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第三章『魔獣』~希望を喰らう負の残影~

激化する脅威の咆哮……。

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※今回は、最初に幸希の視点。
 次に、ウォルヴァンシア王宮医師、ルイヴェルの視点。
 そして最後に、幸希の視点に戻ります。


 ――Side 幸希

 崖の上にいた時よりも、視界に映っている恐ろしい魔獣の姿が大きくなっていく。
 魔力の恩恵により空を流れるように飛びながら、私達はディアーネスさんの許へと向かって行く。
 人々の怒号や悲鳴、宙に舞う紅の痕跡。
 セルフェディークさんの腕の中から見える世界は……、地獄そのものだった。
 魔獣が結界の外に出ないよう、ガデルディウスの神殿があった場所に張り巡らされた無数の陣の輝き……。再封印が可能となる状態にする為に、大勢の人達が魔獣の周囲を取り囲み、四方八方、びっしりと攻撃の手を繰り出し続けて頑張っている。
 けれど、瘴気から愛された古の存在は、その巨大過ぎる獅子のような体躯で暴れまわり、確実に自分の敵となる人々を引き裂いては地に沈めていく。
 耳を塞ぎたくなるような、自分の瞳を抉り出して全てを拒絶してしまいたくなるような光景に、胸の奥から深い悲しみと吐き気がこみ上げてくる。

「うっ……、はぁ、はぁ」

「大丈夫か?」

「は、はい……。なん、とか」

 魔獣の身から生じる強大な瘴気の余波にあてられた私は、乱れる呼吸を抑えながらディークさんに頷いた。目の前の光景は……、現実。夢なんかじゃない……。
 このガデルフォーンという国を、彼らの世界を守る為に、戦える人達がその命の灯火を激しく燃え上がらせながら魔獣に立ち向かっている。
 私は自分の身体に走る強い震えを払うように首を振って、その光景を逃さずに視界に映した。
 本当に怖いのは、恐ろしくて堪らない感情を抱えて頑張っているのは、ガデルフォーンの皆さんだ。彼らの命を、その志を無駄にしない為にも……、早く私が視た存在(モノ)をディアーネスさんに伝えないと……!


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「青銀の糸……、だと?」

 セルフェディークさんの協力でディアーネスさんの許まで運んで貰った私は、魔術師の皆さんの陣形を崩さないように前へと進み、視えた『存在』の件を伝える事が出来た。ディアーネスさんのアメジストの双眸が戦闘中の魔獣へと再び定められる。
 私の伝えたものを捉えようとしているようだけど、彼女の表情は険しくなるばかり……。やっぱり、視えているのは……、私だけ、のようだ。
 あれが何を意味するのか、あるのは酷く悪い予感だけ……。
 私はディアーネスさんの手を握り、彼女にも視えるよう、自分の中で息づいている力に願った。
 ガデルディウスの神殿を取り巻いていた、その封印を破ろうとしていたあの毒蛇のような存在も、こうする事で他の人にも私の目に視えているものを共有する事が出来た。だから、きっと大丈夫。

「……あれか。確かにあの存在がある限り、道連れになる確率が高いな」

「陛下、私には視えませんが……、排除は可能なのでしょうか?」

 ディアーネスさんの傍に控えていたシュディエーラさんが困惑した様子で問いかけると、あまり良くはない表情が私達へと向けられた。
 この異世界エリュセードでは、『力』に対する『正しい干渉方法』を行使しないと、その効果を無力化する事は出来ない。だけど、今そんな時間は……。
 暴れまわる魔獣を取り囲み、絶えず攻撃の手を続けている魔術師や騎士の皆さんは、その命を賭けて必死に戦い続けている。魔獣の相手をするのに精一杯。
 分析する時間も、余裕も、ありはしない。
 こちら側の、再封印の準備をしている人達だって、詠唱の声を何度も繰り返し、来るべき時に備えて気を抜く事は一切出来ない状況だ。……何もかもが、足りていない。けれど、私には視えるだけで、何をどうしていいかもわからない……。
 
「ユキ、そのような顔をするな……。お前が運んで来てくれた情報は、決して無駄ではないのだ」

「ディアーネスさん……」

「そうですよ、ユキ姫殿。あとは私達が、その情報を元に動けば良いのです」

「シュディエーラさん……。でも、今は皆さんお忙しいんじゃ」

「ラシュディース様を一度こちらに呼び戻します。そして、ユキ姫殿からお力をお借りして、視える状態になったところで、青銀の糸の分析に飛びます」

 それは、可能なのだろうか……。分析用の施設も道具もないこの状況下で、あの糸を取り除く事が出来るの? そう心配する私に、シュディエーラさんは安堵を促す笑みを纏い、確かな頷きを返してくれた。

