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第三章『序章』~女帝からの誘い~

少女帝・竜の子の許を訪れる

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※幸希が王宮医務室を後にした、一時間ほど後の事。
 イリューヴェル第三皇子、カインの視点で進みます。


 ――Side カイン


「ったく……、また番犬野郎とルイヴェルのせいで最悪の風呂上りになったじゃねぇか」
 
 夜も更け、日付が変わりそうな時間帯に外の風を感じられる回廊を歩いていた俺は、溜息と共に舌打ちを漏らした。
 騎士団や魔術師団、それから、王宮内で働いている奴らが入り終わった頃を狙って大浴場に行く事が多い俺だが、時折の頻度で番犬野郎や騎士団のルディー、それから、人をおちょくるような言動でいじってくる眼鏡野郎のせいと出くわし、疲労困憊で大浴場を出る事がある。
 自分の部屋にもバスルームはあるんだけどな……、大浴場の方がでかくて心が落ち着くんだよ。
 それに、行く度に入浴剤の種類が違ったり、壁に描かれているよくわかんねぇ絵が日替わりで変わるとこがまた面白い。
 レイフィードのおっさん曰く、『ユキちゃんの世界にあるものを参考にして改良を加えてあるんだよ~!!』だそうだ。
 異世界の息吹を感じられる場所、って感じなんだろうな。
 一人でゆったりと入れた日は最高だが、……今日はバツ、と。
 頭をタオルでガシガシと拭いながら、俺は回廊の先へと急ぐ。 
 だが、番犬野郎やルイヴェル達との腹の立つ騒動を思い出していた俺は、――行動が一瞬出遅れてしまった。

「ぐっ……!」

 肌に心地良かったはずの夜風に異変が生じ、一瞬だけ飛ばされた尋常でない殺気と共に、大気の風が刃となって俺の身体へと襲いかかってくる。
 一瞬が命取り、とはよく言ったもんだが、避ける動きが僅かに遅れただけで、このザマだ。
 袖のない黒のシャツが切り裂かれ、致命傷は免れたものの、肌のいたる部分から血が流れた。
 俺にとっちゃ掠り傷程度のもんだが、一体どこのどいつだ?
 回廊から外れ、エトワールの鈴園に飛び込んだ俺は、闇の世界を盾に姿を潜ませる賊の姿を探して視線を走らせていく。
 
「さっさと出て来いよ……、刺客野郎!」

 禁呪騒動の一件の後、一応は親父との折り合いもついたわけだが……。
 兄貴の伯父、あのおっさんの馬鹿が終わったからといって、全部が都合よく終わるはずもねぇ。
 親父が皇宮内や貴族の粛清を行っても、まだ、俺を邪魔に思う奴は残ってるはずだからな……。
 その中の誰かが狙って来たのかとも思ったが、敵の気配を探る内に『違う』と、本能的に悟った。

「おい……、何の目的が知らねぇが、試すような真似はいい加減にしやがれよ?」

 最初の一撃だけだ。敵の殺気が現れていたのは……。
 その後は、闇の中に身を潜め、どこからか俺の姿を眺めている気配だけがそこに在った。
 俺を殺す気がない。それがすぐにわかった。

「ふむ……、グラヴァードの愚か者よりは、まだ見込みがありそうだな」

 俺の視線の先、東屋の陰から闇を抜けるように現れたのは……。

「が、ガキ……?」

 その小柄な姿には不似合いな、物騒な槍を右手に携えた、薄紫の髪の女。
 生意気そうな顔をしたガキ、と、傍目にはそう映るだろうが……、これは。

「いい歳して、ガキの真似事かよ?」

 このバ、……と挑発も兼ねて貶してやろうかと思ったんだが、顔の横を一瞬で通り過ぎ頬を掠った物騒極まりない槍のせいで、俺は背中に冷や汗を流す羽目になった。
 冷ややかなアメジストの瞳が、それ以上言ったら殺す! と紛れもない殺意を伝えてくる。
 び……、びびった!! 今、あの槍を投げる動きすら見えなかったぞ!! おい!!

「訂正してやろう。やはり貴様はあのド阿呆……、グラヴァードの息子よ。我の機嫌を損ねる才能に関しては、他の誰にも及ばぬ」

「だああああああっ!! あ、危ねぇだろうが!! ってか、もしかしなくても親父の知り合いかよ!! それなら息子のとこじゃなくて、親父のとこに行きやがれ!!」

「何を言っている? グラヴァードの顔など前にしたら、潰さずにはおれなくなるというのに」

 おい、親父……。テメェ、この物騒な女に何やらかしたんだよ!!
 まさか、浮気相手とかじゃねぇだろうな!? 本気でテメェの事を鬱陶しそうな顔で愚痴ってるぞ!! 

