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第三章『序章』~女帝からの誘い~

舞踏会・深緑の王宮医師

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「ふぅ……、疲れた」

 冷たい夜風が、舞踏会の熱気にあてられた肌を心地良く撫でていく。
 バルコニーには誰もいないし、ここでなら少しは休憩がとれるはずだ。
 会場内にいる人達は、貴族としての社交の場に慣れている様子で、積極的に誰かを誘ってはダンスに向かう人、談笑しながら互いの近況を語り合ったりしている人達が多い。
 楽団の音色も、絶えず会場内の賑わいと共に流れ続けている。
 ここから見ると、何もかもが違う世界の事のようにしか思えない。
 全面が窓となっている扉、それが壁となって、私を現実に逃がしてくれているような心地だ。
 王兄姫としての、初めてのお披露目の場。ほんの少しだけ緊張感は和らいだけれど、身体と心には疲労感が漂っている。
 私は溜息と共にバルコニーの手摺りに寄りかかると、頭上に広がる美しい夜空へと顔を上げた。
 舞踏会の様子とは違って、穏やかに光輝く星々の姿に心が癒される……。

「王兄姫、かぁ……」

 普通に日本の一般家庭に生まれ育った私には、まだまだ荷が重い。
 生粋のお姫様でもないし、何も器用にこなす事が出来ない私に出来るのは、努力を重ねていく事だけ。舞踏会や王兄姫の立場が嫌なわけじゃない。ただ、……少し、気後れしているだけなのだろう。貴族の方々への挨拶と、二回のダンス、ご令嬢の皆さんとの会話。
 初めての私には場を楽しむ余裕なんてなくて、疲労感の方が大きく感じられるから。
 少しずつ慣れていこう。少しずつ、少しずつ……。
 そう自分の心を慰めていると。

「ユキ姫様!! こちらにおいででしたか!!」

「あぁ、闇夜に佇む姿もまた愛らしい……。その姿を追い求め、ようやくお姿を見つける事が叶いました」

「イリューヴェルの皇子殿下とのダンスは終わられたのでしょう? では、次は是非私めと」

 ぎくり……。バルコニーへと足を踏み入れた人達の喜びの溢れる声音に、私は人形のようにギギッと音を立てるような心情で振り向いた。
 入り口を塞ぐように……、一人、二人、三人、四人、五人以上の貴族男性が陣取っている。
 一人になるのを待ってましたとばかりの喜々とした気配に、私の頬が引き攣っていく。
 皆さん、私は確かにレイフィード叔父さんの姪で、社交的な意味では価値があるのかもしれませんが、そんなに一生懸命に嬉しそうに近づいて来ないでください!!
 立場を引っぺがしたら、ただの童顔な小娘です!! 
 ほら!! 舞踏会上の中には、煌びやかな蝶々さんがいっぱいですよ!!
 じりじりとバルコニーの奥へと後ずさっていく自分……。

「ユキ姫様、次こそはこの私めとダンスを!!」

「可憐な蕾を愛でる夢のような時間を私に!!」

「あぁ、なんと愛らしい……。是非私の手で育てたい」

「あ、あの、私、少し疲れてしまったので……、申し訳ありませんが、もう少し後に」

 段々と危ない台詞まで混ざり始めている貴族男性の皆さんの姿に慄きながら断りの言葉を口にしたけれど、今度こそ私のダンスの相手を勝ち取ろうと凄まじい迫力で皆さんが迫ってくる!!
 逃げ場なしの、絶体絶命の状態という表現は大げさかもしれないけれど、そのくらい、私の心は目の前のダンスのお相手候補者の皆さんに追い詰められているのだ。
 
「さぁ、ユキ姫様、私の手をお取り下さい!!」

「可憐な蝶が舞う様を、すぐ間近で感じたいのです!!」

「ダンスの後の介抱は私にお任せください、お疲れになった貴女様を、一晩中傍で見守り続けましょう!!」

 だから人の話を少しは聞いてください!! 私と踊る事しか頭にないのか、貴族男性達が手を伸ばし、私の身体に触れようとした、――その瞬間。
 ぶわりとプリンセスラインのスカートが舞い上がり、私は慌ててドレスを両手で押さえた。
 目の前では、貴族男性の皆さんが驚きと衝撃で尻餅を着き、小さな悲鳴を発しているのが聞こえてくる。い、一体何が……!? あまりの風の凄さに瞼を強く瞑っていると、すぐ傍で落ち着いた声が響いた。

