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第二章『恋蕾』~黒竜と銀狼・その想いの名は~

王宮医師と恋する二人

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※今回は、ウォルヴァンシアの王宮医師、ルイヴェルの視点で進みます。

 ――Side ルイヴェル

 禁呪の件が片付いたかと思えば、今度は色恋の難題が『あれ』を苛んでいる……。
 少女期の娘を惑わすような真似は、正直やめろと実力行使で諭したいところだが、脅したところで止まる奴らでもないからな。
 仕方なく静観を決め込み、ある程度までは許してやる事に決めたわけだが……。

『ねぇ、ルイヴェル……。ユキ姫様の事なんだけど、やっぱりまだ早すぎたんじゃないかしら。相当思い悩んでいらっしゃるご様子なのよ』

 案の定、一度に二人の男から恋愛感情を向けられたユキは、その真面目な性格故に自身を追い詰めてしまっている。予想通りと言うべきか、はたまた、それ以上の面倒さになっているというべきか。
 適当にどちらかを選ぶという事も出来ず、自身の中に答えがないと知っていながらも、その答えを探し続けている王兄姫……。
 ただ悩むだけでなく、日増しにその心は疲労と罪悪感に苛まれ、体調不良の類まで引き起こしている。
 だが、周囲の者に迷惑をかけたくないと余計な気をまわす王兄姫は、王宮医務室にも足を運ぼうとはしなかった。
 
『陛下やユーディス様達に迷惑をかけたくないという思いもあるんでしょうけど、この医務室に足を運んで下さらない原因はまた別だと思うのよね……。ねぇ? ルイヴェル』

 温厚な性格で声を荒げる事などない双子の姉が、鬼気迫る顔つきで俺の胸倉を掴んできたのは数日前の事だ。どうやら、ユキに対する接し方を変えた事がバレたらしい。
 記憶と魔力を封じられている状態に俺が何を仕掛けたところで……、意味などないとわかっている。ユキにとっての俺は、この世界に戻って来た時に出会った、初対面の存在と同然だ。
 何を話そうと、『昔』のように接しようとしても、――封じられた世界(記憶)がよみがえる事はない。
 だというのに……、何故、自分から保っていた距離を詰める気になったのか。
 何にせよ、ユキが王宮医務室を頼ろうとしなかったのは、俺の責任だ。
 そのせいで、あれは自身の内に悩みと疲労を溜め込み、医務室から足を遠のかせていたのだから。
 
「困ったものだな……」

 小さな苦笑と共に、俺はウォルヴァンシア王宮内にある大浴場の中へと足を踏み入れた。
 王宮に勤めている者達が自由に使っていいこの場所は、俺が王宮医師としての仕事を終える頃には、数える程しか中にはいない。
 騎士団の連中など、仕事が終わり次第全員でこの大浴場に押し掛けるからな……。
 ほぼ全員が入浴の時間を済ませた後のこの時間帯が、一番良い。
 大人数を迎える事の出来る脱衣所で服を脱いでいると、俺の後にアレクが入ってきた。
 惑いやすい王兄姫の心に、その一途な想いを届けた男……。
 ユキと同様に、いや、それ以上に真面目過ぎる性格のこの男は、憂い顔で俺の横に立った。

「ルイ……。ユキの事なんだが」

 騎士団の上着を脱ぎながら、アレクが俺へと頼りない視線を寄越してくる。
 その先は言わずともわかっている。

「ユキの事なら、俺が捕獲し治療を受けさせておいた。安心しろ」

「そうか……。助かる」

 あれが俺を避けようとするならば、こちらから行けばいい話だからな。
 セレス姉さんからの説教の後、一度話をする必要があると思い、ユキの許へと向かった。
 勿論、俺の姿を見た途端に逃げようとした失礼な王兄姫を全力で追いかけ、医務室へと連行した事は言うまでもない。全力で逃げるなら全力で追うしかないというやつだ。
 それを聞いたアレクは僅かに眉根を顰めたものの、特に文句を言う事はせずに大浴場の中に向かって行く。本当は、ユキが怯えたり怖がるような真似はするなと、忠犬気質の副団長殿は言いたいんだろう。それでも、何も言わずにいたのは、俺がユキの治療の為に動いたからだ。
 まぁ、アレクが何を言おうと、俺は自分の行動や言動をやめる気はないがな。
 身体を洗い湯船に浸かった俺達は、暫しの間会話をせずに、一日の疲れを癒すその温もりに身を委ねる。