「ご安心ください。施設を使わずとも、他にも手はありますから」

「まぁな。多少のリスクは伴うが、出来ねぇわけじゃない……。ユキ、あとはシュディエーラとラシュに任せとけ」

「ディークさん……、はい」

 私の肩を軽く叩いたディークさんに頷くと、私は自分の視えているあの青銀の糸を他の人にも視えるようにと、この力を分け与えた。
 何故、前にもそうしたはずなのに、他の人には視えなかったのか……。
 疑問は心に残るけれど、自分の力の正体や本質を掴めていない私にそれを知る事は出来ない。

(どうか……、無事に再封印が成功しますように)

 胸の前で両手を組み合わせ、ひとつの山を思わせるほどに巨大な魔獣を前方に見据えながら強く祈る。あの正体不明の子供達が、ただ魔獣を甦らせてそれで終わらせるようには思えない。必ず……、何かを仕掛けてくる予感がする。

「……ディークさん、あの子達は、来るでしょうか」

「来るだろな。あの悪趣味なガキ共がただ静観を決め込むには、掻き回す材料が揃いまくってる」

「……」

 魔獣と皇子様達の間を繋ぐ青銀の糸の許に辿り着いたシュディエーラさんとラシュディースさんが何かをしているらしき姿が小さく上空の方に見える。
 そこに、さらに上の方からシュディエーラさん達の許へと飛び下りてくる影がひとつ。多分、あの強風にはためく白衣は……、ルイヴェルさんのものだろう。
 皇子様達の魂を解放する為に作業をしていたルイヴェルさんにも、あの青銀の糸の存在はきっと重要な物となるはず……。シュディエーラさんとルイヴェルさんに分析を任せたラシュディースさんが、暴れまわる魔獣の注意が糸の方に向かわないようにと、その血に飢えた凶暴な眼前へと飛び出していく。
 私はそこから視線を外すと、まだ自分に視える怪しい存在はないかと、再び結界の外から魔獣の周囲を調べる為にディークさんの協力を得て空に飛んだ。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ――Side ルイヴェル

「ユキ姫殿がいなければ、気付く事は出来なかった事でしょう……。ルイヴェル殿、どうでしょうか? 視えるように共有をしたつもりですが、不具合はございませんか?」

「すまないな。だが、あれの力の乱用は極力抑えたかったんだがな……」

 皇子達の魂を縛る黒銀の力に干渉し、その呪われた定めから解き放とうと人が厄介な作業を行っていたというのに、今度は別の力を行使か……。
 どれだけの面倒な罠を仕掛けているのかという忌々しさに、当然ながら苛立ちが度を越した勢いで募っていく。
 ガデルフォーンの宰相であるシュディエーラが術を行使し、ユキが視た存在(モノ)を俺にも視えるように調整すると、徐々に何もなかった宙に……、青銀の淡い光を纏う糸が視え始めた。
 ――これか。眼下で暴虐の限りを尽くしている魔獣。
 その体躯から伸びている無数のそれは、俺が先程まで作業をしていた皇子達の魂へと直結しているようだ。
 シュディエーラと共に分析を始めるが、……指先で触れようとしたその瞬間、糸は意思を持った存在であるかのように妙な動きと変化を見せた。
 例えるならば、体内で脈動している紅の鼓動。少し触れただけでも強烈な痺れが走るように抵抗を示す……。
 
「ルイヴェル殿……、これは」

「不味いな……。探ろうとすれば、それを妨害するように形状を変化させ害を成す仕様になっているようだ」

「これでは、分析する事が……」

「並の術者であれば引き下がるところだろうが、……タダで諦めてやる気はない」

「ルイヴェル殿……? ――な、なにを!!」

 あくまで妨害用の雷の痺れにでも似た衝撃が身体を襲うだけの事だ。
 俺は躊躇いなく、その太く肥大した糸を素手で鷲掴むと、実力行使でその衝撃に耐えながら『分析』を始める事にした。
 シュディエーラがそれを止めさせようと声を荒げるが、手段を悠長に考えている余裕などない。
 施設や道具の揃っていない状況下での分析は時間と負担もかかってくるが、出来ない事はない。不可能でない限り、やらないという選択肢はない。

