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第二章『恋蕾』~黒竜と銀狼・その想いの名は~

残された騎士の焦燥

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※ウォルヴァンシア騎士団、副騎士団長、
 アレクディースの視点でお送りします。

 ――Side アレクディース


「ふぅ……、これで今日の分は終わりか」

 騎士団で纏めた報告書をレイフィード陛下の執務室に届けた後、俺は一階に続く階段を下りながら懐中時計の時刻を確認した。
 時刻は三時少し前。特に急ぎの用事もなく、ユキの許を訪れる暇が出来たとほくそ笑む。
 この胸の内にある想いを告げてからは、まだ一度も会っていない。
 俺の告白によるユキの心への負担を考えた上でもあるが、ルイからも少し時間をおくように助言を受けている。色恋に慣れていない彼女には、俺の想いを受け止める時間が必要なのだと。
 だが、せめて……、遠くからその姿をこの瞳に映す事ぐらいは許してほしい。
 俺は懐中時計を上着の裏側の胸ポケットに仕舞うと、一階の回廊を進み始めた。
 すると、歩みを進めている先に、数人のメイド達が何やら楽しげに騒いでいるのが見えた。

「でね、でね!! ユキ姫様とカイン様がっ」

 ぴくり……。今、俺の愛しく想う女性の名と、耳にしただけでも腸の煮えくり返る男の名が聞こえた気がするんだが。幻聴か? 幻聴だな。
 前から俺がやって来た事に気付いたメイド達が顔色を変えて整列し、恭しく頭を下げてくれた。
 それに挨拶を向け、静かになった回廊を通り過ぎて曲がり角を右折した瞬間。
 俺はその陰に潜み、メイド達が再開し始めた噂話に耳を傾けた。

「お二人で遠乗りに出られるなんて、素敵よね~!! ユキ姫様の手を取って、優しく黒馬に乗せて差し上げていらしたカイン皇子のあの顔っ、もう誰が見てもユキ姫様にぞっこん! って感じで、見惚れてしまったわ~!!」

「わざわざ厨房にご自身の足を運ばれていらしたのよ!! ユキ姫様の事を熱い眼差しで見つめられて、一緒に遠乗りに出掛けよう、って!! もう、お二人だけの空間って感じで!!」

「私的には、アレクディース様とユキ姫様の方がお似合いだって思ってたんだけど~、カイン皇子との親しげな関係もありだな~って思うのよね~。ほら、アレクディース様とよりも、心が近いっていうか」

「わかるわかる!! 友人関係からの恋愛っていうか!!」

 ……、……、……。
 視界の端で断末魔の悲鳴代わりに亀裂を走らせて俺の指先にめり込んでいく曲がり角の壁。
 それに気付かず、俺はメイド達が噂話の種として楽しんでいるそのネタに、奥歯を噛み締めながら小さく呻いた。
 ユキが……、誰と、遠乗りに出掛けた、と?
 俺が心の底から忌々しいと憎悪している男の名が出た気がするが……。
 
「ユキ……、またあの男と出掛けたのか?」

 彼女が誰と出掛けようと、それを咎める権利も立場も、俺にはない。
 あの男も俺と同じようにユキを想い、告白の機会を狙っている事はわかっている。
 それを邪魔する権利など……、だが。
 ユキの騎士として、保護者的な立場が強い俺に比べ、あの男はまた別格だ。
 彼女と対等に言葉を交わし、立場に関係なく、気安い親しさを築き上げている。 
 認めたくはない事だが……、俺よりも、男として、ユキに意識されている可能性が高い。

「ユキ……っ」

 聞こえてくる噂話からは、ユキが竜の皇子からの誘いを受け、何処かへと出掛けてしまった事が伝わってくるが、肝心の出掛け先がわからない。
 行先も告げずにユキを連れ出すとは……、まさか、誰もいない場所で彼女に不埒な真似をする気か。あの不埒な悪逆非道の竜ならば、あり得る……。
 
「ユキ……っ」

 脳裏に助けを呼んで泣き叫ぶ彼女の姿が浮かぶ。
 ユキとの出会いの時から不埒な真似をし続けてきた男だ、今回もないとは言えない。
 すぐに二人の後を追う決意を固めた俺は、馬の準備をする為に踵を返そうとした……、のだが。

「……何をやっているんだ、ルイ?」

「別に……。丁度、弄り甲斐のある髪があったから遊んでやっているだけだ」

 後ろを振り返ると、俺の長い銀の髪を器用に編み込みながら好きに弄っている男の姿目に映った。
 いつの間にそこにいたのか、白衣を纏う王宮医師のルイヴェルは、次々と俺の髪を三つ編み仕様にしていく。何故俺の髪で遊んでいるんだ……、ルイ。
 冷静沈着な表情はいつもの事だが、幼馴染の俺にはわかる。

