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第三章『魔獣』~希望を喰らう負の残影~

予兆と王兄姫の変化

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 ふと、冷たい風が肌をなぞり、穏やかさを保っていた心の中をグルグルと無遠慮に掻き回されていくかのような不快感を感じた。
 瞼を開くと、私は夜着を纏っていた状態で膝を抱え、身を丸める様に深い暗闇の中に浮かびながら、淡く白い光に身体の線を縁取られているのがわかった……。
 ぼんやりとした意識の中、自然と悟ったのは、――これが現実ではない事。
 だって私は、ルイヴェルさんの部屋から戻った後、アレクさんとレイル君の護衛を受けながら、自分のベッドで仮眠を取り始めたはずだから。
 それに、こんなに真っ暗で、どこか現実味に欠ける気配を感じる場所なんて、私は知らない。
 
「……変な夢」

 せっかく心地良い眠りの中に在ったと思ったのに、とても気分が悪い。
 いっそ今すぐに目を覚ましてしまいたい。そう……念じて瞼を閉じたのに。
 ……――どこからか、低く唸るような獣の声が、小さく耳に届いた。
 私はもう一度瞼を開け、首を周囲に巡らす。
 これは夢……。何が起こっても、それは私の脳が見せている産物でしかない。
 もしかして、これから何か怖い夢にでも変化していくのだろうか……。
 
「……怖い」

 ブルッと得体の知れない恐怖感に身体を震わせた私は、周りの闇が徐々に晴れ始めていく事に気が付いた。
 その様を目の当たりにしながら、闇が晴れた後に広がった光景に、私は大きく見開く。
 重苦しい雲に塞がれた空、視線を下に落とすと、どこまでも広がる地上が映り込んだ。
 自分がどこかの上空に浮いているのだと、そう理解する。
 けれど、……ここは、どこ? 肌に感じる風は、夢だというのに、酷く悪寒を感じるものだ。
 地上を見渡していた私は、小さな玩具のように視界に映るそれらを不安な心地と共に眺めていると、不意に違和感を感じて、自分の目をゴシゴシと擦った。

「……やっぱり、見える。何、あれ」

 どんよりと空を覆う雲のせいかもしれない。地上に差し込む光がなくて、寂れたように元気を失くした姿に映る地上を見つめていた私は、おかしなものを見つけてしまった。
 それは、本当によく注意して見なければわからないほどの、細い細い……光の線。
 闇色の中に銀の光が煌めくように混ざっているその光の線は、蠢く蛇のように地上……というよりは、さらにその奥、地の中を走っており、綺麗というよりは、どこか禍々しく、嫌な気配を帯びている。
 何故、土の中の光景まで見えてしまうのか、それはよくわからない。
 これが夢、だからなのだろうか……。
 私は後ろを振り返り、さらにぐるりと自分の眼下に広がる世界を注意深く視界に映し、それが一箇所から来ているものではない事を確認した。
 一線、二線、三線、数えればキリのないほどに多い黒銀の光の線は、その根源を辿るように目で追って行くと、この世界の空……、の、外から、世界の内側に飛び込むように一度地上の中に潜って来ているかのように見える。
 
「何なの……、これ」

 これは、ただの夢、のはずだ……。
 それなのに、頭の奥で……、この光景から目を離すなと、強制されている気がする。禍々しさを纏った黒銀の光の線を見つめていた私は、急に身体が勝手にどこかへと飛んで行くのを感じ、それを止める事も出来ず、沢山の黒銀の光の線の先を追って行った。
 バラバラの場所から走って来た黒銀を纏う光の線は、やがて同じ場所を目指しながら『ある場所』へと辿り着く。
 天高く聳える、神聖な気配を宿した建物……。
 その全てが深い『青』に覆われている建物の周りを取り囲むように、円陣を描きながら立つ、大きく太い沢山の柱の数々。
 上空からその場所を眺める事になった私は、その建物の中から、獰猛な獣の唸り声を聞いた。
 これは、さっき暗闇の中でも聞こえた声だ。
 苦しそうに、……けれど、どこか飢えた獣の本能を思わせる低い唸り声が、徐々に大きく響き渡ってくる。