「くっ……、何だ、これは」

「ルイヴェル殿、やはり一度手を離した方が良いのでは……っ」

 直に触れてその本質を探ろうとする俺の脳裏に、許容するには耐えがたい情報量が次々と流れ込んでくる。他の力を分析する場合にも、力の正体を探る為の情報量というものは必ず術者の中に入ってくるものなんだが、今起こっているような余計な負担を防ぐ為に、施設や道具を活用した方が、被害が少なくて済む。
 力のない術者が分不相応な対象を分析すれば失神してもおかしくない情報の質だが……、あの黒銀の力と、もうひとつ……、不可解な要素が俺の頭を埋め尽くしていく。

「ぐっ……」

 身体と精神に襲い来る衝撃もかなりのものだが……、何だ、この妙な感覚は……。
 不可解である対象が、どこか懐かしさを感じさせるとは……、どういう事だ。
 
「うぁっ……、ぐぅっ……、はぁ、……くっ」

「ルイヴェル殿!! 一度手を離されてください!! このままではっ」

「まだだ……っ、まだ……、――っ!!」

 あと少し耐え切れば、これに干渉し、効果を打ち消す方法がわかる可能性を手に入れる事が出来る……。
 シュディエーラからの制止の声を無視し、俺はさらに分析を進めていく。
 魔石の類で補強していなければ不味い事になってしまっていたかもしれないが、今の状態ならまだ無理は利く。

「シュディエーラ!! ルイヴェル!! 避けろ!!」

「ラシュディース様!?」

「――っ!?」

 あと少しだ……、焼き切れそうな痛みの先に在る『核心』を掴もうとしたその瞬間、すぐ真下からラシュディース様の怒声が響いた。
 自分の上で何が起きているのかに気付いた魔獣が、魔術師や騎士達を薙ぎ払い、その瘴気で満ち溢れる体躯の大口を開け襲い掛かってくる。
 狩られる危機を退ける為に、俺とシュディエーラは脈動する青銀の糸から飛び退(すさ)る。しかし……、手を離そうとしたその瞬間、――何かが見えた。

(何だ……、これは)

 俺の中に流れ込んだあの不可解な情報の類ではなく、目の前に広がったのは……。
 それは時間になおせば、ほんの一瞬の事。
 だが、俺の目には……、知っているはずのそれが、『別の何か』となって飛び込んできた。心までも包み込むかの如く流れる静かな風、どこまでも広がる美しい花々の道……。
 ――目に映る全ての存在を、俺の心が……、魂の奥底が恋焦がれるように求めている。そして、……最後に見えた、存在(それ)は。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ――Side 幸希

 標的を瞬時に定め直した魔獣の猛威がルイヴェルさん達を襲う。
 その光景を目にした私は、ディークさんの制止の声を振り切って前に出ようとしたけれど、行く手を遮るようにディアーネスさんが槍を大地に力強く突き立てて阻んだ。

「ルイヴェルさん達がっ!!」

「落ち着け。案じずとも、シュディエーラとルイヴェルの回収は、サージェスとラシュディース兄上が成した。二人は無事だ」

「本当……、ですか?」

 巨大な魔獣が忙しなく暴れ狂っているせいで、ルイヴェルさん達の無事が確認出来ない。
 ついさっきまで大勢の人達を標的と定めて攻撃を繰り出していたのに、何故突然ルイヴェルさん達に狙いを変えたのか……。
 それは、あの青銀の糸が、魔獣と密接に繋がっていたからかもしれない。
 それに触れられて探られ始めた事で、魔獣に何らかの形で警鐘を鳴らした可能性がある……。そう読みながら、ディークさんが私の肩に手を置きながら、目を凝らした。

「一番ヤバイところに触れちまったって事なんだろう……」

「ディークさん……」

 舌打ちと共に、さらに戦闘能力の増大が魔獣の中で起こっている事をディークさんが教えてくれた。ルイヴェルさんがあの青銀の糸に触れてしまった事により、事態は不味い方向に動き出したかもしれないのだと……。
 それを証明するかのように、耳を劈くような魔獣の咆哮とさらなる脅威が目の前で新たな惨劇の歴史を刻んでいく。

「ディーク!! ユキ!!」

「すまない!! 遅くなった!!」

 目の前の光景に、胸を押さえながら膝を着いてしまった私の耳に、カインさん達の声が響いてきた。視線の前に立つように降り立った三人が、魔獣の脅威から私を庇うようにこちらを振り向く。