「アレク……、あれについての事だが」

「あぁ」

「ユキは、その性格と少女期の特徴的な影響のせいで、酷く悩みやすい上、惑いやすい」

「わかっている……」

 告白をしたところで、ユキが答えを出せるようになるのは遥か先の話……。
 アレクとカイン、一度に二人の男から向けられたその想いは、正直毒のようなものだ。
 少女期特有の過剰反応と迷いやすさは、人間の娘よりも強い。
 そして、ユキの場合はその真面目な性格が災いし、さらに自身の中でその迷いを深めている。
 治療は施してあるが、個々の性質によるものは、容易には改善されないだろう。
 アレクとカイン、二人の想いに応える為に心を費やした結果、自滅する恐れもある。

「俺の個人的な意見だが……、あれに色恋はまだ早いと思っている」

 ユキがこのエリュセードに戻ってから、まだ一年も経っていない。
 記憶と魔力を封じられたその身で、見知らぬ世界同然のこの場所で生き始めた娘……。
 恋愛事など、十年以上先の、成熟期を迎えてからの話だと思っていたというのに。

「ルイ……、湯の中で俺の腕の肉を全力で抓るのはやめてくれないか」

「すまん。無意識だ」

 アレクとカインに非があるわけではない。
 そうとわかってはいても、手が勝手に動いてしまっていたようだ。
 
「この国で穏やかにユキを育みたいというお前の気持ちはわかっているつもりだ……。彼女はまだ幼い。恋や愛を考えるよりも、今の生活と共にこの世界の事を知っていく事の方が大切だ」

「そうわかっているのに……、想いを抑えきれなかったのは、カインの存在があったからだろう?」

 抓られた腕を湯の中で擦っていたアレクが、俺からの指摘に眉を顰めた。
 一番最初の接触で、ユキの心に傷をつけたカインは、アレクにとって憎悪にも似た感情の対象だ。
 ユキを傷つけ、トラウマを生み出した相手だというのに、いつの間にか許しを得て距離を詰めてしまった竜の皇子。何故あれをユキが許したのか、傍に近づく事を許すのか、アレクにとっては理解し難い事もあったはずだ。そして、その苛立ちを覚える存在が、自身の大事な王兄姫に恋心を抱くようになった事など、同じ想いを抱いていたアレクにはすぐにわかった事だろう。
 だからこそ、ユキにその想いを伝えずにおく事が出来なかった。
 何もせずに、万が一、ユキとカインが想いを通わせ合ったらと思うと、耐えられなかったのだろう。だからこそ、後悔をしない為に告白を決意した、と。
 それを全て承知の上で静観する事に決めたわけだが……。

「お前とカインの気持ちを否定する事も、咎める事もしないが……、ユキの心が壊れる危険性を感じた場合、わかっているな?」

「あぁ……。その時は、お前に任せる」

 俺が何を予告したのか、それを言葉にされずとも、アレクは察している。
 自分達の想いの強さでユキを壊さぬように、万が一の危険性を察した場合……。
 その瞬間が来ない事を祈りたいものだが……、そう思いながら憂い顔をした俺達は、同時に重苦しい息を吐き出した。と、その直後、大浴場へと足を踏み入れた者が一人。
 そいつは、俺、というよりも、アレクの方の顔を見て、瞬時に機嫌を損ねたようだった。

「ちっ……」

 わかりやすい殺気と敵意が、アレク一人に注がれている。
 元から相性の悪そうな奴らだが、ユキの存在を挟んでさらに面倒な関係になっていると言えるだろう。アレクの方も売られた喧嘩を真正面から買ってやると言わんばかりに、湯船から立ち上がりかけている。……はぁ、どれだけ血の気が余っているんだろうな。
 確か、アレクの方がカインよりも遥かに年上だったと思うが。

