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第三章『不穏』~古より紡がれし負の片鱗~

王宮医師の目覚めと仲直り

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「ん……」

 何だろう、頭を……、しい手つきで撫でられている気がする。
 心地よい眠りを感じていた私は、その感触に身動ぎし小さく声を漏らした。
 その手の動きが一瞬止まり、温もりが……、離れていく。
 それを少し残念に感じていた私は、やがて零れ落ちた低い声音に完全に意識を引き戻される事になった。

「そろそろ起きたらどうだ? お前の能天気な寝顔を見るのも飽きてきたからな」

「……」

「鼻でも抓んでやれば起きるのか? どこまで耐えきれるのか観察するのも面白そうだが」

「……」

 声音に有言実行の意地悪な気配を感じた私は、はっきりと戻った意識を抱えたまま、瞼を開ける事が出来ずに、ピキリと固まってしまう。
 ど、どうしよう。これは、言われている通りに目を覚まして向き合うべきか……。
 でも、瞼を開ける勇気が……っ。

「ふみゃっ!!」

「くく……、面白い声で鳴いたな」

「な、何するんですか!! ルイヴェルさん!!」

 私が頓狂な声を上げたと同時に、ルイヴェルさんは鼻から手を放し、喉奥で笑うように酷い感想を向けてくる。
 バッと身を起こし、鼻に手を当てて抗議した私の目に映ったのは、寝台に上半身を起こし、片膝を立てて、そこに頬杖を着いて私を見下ろすルイヴェルさんの姿。
 笑みを浮かべてはいるものの、まだ気怠いのか、その瞳には疲労の熱が揺らめいていた。

「人の部屋で勝手にぐーすか寝ているお前が悪いんだろう? 俺は親切で起こしてやっただけだ」

「鼻を抓んで起こす方法の、どこが親切ですか~!!」

「今の俺と違い、元気があるのは良い事だが……、頭に響く。とりあえず落ち着け」

「あ、……す、すみません」

 私の大声が悪かったらしく、ルイヴェルさんはこめかみを指先で揉みながら眉を顰めた。
 
「で、……どうしてお前がここにいるんだ? サージェスやアレク達はどうした。一応結界は張っているようだが」

「えっと、……く、薬を取りに……、皆で行ってしまいました」

「……なるほどな」

 事の経緯を告げると、ルイヴェルさんは普通に納得したような気配ではなく、もうひとつの何かに気付いたかのように顎に指先を添えていた。
 ……そういえば、私、いつの間にルイヴェルさんの部屋で寝入ってしまっていたんだろう。

「あの、私……、どのくらい寝ていたんでしょうか?」

「さぁな? 俺の目が覚めた時、お前が間抜けな顔で暢気に寝ていたからな……。……試しに三十分ほど観察してやっていたが」

「何でその時点で起こしてくれないんですかっ」

「気分だ」

「……」
 
 そうですか……。人の寝顔を三十分も観察した理由が気分。
 相変わらず意地悪というか、マイペースでどっしりとしたご性格というか……。
 私はもう何も言う気力がなくなって、椅子に座り直した。

「えっと……、具合の方、どうですか?」

 まだ話をするのは少し気まずいけれど、ここに来た目的のひとつであるお見舞いの言葉をルイヴェルさんに向けてみる。

「……」

 だから、何で今度は無言になってしまうんですか……。
 少しだけ、眠気があるかのように瞼を一度閉じたルイヴェルさんが、またそれを押し開けて私を見つめてきた。

「ルイヴェルさん、やっぱりまだ休んでいた方が良いんじゃ……」

「……いや、少し眠いだけだ。寝すぎも良くないからな。暫くは起きているつもりだが……」

「じゃあ、せめて服は着替えましょうよ。汗に濡れたままだと、具合が悪化するかもしれませんし」

 シーツに視線を落としてみると、汗のせいで染みが薄らと広がっているのが見えた。ルイヴェルさんの上半身の方、……あまり直視はしたくないけれど、汗を掻いているせいで、シャツがピッタリと肌に張り付いている。
 
「そうだな……。さすがに、この状態は不快だ」

 自分の身体を見下ろしたルイヴェルさんが、毛布を剥ぎベッドから下りると、何だか不安な足取りで、クローゼットに向かい始めた。
 あ、着替えの服を取ってるんだ。で……、各個人の部屋に備えられているバスルームへと続く扉を開けて、……それが閉まった後。

 ――ガタンッ!!