「あ……」

 この場所を目指し走って来た黒銀を纏う光の線が、建物を取り囲む柱の周りでピタリと止まっている事に気付くと、それが急にまた動き始め、柱の下を通り……、その周りを地中深くからグルグルと取り囲みながら巡り始める。
 まるで、一匹の大きな蛇が獲物を追い詰め、不安と喰われる恐怖を感じる様に、とぐろを巻いて舌なめずりをしているかの様な光景だ。

「何をしようとしているの……」

 じっと、黒銀を纏う光の蛇と化したそれを恐怖感と共に見つめていた私は、その蛇のような流れの中に、今度はまた別の光が内包されている事に気付いた。
 蛇の腹の中に収められた……、違う存在。
 それはやがて、さらに地中深くへと潜り込んで行き……やがて、私の目にも見えなくなってしまった。
 これは、夢。……だけど、私はその黒銀の光の蛇が何をしようとしているのかが気になって、建物の方へと降りてみたい気に駆られた。
 身体が、そんな私の思いに応える様に、地上へと降り立つ。

「……え」

 けれど、降り立った直後、私の周りの景色が一瞬でまた別の場所へと変化し、今度は、無残にも破壊され尽した建物の残骸や、折れて地上へと横たわる柱の姿が視界に広がり、鼓膜を破壊するかのような獣の大きな咆哮が響き渡った。
 耳を両手で押さえその場に座り込んだ私は、一体この恐ろしい咆哮がどこから聞こえてくるのか、視線を素早く巡らせる。
 ……何も、見えない。それなのに、絶えず咆哮だけは耳を引き裂くかのように聞こえてくる……。
 徐々に胸を押し潰されそうな圧迫感を覚え始め、私はその場へと倒れ込みそうな予感を覚えた。

「うぅっ……」

 夢の中……、の、はず、なのに、あまりにもこの感覚はリアル過ぎて……。
 正体不明の恐ろしい咆哮と、身体と心を苛む激しい苦痛の波……。
 意識を保つ事さえ難しい。そう感じた矢先、私の肩を……誰かの優しい温もりが包み込んだ。
 それは、背後と前から、同時に触れた感触のように思えた。
 
「……だ、れ」

 気が付けば、気配はひとつだけじゃなくて……。
 私の周りを、何人かの影が見守る様に立っている事が感じ取れた。
 私の肩を支える、前後からの手の感触と、その周囲の気配。
 苦痛が瞬時に薄れ、顔を上げた私の目に映ったのは、優しい気配を浮かべた、アメジストの双眸を抱く二十代半ばほどの男性の姿だった。
 その周囲を見渡せば、顔立ちの良く似た男性達が同じように私を見下ろしていて……。
 辺りの景色も残骸を抱くそれではなく、一面が白い花に囲まれた丘のような場所になっている事にも気付いた。
 
「貴方達は、……誰、なんですか」

 そこまで震える声音で言って、私はハッと目を見開いた。
 その顔を、どこかで目にしていた事を……。
 彼らの顔立ちが、『ある人』と同じ気配を纏っている事、今のように生命の息吹をもっている姿ではなくて、……絵の中に描かれた存在と酷似している事に、思考が答えを導き出した。

「貴方達は……、んっ」

 それを口にしようとした私の唇を、目の前の男性は困ったように微笑んで、右手のひと差し指で言葉を封じる様に優しく押し付けると、首を緩やかに振った。

『君に……、『伝言』を頼みたい』

「……」

 目の前の男性は、私の頬に触れ、悲しそうに微笑むと、その形の良い唇を耳元へと運び、そっと……『ある事』を囁いた。
 自分の眉が驚愕と大きな不安でぐっと寄るのを感じながら、指先で封じられた唇を小さく震わせる。

『こんな事、君に頼んでいい事じゃない事はわかっているのだけどね……。だけど、もう時間がないんだ……。時が来たら……、どうか、今言った事を』

 声が、何かを言いたいのに、……出ない。
 だけど、その代わりに私の瞳から涙の筋が頬を伝い、この想いを代弁してくれた。
 耳元から顔を引き、すまなそうに微笑んでいる男性が、ゆっくりと立ち上がる。
 後ろで私の肩を支えてくれていた男性も、同じように……。