「お前達、先に言っておくが……、今ここで騒動の類を起こした場合、容赦なく仕置きに移らせて貰うぞ」

「ルイ、それは……、俺も仕置きの対象に入っているのか?」

「当然だ。大人げなく挑発に乗った場合は同罪だ。覚悟しておくんだな」

 同じように、湯船の外にいるカインにも一睨みくれてやると、両方から降参の気配が向けられた。
 この大浴場は、和を基とした国の名職人が作り上げた場所だからな。
 不用意に暴れられて破壊などされた日には……、後日、職人達の怒りの鉄槌が落ちる事だろう。
 それに、この場所は俺の気に入りでもある。制裁は当然だな。
 
「けっ……」

 アレクを無視する事に決め、カインは身体を洗い始める。
 恋敵の存在ひとつで、ここまで機嫌を損ねるとはな……。
 自分では気づいていないのだろうが、大量の泡がカインの全身を覆ってしまっている。
 アレクの方は……、憎悪と嫉妬の全てを混ぜ込んだかのような殺気溢れる視線をカインに注いでいるようだ。
 騒動を起こすなとは言ったが、それもどうなんだろうな……。
 やがて身体を洗い終えたカインが湯船に浸かると、俺を挟んでの無言の睨み合いが始まった。
 
「……お前達、人の入浴時間を害するのはやめろ。不愉快だ」

「別に何も騒ぎなんか起こしちゃいねぇだろ? 俺はただ、ゆっくりと湯船に浸かってるだけだぜ?」

「そっちの竜が喧嘩を売るように気配を放ってくるから、同じように返しているだけだ」

 そんな屁理屈を受け付ける気はない。
 大体、アレクの場合は、カインのような反抗期タイプの団員にも、冷静に対処出来ていたはずだ。
 相手が自身の感情に任せ何を吠えようと、苛立つ事も、喧嘩を買う事も、なかったというのに……。
 やはり、ユキの存在がそれだけアレクにとって大きい、と、そういうわけか。
 だが、大人げない事には変わりない。
 湯船から立ち上がった俺は、いつまでもつかもわからない一触即発の二人を冷やかに見下ろした。
 誰のせいで、今ユキが面倒な悩みの底で足掻き苦しんでいるのか……。
 それをわかっていると言いながら、人に面倒をかける真似しかしない奴らには、やはり仕置きが必要だろう。

「風呂から上がったら、俺が教える場所まで来い」

「はぁ? 俺は嫌だね。今日は遠出したせいで疲れてんだよ」

「明日は早朝から騎士団の大事な会議が」

「――なら、この場で両方沈めてやるとするか」

 会えば決まり事のように言い争うこいつらの事もまた、ユキの悩みの種だ。
 ユキ以外の事には寛容で大人の態度を見せるアレクだが、恋敵のカインに対してだけは違う。
 まるで生まれる前からの天敵のように、感情を露わにしやすい。
 少しは歩み寄ったらどうだ? と提案しても、何の効果もない。
 俺やユキが見ていない所で騒ぐのは勝手だが、この学習のなさは捨て置けないだろう。
 脅しを込めた睨みで両方を黙らせた俺は、集まる場所を告げ、大浴場を出た。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「うわあああっ!! ちょっ、ちょっとまっ、ぎゃあああ!!」

 ウォルヴァンシア王宮の一角、騎士団や魔術師団が使っている稽古場や実験場とは違う場所にある鍛錬場に足を運んだ俺は、疑似空間での戦闘用プログラムを発動させていた。
 設定した場所、岩場や平原、荒地、氷壁空間など、魔力属性などの組み合わせなども適用出来る他、優秀な再現機能を発揮する訓練施設。
 今回は、極寒の地を疑似戦闘場として選んだ。
 最初は威勢よく攻撃の手を仕掛けてきたカインだが、見ての通り、十分も経たない内からこれだ。
 アレクの方は、いまだに掠り傷程度で済んでいるようだが……。

(カインの戦闘能力は、確かに師事を受けた片鱗が見えるが……、その教えを全て受け終わる前に途中で放り出したのは愚策だな)

 さらに悪く言えば、今のカインの戦闘能力は、必要最低限に少し毛が生えた程度のものだ。
 イリューヴェルの暗殺者達を退けられたのは、それにプラスして、カインの生き延びたいという本能があったからだろう。
 だが、今は違う。禁呪の件が片付いたせいと、俺が本気で殺しにかかるわけがないという油断と心の隙が、カインを腑抜けにしてしまっている。
 
(ユキという存在を巡り、色恋に現を抜かしているとも言えるか……)