「悪かったな……。この頑固野郎を説教すんのに時間がかかってよ」

「カイン皇子、説得というよりも、あれはどう見ても……、殴り合いの喧嘩だったと思うんだが……」
 
 同じように膝を着いて気遣ってくれる三人の顔には……、何故か真っ赤に腫れた痕が。
 それに、所々服にも破れの部分が見えるのだけど、一体何があったの?
 アレクさんとカインさんが喧嘩をしたという事だけはわかったけれど、何でレイル君まで?
 首を傾げる私の頬に、アレクさんが申し訳なさそうな眼差しと共に手を伸ばしてくる。

「ユキ、大丈夫か……?」

「アレクさん……、あの、さっきは……、アレクさんの心配を無視するような形になってしまって、すみませんでした」

「いや……、俺も……、お前の意思を抑え込むような真似をして悪かった」

 そう、お互いに見つめ合いながら謝り合ってはいるのだけど……。
 アレクさんの方はやっぱりまだ、私の選択を心の中で納得していないと、苛立ちのような気配を深い蒼に滲ませている気がした。
 心根の優しい真っ直ぐな人だから……、私をこの場所に行かせる事は、何よりも辛く耐えがたい事だったはずだ。だから、アレクさんが謝る必要なんてない。
 
「謝らないでください……。私もアレクさんも、自分の心に従っただけです」

「ユキ……」

 私を守りたいと願ってくれるアレクさんと、出来る事があるのならそれを行動に移したいと思う私の願い。どちらも、譲る事の出来ない心の在り方だった。
 だけど、やっぱり……、アレクさんを傷つけた事だけは謝りたかった。
 そう伝えた私に、アレクさんの強張っていた表情が少しだけ緩みを見せる。

「で、ユキ……。お前の仕事は終わったのかよ?」

「カインさん……。はい、今私に出来る事はやったつもりです。心配をおかけして、すみませんでした」

「ならいい。……俺が許してやれる許容範囲は過ぎたからな。番犬野郎、さっさとユキを連れて撤退するぞ」

「あぁ……」

 アレクさんに支えられて立ち上がると、カインさんがパチッと私の額を指先で小突いて、崖の方に戻るようにと促してくる。
 だけど……、ディアーネスさんがルイヴェルさん達の無事を知らせてはくれたものの、まだその姿を視界に捉える事は出来ていない。
 せめて、無事な姿をこの目に映すまでは……、その思いを必死に心の奥に抑え込んで、私は後ろからかかったディークさんの声に頷きを返した。
 私の役目はここまで……。これ以上ここにいたら、きっと皆さんの足手纏いになる。そう自分を納得させて飛び立とうとしたその時、悲鳴の中に聞き知った人の声が響き渡った。

「今のは……」

 すぐさま視線を魔獣の方へ走らせた私の目に映ったのは……。
 
「クラウディオさん!?」

 自分の部下らしき魔術師の人達の前に飛んで、結界を展開していたクラウディオさんが、魔獣の脅威に引き裂かれたその姿が……、地へと落ちていくその姿が映りこんだ。ワインレッドの鮮やかな色合いの髪が、宙に舞う血飛沫の光景が……。

「嫌ぁあああああああああああああああああ!!」

 落ちる。落ちていく。
 このままでは、地にクラウディオさんの身体が地面に叩き付けられてしまう。
 魔術師の人達が急いでその姿を追って竜の姿へと変じ救出に向かおうとするけれど、それよりも早く、青き輝きを纏った血濡れの竜がギリギリとのところでクラウディオさんを救い上げる。
 そしてそのまま、魔獣の許から避難するようにこちらへと飛び込んで来た。
 再封印の為の詠唱を行っている陣形に衝突する……!! 
 そう焦ったけれど、大丈夫だった。
 ぶつかる直前で青色の竜は光に包まれてその姿を人のそれへと変えたからだ。
 あれは……、サージェスさん!?