「あ……」

 ようやく、小さな声が出たかと思うと、突然強い風が吹き、丘に咲いている白い花々の花弁を蒔き込んで宙へと舞い上がった。
 
「あ、あの!!」

 何か言わなければ、そう思うのに、視界を覆う花びらの嵐に、私は顔を覆った。
 この人達はきっと……!!
 どうにか伸ばした右手が、一瞬だけ、誰かの温もりに触れたような気がしたけれど、それを確かめる前に、――私の意識は暗闇へと包まれた。

 ――……。

「……キ、ユキ!!」

 ……何だろう、誰かが、私の名前を呼んでいる気がする。
 身体の一部を軽く叩かれている感触と、ゆっくりと開き始める自分の瞼。
 
「レイル……、君?」

 私の顔を間近で覗き込み、心配そうに眉根を寄せているレイル君の姿があった。
 その横では、同じようにアレクさんが私を見下ろしていて……。

「ユキ……、その『目』は」

「え?」

 アレクさんが、その蒼の双眸に小さな驚きの気配を宿し、私を凝視してくる。
 レイル君も、息を呑むかのように、動きを止めているのだけど……。

「あの……」

 寝起きでどこか変な所でもあるのだろうか……。
 だけど、今アレクさんは、私の目がどうとか言っていたような……。
 私はサイドテーブルに置いてある手鏡に手を伸ばし、それを顔の前に持って来た。

「……え」

 私の……、ブラウンの瞳が、――『黄金』の色に変わっている。
 目をパチパチと瞬きさせ、もう一度鏡の中の自分を覗き込む。

「なんで……」

 いつもとは違いすぎる自分の瞳の色に、私は急激に大きな不安を心に感じ、鼓動が不自然に速まっていくのを感じた。
 それと同時に、黄金と蒼色の光が淡く存在を主張しながら、自分の身体の線を縁取るように生じていくのを目にすると、レイル君がアレクさんにこの場を頼み、慌てて部屋を出て行ってしまった。

「いや……なに、これ……っ」

 まるで、玉座の間でルイヴェルさんを刺してしまった時に暴走を起こしてしまった自分が戻って来たかのようだった。
 荒れ狂う力が出ているわけではないけれど、身体を縁取る淡い黄金と蒼の光、そして、変化してしまった自分の目の色が、怖くて仕方がない。
 身体を恐怖に震わせ、精神の平静を失いかけた私を、アレクさんが宥める様に強く抱き締め、背中を撫でてくれる。

「落ち着くんだ、ユキっ。すぐにレイル殿下がルイを連れて来てくれるっ」

「あ、アレク……、さん、で、でもっ」

 隣の部屋からドタドタと慌ただしい足音が聞こえ始め、私の部屋の中へとレイル君達が入ってくるのが見えた。
 まだ隣の部屋にいたらしいルイヴェルさんとサージェスさんも一緒だ。
 私を抱き締め宥めてくれているアレクさんにどくように声をかけると、ルイヴェルさんが寝台に腰かけ、黄金色に染まった双眸を覗き込んでくる。

「る、ルイ、お兄ちゃん……、こ、これ、何……っ」

 どうしても恐怖感が拭えなくて、精神状態が崩れてしまった私は、ルイヴェルさんに縋るように、幼い頃に呼んでいたその愛称で呼ぶと、呼吸を乱しながらポロポロと涙を零し始めてしまう。
 
「大丈夫だ。すぐに俺が元の状態に戻してやる。……レイル、悪いが、ディークを呼んで来てくれ。それからサージェス、今から干渉方法を教える。ユキの中から漏れている魔力と、もうひとつの力を中に戻すのを手伝え」

 しっかりと頷いたレイル君が部屋を飛び出し、サージェスさんがルイヴェルさんの傍に寄って来る。

「ルイ、ユキの中で何が起きているんだ」

「暴走の類ではないから安心しろ。ユキの中に在る魔力とは別の力に関しては、干渉の法は心得ているからな。だが、……枷が緩んでいる上、先の暴走の件もある」

「本当、綺麗な黄金色になっちゃってるねー。玉座の間で見た、ウォルヴァンシアの王様とお揃いだね」

「れ、レイフィード叔父さん……と」

 そう言えば、私は過去にも二度、レイフィード叔父さんの瞳が黄金のそれに変わる姿を目にした事がある。
 とても綺麗ではあったけれど、あの瞳の色に変わった時のレイフィード叔父さんは、いつもの優しい気配ではなく、冷酷で、少し怖い雰囲気を纏っていた。

