可愛らしく揺れる様を見た私は、開花の時を待ち望むそれに触れてみた。

「心って、目には見えないものだって、思ってましたけど……。不思議ですね、今の私の気持ちは、こんな風に……」

「――アイツの方が濃い」

「え?」

 感慨深い気持ちで柔らかな蕾の感触を楽しんでいると、不意にアレクさんが怖いぐらいに声を低めた。……こ、濃い、って? 一体何が……。
 アレクさんは、この世で一番憎むべき敵でも相手にしているかのように、真紅の光を纏う蔦が寄り添っている方の蕾を睨んでいる。

「ユキ……、やはり、アイツの方がお前に近いのか」

「な、何が、ですか?」

 蕾から視線を外したアレクさんが、私の手を取って自分の胸に抱き寄せる。
 悔しがっている……、そんな気配の漂うアレクさんだけど、その原因がわからない。
 私はアレクさんの腕の中で身じろぎをすると、花の中心に佇む二つの蕾へと視線を向けた。
 薄桃色に染まる可愛らしい蕾……、もしかして、これの事を言っているのだろうか。目を凝らしてみれば、確かに……、片方だけ、少し、色味が濃い気がしないでもない。ほんの僅かに、だけど……。
 真紅の光が彩る蔦に守られた蕾……、もしかして、これは。

「あの、アレクさん……、もしかして、アイツ、って」

 その名を口にしようとした瞬間、アレクさんが私の口をその大きな手のひらで塞ぎ、音にする事を禁じた。悔しそうに歪んだ綺麗な顔が、私の首筋へと埋められていく。

「僅かな差だ……。だが、それが命取りとなる時もある」

「あ、アレク、さん?」

「ルディーの言う通り……、迷い恐れる事は、お前を大切に想うこの感情は、足枷にしかならないようだ」

 アレクさんが片手を大きな花に翳すと、夢幻のように私の心は夜闇の中で溶け消えた。
 後に残ったのは、ある種の決意に燃える蒼の双眸……。
 何だか、背中にぞくりと危険な気配を感じるのは気のせい……、かな?
 
「やはり、時には攻め落とす覚悟で臨むべきだと、そう痛感している」

「せ、攻め落とす、って、あのっ、アレクさんっ!?」

 あ、アレクさんの唇が、吐息が、私の耳の後ろに……!!
 ぞぞぞぞぉぉぉっ、と、まるでルイヴェルさんに意地悪をされる時のような本能の警告が全身を駆け巡っていく。
 真っ赤になって口をパクパクとさせる私を、アレクさんが楽しそうに見つめてくる。
 
「先日も同じような事を言ったが……。安全で無害な男でいるのは、もうやめる。……そうしなければ、お前を手に入れる事は出来そうにないからな」

 いえ!! むしろ、安全で無害な良識のある騎士様でいてください!!
 そう全力でツッコミを入れたかったけれど、やっぱり言葉にはならなかった。

「恋愛は、我儘になってぶつかり合ってこそだと、ルディーが言っていたからな」

 いえ、そのアドバイスをしたルディーさんに抗議の声を上げたいところですが、とりあえず、本気で攻め落とす気満々の妖しい視線を私に向けるのはやめてください、アレクさん!!
 し、心臓が、これ以上の猛攻には耐えきれないとばかりに、鼓動を打ち鳴らしていく。私の心が、異性と認識している騎士様の本気を感じ取り過ぎて、思考さえも蕩かしてしまう。

「あ、アレクさんっ、か、神様として覚醒した影響で、ちょっと変になってるんじゃないでしょうかっ」

「狼王族と神、どちらも俺の人格は変わらない……。だが、抑え込んでいた感情の枷は、外れた気がするな」

「か、枷、ですか?」

「地上の命として生きる場合、ある程度、神としての本質は抑え込まれる。それを覚醒後に取り戻したお蔭で、前よりも解放された気分だ」

 い、意味がよくわからないけれど、狼王族として生きてきたアレクさんの真面目で良識のあるリミッターのようなものが、神様として覚醒した事で意味をなさなくなった、という事、なんだろうか。
 何というか……、一言で表すと。

「吹っ切れた、って事ですか?」

「その言葉も一理あるな。俺はお前の事が好きだから、遠慮して悩んでばかりでは、あの男に奪われてしまう。だから、俺は我儘になる事に決めたんだ。お前は困るかもしれないが、これからの事は、俺のお前に対する愛故だと思って、受け止めてほしい」

 晴れがましい……っ。今までに見た事もないくらいに、アレクさんの顔が爽やかに輝いて見える……。一歩後ろに引きかけた私を抱き寄せ、本気の笑みを浮かべるその表情に、迷いは一切ない。

「愛している、ユキ……。お前をあの男に渡したりはしない」

「あ、あのっ、で、出来れば、お、お手柔らかにっ」

「そんな事をしていては、お前の心を掴む事は出来ないだろう?」

「で、でもっ、いつものアレクさんの方が、私は……っ」

 私にとってのアレクさんは、いつも優しくて、穏やかで、頼もしくて……。
 と、とにかく、私の嫌がる事は絶対にしない紳士のお手本みたいな人だったはずなのに!!
 今のアレクさんは、恋の戦いに燃える積極的な闘志が前面に押し出されている。
 前回の、副団長質の裏手でお見舞いされた不意打ちよりも、さらにレベルアップしている。
 
