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第二章『恋蕾』~黒竜と銀狼・その想いの名は~

お母さんと城下町へ

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「ねぇ、幸希?」

 そうお母さんが切り出したのは、王宮医務室を後にしてから三十分後の食事の席での事だった。
 セレスフィーナさんのお蔭で目の下のクマを消せた私は、レイフィード叔父さんから何を聞かれる事もなく、いつも通りの朝食時間を過ごす事が出来ていた。
 膝や足元には、交互に食事を食べさせて貰う事を待ち望んでいる三つ子ちゃん達の姿がある。
 私は右隣から話しかけてきたお母さんに顔を向けた。

「朝食の後に、親子水入らずで城下に行かない?」

「そういえば、最近はお母さんと一緒に出掛けてなかったね。うん、わかった。じゃあ、食事が終わったら、準備をして迎えに行くね」

「なら、私も一緒に行こうか。家族三人水入らずで」

「ユーディス、貴方は王宮でレイちゃんのお手伝いをしてあげて」

 話に入って来たお父さんが……、お母さんの笑顔に同行を却下されてしまった。
 それはもう、一考の暇さえなく、バッサリとお父さんを拒んだお母さんに、申し訳ないという気配は微塵もない。しょぼん……と、お父さんが悲しそうに私の方へと視線を寄越してきた。

「幸希……、お父さんも」

「え、えっと……、お母さん、お父さんも一緒に」

「ユーディス、私はね? 幸希と母娘水入らずで色々と、ゆっくり話したい事があるの。わかってくれるわよね?」

 取り成そうとした私の訴えは何の意味も成さなかったらしい。
 お母さんは寂しそうな顔で訴えてくるお父さんに「お留守番よ」とトドメを刺され、がっくりと項垂れてしまった。どうして駄目なのか、首を傾げて不思議がる私に、お母さんは振り向いてその顔を私の傍に寄せてきた。

「女同士で楽しみたい時もあるのよね~。幸希?」

 クスッと楽しそうに笑ったお母さんの気配から、もしかして……、何か気付かれているのだろうかと、鼓動が跳ねる。
 普段はのほほんとしているお母さんだけど、意外に侮れない人だし……。
 何もかも見抜かれているような心地で頷いた私を見て、お父さんがさらに落ち込むのが伝わってきた。

「残念でしたね~、兄上。女性同士の世界というのは、僕達男には立ち入れない聖域のようなものですから、まぁ、観念して僕と仲良く国政やりましょうね」

 食事を終えたレイフィード叔父さんが立ち上がり、斜め前のお父さんの背中をポンポンと励ましを込めて叩く。だけど、お父さんは納得がいかないようで、自分の腕を掴んで食事の席から執務室へと連行しようとするレイフィード叔父さんをぎろりと睨んだ。

「どうせまた、私に難しい面倒な案件を押し付けてくる気なんだろう!! こらっ、離しなさい、レイフィード!!」

「兄弟仲良く国政に向き合うなんて、とても素晴らしい事じゃないですか~。それに、僕は兄上が王位を放棄してから色々と一人で頑張っていたんですよ? これからは、ず~っと一緒なんですから、仲良く頑張りましょうね~!」

「れ、レイフィードっ、人の話を聞きなさい!! 確かにそれは私も悪かったと思っているが、だからと言って、毎回毎回っ」

「さぁ!! 楽しい執務のお時間お時間~!!」

 ……お父さんの必死の抗議も空しく、食事の席である広間の大扉がバタリと閉まった。
 室内に控えているメイドさん達も、騎士さん達も、微笑ましそうな表情を浮かべているだけだ。
 
「い、いいの、かな……。お父さん、凄く私達と一緒に出掛けたがっていたようだけど」

「いいのよ。私とお父さんが結婚する時、レイちゃんには色々と押し付けてしまったし……。ここで暮らしていくにあたって、国政を手伝うのは当然の事だわ。それに、ウォルヴァンシアの国政に向き合う事を、お父さんも内心では喜んでいるのだから」

「そうなんだ……」

 元々、お父さんはお母さんと出会わなければ、このウォルヴァンシアの現・国王となっていたはずの人だ。幼い頃から次期国王としての教育を受け、その才覚も手腕も、それに相応しい存在だと期待されていたという話を、色々な所で耳にする事がある。
 だけど……、お父さんはお母さんと生きる道を選んだ。
 
「お父さんは……、凄いね」

 自分を取り巻く何もかもを捨てて、愛する人の世界で生きる道を選んだお父さん。
 何故、異世界の王族に生まれたお父さんが、お母さんの世界で生きる道を選んだのか……。
 ハッキリと聞いたわけじゃない。だけど、きっとその決断をするには、お父さんは沢山苦しんだはずだ。次期国王の座が決まっていた人が、周囲の反対や、その想いを裏切る形でこの世界を離れる決断を下したのだから……。
 それを思うと、お父さんは私やお母さんの為に、沢山のものを犠牲にしてきた事を、改めて再確認できた気がする。