「その瞳の色は、ウォルヴァンシアの王族にだけ受け継がれる力の象徴だ。レイフィード陛下も、ユーディス殿下も、レイルも同じ変化を起こす事が出来る。だから、恐ろしいものではないと、自分の心に刻んでおけ」

「は、はい……」

 私の背中をポンポンと、子供をあやすように宥めながら、ルイヴェルさんは一切の動揺を感じさせずに、話を続ける。

「そして、今お前の身を包んでいるこの淡い二つの光は、お前の中に在る魔力と、もうひとつの力が混ざりあって表に漏れ出しているものだ。力の質は安定しているようだからな、暴走の心配はない」

 今私の身に起きている事態は、怖い事など何ひとつないのだと……。
 ルイヴェルさんは静かな声音で、私の中に湧き上がっている不安を徐々に小さくしていく。呼吸が落ち着き、ようやく涙が止まった私は、目許を擦って頭を下げた。

「すみません。取り乱したりしてしまって……」

「気にするな。お前の立場であれば、この変化は恐ろしいものに感じられて当然だ」

「そうそう。いきなり自分の目の色が変わってたら、誰だって驚くよ」

「そうだな。それに……、不謹慎かもしれないが、その黄金の色は、お前の優しい気質を表しているかのように穏やかな気配を纏っている。綺麗だと……、そう思える」

「あ、アレクさん……」

 私を眩しそうに見つめるアレクさんの視線が、何だか気恥ずかしく感じられる。
 もう一度手鏡を手に取り、じっと今の自分を観察してみる。
 さっきは怖くて仕方がなかった変化だけれど、落ち着いて見てみると、神秘的な気配を滲ませるその黄金の色に、私自身も惹き込まれそうになってしまう。
 
「でも、ただ眠っていただけなのに、どうして……」

 何かショックな出来事が起きたわけでもない。
 ただ、自分の部屋で眠っていただけ……、あ。

「あの、私、変な夢を見たんです」

 さっきは自分の身体に起きた変化に怯えるばかりで、夢の事などすっかり忘れていた。けれど、落ち着いた心に戻った事で、徐々に自分が見た夢の中での出来事を思い出したのだ。私は、覚えている限りの内容をルイヴェルさん達に話してみた。
 ただの夢なのかもしれない。私の身に起きた変化には、何も関係はないのかもしれない。それでも、一応口にしておいた方が良い気がしたから……。
 夢の中で、黒銀の光を纏う幾つもの線を見た事、柱に囲まれた建物の事、聞こえた獣に良く似た咆哮の事、そして、最後に出会った複数の男性達の事……。
 だけど、目覚める直前に自分の耳元で囁かれた男性の言葉だけが、どうしても思い出せない。何か、とても大切な事を言われたような気がするのだけど……。

「夢……、と断じるには、気になる点の多い内容だな」

「だねぇ……。黒銀を纏う光の線、柱に囲まれた建物、獣の咆哮……」

 暫し、ルイヴェルさんとサージェスさんが腕を組んで思考へと沈んでいく。
 アレクさんの方は、私の為にお茶を淹れてくれると言って、用意をしてくれている。
 
「ねぇ、ユキちゃん。その建物の色って……、覚えてる?」

「えっと、確か……、深い青色をしていたように思えました」

「『予知夢』、って事かな、これ……。ユキちゃんを『ガデルディウスの神殿』に連れて行った事は誰もないはずだし、建物を囲んでた柱の事とか、見てないのに知ってるって、……おかしいよね」

「え……」

 サージェスさんが一歩下がり、お茶を淹れて戻って来てくれたアレクさんに場所を空ける。
 お礼を言って温かな紅茶の入ったそれを受け取った私は、サージェスさんの言葉に困惑しつつも、それに口をつけた。
 『ガデルディウスの神殿』……、それは、古の魔獣を封じ込めてある場所の事だ。
 ディアーネスさんのお兄さん達の魂も、封印が成されてあるそこに囚われており、いまだ手が出せない……。