 視界の中を必死の形相で逃げ惑っているカインを空中から見下ろしながら、もう一撃氷の刃を無数に術で作り出し叩き付けてやる。
 
「こらああっ!! 何で風呂上がりにこんな横暴味わわなきゃなんねぇんだよおおおお!!」

「寝る前の良い運動になるだろう? ――アレク、お前も隠れるのをやめて参加しろ」

 氷の岩だらけの極寒フィールドを利用し、上手く隠れているアレクに声をかけると、困惑した表情を纏いその姿が現れた。
 岩の上に飛び上がり、洗練された動きで氷の刃を避けながら視線を寄越してくる。

「ルイ……、怒っているのか?」

「別に怒ってなどいない。ただの気晴らしと躾だ」

「何でテメェの気晴らしに付き合わなきゃなんねぇんだよぉおおおおおお!!」

 少女期の娘を惑わせ、体調不良に追い込んだ罰でもある。
 人の想いなど、誰が止められるものでも、咎められるものでもない。
 これが見も知らぬ他人の恋愛事なら、俺の心が苛立ちを覚える事もなかっただろう。
 だが、この二人がその想いを向けているのは……。
 アレクとカインが答えを急かすような事がなくとも、本人の心がそれを許さない。
 一日でも早く、一日でも早く、そう……、自分の中で答えを出そうと焦っている娘。
 睡眠不足の方は改善させたが、精神面の方は崩れかけの城そのものだ。

(アレクとカインに対する罪悪感ばかりが募っているようだからな……)

 ユキの主治医として、俺も色々と思うところがある。
 父親であるユーディス様の故郷で生きていく為に、まず何よりも必要なのはその心の平穏だ。
 十年、とは言わないが……、せめて五年程は余計なものからは遠ざけておいてやりたいと、俺もユーディス様も、そして陛下も、そう配慮しようと考えていたというのに。

「一度に二匹も虫を惹き付けるとは……、あれも予想外の育ち方をしてくれたものだな」

「何ボソボソ言ってんだ!! おらああ!!」

 俺の背後に飛び上ったカインが自身の身体の一部である竜手で襲い掛かってくるが、我武者羅な攻撃を避けられない程馬鹿でもない。
 剣の形に形成した氷を手に握り込み、カインの一撃を大きく弾き返した。
 その衝撃で背後に飛ばされたカインを見る事もなく、次は眼下にいるアレクに視線を定める。
 
「アレク」

「ルイ……」

 互いの名を小さく口にした後、アレクは自身の力を最大限に揮える愛剣の刀身を引き抜いた。
 私怨がない、とは言わないが……、この場に二人を呼んだ本当の理由は。
 衝突する勢いで互いめがけて飛んだ俺達は、容赦なく刃をぶつけ合い斬り結んだ。

「ひとつ聞いておくとするか……。アレク、お前はあれの何を気に入った? お前からすれば、ただの子供同然の雛鳥のようなものだろう? 女として意識するには無理があると思うがな?」

「確かに……、彼女は幼く脆い存在だ。守ってやりたいと、悪夢に囚われている彼女を支えたくて、その傍に寄り添った。本当に最初は……、それだけの情だった。――だが」

「くっ」

 アレクの本気を宿したその剣が、俺の氷剣を強く押し返し、一撃でそれを粉々に砕いてみせる。
 この程度の強度では当たり前か。得物を破壊された場合、ある者は戦意を喪失し無防備になる事もあるが、それは戦いに不慣れな者が陥る症状だと言えるだろう。
 氷剣が破壊されるのを予想していた俺は、アレクがそれを砕くよりも前にそれから手を放し、次の攻撃に転じていた。
 だが、アレクの方も背後にまわった俺からの蹴りを難なくかわし、その切っ先を俺の喉元に突きつける。逃れる事は出来るが、まだ話の途中だからな。

「彼女と……、ユキと過ごす内に気付いた。彼女の傍で、その優しさを、一生懸命に頑張る姿を見守っていく内に、この心の奥で育ち始めた想いの名を。ユキの存在そのものが、俺にとっての幸福だ」

