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第三章『遊学』~魔竜の集う国・ガデルフォーン~

王宮内での遭遇

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「え~と、こっちが厨房への道で、あっちが……」

 サージェスさんとカインさんが師弟関係を結んだその日の夕方、シュディエーラさんから貰った手作りパンフレットを手に、私はガデルフォーン皇宮内を散策する事にした。
 自分の足音がよく聞こえるくらいに静寂一色の気配。これが、ガデルフォーン皇宮の日常。
 時折すれ違う女官さん達も、静かに頭を下げてくれるくらいで、あまり自分から関わって来てはくれない。まぁ、何かを尋ねれば答えてくれるのだけど……、やっぱり、何だか寂しいもので。
 荘厳な皇宮内の造りや、整えられた美しい庭を見ても、一人ではあまり楽しめない。
 皇宮内であれば安全だからと、誰も誘わずに出てくるんじゃなかった。
 巨大な迷路の中で途方に暮れた子供のような気分……。
 ふぅ、と、残念交じりに肩を落としながら回廊を曲がった私は、ふと、心地良い音色の気配を感じ取った。

「あれは……」

 暮れてゆくオレンジの穏やかな姿と同じように、その旋律は夜の闇に怯える子供を優しく包み込むかのように温かなものだった。
 多分、フルートに近い楽器で奏でているのだろう。
 一体誰がこの優しい旋律を生み出しているのか、それを知りたくて、私は回廊から外れる事にした。ファニルちゃん達がいた区域の庭とは違う。入口に美しい青薔薇をあしらったアーチが佇み、それを越えて足を踏み入れた先には、氷の世界を思わせる静謐さを抱く庭が広がっていた。
 
「……『青き星薔薇の庭園』」

 パンフレットと自分の位置を確認しながら、この場所の名を口にする。
 別名、煌めきの園、とも書かれているけれど……、正式名称にある、星、というイメージの物はどこにも。
 と、水晶のように透き通った道を歩きながら奥に進んでいた私は、視線の先にあるものを見つけた。

(あった……、星のイメージ)

 庭園の奥に見えた、巨大な水晶を思わせる壁泉(へきせん)と、そこからぐるりと大きく円を描いた内側には、竜のような生き物の像を中心とした水面が広がっている。
 時折泉の中から、水がクジラの潮吹きのように噴き上がり、その光景の中に……、星のような煌めきが見えた。多分、夜であればもっと綺麗に、本物の星々を思わせる輝きを見せてくれるのだろう。そんな光景を背にして、二人の男性が心地良い音色を生み出していた。
 
(息の合った素敵な演奏……)
 
 薄茶色がかったモンブランとよく似た色合いの長髪を背に流している男性の方は、ヴァイオリンによく似た楽器を慣れた手つきで演奏している。
 もう一人は……、深味のあるワインレッドの髪色をした男性。
彼の手には、私が最初に捉えた音色の元である、フルートそっくりの銀色の楽器があった。
でも、どちらの楽器もやっぱり、ここが異世界である事を再確認させるかのように、私の世界の楽器とは少し違う部分が見て取れる。
うっとりと聴き入ってしまいそうな音色に立ち尽くしていると、ワインレッド色の髪の男性がゆっくりとその瞼を開いた。

「あ……」

 目を閉じていた時とは違う、私を見据えて、ううん、射貫いてくる程に鋭い青の双眸。
 向けられている感情が敵意と警戒を意味するものだと気付いた私は、勝手に演奏を聴いていた立場という事もあり、あわあわと言葉にならない音しか口から出て来なかった。
 
「貴様は誰だ?」

「あ、あのっ」

 楽器を手に、ワインレッドの色を抱く男性が速足で近づいてくる。
 必死に言い訳、というか、自分の立場を説明しようとする私の左手を掴み、男性が音を強めた。

「答えろ、小娘。貴様は何者だ? ここは偉大なる女帝陛下が御座(おわ)す場所……。女官でもない者が、何をしている?」

 完全に不審者扱いで尋問されている。
 寄せられた顔はとても綺麗だけれど、警戒を表すその表情は険しく、怖いとしか言い様がない。
 どうしよう、どうしよう、早く説明しないと。ディアーネスさんに招かれてこの国に来た、って。
 少しだけ泣きそうな気分になりながら口を開きかけたその時。
 尋問をしていた男性が、ぐっと後ろ側に仰け反ってしまった。