「一人の娘を相手に余裕なく迫るとは、滑稽なものだな」

「……ル、ルイヴェル、さん?」

 突風が収まり、私の盾となるように目の前に現れたのは、――まさかの王宮医師様!?
 私の方へと振り返ったルイヴェルさんは、参加者の皆さんと同じように、落ち着いた色合いの正装を着こなし、冷静一色の視線を寄越してくる。
 大丈夫かと問われ頷くと、その視線がまた前へと向かう。
 もしかしなくても、カインさんが消える前に残した『次が来る』までの、次とは、ルイヴェルさんの事だったのだろうか。
 貴族男性の皆さんが、静かな迫力を湛える王宮医師様の気配に圧されながら腰を上げると、徐々に後退していく。
 どうやら、無意識に大魔王様の恐ろしさを感じ取っているらしい。
 けれど、全員が圧されているわけではないようで、勇気ある貴族男性の何人かが前に出てきた。

「き、貴殿は確か……、フェリデロード家の。きゅ、急に無礼ではないか!!」

「我らが何をしたというのか!!」

「疲れている王兄姫殿下に無理強いをしようとしているように見えたがな? それに、生憎だが、この方の次の相手は俺に決まっている。節操のないお前達とは違い、きちんと休ませてからになるが」

 多勢に無勢の図に見えるけれど、実際は逆。
 ルイヴェルさんの余裕と自信に満ちた態度に、貴族男性達が怯えながらも猛抗議を向けてくる。
 
「ルイヴェル・フェリデロード……、普段から王兄姫殿下のお傍に侍っていると噂に聞くが、その横柄な態度はなんだ!!」

 は、侍る!? 私にルイヴェルさんが!? なんて恐ろしい事を言うの!!
 
「そうだ!! フェリデロード家の次期当主の座を笠に着て、横暴は大概にして頂きたい!!」

「ダンスの相手を決めるのはユキ姫様だろう? 身勝手にその方を独占していいわけがない!!」

 皆さん……、やめておいた方がいいですよ。
 表情が見えなくても、ルイヴェルさんの背中から滲みだす大魔王様の気配が急速に強くなっているのに気づかないんですか? 傍にいる私も正直怖い!!
 カインさんの時は、レイフィード叔父さんを前にしていたからまだ大人しく引き下がってくれたのだろう。貴族男性達はルイヴェルさんから私を引き摺り出そうと、何だか怖い目で迫ってくる。

「ほぉ……。俺が今ここにいる事を、身勝手だと、横暴だと評するか」

「る、ルイヴェルさん……」

「ユキ姫様にはまだ婚約者のような正式な立場の者はいないと聞く!! ならば、我らにも王兄姫殿下と知り合い、心を寄せる機会を!!」

 と、貴族男性の一人が鼻息荒くそう自分達の権力を主張した瞬間、ルイヴェルさんが背後にいた私を自分の腕の中へと引き寄せ、その漆黒の外套(マント)の中へと抱いた。
 一体何をする気なのか、大勢の貴族男性達の敵意を前にしても怯まず、ルイヴェルさんは大魔王の片鱗をその瞳に滲ませていく。

「こうなるとわかっていたからこそ、手間をかけているんだがな?」

「きゃっ」

 グイッと王宮医師様の指先に顎を持ち上げられ、知を抱く深緑の双眸に囚われる。
 な、ななななな、何をやってるんですか!! ルイヴェルさん!!

「お前達ではこれの相手を務めるには分不相応だと、遠回しに言われているのがわからないのか?」

「なっ。フェリデロードの血筋に連なっているからといって、その物言いはなんだ!! 我らもまた、ウォルヴァンシアの貴族!! ユキ姫様のお相手を務めるに足る身分を持っている!!」

 やめておけと言いたげな背後の貴族男性達から哀れみの視線を向けられながら、血管を浮きだたせ拳を振り上げて主張する貴族男性に、ルイヴェルさんが嘲るような笑みを浮かべる。
 今、この人鼻で嗤った!! この雑魚がっていう目であの貴族男性を見てるんですけど!!
 