「ユキ、父上と伯父上の様子は俺が見ておくから、気にせずに城下を楽しんできてくれ」

「レイル君……。うん、ありがとう」

 閉まった大扉の方をぼんやりと見つめていた私の傍に、食事を終えたレイル君が三つ子ちゃん達を引き取りに来ていた。はしゃぐ子供達を抱え、私とお母さんに手を振って出ていく。

「さてと、私達も食べたら行きましょうか」

「うん」

 残っているお皿の食事に向き直り、私は心優しいお父さんにお土産を買って帰る事を誓いながら、ナイフとフォークを動かし始めた。
 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 朝食を終え、城下に行く支度をしていると、自室の扉がノックされた。
 隔たれた扉の向こうから聞こえてきたのは、穏やかなアレクさんの声。
 いつもなら、普通に喜んで扉を開けるのに……、昨日の件を思い出してしまったせいか、不自然に鼓動が速くなってしまう。
 もしかしたら、昨日の事を話に来たのかもしれない。
 それを少しだけ怖く思いながら扉を開くと、アレクさんが気まずそうに蒼の双眸を向けてきた。
 多分、昨日の事を物凄く気にしてくれているんだろう。
 アレクさんは心の優しい真面目一筋の人だから、その表情や気配で、今どんな感情を抱いているのかがわかりやすい。
 だから私は、昨日の事を怒ったりなどはしていない事を示すために笑顔を作った。

「おはようございます、アレクさん」

「おはよう……。ユキ、すまないんだが、少し、話せるだろうか」

 予想した通り、アレクさんは昨日の事に関しての話をする為に来たのだろう。
 本当はゆっくりとお話をすべきだとはわかっているんだけど……。
 アレクさんは私が出掛ける直前だった事に、テーブルの上にあるバッグなどを見て気付いたらしい。寂しそうに表情を曇らせてしまった。

「出掛けるところだったんだな……。タイミングが悪くて、すまない」

「いえ!! アレクさんは何も悪くありませんから!! せっかく来て下さったのに、その、すみません……。あの、夕方には戻って来ますから、それからでも、いいですか?」

「いいのか?」

 勿論、良いに決まっている。
 確かに、昨日の事に関して色々と直接的な何かを向けられるかもしれないと思うと、少しだけ怖いのも事実だけど……。
それでも、こうやって訪ねて来てくれたアレクさんの心を無駄にはしたくない。
 絶対に時間を取ると約束した私に、気落ちしていた表情がパッと嬉しそうに和んだ。
 年上の男性のはず、なんだけど……、やっぱり、たまにアレクさんが可愛らしいわんちゃんのように見える時が。思わず頭を撫でてあげたくなる想いを胸の奥に抑え込み、私は帰宅予定の時間を伝えた。

「わかった。じゃあ、夕食後に部屋を訪ねさせてもらう。それで良いだろうか?」

「はい。騎士団のお仕事、頑張ってください」

 今日の夜、アレクさんから何を聞いたとしても、きっと私は、答えを返す事は出来ないだろう。
 初恋もまだの私は、異性からそういう感情を向けられたのは、初めての事で……。
 しかも、相手は一人じゃなくて、カインさんもなわけで、更にハードルは上がっている。
 初心者に凄い難問をぶつけてくれたものだと、いるのかどうかもわからない恋愛の神様に涙を流しながら抗議したい気持でもあった。
 だけど、これは紛れもなく現実。逃げる事も、知らないフリをするのも、真剣な想いを向けてくれた二人に失礼な事だ。
 去っていくアレクさんを見送った私は、せめてその想いを正面から受け止めようと、改めて覚悟を定めた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「主婦業って、出来なくなると結構寂しいものなのよね~」

「あはは、まぁ、お母さんとしては辛いところだよね」

 食料品店を目指し、城下の大通りを仲良く歩いていると、そんな風にお母さんが笑った。
 お母さんの手には買い物をする為のメモが数枚。
 王宮にも食材は常備されているけれど、それはあくまで王宮用の物。
 王族や王宮に勤めている人達の食事を作る為に使用される。
 料理の達人、いや、最上級のプロが揃っているウォルヴァンシア王宮の料理長さん達が作ってくれる食事は、文句なく美味しい。それを三食味わえる幸せは、言葉では言い表せないほどだ。
 他にも、洗濯やその他の主婦がやるべきお仕事を全て王宮のメイドさん達に任せているから、お母さんとしては、物足りない部分もあるのだろう。
 だから、主婦業が丸ごと生き甲斐だったお母さんは、自室にキッチンを完備し、時折城下町で買い物をしては、私やお父さんに手料理を振舞ってくれている。

「はぁ……。城下町に一軒家を借りて住むなんて言ったら」

「間違いなく、レイフィード叔父さんが王宮に戻ってくれるようにって、連日説得に来ると思うんだけど」

 お母さんの本音に間違いなく起こりうる未来を差し込んでみると、「あ~、確かにそんな気がするわね」と、苦笑が返ってきた。
 レイフィード叔父さんは、国王様としても心優しく国民の皆さんや仕えてくれている人達にも情が深い人だけど、家族や親類に対する愛情も相当のものだ。
 特に、お父さんに対する兄弟愛の強さは凄まじく、それはお母さんや姪の私にも向けられている。
 もしも、城下に一軒家を借りて別々に暮らします、なんて言った日には……。