「はぁ、……くっ、無茶はやめてくれると助かるんだけどねー」

 肩で息を切らし、漆黒の騎士服に破れを見せながら血を流しているサージェスさんが、その腕から大怪我を負っているクラウディオさんを地面に下ろした。
 地面に広がる夥(おびただ)しい量の赤黒い……、クラウディオさんの、血。
 それは、私だけでなく……、誰の目から見てもわかる瀕死の状態を意味していた。

「陛下……、この困った子の事……、頼んでも、いいかな?」

「わかった……。だが、お前も治療を受けよ。そのままでは確実に隙が出来る。我の許しなく死す事は、反逆の罪と知れ」

「はは……、そうだねー。だけど、俺が休んでると、ウチの子達がどんどん死んじゃってくから、悪いけど、すぐに戻るよ」

 ゆっくりと立ち上がり、地に剣を突き立てたサージェスさんがディアーネスさんの制止を振り切って飛び立とうとしたけれど、その足を凍りつかせる程に恐ろしい事態が目の前で起こった。
 魔獣が……、一体いつ距離を詰めたのか、再封印の詠唱部隊のすぐ間近に現れたのだ。こんなにも……、近く、息遣いにさえ触れてしまうかのような距離に……!!

「転移を使ったか……!!」

 古の魔獣は、その姿を何処かへと消し去り、遥か古の皇帝の目を欺きながら国を蹂躙し続けた……。その時代の再現をするかのように、私達をその狂気に歪んだ巨大な瞳で見下ろしてくる。魔獣が陣形を破壊すべく、その鋭い爪を纏った前足を振り上げる。

「散れ!! 陣形は崩れても構わん!! 決してその命を無駄に散らすな!!」

 陣形を守る為の結界も張ってあったはずなのに……、どうして。
 そう戸惑っても、不思議と心の中に答えはあった。あの子供達だ。
 どこかに身を潜め、この惨劇を眺めながら裏で魔獣に手を貸しているのだろう。
 アレクさん達が私を連れて逃げようと怒声を上げる。
 けれど、私の足はその場から一歩も動けない。

「ユキ!!」

「あ、アレク……、さんっ」

 私の身体をその腕の中に抱き上げてくれたアレクさんが、ディークさん達と一緒に空へと退避した。
 カインさんやレイル君もクラウディオさんを抱えて私達の後を追ってくる。
 あぁ……、再封印の為の準備が整えられたあの場所を滅茶苦茶に蹂躙してしまったら……、全てがゼロへと戻ってしまう。
 魔獣の体力と気力を削り、再封印の為にその身を犠牲にした人々の想いが、全て……。
 
「ディアーネスさん!?」

 その場に残ったディアーネスさんが、まだ飛び立てずに膝を折っていたサージェスさんや、逃げ損ねて恐怖に凍り付いている人々と場を守る為に、魔獣の前に立ちはだかり、ガデルフォーンに伝わる神秘の宝玉の力によって壁を作り上げていく。

「古の躯よ……、これ以上、貴様にこの国を……、我が民の命を喰らわせはせぬ」

 魔獣の一撃が光り輝く壁を打ち砕こうと、大地を踏み締め前へ前へと猛爪をめり込ませていく。
 彼女の薄紫の長い髪が、魔獣の起こす瘴気による強風に煽られる。
 魔獣を押し返すために強い光を放つガデルフォーンの宝玉が、彼女の胸元で輝く。
 けれど、神秘の宝玉を前にしても……、魔獣は跳ね返される事なくさらに前へと、今度は自分の頭部を結界の壁に押し付けた。

「くっ……!」

 ディアーネスさんの足が、……徐々に後ろへと下がり始める。
 美しい肌の表面に次々と刻まれていく血の涙……。
 恐ろしい未来が、すぐそこまで迫っている。
 ディアーネスさんを、いいえ、この地にある全てに絶望をもたらす、瞬間を連れて。

「ディークさんっ、どうしたらっ」

「女帝と魔獣の周囲に出来上がってるとんでもねぇ力の拮抗が、俺達の介入を許さねぇんだよ……っ。助けに行きてぇのは山々だが、迂闊に突っ込むとこっちが死ぬ」

「そんな……!!」

 このままでは場を守るどころか、ディアーネスさんとサージェスさんの命までもが危険に晒されてしまう!! 徐々に光り輝く壁が悲鳴を上げるように亀裂を広げていく。

「俺達の中に……、あの場に割って入れるような魔力の持ち主がいねぇからな……。最悪の場合、あの壁が砕かれた瞬間に力が霧散するだろうから、その時に助けに入るしかねぇ」

「ディークさん……、可能なんですか?」

「可能、つーか……、それをやらねぇとガデルフォーンの負け決定だろ」

 周囲の魔術師や騎士の皆さんに、負傷したクラウディオさんの代わりにディークさんが怒声と共に指示を叫ぶ。
 生じている場の力に呑み込まれないようにギリギリの所で待機出来るように行動を開始していく人達。私はアレクさんの腕の中で守られながら、瞬きも出来ずに緊張と共に恐怖を呑み込む。