「で? その親父の知り合いが、息子の俺に何の恨みがあってあんな真似に及んだんだろうなぁ?」

「別に恨みなどない。ただその面(つら)を見に来ただけだ。相変わらず見目だけは無駄にタラシの、中身はすっからかんの血筋に連なる者をな」

「ぁあああ? 誰がすっからかんだよ……。ぶっ飛ばすぞ、テメェ」

「我の挑発に容易く乗るところも、昔のグラヴァードとよく似ておる。命を落としかけたと聞いているが、身体の具合はどうだ? もう大事はないか?」

 ……は? 何で貶された後に気遣われてんだよ。
 ゆっくりと近づいてくる薄紫の髪の女から、俺は知らず足を引き始める。
 逃げようと思えば逃げられるのかも知れねぇが、この背筋に伝う悪感……。
 喉を鳴らし、気付いた時には……、すぐ眼前に恐ろしい『女』の笑みがあった。

「な……っ」

「うむ。この状態ならば……、手加減など無用だな」

 今まで俺の見ていたガキと同じ気配を抱く、覇者の類に似た威圧感と恐怖を与えてくる大人の女……。
 そいつが俺の顎を指先に持ち上げ、愉しげに微笑んでくる。
 何なんだ……、こいつ。身体が……、びびって動けねぇ。
 それどころか、存在そのものを鷲掴まれて握り潰される寸前の恐怖感が……、くそっ、本当になんだよ、この女!!
 本性を現したガキの脅威に、俺の足が震える……。情けねぇっ。

「そのように怯えるな。我はお前を喰おうなどとは思っておらん」

「くっ……、じゃ、じゃあ、何なんだよっ。は、離れやがれっ!!」

「強き竜の力を抱く子よ……。我はお前に道を示しに来たのだ」

 意味がわかんねぇよ!! 親父の知り合いで、親父に対して良い感情を持ってなさそうな女が、俺に何の道を示しに来たっていうんだ!!
 自由にならねぇ身体には頼れず、少しずつ女の気配に慣れてきた俺は、真紅の瞳で敵意を込めて睨みつけてやる。女の笑みが……、さらに深まった。

「お前はグラヴァードと同じく威勢は良いが、力と頭が伴っておらぬ。これでは、中途半端に道を歩むのみだ」

「俺がどんな道を歩もうが、テメェには関係ねぇだろうがっ」

「そうだな。我には関係がない。だが、お前に対して興味はある……。竜の幼子よ、楽しみにしておけ。我がお前に道を示してやろう」

 女はその台詞を最後に、俺の視界から霧のように消え去り……、夜風の冷たさだけが、その場に残った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「痛っ……、くそぉ……」

「湯上りにとんだ災難だったな。傷の具合はお前の感じている通り、ただの掠り傷程度だ。呪いも、毒の類も、害となる影響は残っていない」

「ふぅ……、サンキュ」

 あの謎の女との出会いからすぐ、俺は王宮医務室へと直行した。
 傷の手当ての為もあったが、誰かにあの女の事を思いっきり愚痴りたくて仕方がなかったからだ。
 セレスフィーナの方は先に就寝したとかで、医務室に残っているのはルイヴェルと……、奥の部屋には、ユキが拾ったという怪我人が寝ているらしい。
 はぁ……、あの馬鹿、また変なもんでも拾ってきやがったわけか。
 困った奴を放っておけないこの国の王兄姫の頑固さは身を以って知っている。
 けどなぁ、見知らぬ他人を拾ってくる、って……、何かヤバイ奴だったらどうする気だよ。

「カイン、お前が鈴園で出会った女だが……」

「なんだよ、あの化け物みてぇな女に心当たりでもあんのかよ?」

 ソファーから起き上がり診察用の椅子に座っているルイヴェルに視線を据えると、同情めいた眼差しと一緒に溜息を吐かれた。
 なんだ……? その哀れみ全開の目は。テメェがそんな顔をするなんて、滅多にねぇだろ?
 空恐ろしいものを感じながら次の言葉を待っていると、ルイヴェルは窓の庭の広がるテラスの方に深緑の双眸を向け、また溜息をひとつ。

「なんなんだよ、テメェは!! さっさと教えやがれ!!」

「魔竜の国……、ガデルフォーン皇国女帝、ディアーネス・ガデルフォーン」

「は?」

 ガデルフォーン? それって確か、エリュセードの裏とか言われる空間にある国だよな?
 俺の知る噂じゃ、何十年か前に女帝に代替わりしたとかいう話だったような……。
 
「それって、あれだろ? 皇帝女帝の座を狙って、腕に自信がある奴がどうこうとか」

「まぁ、その通りだな。ガデルフォーンという国であり裏の世界を自分の好きにしたいと望む荒くれ共が皇宮に押しかけ、正確には、女帝の臣下達から痛い目に遭わされている、というのが事実だ」

 ついでに言うと、奇跡の宝玉っつーモンがあって、それを手に入れて皇帝女帝の座に就くと、ガデルフォーンを好きに出来るとかいうのも噂で聞いたな。
 ルイヴェルはその皇国の事をよく知っている素振りで足を組みかえた。

「先代の皇帝は事情があり、早くに亡くなる事になった……。その為、我がウォルヴァンシア王国の現国王、レイフィード陛下と同じ年頃の皇女が女帝として立った。それが、お前の出会った薄紫の髪の女、いや、ガデルフォーン女帝陛下であるディアーネス陛下だ」

「……マジか?」

「良かったな。女帝陛下の洗礼を受け、手取り足取りの未来がお前の前に現れた。頑張ってこい、カイン」

「いやいやいや!! テメェ何言ってんだよ!! 何で俺が裏の女帝に目ぇ付けられないといけねぇんだよ!!」

 目の前の眼鏡野郎は女帝の残した言葉の意味をわかっているのか、俺に対してニヤリと意地の悪ぃ笑みを浮かべやがった!!
 絶対に逃げられない、観念して引き摺り込まれてしまえ。そう無言で俺を見捨てにかかってるだろう!! この腹黒眼鏡!!
 そして、ルイヴェルの予言めいたその言葉は、やがて現実となって俺に襲いかかってくるのだった。
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