「え!?」

 ――……ゴソゴソ。

(本当に大丈夫なのーーー!?)

 バスルームの中から聞こえる物音を不安いっぱいに聞きながら椅子の方に座ろうとしていた私は、やがて響き始めたシャワーの音にほっと胸を撫で下ろした。
 よ、良かった……。バスルームで気絶とか、頭を打って事故とかにはならずに済んだようだ。
 もしそうなったら、私にはルイヴェルさんを救出出来ないもの。
 腕力的にも、身体的にも、……視覚的にも。

「はぁ、それにしても……、昨日の事、ルイヴェルさんの中でどうなってるのかなぁ」

 まだ気にしてるのかな……。倒れるくらいだし、根に持ってる確率も高そうな気が……。
 でも、悪いのはルイヴェルさんだし、私が折れて謝るっていうのも……、う~ん。
 とりあえず、バスルームからルイヴェルさんが出て来たら、その話題は避けながら話をしてみようかな。
 当たり障りなく会話を続けていけば、そこからこう……、どうにか昨日の事についての突破口が見つかるかもしれないし。

「……サージェスさん達、いつ戻って来てくれるんだろう」

 ルイヴェルさんの部屋の壁に掛かってある時計に目をやると、サージェスさん達が部屋を出て行ってから、すでに一時間以上は経過している。
 薬って……、一体どこに取りに行ったんですか? これ、絶対謀られましたよね?
 昨夜の出来事を知っているサージェスさんの事だから、何か考えがあって私をここに残したのだとは思うのだけど、荒療治にもほどがありませんか……。
 
「うぅ……、サージェスさんの馬鹿ぁ」

 テーブルにゴン! と顔を突っ伏し、ここにはいないガデルフォーンの騎士団長さんに文句をぶつける。
 あの人、本当に読めないというか、爽やかな笑顔で人に試練を押し付けるというか……。
 
(通常時のルイヴェルさんとどこか似てる気がする……)

 正確には、根本の部分が似通っているような気がしてならない。
 
 ――ガチャ。

 ふいに響いた扉の音に顔を上げると、シャワーを浴びたお蔭ですっきりしたらしいルイヴェルさんが、新しいシャツとズボンに着替え、頭にはタオルを乗せて戻って来た。
 髪も全部洗ったんだろうなぁ。窓から差し込む陽の光が濡れた銀の髪をキラキラと照らし出している。
 
「……」

「……」

 む、無言が重いっ。ルイヴェルさんは髪を濡らす水滴をタオルで拭いながら、私の向かい側の椅子へと腰を下ろした。

「えっと、さ、さっぱり、しましたか?」

「あぁ……」

「お、お茶淹れましょうか! ずっと寝ていたのなら、喉も渇いてるでしょうし」

 ささっと席から逃げるようにお茶の用意に向かい、棚に並んでいる茶葉の箱を手に取る。
 どの茶葉にしようかな……。ウォルヴァンシアにいるロゼリアさんのお蔭で、茶葉それぞれの効能がわかるようになっていた私は、箱の中に並んでいる茶葉の瓶を眺めた後。『ある茶葉』の入った瓶をひとつだけ外に取り出し、箱を棚に直した。
 
 ――コポポポ……。

「こんな感じかな……」

 ロゼリアさんのように上手く淹れられたかはわからないけれど……。
 私はトレイにティーカップを載せ、ルイヴェルさんの待つテーブルへと運ぼうと、それを手に持った……、その時。

「――すまなかった」

「……え」

 静かな空間に響いた、……思わぬ言葉。
 今の……、ルイヴェル……、さん?
 おそるおそる振り返ると、……頭にタオルを被ったまま、私へと少しだけ頭を下げているルイヴェルさんの姿が視界に映り込んだ。
 え? ……え? ええええええええええええええええ!?

「る、ルイヴェル……さん? 急にどうしたんですかっ」

 危うくトレイを落としそうになった私は、それを持ち直しテーブルに急いで向かうと、トレイをテーブルに置いた。
 ルイヴェルさんの前に立ち、目を驚愕に見開いたまま口をパクパクとさせる。
 今の、しゃ、謝罪……、だった、よね? あの、ルイヴェルさんが……、謝罪!?

「ルイヴェルさん……、また具合が悪くなったとか、変な物を口にしたとかっ」

「違う。考えた結果の謝罪だ。受け取れ」

 受け取れって……、あまりにもらしくなさすぎて、状況についていけないんですが!!
 