「ディアーネスさん……」

 光の向こう側がどうなっているのかはわからない。
 ルイヴェルさん達はまだ無事でいてくれるのか……、無事だとすれば、今のこの状況を私達と同じく辛い思いで見守っている事だろう。
 どうか……、どうか、魔獣の脅威がディアーネスさん達を呑み込んでしまったりしませんように!
 あの恐ろしい魔獣を、跳ね返す事が出来ますように……!!
 半分しか晴れていないエリュセードの三つの月を見つめながら、私は神々へと切なる祈りを捧げた。

 ――その直後。

「お、おい、何だよ、あれ!!」

 驚愕の気配に染まったカインさんの震える声が、魔獣の丁度遥か高い上空、皇子様達の魂が在るその場所よりも高い場所と投げられた。
 指差されたその場所を見上げた私達は、そこに確かな変化を目にした。
 空を歪ませ、巨大な大穴を穿つ……、あれは、空間が揺らいでいる現象だ。
 
「レイル、あれ……、転移の陣だよな」

「あぁ……、それも、国内での転移じゃない。間違いなく、――『表側』からの干渉だ」

 カインさんとレイル君がクラウディオさんを落とさないように支えながら、緊迫した気配と共に上空に起きている異変を見つめる。
 転移……、表側……、それは、レイフィード叔父さん達のいる世界の事を指しているの? まさか……、叔父さん達がすぐそこまで来ているの?
 期待を抱いた直後。巨大な光り輝く陣が出現し、そこから真っ直ぐに大地へと向かったのは、緑銀を纏う眩い光。それは魔獣の体躯を頭上から貫くように走ると、さらに次の手が襲いかかった。空から降り注いだ無数の光の槍。
 魔獣の体躯が串刺しになっていく。

「何……、あれ」

 ディアーネスさん達のいる方とは反対側に倒れ込んだ魔獣の姿。
 亀裂の入っていた光輝く壁が、硝子が割れるかのように、大きな音を立てて砕け散った。
 それを合図に、呆然と何が起こったのか把握出来ないでいた魔術師や騎士の人達が我に返り、地上に残っている人々の救出へと向かうべく、すぐに行動を開始した。

「アレクさん……、何が起こったんでしょうか」

「あの光は……、恐らく……、フェリデロードの光」

「え……」

「アレクの言う通りだ。あの緑銀の光は、ルイヴェルのものよりも強い魔力の気配を帯びていた。そして……、相変わらず容赦のない追い打ちをかけるような真似をするのは……、唯一人だろうな」

「レイル君……?」

 上空に浮かんでいた巨大な陣が急降下で再封印の場へと降りてくる。
 近くなってきたその陣の真上に立っているうのは、大勢の騎士や魔術師とわかる服装をしている人達。そこから、真っ先に地上へと飛び下りてきたのは……、三人の男性だった。
 宝玉の力を行使し、力なく崩れ落ちそうになったディアーネスさんを寸での所で支えたのは、私と同じ蒼の髪を纏う、明るい笑みの似合う人。
 いつもの国王スタイルの衣装ではなく、戦闘を行うのに適した出で立ちをしたレイフィード叔父さんが、ディアーネスさんを胸に抱き留める。
 その姿に驚いていると、今度は魔獣の体躯を無数の魔力で出来た鎖が檻の中に捕えるように絡め取っていく様が、魔獣の絶叫と共に私の瞳に映った。
 
「お父さんまで……!?」

 戦闘に加わった大勢の人達の中を飛び回りながら、鮮やかな軌跡を描き鎖を繰り出していくお父さんの姿。
 それだけじゃない……。見知った顔の人達が魔獣を弱らせる為にどんどん参戦していく。そして……、レイフィード叔父さんとディアーネスさんの目の前に降り立った、――銀の光と深緑の知を秘めたその眼差しの男性は……。

「ガデルフォーン皇国、女帝陛下……。救援に駆け付けるのが遅くなりました事、ここに深くお詫び申し上げます」

 昔と変わらない、無表情一色の気配と低く淡々とした感情を読み取る事の難しい声音……。
 ルイヴェルさんによく似た面差しのその人は、膝を折り、真白の白衣の裾を地面に滑らせ、頭を垂れている。――間違いない。

「フェリデロードの……、おじ様」

 小さく零れた私の声を拾い上げたかのように、地上にいるその人が……、上空にいる私をその深緑の双眸に捉えた。
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