「ルイ……、機嫌が悪くなってるぞ。何か嫌な事でもあったのか?」

「あった、というべきか……、現在進行形で監視の目を光らせている、というべきか」

「は?」

 どうやらルイは、何かの術を発動させながら俺の髪を弄っているようなんだが……。
 足元から淀んだ闇が立ち昇ってくるかのような黒いオーラと共に、ルイが赤いリボンで編み込んだ三つ編みの先、尻尾部分を綺麗に結び付けた。

「暴走しない限り害のないお前とは違い、あれは人の目を盗んで大事(おおごと)をしでかすタイプだからな……」

「ルイ……、それはまさか」

 眼鏡の中央に指先を添えてズレを直したルイが、こくりと頷く。
 ユキとあの男が共に出掛けた先を、――知っている、と。
 流石は、フェリデロード家の次期当主、現当主であるレゼノス様の息子として相応しい実力を兼ね備えた有能な魔術師、そして、ユキの影の保護者を自負するだけある男だ。
 思わず衝動的にルイの胸倉を掴み、彼女の居所を聞き出そうとした俺に、容赦のない一撃が編み込まれた銀の髪に加えられた。
 ルイの手に握り締められた俺の銀髪が、乱暴に強く引っ張られている。

「ルイ、痛いんだが……」

「奇遇だな。俺もお前のせいで息苦しい」

「すまない……」

 互いに拘束を解くと、やれやれと嘆息したルイが、その左手のひらに丸い球体のような光を生み出した。遥か天空から地を見下ろすように、徐々に近くなっていく景色。
 見晴らしの良い丘の姿が近くなり、やがて見えたのは……。

「王都から少し離れた場所にある、レフィアの丘だ。どうやら休憩も兼ねて立ち寄ったようだが……」

「ルイ……」

 目を見開いて光の中の光景を覗き込んだ俺は、衝動的にルイの手首をきつく掴んでしまう。
 レフィアの丘と呼ばれるその場所で、ユキの傍に膝を着き、……その指先に唇を寄せている不埒者の姿。これが遠くの光景でなければ、今すぐに斬り捨ててやったものを……。
 彼女に触れている竜への憎悪は千倍以上に膨れ上がっていく。
 早く追いかけなくては……、ユキが、俺の助けを待っている。
 踵を返し、厩舎に向かおうとする俺に、ルイが制止の声をかけてきた。
 が、勿論それで俺が止まるはずもない。俺の上着の後ろ首の部分を引っ掴んだルイが、それに力をこめて強引に自分の方へと戻す。

「ルイ……っ、く、苦しいんだが」

「気にするな。死ぬレベルの苦痛ではないからな」

 死ななければそれでいいのか? 相変わらずルイの中の慈悲という言葉は欠片も存在していないらしい。だが、待てと言われて素直に言う事を聞く気もない俺は、早く行かねばユキがあの男に穢されてしまうと訴えた。
 誰の邪魔も入らない場所で、無抵抗のユキを押し倒し事を成すなど、あの男からすれば簡単な事だろう。そうなる前に、万が一の事態が実現する前に、俺が助けに行かなくては。

「お前の中でどんな妄想が繰り広げられているのかは想像に容易いが、とりあえず落ち着け」

「ルイ、あの男がユキに触れたんだぞ? それも、指に舌を這わせて動揺させるなど……っ。お前だって腹立たしいだろう?」

 ユキは、ルイにとって言葉では言い表せない程に大切な存在だ。
 彼女がまだ幼かった頃……、他の誰よりも小さかったユキを深く思い遣り、その手で守り続けていた男が、何故、あの男の所業を止めようとしない?
 
「ルイ……、お前は、もう、ユキの事を想っていないのか? 時の流れと共に、彼女に対する情まで薄れてしまったのか?」

 それとも、記憶の封じられてしまっている彼女は、かつての幼子と同一ではないと……。
 成長したユキには、もう何の興味もないと言いたいのか?
 ――いや、そんな事はありえない。ルイに限って、一度情を覚えた相手を切り捨てる事など。
 その証拠に、ルイの全身を取り巻く不穏な闇の気配は消えていない。
 それどころか、一秒ごとにその淀んだ黒が濃くなっていくかのように、俺の背中に伝う寒気が増していく気がする。
 そんな俺の視線を受け止めたルイが、意味深に口端に笑みを刻んだ。

「俺が何の手も打たずに、カインを野放しにしていると思うのか?」

「どういう事だ……?」

 左手の中に浮かんでいた光を握り潰したルイが、白衣の裾を翻し歩き始める。
 何も言わないが、恐らくは、ついて来いと促しているのだろう。
 その有無を言わせぬ迫力に息を呑んだ俺は、ユキを助けに行きたい衝動を抑え、ルイの後を追って行ったのだった。
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