「俺は、自分自身に正直に生きる」

「しょ、正直に生きるというのは、い、良い事、だと思いますけどっ、あ、あのっ」

 わざと唇を避けて、アレクさんは羞恥に染まる私の顔に温もりを寄せて触れてくる。
 ど、どうしよう……。嫌だとは思わないけど、カインさんが手紙に残した通り、二人きりになるのは避けるべきだった。今のアレクさんは、私にとって安全で頼りになる人じゃなくて、どこからどう見ても危険人物に認定されるレベルの艶を放っている。
 押しのけて逃げるべき……、とは思うけれど、それをすると、アレクさんが冗談抜きで落ち込む未来がっ。だけど、両想いでもないのに、こういう触れ合いを許すのは、優柔不断だしっ。

「あ、アレクさん!! お、落ち着いてくださいっ!!」

「俺は落ち着いている。心の底から平常心だ」

 私がこんなにも困っているのに、アレクさんの猛攻はやまない。
 本当に、今まで積み重ねていた良識と理性の壁を粉々に突き崩してしまっている。
 自分の温もりの中に私を閉じ込め、このまま私が気絶しそうなくらいに、同じ言葉を繰り返す。

「好きだ……。ユキ、お前の全てが……、愛おしい」

「あ、アレク、さんっ」

 愛を囁かれる度に、私の心へと甘い毒が浸食してくるかのようだった。
 今までは、私が怖がったり困っていると、すぐに引いてくれていたのに……。
 こ、こんな、予想外過ぎるパワーアップは、正直困るっ。
 
「アレクさんっ、も、もう離してくださいっ。こ、これ以上はっ」

「まだ、触れていたい……。ユキ、、お前の心に俺の想いが溢れるくらいに」

『させるかあああああああああああああああ!!』

 瞬間、熱に溺れるような声音でアレクさんが囁いたそれを遮るように、頭上高くから恐ろしいほどの怒号が響き渡った。黒く巨大な影が、私達目がけて急降下で突撃しようと……!
 逃げる暇もなく、ぎゅっと瞼を瞑った直後、別の声が私達の窮地を救ってくれた。

「夜中に吼えるな。――カイン」

『ぎゃああああああああああああああああ!!』

 地上に向かって突っ込んできた黒い影の本体を、割り込んで来た別の影が華麗な一撃と共に、大空へと殴り飛ばした。一瞬だった……。普通に考えて無理でしょうとツッコミを入れたくなるような、お互いの体格を無視した逆転劇。
 パンパンと、黒く巨大な影を空の彼方に吹っ飛ばしてしまった、――ルイヴェルさんが、自分の手を払っている。

「る、ルイヴェル……、さん?」

 何故ここにルイヴェルさんが? 黒いシャツに、同じ色のズボンという恰好で現れたルイヴェルさんは、珍しく眼鏡を外しており、ふぅ、と疲れたように息を吐き出していた。
 ぽかんと口を開けたままの私に視線を向け……、スタスタスタ。
 私を腕に抱いたままのアレクさんの頭を容赦なくべしっとはたき、引き剥がす。
 
「部屋にいないと思って捜しに来てみれば……。アレク、お前にも躾が必要か? 喜んでやってやるが」

「ルイ……」

「求愛をしたいなら、時間を考えろ。それと、あまり迫り過ぎても、嫌われる原因になるぞ。覚えておけ」

 子猫の首ねっこを掴むように、絶対零度の眼差しでルイヴェルさんがアレクさんのそれを鷲掴み、ズルズルと引き摺って、強制連行に入ろうとする。
 けれど、屋敷の中に戻る前に、ルイヴェルさんは私の方へと振り向いて一言。

「ユキ、ルチルを護衛につける。早く部屋に戻れ」

「は、はい……」

 芝生の上をしなやかな足取りで近づいてきた、黒豹似の動物、ルチルちゃん。
 私の足元に懐きながら、長いふさふさの尻尾を揺らすルチルちゃんの頭を撫でてあげると、『ニャァァンッ』と、嬉しそうな鳴き声がひとつ。
 
「あの、ルイヴェルさん……、さっき、殴り飛ばしていた黒い物体って、もしかしなくても」

「あの程度でどうこうなるような奴じゃない。放っておけ」

「で、でも……」

 夜空の彼方に飛んで行った黒い影、もとい……、大きな竜の姿を纏っていたあれは、多分、間違いなく……、カインさんだった。
 フェードアウトしていく声が、『このクソ眼鏡ぇえええええ!!』と絶叫していたのを、私は確かに聞いた気がする。カインさん……、イリューヴェルから戻ってきたんだ。
 一週間……、何かの用事で留守にしていたカインさんだけど、どうしてこっちに?
 しかも、アレクさんに抱き締められているシーンを、間違いなく絶対に見られた。
 戻ってくるまで、絶対にアレクさんと二人きりにならないようにと、そう言われていたのに。
 
「ごめんなさい……、カインさん」

 一方的なものではあったけれど、私はカインさんとの約束を破ってしまった事に罪悪感を覚えつつ、もう一度眠りに就く為に自分の与えられた部屋へと戻るのだった。
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