「……私が夢の中で出会った男性達は、ディアーネスさんのお兄さん達と同じ顔をしていました」

 そう、夢を通して出会った彼らは、間違いない肖像画に描かれていた人達と同じ存在で……。私は彼らの一人から、……何か、重大な事を頼まれたような気がする。

「やっぱり、ただの夢の可能性は低いね……。ルイちゃん、ユキちゃんの調整が終わったら、俺、ちょっと陛下の所に行って来るよ。だから、魔術師団の方へはディークさんと一緒に行って貰っていい?」

「あぁ。……それにしても、夢を通して皇子達の魂と接触を図るとはな。今までにもこういう事はあったのか?」

「……前に、何度か、変な夢を見る事はありました。確か、カインさんが禁呪にかかった時、異変が起こる前などに見たような気が」

 夢の中で苦しんでいる竜の姿を見たり、何度か不吉な光景を見た私は、最終的に、その夢で覚えた不安に突き動かされるように行動した後、禁呪に囚われた……。
 まるで、異変を察知しているかのように。

「力が強まっている、と、考えるべきなんだろうな……。まぁいい。サージェス、干渉方法を伝える。ディークが来たら始めるぞ」

「了解。でも、ルイちゃんは不参加でよろしくね」

「何故だ?」

「ルイちゃんさ、自分が絶対安静なの……、わかってて言ってる?」

「ルイ……」

 アレクさんとサージェスさんに呆れ混じりの視線を向けられたルイヴェルさんは、視線を逸らし、私の方をちらりと見遣ってきた。
 勿論、その視線に返す答えはひとつだ。

「お医者さんの言う事は絶対、なんですよね?」

 にっこり……。
 さっきは動揺のあまり、ルイヴェルさんに助けを求めて縋ってしまったけれど、今はもう落ち着いているから、冷静な判断が出来る。
 絶対安静の怪我人に、無理をさせてはいけない。

「別に、少し魔力を使ったところで支障はないんだがな……」

溜息と共に、仕方なく観念したルイヴェルさんに苦笑していると、部屋の外から何やら騒々しい足音が……。
 
 ――ドタドタドタドタ!!!!!!!

「ユキー!! 大丈夫かー!!」

 荒々しい動作で扉がバタン!! と、大きな音を立てて開いたかと思うと、身体のあちこちに怪我を負い、服までボロボロになりかけているカインさんが飛び込んで来た。

「うるせぇぞ、馬鹿弟子!! 少しは落ち着け!!」

 ゴィィィン!! と……、その後ろからやって来たディークさんが、カインさんの首根っこを掴んで、渾身の一撃、鉄拳をその頭にお見舞いした。
 あれは痛い。絶対に大きなタンコブが出来上がるに違いない。

「カイン皇子、大丈夫かっ。あぁ……、大きなタンコブが」

「痛ぅぅうううううう!!」

 二人を連れて来てくれたらしいレイル君が傍に膝を着き、急いでカインさんの頭にボンッ!! と出来た大きな赤いタンコブに治癒の術をかける。
 その光景を呆けた様子で見ていた私は、ベッドを出て駆け寄ろうかとも思ったけれど、それを実行するよりも早く、ルイヴェルさんに止められてしまった。

「カイン、見事にボロボロ状態だな」

「詰め込むだけ詰め込んでる最中だからな。ま、この馬鹿弟子には、手荒すぎるぐらいが丁度良いだろ」

 フェリデロード家の二人、ルイヴェルさんとディークさんに冷静な視線を向けられたカインさんは、うぐぐっと呻きながら立ち上がった。
 
「大丈夫ですか? カインさん……」

「おう……。って、それよりお前、大丈夫なのかよ。目の色が本当に変化しちまってるし、何か……、魔力と別のモンも表に出て来てんじゃねぇか」

 スタスタと頭の上に出来たコブを押さえながら私の傍に駆け寄って来るカインさんに、コクリと頷く。

「ルイヴェルさんの話では、暴走とか、そういうものではないそうなので、大丈夫です。すみません、私が動揺しすぎたせいで、カインさんやディークさんにも心配をかけてしまって」