「クラウディオ~、無抵抗のお嬢さん相手に凄んではいけませんよ~」

「うぐっ……、ゆ、ユリウスっ!!」

 私に凄んでいた、クラウディオと呼ばれた男性とは正反対の、柔らかな声音。
 それを発している長髪の男性が、クラウディオさんを自分の後ろに押しのけて自分が前に出てきた。

「申し訳ありませんでした、お嬢さん。私達も宮仕えですので、見慣れない方を見ると、つい」

「い、いえ、私の方こそ、お二人の演奏を勝手に聴いてしまって、すみませんでしたっ」

「ふふ、それについてはお気になさらずに。私は、この皇国に仕える魔術師団の者、ユリウス・アデルナードと申します。お嬢さんの事をお聞きしてもよろしいですか?」

 背後でムガーッ! と猛抗議の音にならない声を発しているクラウディオさんの顔面を片手で押さえつけ、長髪の男性、ユリウスさんはニッコリと優しい笑顔で尋ねてくれた。
 夜明け前の美しい露草色の双眸に見つめられていると、何でも喋ってしまいそうな心地になる。

「ゆ、ユキ・ウォルヴァンシア、と言います。この国には、女帝のディアーネスさんにお招き頂きまして、一ヶ月の遊学を」

「ウォルヴァンシアの……。それは、ご無礼をいたしました。クラウディオ共々、どうかお許しを」

 物腰はとても穏やかなのに、ユリウスさんはクラウディオさんの頭を強引に下げさせて、その場に膝を着きながら申し訳なさそうに二度目の謝罪を向けてくれた。
 宮仕えと言っていたから、他国の王族相手には条件反射で膝を折ってしまうのだろう。

「あの、お願いがあるんですけど……」

「何でしょう?」

「公式の場だと難しいかもしれませんけど、それ以外は、ただのユキとして接して頂けませんか? 私自身はただの庶民、というか、王族だからって傅かれるのはあまり……、好きではないんです」

 ユリウスさんの前に膝を着いてそうお願いしてみると、少し困った顔をされてしまった。
 やっぱり、駄目……、なの、かな。ウォルヴァンシアの人達にも同じ事を言った時、受け入れてくれた人と、それは無理だと拒まれてしまうか、ある程度の妥協を見せてくれるかの三通りだった。
 国と王族に仕える人達からすれば、困って当然の頼み事なのはわかっている。
 私には何も尊い部分などないのに、王族である事が、彼らの心を抑え付けてしまう事も。
 それでも、懲りずにお願いしてしまうのは、最早癖になってしまっている。
 ユリウスさんは少しの間考え込む素振りを見せ、ゆっくりと心からの笑みに表情を和ませた。
 私の手を取って立ち上がり、スカートの汚れを払ってくれる。
 
「では、ユキさん、と、そうお呼びしてもよろしいですか?」

「――っ。はい! よろしくお願いしますっ、ユリウスさんっ」

「王族としての自覚が皆無の小娘か……。自分の立場を何だと思っているんだか」

「クラウディオ~……、こっそり悪態を吐くんじゃありません。ユキさんに失礼でしょう?」

「ふんっ。その小娘が普通に接しろと言ったんだ。なら、そうさせてもらうだけの話だ」

 確かに、気軽に接してほしいとお願いしたのは私だけど、クラウディオさんの態度はわかりやすい程に上から目線というか、……私、嫌われてるのかな。初対面で? まだ少ししか話してないのに?
 地味にへこんでいると、ユリウスさんがクラウディオさんの頬を指先で摘まんで手酷く引っ張り上げる姿が見えた。え、笑顔なのに、怖いっ。

「すみませんね、ユキさん。この男は、クラウディオ・ファンゼルと申しまして、永遠の反抗期と言いますか、いつまで経っても偉そうな態度が抜けなくて」

「だ、大丈夫です! 私の友人にも、永遠の反抗期代表みたいな人がいますので!!」

「おや、それは奇遇ですね~」

 永遠の反抗期=カインさん。本人が近くにいないのをこれ幸いにと、私は朗らかに笑うユリウスさんに同調して笑みを返す。勿論、カインさん本人はいないけれど、クラウディオさんにはぎろりと射殺さんばかりの物凄く怖い目で睨まれてしまった。うぅ、もしかしなくても、逆効果だったかなぁ。
 ますます嫌われてしまった気がする……っ。
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