「親の地位に甘え、あたかも自身が絶対的な権力を持っているかのように考えているお前達には、王兄姫殿下の相手など、千年どころか万年早い」

「ぐっ……!!」

「自分達が第一段階目の振るいにかけられている事にも気付いていないのだろう? そこで怯えている者達の方が、まだ自身を弁えていると言えるがな。王兄姫を見るその瞳が、さらなる地位を求めてのものなのか、これ自身を求めてのものなのか。自分でわかっているか?」

 挑発的なルイヴェルさんからの牽制で、勢いのあった貴族男性の何人かが後ろに引き始めた。
 王兄姫、ユキ・ウォルヴァンシア……。
 現・国王の姪御であり、王兄の娘。たとえ私になんの魅力がなくても、その立場は私自身が考えているよりも大きかったのかもしれない。
 ダンスの相手がカインさんに渡ったのも、ルイヴェルさんがここにいるのも、全てはウォルヴァンシアの貴族、特に独身男性達への牽制。
 ダンスのお相手を務めるくらいなら害はない、そう思っていたけれど……。
 何の敵意も向けていないはずの人達にルイヴェルさんがこんな真似をしているのは、どうやらレイフィード叔父さんの意図が含まれているからのようだ。

「な、ならば、ルイヴェル殿は自分がユキ姫様に相応しいと言い張るのか!! そちらとて、フェリデロード家の血筋を盾にしているだけのくせに!!」

「さぁ、どうだろうな? 俺はこれの保護者のようなものだが、お前達よりはまだマシだと思えるが」

「ユキ姫様の御身を拘束し、勝手な事を抜かしているだけではないか!!」

 指先を突き付け私を自分達に渡せと要求してくる貴族男性に、ルイヴェルさんの双眸がさらなる冷たさを帯びていく。

「では聞くが、お前達の中に……、レイフィード陛下を通して許しをもらった者はいるか?」

「そ、それは……」

「俺はレイフィード陛下から直々にその許しを得ている。だが、その手順さえ踏まない者が、果たして王兄姫殿下の相手を務めるに相応しいのか、今一度考えてみろ」

 十人ほどいた貴族男性達が、勢いのあった人達も含めて同時にしょんぼりと肩を落とし、やがて私達の目の前から去って行った。
 あとに残されたのは、冷たい夜風から私を守ってくれているルイヴェルさんだけ。

「と、こんな風にお前は狙われる事もある、と覚えておけ」

「やりすぎですよ、ルイヴェルさん……」

 外套の中に私を包み込みながら苦笑したルイヴェルさんに、私は頭痛を覚える。
 確かに言っている事はわかったけれど、無意味に威圧感を放ちすぎというか……。
 去って行った人達の中には、もしかしたら害のない人もいたかもしれない。
 それなのに……、最初から喧嘩腰なんて。やっぱりやりすぎのように思える。

「最初が肝心と言うだろう? 欲を抱く者の中には、王兄姫の相手を務めたというだけで調子に乗り勘違いをする奴もいる。だが、今のように最初から牽制をかけておけば、お前を落とす事が容易くはない、という事を刻み付けられるからな」

「一応、お礼は言っておきますけど……。王族というのは、私の想像以上の世界なんですね。舞踏会ひとつでこんなにも大変なんて、知りませんでした」

「見極め方と、あしらい方を覚えれば、お前も楽しめるようにはなるだろうな。麗しの王兄姫殿下」

「うぅっ、それやめてください。ルイヴェルさんに言われると、なんだか背中がムズムズするというか、いつもみたいに意地悪をされる前兆に感じますっ」

 ルイヴェルさんの腕の中でぞぞっとしたものを感じながら自分の身体を抱き締める仕草をしてみせると、その反応がお気に召したらしい王宮医師様が喉の奥で笑いを含んだ。
 
「お前に休息の時間を与えてやる為に来たというのに、相変わらずの反応だな」

 宙に向かって右手を突き出し、ルイヴェルさんが何か短い詠唱を唱える。
 すると、一瞬だけ緑銀の光が現れ、バルコニーの入り口にあたる窓の辺りで弾けて消えた。今のは何だろうか……。

「暫くは誰もこの場所には立ち入れないようにしてやったから、安心して休め」

「それは助かりますけど……、でも」

 正直、緊張の連続でお腹が空いた。けれど、それをこの王宮医師様に言うのは何だか恥ずかしい気もして黙っていると、目の前にスッとジュースグラスが差し出されてきた。
 驚きと共に顔を上げれば、そこには何もかもお見通しの余裕全開の笑みがあって……。
 さらに、小皿に乗った軽食が光と共に宙へと現れ始めた。誰の手にも持たれていないのに……、まるで魔法みたいに、と思ったところで、これがルイヴェルさんの仕業なのだと納得出来た。
 きっと魔術の力で、会場内の軽食をこちら側に移動させてくれたのだろう。