「別に気にすんな。でもまぁ、大した事がなくて、……本当に良かった」

 きっと急いで駆け付けてくれたのだろう。
 カインさんは自分の怪我にさえも頓着せず、具合の悪い所はないかとか、色々と私を気遣ってくれる。

「しかし、これまた見事な黄金眼だな……。ウォルヴァンシアの王族とはいっても、それぞれ力の差はあるんだが……、これは相当に……」

「ディーク、ユキの中から漏れ出している力を中に戻す。サージェスと二人で取り掛かってくれ」

 ディークさんの言葉を遮り、ルイヴェルさんが寝台から離れる。
 サージェスさんとディークさんを招き寄せ、私の状態を元に戻す為の話し合いを始めるようだ。

「あ、アレクさん、紅茶、御馳走様でした。とっても美味しかったです」

 残りの紅茶をくいっと飲み干した私は、アレクさんにそれを差し出し、お礼を述べる。それを受け取ったアレクさんが、満足そうに微笑んでティーカップを受け取ってくれた後、撫で撫でと優しく私の頭を撫でてくれた。
 
「また飲みたくなったら、いつでも言ってくれ。俺にはルイ達のようなお前の役に立つ能力はないが、出来る事があるならそれをしたい」

「アレクさん……。ありがとうございます」

 いつだって、アレクさんは私の心の支えになってくれている。 
 さっきだって、動揺して怯える私の身体を抱き締めて、あんなにも優しく宥めてくれたのだから。
 
「ウォルヴァンシアに戻ったら、アレクさんにも何かお礼をさせてください」

「礼?」

「はい。アレクさんだけではなくて、皆さんには本当にお世話になっていますから。私に出来る恩返しがあるなら、それをさせてほしいんです」

 そう言って微笑んだ私の頭を、またアレクさんがクシャクシャと撫でる。 
 その顔に滲んでいるのは、私を包み込むような優しい微笑み。

「ユキには、いつも大切なものを貰っている。だから、気にするな」

「そうでしょうか……。でも、やっぱり、お礼がしたいです」

「お前って……、本当真面目な奴だよなぁ。律儀っつーか、まぁ、それがお前の良い所なんだろうけどな」

 寝台に頬杖を着いて座り込んでいたカインさんが、苦笑と共に私に対する感想を述べる。

「勿論、カインさんにもお礼をさせてくださいね」

「は? 何で俺もなんだよ。お前に対して何か世話した覚えとかねぇぞ」

「そんな事ないですよ。カインさんにも、いっぱいお世話になってますから」

 心底不思議そうな顔をしたカインさんに笑い返し、真っ赤に腫れている彼のタンコブに手を伸ばした私は、「早く治りますように」と、祈りを込めてそれを撫でた。
 そう、アレクさんもカインさんも、皆さんにも、私はいつだって、誰かに支えられている。幸せで、温かなこの環境に、前よりも、恩返しをしたいという気持ちが募っていく。今はまだ出来る事は少ないけれど、いつか……自分に出来る事を増やして、皆さんの支えになれるような存在になりたい。

「……にしても、本当に大きなタンコブですねぇ」

 しみじみと、カインさんの膨らんだタンコブを撫で続ける。
 
「いや、ユキ……。そこは撫でると痛いと思うんだが」

 カインさんの後ろに来て治癒の続きを行い始めたレイル君にもっともな指摘を貰った私は、「あ……」と、今更ながらにそうだと気付いた。
 
「す、すみません……」

「ユキ、謝る事はない。むしろ、お前の手に労わって貰えたこのタンコブは幸せものだ」

「おい……、番犬野郎っ。何、人のタンコブをグリグリ攻撃してやがんだよっ。痛ぇだろうが!! この嫉妬の権化が!!」

 私の手がそこを離れた後、アレクさんがレイル君の傍に立ち、カインさんの真っ赤に腫れ上がっている大きなタンコブを、握り拳を作って押し付ける様にし始めてしまった。あれは痛い。どう考えても、物凄く痛い。
 涙目になって後ろを振り返り、がうっとアレクさんに言葉で噛み付いたカインさんを必死にレイル君が宥めにかかる。
 そんな思わず笑ってしまいそうな微笑ましい光景を目にしながら時を過ごした後、私はディークさんとサージェスさんの二人によって、表に出ている力を収めて貰う事になったのだった。
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