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第三章『魔獣』~希望を喰らう負の残影~

望まぬ来訪者と獣の牙

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※最初はヒロイン・幸希の視点。
 後半は、ウォルヴァンシア王宮医師、ルイヴェルの視点で進みます。


 ――Side 幸希

『はぁ……、本当、悪趣味なサプライズだよねー』

 魔術師団の上空で地上を見下ろしていた竜型のサージェスさんが、施設の中から噴き出した黒銀の煙がひとつの形となった姿、竜を模したそれを睨みながら喉奥で唸った。クラウディオさんも警戒の気配と共に、黒銀の竜の動きを注意深く監視するように間合いを取り、両翼を羽ばたかせている。

「一体……、何、が」

 上空には黒銀の竜を模した存在、地上には沢山の瘴気の獣達……。
 
「不味いな……。こっちは怪我人抱えてんのに、最悪じゃねぇか」

 すぐ傍に寄って来たカインさん達が私を庇うように囲み込み、瘴気の獣達を睥睨(へいげい)する。
 三人共、怪我人を抱えての状態だから、攻撃に転じる事は難しい。
 それに、逃げるべき退路も……、大量の瘴気の獣達によって塞がれている。
 今、一斉に襲い掛かられたら、ひとたまりもない。
 逸る鼓動の音を感じながら不安感を高まらせていると、私の視界に、眩き白銀の光が生じた。

 ――ドォオオオオオン!!

「な、何っ!?」

「大丈夫だ、ユキ。どうやらディーク達が加勢に来てくれたようだ」

 レイル君が怪我人を支え直し、地上へと飛び降りてくる二つの影を指差す。
 魔術師団の瓦礫の山へと降り立った二つの影、セルフェディークさんとルイヴェルさんだ。
 そのすぐ上には、一度降下して来たらしいサージェスさんの姿があった。
 二人は酷い傷を負っているというのに、血に染まった白衣を捌きながら私達の許へと走って来る。
 
「全く……、次から次へと、面倒のオンパレードかよっ」

 カインさんと同じ乱暴な口調で悪態を吐くディークさんが、私達の退路を塞いでいた瘴気の獣達目掛け、早口で詠唱を紡ぎ、白銀の光を纏う術攻撃を、そのど真ん中へとぶつける。
 魔術師の威力ある一撃に呑まれた獣達は苦痛の悲鳴と共に絶叫を上げ、跡形もなく霧散した。

「これで道は出来たな。ユキ、アレク、カイン、レイル、一気に皇宮内へ逃げ込め」

 さらに私達の周囲を埋め尽くしていた獣達に同じ攻撃の術を仕掛けたルイヴェルさんが、退路を指差し逃げる様に促してくる。
 ディークさんもルイヴェルさんも、私達を逃がす為に無理をして……。
 本当なら二人の方が怪我人として一番先に皇宮内に逃げるべきなのに……。
 だけど、ここで戸惑うわけにはいかない。私達が今成し遂げないといけない事は、怪我人達を安全な場所まで運ぶ事なのだから。
 私はルイヴェルさんに頷きを返し、皆と一緒に皇宮内を目指して足を進め始める。

「おい、ルイヴェル! ディーク!! 無理しすぎて寝込む事になんねぇようにやれよ!!」

「うるせぇ、馬鹿弟子!! 俺達に楽させたかったら、さっさと避難しろ!!」

「怪我人込みでは進みも悪いだろうがな……。お前達に近付けないよう、結界も張ってある。……気を付けて行け」

「ルイヴェルさん、ディークさん、どうかご無事で!!」

 アレクさんとカインさん、レイル君に囲まれて騎士団の人達と一緒に退避して行く。
 私達の後を追おうと瘴気の獣達が襲い掛かってくるけれど、結界のお蔭と二人の攻撃が次々と繰り出され、どうにか魔術師団施設の入り口を通り抜け、皇宮内へ続く回廊までやって来れた。

「はぁ……はぁ」

「ユキ、大丈夫か?」

「は、はい……。すみません、アレクさん」

 どうにか私の支えで歩いていた魔術師の女性を支え直していると、彼女の力が徐々に抜け落ち、私ひとりの力ではこれ以上の進行が難しくなってきたのを感じた。
 だけど、今ここで弱音を吐くわけにはいかないから。絶対、安全な場所まで送り届けないと。
 ぞろぞろと騎士団の人達の後を追いながら、崩れ落ちそうになる自分の足を叱咤して進んで行く。