「昨日は、お前の事を酷く傷つけてしまったようだからな……」

 信じられないものを前にしている……。これは、何のドッキリ!? 
 もしかして、天変地異の前触れ!? 失礼すぎる感想が心の中で目まぐるしく駆け巡る。

「『昔のお前』は……、あれくらいじゃへこたれなかったからな……。記憶がない事を、いつの間にか忘れて……、やり過ぎたようだ……」

「む、昔?」

「……お前の記憶が、俺達姉弟と、その父親によって封じられる前の話だ」

 少しだけ落ち込んだ様子で静かに語るルイヴェルさんの声音……。
 本当に、いつもと様子が違いすぎて、どう反応して良いのかわからなくなる。
 私はとりあえず自分の心を落ち着ける為、自分の席へと腰を下ろした。

「そういえば、私がウォルヴァンシアに帰還した時、初対面じゃないって、言ってましたよね? 記憶と魔力を封じられる前、私がまだ幼い頃に……、会った事があるって」

「正確には、……幼いお前がユーディス殿下達に連れられて、ウォルヴァンシアに帰省した際に、よく面倒を見ていたんだがな……」

 在るはずの記憶は、ルイヴェルさん達によって封じられ、今は思い出す事も出来ない。
 幼い頃、自分がウォルヴァンシアでどう過ごしていたのか、誰と思い出を紡いでいたのか……。
 今の私には、何ひとつ思い出の一欠けらも浮かぶ事はない。
 だけど、ルイヴェルさんは確かな記憶を抱いて覚えている……。
 幼い私と過ごした……、遠き日の事を。

「本来であれば、次期ウォルヴァンシアの王になるはずだったユーディス殿下の愛娘……。俺は仕事の関係で、赤ん坊だったお前と会ったのは僅かな回数だけだったが、そうだな……、あれは、お前がまだ三歳ぐらいの時の事か。ある場所でお前を拾う機会があってな……、そこから色々と関わるようになった」

「……」

 私の知らない在りし日の光景が、ルイヴェルさんの少し気怠い声音に乗って届いてくる。
 無邪気な子供が王宮内を駆けまわり、皆の優しい笑顔に見守られながら成長していく様子が、徐々に私の頭の中で像を結び、想像という形でその光景を映し出す。

「俺に関わっても何も得な事などありはしないのにな……。何度泣いても、何度いじられても、お前は俺の後を付いてくる子供だった」

「……すみません、ルイヴェルさん。ちょっとその辺りの事を詳しく教えてくれませんかっ?」

 この人は幼かった私に一体どんないじりをぶつけて楽しんでいたのやらっ。
 泣かされるって、きっと、ううん、絶対に度を越した意地悪を受けたに違いない。
 そして、何故幼かった私は、そんな人に懐いていたのっ。
 自分の事なのに、当時の私の気持ちが全然わからない。
 だけど、一体私に対してどんな事を仕出かしてくれていたのかは凄く気になる!!
 私は引き攣った笑顔に若干黒い気配を纏いながらルイヴェルさんに詰め寄った。
 けれど……。

「いずれ記憶の封印は解く。その時に自分で確認してみろ」

「そんな……、物凄く気になるじゃないですかっ」

「楽しみはあとに取っておく方が良いだろう?」

 それ、楽しみじゃなくて、トラウマへの入り口って言いませんかね?
 これ以上はもう何も教えて貰えない事を悟ると、私は肩をがっくりと落として自分の手元に収まっているお茶の水面に視線を移した。
 
「まぁ、お前が何もかも忘れている状態で、当時のように接するわけにはいかなかったからな。色々と気を付けているつもりではあったんだが……、結果はこの通りだ」

 ルイヴェルさん曰く、油断しすぎていた……、との事。
 当時の調子が徐々に戻り始め、気が付けば私が泣いて怒るほどの真似をしてしまっていたらしい。昔の事も含め、怒った方が良いような気もするけれど……、はぁ。

「もう……良いですよ。ルイヴェルさんはちゃんと私に謝ってくれましたし、それに……。私もルイヴェルさんに酷い言葉をぶつけて傷付けてしまいました。……本当にごめんなさい」