「お前らしい惚れ方だな、アレク」

 真面目一徹の男らしい回答だ。その想いが移ろう事も、冷める事も絶対にないだろう。
 ユキの事を語る時のアレクは、その真剣な様子と共に、俺が得た事もないような幸福の色を浮かべる。羨ましい、と……、胸の奥で嫉妬にも似た思いを抱いたのは、過去の立場を奪われた苛立ち故か。

「運命の悪戯か、嫌がらせといったところか……」

「この腹黒眼鏡ぇえええええええええええええ!!」

 人が話している最中に騒々しい。
 魔力を大量に溜め込んで形成した一撃を手に、俺とアレクの間に飛び込もうとしたカインだったが、俺がアレクとの周囲に張り巡らせた結界に激突し、氷の地面へと落ちていった。
 凄まじい音がしたが、まぁ、頑丈なアイツなら死にはしないだろう。
 予想通り、氷の地へとめり込んだカインだったが、すぐに復活し宙へと舞い戻ってきた。
 氷傷を負った真っ赤な顔で、結界を殴る蹴るの好き放題をしているが、その結界は受けたダメージ分の威力で敵に報復を仕掛けるタイプのものなんだがな?

「俺だって、俺だってなあ!! ユキに対して本気なんだよ!! テメェが邪魔しようったって、俺は絶対に諦めねぇからな!! どわああああっ!!」

 イリューヴェルの最悪最低の問題児が、ここまで必死になるとはな。
 結界の報復により吹き飛ばされても、カインは何度も復活し、ユキへの想いを叫んでくる。
 ウォルヴァンシアに来た時は、何かに熱くなる事など馬鹿らしいという顔をしていた奴の言葉とは思えない言葉の数々だが、――その想いに嘘はないようだ。
 どちらにユキを任せても、不幸にする事はないだろう……。

「だが、お前達の場合は静かに相手を想うだけでなく、面倒な負荷まであれにかけているからな。定期的に仕置きをしておく必要があるだろう?」

 顔を合わせれば喧嘩ばかりの二人だ。
 ユキの見ていないところならばまだしも……、あれの目の前で繰り広げる事もまた、問題のひとつとなっている。
 思い詰めやすい娘だからな……。二人から向けられた想いを持て余すだけでなく、この二人の喧嘩を見せつけられれば、嫌でもそれがストレスの原因となるわけだ。
 そして……、俺も毎日のようにそんなものを見せつけられているせいか、色々と……、な。

「少しは互いに歩み寄る努力をしてみろ。そうすれば、お前達の愛しい王兄姫殿下の心も、少しは救われる事だろう」

「番犬野郎と……」

「この竜と……」

 ――互いの視線がぶつかった瞬間。

「「誰がこんな奴と!!」」

 ……得物を手に殺気を漲らせぶつかり合う馬鹿二人。
 カインの方はお子様レベルの万年反抗期な性格だが、アレク……、お前は俺と歳が近いはずだろう。何故すぐに挑発に乗ったり、相手を見ただけで箍を外すんだ。
 俺の事も忘れ戦闘モードに入る二人を冷ややかに眺めつつ、そのど真ん中に予告なしで巨大な氷の刃を打ち込んでやると、案の定抗議の声が上がった。

「だあああああっ!! 邪魔すんじゃねぇよ!! クソ眼鏡!!」

「ルイ……」

「忘れてないか? 今お前達に仕置きをしているのは俺だ。お前達の喧嘩を見物する為に居るわけじゃない」

「うっせぇ!! テメェに説教される覚えも、仕置きされる義務もねぇんだよ!!」

 まったく……、そういう短気で堪え性のないところが大人になりきれていない欠点だというのに。
 カインは右手の竜手に魔力を溜め込むと、それを振りかぶって俺の方へと放ってきた。
 勿論、そんな攻撃が俺に対して掠りもしないのはわかりきっている事だとは思うがな?
 