「ありがとうございます。ルイヴェルさん」

「子供はすぐに腹を空かせるからな。保護者としては当然の事をしたまでだ」

 また子供扱いですか……。嬉しそうにお皿へと手を伸ばす私を眺めながら微笑んでいるルイヴェルさんにとって、私は本当に子供以上でも以下でもない存在らしい。
 まぁ、私の四倍以上の御歳の人だし、仕方がないといえば、仕方がないのだろう。
 若干の不満はあるものの、それ以外の対象に思われてもまた困った事になりそうな気がするので、私はあえて言い返さずに休憩を取り始めた。
 本当は一人でのんびりと食事をしたかったけれど、贅沢は言えない。
 楽しそうな王宮医師様の気配を傍に感じながら、私は心とお腹を満たすのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「ユキ姫様っ!! ――げっ!!」

 十分な休息をとり、ルイヴェルさんと一緒に会場内に戻ると、今度はバルコニーに押しかけてきた貴族男性とは別の人達が私の傍へと集まってきた。
 しかし、私の傍に寄り添っている王宮医師様を見た途端に……、可哀想な勢いで彼らの顔が青くなってしまったのは、やっぱりルイヴェルさんのせいなのだろう。
 言葉を失い、人形のように動きを止めていた男性達が、大慌てで頭を下げ、逃げて行く。

「ルイヴェルさん……、あの人達に何かしたんですか?」

「別に何もしていないが、顔見知りではあるな。何か急用でも思い出したんだろう。放っておけ」

 どう考えても、さっきの男性達の顔には、大魔王様に遭遇した哀れな子羊のような気配が色濃く表れていたように思う。でもきっと、深く詮索してはいけないのだ。私の心の平穏の為にも。
 
「さて、そろそろ任務を果たすか」

「任務、ですか?」

 聞き返した瞬間、ルイヴェルさんが私の前に陣取り……、跪いた!?
 片膝を着き、そっと私の左手を取る仕草は洗練された紳士のそれで、右手を自分の胸に当てたルイヴェルさんが、まさかの台詞を私へと紡ぎ始める。

「王兄姫、ユキ・ウォルヴァンシア殿下……、ダンスのお相手を願えますでしょうか?」

「な、なにを……、あっ、あのっ」

 予告もなく突然ルイヴェルさんの口から飛び出してきたダンスのお誘い。 
 さっきバルコニーで休んでいた時は、そんな事一言も言わなかったのに、一体何故!?
 しかも、私の左手を自分の右手のひらに包み込みながら、豹変した王宮医師様は芝居がかった物言いで、新手のいじりかと思えるような言葉を口にし始めた。

「すぐにお返事を頂けないのは、やはり私如きでは高貴な御身に寄り添う資格なし、と……。そう仰せになられたいからなのですね?」

「はい!?」

「このルイヴェル・フェリデロード……、今宵の舞踏会をどれほど切なる思いで待ち続けていた事か。愛らしき王兄姫殿下の御心に抱いて頂けないようなこの身は、いっそ炎の中に叶わぬ想いと共に」

 至上最低最悪の新手のいじりが来襲したああああああああああああああ!!
 大勢の参加者の皆さんからよく見えるようにと、ルイヴェルさんはその美貌に辛そうな気配を浮かべ、涙ぐむ芸当までやってのけている!!
 ひそひそと囁かれるこの状況に対してのあれこれと、哀れ……、に見られている王宮医師様への同情と好奇の視線がグサグサと刺さってくるのだけど、これ、一体どうしたらいいの!?
 完全にその場で凍り付いてしまった私は、完全に逃げ道を塞がれている事を悟り……、一言。

「お、お相手を……、お願い、いたし、ます」

「あぁっ、ユキ姫様の慈愛に満ち溢れた御心、このルイヴェル・フェリデロード……、一生忘れはいたしません。可憐なる蕾、我が最愛の王兄姫殿下を抱ける栄誉に感謝を」

 この鬼畜大魔王様に、誰か、誰かっ、一撃でもいいから、強烈なお仕置きをお願いします!!
 自分を情けない立ち位置に落とし込んででも私をいじろうとしてくるその姿勢は、ある意味で感動もの、なのかもしれない。
 普段から冷静沈着、決して動じる事など滅多にない王宮医師様が見せた茶番劇は、周囲の人達から見れば、一種の感動物語のように映ってしまったらしく、そこかしこで何故か拍手が巻き起こった。勿論……、犠牲となった私の目も意識も遠くに飛んでいる。
 ――そして、再び大勢の注目を浴びながら、私は愉しそうに微笑む王宮医師様に誘われるまま、ダンスのお相手をする羽目になってしまったのだった。
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