「転移の陣を発動させたいところだが……。空間を開くには、周囲の魔力値とバランスが安定していない」

不意によろけかけた私を、横に来たレイル君が力強く支えてくれながら、そう教えてくれた。

「魔力値とバランス……、って?」

「それについては、また後日詳しく教えようとは思うが、今は簡潔にだけ説明しておく。要は、空間を渡る転移の術を行使する場合、周囲の魔力バランスに一定以上の乱れがみられると、術を行使した際、……別の場所に放り出される可能性があるんだ」

「別の場所に……」

「攻撃用の術や結界よりも、リスクが高い故に、今は行使を躊躇している……、と思って貰えればいい」

 ただ、魔術師として能力の高い人であれば、安定してそれを行えるらしいけれど、ルイヴェルさんとディークさんは私達を逃がす為にその余裕はなかった。
 だから、徒歩でどうにか逃げるしかないのだと、レイル君は険しげな表情で語ってくれた。

「それに、この怪我人の数だからな……。一斉に転移するには、相当の魔力量が必要とされる。……早く安全な場所まで急ごう」

「う、うんっ」

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ――Side ルイヴェル

「はぁ、これで粗方片付いたか……」

「いや、まだのようだぞ」

 ユキ達を逃がす為に術を連続で行使し、ようやく全て片付けたと膝を着いたその時、枯れる事を知らぬ泉のように、再び瘴気の獣達が俺達を取り囲んだ。
 先ほどよりも濃い瘴気のそれらを流し見た俺達は、足に力を入れ、……立ち上がる。上空の黒銀竜といい、この瘴気の獣達といい……、ウジ虫の如く湧いてくるな。
 
「ルイヴェル……、自分の状態、わかってんだろうな?」

「それはお前もだろう? ディーク……。思いのほか、手酷くやられたからな。一気に片を着けなければ、カインの言う通り、寝込む事になるだろうな」

 喉奥で笑いながらディークにそう声をかけると、大声で反論が返ってきた。

「はっ、あの馬鹿弟子にそんな無様な姿、見せられるわけがないだろうが」

 だな……。俺達が重傷になって寝込んだ場合、寝台の周りを囲まれた挙句、落ち着いて寝られる保証もないからな。
 それに、……またあれを泣かせてしまう事になるのは、出来れば避けたいところだ。保護者として同行している俺が、あれに心配をかけて面倒を看られるなど……、滑稽すぎる。そんな醜態を二度も晒す気などない。

「片付けても湧き出てくる以上、瘴気の獣を生み出している元凶をどうにかすればいい話だが、――そろそろ高みの見物も飽きただろう? 出て来い」

 わざと気配を漏らしているのだろうが、いい加減貴様らの手のひらで弄ばれるのは不愉快だ。
 丁度、地上にいる俺達と、上空で黒銀竜の相手をしているサージェス達の中間、何もない空間に向かって静かに声を投げると、耳障りな子供の声が響いた。

「退屈なのは面白くないからね。どう? 気に入って貰えたかな?」

 銀と青の色彩を髪色に纏う子供が、その外見に不似合いな嘲笑を湛え、俺達の視線の先に現れる。
 椅子に座っている様な体勢で足を組み、俺達を愉しげに見下ろしている。
 
「泥棒さんには、お仕置きをしなきゃいけないからね……」

 泥棒と、不名誉な事を言って寄越すのは、力の一部を採取し分析にまわした事だろう。
 だが、この子供にもわかっているはずだ。
 たとえあの力を分析したところで……、干渉方法を見付け、術式を構築し直すには、数日や一ヶ月ではまず結果が出ない事を。

(だが、こいつはまだ……『知らない』)

 その力の存在を、ある一人の魔術師が長年に渡って研究し、干渉方法を見つけていた事を。
 二度とエリュセードに現れる事のない、忘れられた古の存在……。
 それを扱える者も、新たに生み出し、その力を揮える者も……いるわけがないと、思われていた。
 なにせ、何千、何万年以上も昔の話だ。一般的には、お伽噺の中の存在としか、認識されてはいない。
 