「アレク、年上として……、お前から歩み寄る姿勢を見せてやったらどうだ?」

「無理だ」

「ユキが悲しんでいてもか?」

「……ユキを悲しませる気はないんだ。だが、……この竜を見ていると」

 理性を総動員する余裕さえ起きず、身体が勝手に得物をカインに向けてしまうわけか。
 生まれながらの相性の悪さ、というものは確かに存在するが……。

「大体なぁ!! 俺達とユキの事はテメェに関係ねぇだろうが!! 保護者ぶっていちいち口挟んでくるんじゃねぇよ!!」

 一直線に突っ込んで来たカインが俺へとその竜手を振り下ろそうとしたその瞬間、俺の身体は無意識に手加減を忘れてしまったようだ。
 攻撃を喰らう寸前にカインの竜手を素手で掴み取り、問答無用でそれを捻り上げ宙に放り出すと、強烈な勢いで蹴り飛ばしてやった。
 方向も定められずに吹っ飛んでいったカインは氷の岩場にぶち当たり、ずるずると地面に向かって落ちていく。

「くっ、そ……、何すんだ、この……、がはっ」

「る、ルイ……」

「手加減してやっていたのが馬鹿馬鹿しく思えるな……。無関係? 部外者が口を挟むな? あれの事で俺を遠ざけられると思ったら大間違いだ」

 睨み付けてくるカインの目の前に降り立ち、その身体を踏みつけてやる。
 俺がどんな思いであれの苦しむ様を見ているか……、どんな思いで、その手を離し、この地に戻って来てからも見守り続けてきたか。
 カインに悪気はないのだろうが、さっきの罵倒は俺の中に抑え込んでいた感情の枷を見事にぶち壊してくれた。
 
「カインもだが、――アレク、お前も忘れるな。ユキの後ろには、レイフィード陛下やユーディス殿下、そして俺がいる事を。あれの幸せを願い、その将来を支える伴侶に対しても、厳しい目を向ける事をな」

「つまり……、その竜はもとより、俺もまた……、お前の厳しい選別の目には適っていない、という事か」

「あれに向ける想いの方は十分だがな。だが、所詮は自分達の恋情に溺れるだけの身勝手さが目立つ。特に、堪え性のない喧嘩の類がそれだ。人が注意してやっても聞かないばかりか、挙句の果てには部外者だなんだと……、ふざけるのも大概にしてもらおうか?」

「いや、どっちかっつーと……、テメェの歪んだ愛情表現のいじりの方がユキの負担になってんだろ、――痛ぇっ!!」

 何か言ったか? 足元に力を入れて無言で問うてやると、早々に白旗が上がった。
 確かに俺の接し方にも問題がある、と言われるのには慣れているが、今のユキを苛んでいるストレスの原因はお前達だ。
 大浴場でも言ったように、万が一、ユキの心に限界が訪れる事があれば、俺はあれの中から不要なものを消し去る。それで……、あの娘がもう一度笑えるようになるのなら。

「もう一度言っておく……。お前達が恋情を抱いている相手(ユキ)を大切に想う者は多い。あれの幸せを願い、見守り続ける存在がな……。そんな俺達を軽んじ、部外者だと蚊帳の外に追いやるような舐めた口を次に叩けば」

 ――愛を囁く事さえ出来ないように、その声帯を捻り潰してやろう。
 カインの胸ぐらを掴んでそう脅しつけてやれば、目の前でわかりやすい程にその顔が青くなった。
 少し大人げないとも思ったが、俺の機嫌を損ねたカインの自業自得だ。

「わ、悪かったよっ。別に本気で言ったわけじゃねぇが……、そう、だよな。アイツの事を滅茶苦茶大切に想ってる奴らがこの王宮には溢れてて……。ユキを望むなら、そういう奴らの想いも、大事にしてやんなきゃいけねぇんだよな」

 手を放してやると、カインはその場に胡坐を掻いて大きく息を吐き出した。
 乱暴な仕草で頭を掻き回し、真紅の双眸に謝罪の意を込め俺を見上げてくる。
 
「もう二度と、言わねぇよ……。悪かったな、ルイヴェル」

「……そういう素直さを手に入れられた事は、褒めてやるべきところだな」

 カインの頭に自分の右手を乗せ、治癒の術を全身に沁み渡るように施してやる。
 緑銀の光がその傷ついた身体を包み込み、やがて……、俺から受けたダメージは全て術に溶け消えていった。
 ウォルヴァンシアに来た頃のカインなら、まだ喰ってかかってきた事だろうが、これも更生の賜物だろう。