「……何故、お前が謝る?」

 タオルの影からこちらを窺うルイヴェルさんの双眸が、意外そうに小さく見開いた。
 向けられた問いの通り。確かに今回の事は、ルイヴェルさんのいじりが度を越したから起きてしまった事。
 だけど、よくよく考えたら……、私だってあの診察の時、ルイヴェルさんに沢山失礼な事を口にしていたし、自分に何の非もないとは思えなかった。
 きっかけを作ったのは、もしかしたら自分だったんじゃないかって、そう思える部分もあるから……。
 だから、『大嫌い』とぶつけてしまった言葉も含めて、ルイヴェルさんを傷付けてしまったかもしれない事に関しては、自分も謝るべきだと感じたから、私は謝罪を口にした。それをルイヴェルさんに補足して伝えると、

「お人好しだな……、お前は」

(あ……、ルイヴェルさんの目元が和んだ)

 視線から伝わってきたのは、……懐かしいものを見るような、柔らかで、優しい気配。それは、前にも一度感じた事のあるルイヴェルさんの違う一面で……。
 私は思わず胸の奥がトクリと不自然に高鳴るのを感じながら、「ふ、普通だと思います」と、返事を返した。

「と、とにかく、これで仲直りで良いですよね?」

「……別に喧嘩をしていたわけではないと思うが、……そういう所が、……お前らしいといえば、らしい、か」

 零れ出た小さな笑いに私も肩の力が抜けて、ルイヴェルさんにお茶を勧める事が出来た。
 ロゼリアさんに教えて貰った茶葉のひとつで、さっき私が選んだその茶葉で淹れたお茶が意味するのは、――『絆の修復』。
 つまり、仲直りを促してくれる効果があるお茶を私は選んだのだ。
 そのお蔭かどうかはわからないけれど、ルイヴェルさんも謝ってくれたし、私も胸に支(つか)えていたものを解消する事が出来た。

「美味いな……」

「ルイヴェルさん、それを飲んだらまた休んでくださいね。サージェスさんが時期にお薬を持って来てくれますから」

 というか、いい加減そろそろ戻って来ても良いと思うのだけど。
 多分……、サージェスさんの性格を考えたら、絶対わざとなんだろうなぁ……。
 私とルイヴェルさんが二人で話を出来るように荒療治よろしく、ここに閉じ込めたとしか思えないもの。
 でも……、結果的にルイヴェルさんと仲直りが出来たし、良かったのかもしれない。

(だけど、本当にいつ戻って来るんだろう……)
 
 向こうで状況を見ていてくれているのなら、もうそろそろ戻って来ても良いんじゃないかなぁ。
 
「あ、ところでルイヴェルさん」

「何だ?」

「さっきからずっと気になってたんですけど、……それ」

 ポタポタと水滴を零すルイヴェルさんの銀髪を指差した私は、早く拭き取らないと風邪を引きますよと苦笑混じりに指摘してみた。
 陽の光が反射して、ルイヴェルさんの髪に付いている雫がキラキラと光る様子は、宝石の輝きにも似ている。
 だけど、やっぱりそのままじゃ、せっかく着替えた服も濡れてしまうし、体調の悪いルイヴェルさんにはよろしくない。

「早く水分を拭き取った方が良いですよ」

「そうだな。……」

 何故かルイヴェルさんはタオルを頭から取り去ると、小さく何かを……、詠唱かな? 次の瞬間、ふわりと暖かな風がルイヴェルさんの髪を撫で上げ、その髪を一瞬で乾かしていった。
 わー便利……、じゃなくて、何で最初からそうやって乾かして来なかったのやら。
 そう疑問と共に聞いてみれば、「自然に任せる派だ」と、至極あっさりと言われてしまった。ルイヴェルさんって……、実は面倒臭がり?

「いつも、自然に乾くまで待っているんですか?」

「あぁ」

「でも、服が濡れてしまいますし、気持ち悪くなったりしません?」

「気にした事はなかったな」

 しっかりした大人の男性に見えて、完璧な人なんていないのだと証明するように、どこか抜けている所もあるというか……。
 相変わらずこの人の事は苦手な部分もあるけれど、……こういう面を見ていると、不思議と心が和んでしまう。
 それに、私の淹れたお茶を飲みながら、まだ少し眠いのか、閉じそうになっている目とか……。どこかあどけない子供のようにも見えて、その意外な一面も貴重なものに感じられる。

「何がおかしいんだ?」

「え? ふふ、何でもありません」

 まさか『貴方の微笑ましい一面を見て和んでいました』なんて口にしたら、きっとまた意地悪な仕返しがきそうだし、ここはひとつ、私の中だけの秘密にしておこう。
 それから私は、サージェスさん達が戻ってくるまで、ルイヴェルさんと他愛のない話をしながら、仲直りのお茶を手に、穏やかな時間を過ごしたのだった。
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