「それで? 貴様は力の一部を掠め取られた憂さ晴らしにでも来たというわけか?」

「それもあるけど、……時間潰し、かな」

「子供の退屈しのぎに付き合ってやる気はないんだがな?」

 俺の背後では、ディークが瘴気の獣達の動きに注意を向けている。
 いつ、あの子供の気まぐれで隙を突かれるか、わかったものではないからな。
 
「いいじゃない。構ってほしいと寄って来る子供は、可愛がるべきだと思うよ?」

「何の害もない子供だったらの話だろう?」

 エリュセードにおいて、外見年齢など、実年齢を図る材料にはならない。
 大抵はその人物の身から感じられる魔力や個々の力の気配で、自分より上か下かの見分けはつくが……。
 視線の先にいる子供は、不思議な事に存在自体が不明瞭……というべきか。
 その気配から読み取ろうとしても、正確な判断がつかないでいる。
 だが、見た目通りの年齢であれば、こんなにも不遜で余裕に満ちた態度はとれないだろう。
 銀青を纏う子供は俺の返しに苦笑すると、地上へと降り立った。

「僕達は遊んであげただけだよ? 時が来るまで暇だし、君達は丁度良い玩具になってるよ。たとえば……、君を刺したあの女の子とかね?」

 瞬間、俺は無意識に威力の高い術を詠唱なしに発動させ、銀製を纏う子供へと放っていた。
 鋭い氷の刃と、身を切り裂く風圧が、子供の華奢な身体を巻き込みズタズタに傷付けて……いくはずが……。
それは溢れ出した黒銀の光によって阻まれ、頬だけに掠った傷跡から、紅の雫が伝い落ちた。

「君の逆鱗に触れちゃったのかな……。ねぇ、あの子に刺された傷と、さっきの爆発で負った傷、こんなに力を使っちゃって大丈夫なのかな? ……負担が大きいんじゃない?」

「黙れ。子供の悪趣味な遊びに付き合ってやる義理はない」

「ルイヴェル、癪に障る気持ちはわかるが、連続での詠唱なしはやめとけ」

 ディークに咎められ、追撃を放とうと術を行使する気配を読まれ、仕方なくそれを中断する。
 詠唱を紡がずに術を行使するという事は、術者の身体にも精神にもある程度の負担を伴う。健康状態の時であれば、俺にとってはそれほどの事でもないが……。
 今の状態では、確かにリスクが高い、か……。

「ディーク、暫くの間、子守を頼んでもいいか?」

 小声で背中に問いかければ、軽い溜息と共にディークの声が返ってくる。

「別にいいが、どうする気だ?」

「俺に考えがある。それと、ここに来る前に伝えた『アレ』を試してみろ。完全ではないが、ある程度までは干渉が可能のはずだ」

「うげっ……。よりによって、今の状態で『アレ』をやれってか」

「出来ないのか?」

「優秀な従兄を捉まえて何言ってんだ。――やってやるよ」

 怪我のせいで声音に疲労が滲むものの、ディークの了承には確かな力があった。
 だが、今から行う事は、詠唱なしでの術行使と同等、いや、それ以上の負担がかかる。それでも、この場を治める為には手段を選んでいられないからな……。
 黒銀の光と、瘴気を溢れさせる銀青を纏う子供が俺達の許へと歩み寄って来るのを見つめながら、仕掛ける時を待つ。
 
「その怪我具合じゃ、長くは戦えないんじゃないかな? これから起こる楽しい遊戯の時を思えば、――殺してあげた方が君達の為になるよね」

「有難迷惑な気遣いだ。ディーク……」

「あぁ。俺達は生憎としぶとい部類に入るからな。悪足掻きは得意分野だ」

 直後、俺達へと向かって放たれた黒銀の力と、瘴気の獣達の凶悪な牙。
 有言実行で俺達を喰い殺す気満々のようだが……、大人しく死ぬ気はない。
 目くらましの為に、目を焼くほどに眩い白銀の光を術によって発動させた俺達は、それぞれの役目を果たす為に、別々の行動に出る。
 ディークが懐から取り出した煙幕が周囲を覆い、瘴気の獣達や子供が動じる気配を感じ取る。
 俺は自分の魔力反応と気配を気取られぬように身の内に抑え込み消し去ると、魔術師団施設の瓦礫の山を飛び上がり、黒銀の竜と攻防を繰り広げているサージェス達の許へと急いだ。
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