「話せばわかるようになったのは大進歩だな、カイン」

「いや、ルイ……。それならさっきのお前の所業は」

「アレク、――次はお前に対する説教の番か?」

 カインの傷を癒し振り返ってそう言ってやれば、アレクは気まずそうに目を逸らした。
 だが、まだ逃がす気はない。問題は何も解決していないのだからな。 
 ユキの負担を軽減する為に、まずはこの二人のはた迷惑な争い事を改善させる事にしよう。

「アレク、カイン、お前達は互いに歩み寄る事は無理だと言ったな? 何の努力もせず、ただ顔を合わせただけで険悪な気配を発し、時と場所も弁えず喚き立てる……」

「し、仕方ねぇだろうが……。お前だって、気に入らねぇ奴と会ったらそうなるだろっ」

「俺にとってこの竜は生涯の敵だ……。歩み寄れる可能性など、まったく、少しも、何度生まれ変わっても、皆無だ」

「お前達の幼稚さはよくわかった。だが、そんな理由で許されるとは思うな」

 努力のどの字も見えない二人の手を掴むと、俺は問答無用でそれを近づけた。
 歩み寄る気がないのなら、無理だと言い張るのなら、俺が協力をしてやる。

「繋げ。友好の始まりはまず握手からだ」

「はああああ!? ちょっ、放しやがれ!!」

「ルイ……っ、やめてくれ。鳥肌が立つ……!!」

 往生際の悪い奴らだ。その手を繋ぎ合わせようとしても、その場に踏ん張り抗い続ける。
 そうかそうか、そんなにお互いの事が嫌いで仕方がないのか……。――それなら。

「「――っ!?」」

 互いに手を繋げないのなら、本能でそれが出来ないのなら……、こうするしかないだろう?
 術によって生み出した、魔力の手枷。アレクとカインの手首から同じく魔力の鎖で繋がっているそれは、簡単には砕く事も、打ち消す事も出来ない代物だ。

「俺からの友好の印だ。受け取れ」

「だあああああ!! この馬鹿野郎!! なにしてくれてんだぁあああああ!!」

「最悪だ……。ルイ、何故こんな拷問のような真似を……!」

 お前達二人の言動や喧嘩が、ユキの悩みの種となっているからだ。
 俺達は幼馴染だろう? そう視線で訴えてくるアレクを、小さく嗤って一蹴してやる。

「ユキの為と思えば、耐えられるだろう? せいぜい友好を深めるんだな」

「ふざけんなぁああああああ!!」

「悪夢か……、これは」

 絶叫するカインと、その場に膝を着いたアレクに右手をひらりと振って踵を返すと、俺は鍛錬場を後にした。どうせ無理な試みだろうが、やらないよりはやって諦めるといった心境だ。
 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ルイヴェェエエエエエエル……!」

 鍛錬場の出口に辿り着いた瞬間。俺を待っていたのは、その美しい容貌を怒りの気配に歪めた双子の姉だった。
 そういえば、今日中に片付けるはずの仕事を少し医務室に残したままだった気がする。
 ぴくりと青筋を立てている双子の姉の様子に足を引いた俺は、ちらりと背後から追ってくるアレクとカインに意識を向けた。
 仕事を片付けに、アレクとカインに色々とやっていた事を知られれば、恐らくはただでは済まない。
 だが、言い訳をしようにも、背後の二人の手首に居座っている魔力の手枷が致命的な演出をしてしまっている。……逃げ場なし、か。

「なるほどねぇ……。アレクとカイン皇子に、ちょっかいをかけていたわけね? 何なの? あの手枷」

「誤解だ。俺には俺の事情というものが」

「問答無用よ!! ユキ姫様絡みで貴方が二人に酷い事をしたのは一目瞭然でしょうが!! さぁ、いらっしゃい!! 仕事をしながらお姉ちゃんのお説教を聞いてもらいますからね!!」

 身長差があるというのに、セレス姉さんは俺の耳を引っ張り、容赦なく医務室へと連行していく。
 はぁ……、双子の姉相手には、昔から何を言い争っても勝てた試しがない気がするが、今回もか。
 背後から、カインの爆笑する声とアレクの溜息が遠くなりながら聞こえてきたが、これ以上セレス姉さんの機嫌を損ねるわけにもいかない。……本当は戻ってカインの頭に拳骨を入れたいところだが。
 この状況を運がなかったと思うべきか……、溜息を零した俺は、双子の姉に耳を引っ張られながら王宮医務室に連行されるのだった。
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