「レイちゃんがボロ泣きして押しかけてくる図が浮かぶわね……」

「うん。冗談でも言っちゃいけない事だと思うなぁ……」

 レイフィード叔父さんの愛情が暴走すると手が付けられないと語るお母さんは、きっとそれを目の当たりにした事があるんだろう。やけに遠い目をして笑っている。
 お母さん……、この世界に迷い込んだ時、一体何を見たの? 
 詳しく知りたいような気もするけれど、世の中には知らない方が幸せな事もある。
 その表情から尋ねてはいけない何かを感じ取ってしまった私は、ふぅ、と諦めの溜息を吐いた。

「あ……、着いたわね」

 果物を扱うお店に着いた私とお母さんは、可愛らしいリンゴの形をした看板がぶら下がっているお店の中へと入って行った。
 異世界ならではの豊富で多種多様な果物が、私の目を楽しませてくれる。
 お会計カウンターの方からは、店員らしき女性が愛想良く元気に迎え入れてくれた。
 お母さんが購入する果物を入れる為のカゴを持ち、楽しそうに店の中を歩き回る。
 徐々に見慣れてきた食材ではあるけれど、向こうの世界で見た事のある果物と似た物もあれば、全然違う形で、味の見当が付かないものもある。
 楽しげに買う物を選んでいるお母さんから離れ、私も自分にとって必要な果物を見ていく。
 禁呪の件で滞っていた、レイフィード叔父さんへのささやかな感謝の気持ち。
 その計画を再開する事に決めた私は、普段お世話になっている王宮の人達への恩返しも併せて行う事に決めた。王宮内にある憩いの庭園を貸して貰ってのガーデンパーティー。
 そうすれば、皆で楽しめる席になるはずだ。
 詳しい事はこれから決めていく予定だけど、当日の為に料理の腕を磨いておく必要は大いにある。
 だから、普段料理を作る機会が減ってしまったお母さんからの協力もあって、今回のお出掛けのついでに、練習用の食材を仕入れる事にしたのだった。
 エリュセードの便利なところは、お店が仕入れた食材には特殊な術がかかっていて、いつまでも瑞々しさを保ち、新鮮という点だろう。
 傷んだ果物はひとつも見当たらず、どれを選んでも間違いはない。
 私はお母さんと十分な材料を購入した後、お菓子の材料店や、メイン料理の食材を売っているお店を渡り歩き、お昼にはオープンカフェの仕様になっているお店で昼食をとる事になった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「やっぱりお買い物って楽しいわね~。娘と一緒にお店に入って、お昼ご飯を食べて、うん、充実してるわ~」

 お店の中と外に客席のあるカフェテラスに訪れた私とお母さんは、店員さんが運んで来てくれた昼食を囲んで穏やかなひとときを過ごしていた。
 大通りを行き交う人の姿が間近に見える外の席は、賑わいの声が直に聞こえる場所だ。
 ふんわりと弾むようなパン生地に包まれたフルーツとクリームの入ったそれを味わいながら、目の前の席に座っているお母さんと互いの近況を話し合う。
 同じ王宮内に住んでいても、食事の時間以外は別々の生活のようなものだから、お互いの日常に何があったのか、知らない事もある。

「でね、この間ユーディスと出掛けた先で、素敵な雑貨の揃っているお店を見つけたのよ~。ユキ、今度一緒に見に行きましょうね」

 行動範囲が王宮と城下町が大半の私だけど、前に何度かアレクさんに連れられて王都の外に出た事がある。地球とは違う、自然が多く残っているエリュセードの大地。
 移動手段も、馬車か馬、魔術師を扱える上位者であれば、転移の術と呼ばれるそれで遠くの場所に時間をかけずに移動する事も出来る。
 私の場合は、アレクさんの愛馬に乗せて貰って遠乗りに連れて行ってもらったり、近くの町で一緒にお買い物をしたりというのが、楽しみのひとつだったりする。
 だけど、まだお母さんと王都の外に出た事はない。
 どうせなら、どこかの町で一泊する事を決めて、ゆっくりと王都以外の町並みを楽しむのも良いかもしれない。
 そんな、他愛のない話を楽しみながら昼食を終えると、お母さんはデザートのフルーツパフェを味わいながら、その目を楽しそうに細めた。

「ねぇ、ユキ?」

「ん?」

「お節介かもしれないんだけど、――アレクさんとカインさんの事、少しは進展あったのかしら?」

「え? けほっ、けほっ。ど、どうしてそれをっ」

 チーズのような素材を使ったケーキを食べていた私は、お母さんからの爆弾発言に勢いよく咽てしまった。
 何か見抜かれているような気はしていたけれど、まさか、そんな確信を突いた話題をストレートに放ってくるとはっ。
 
「ふふ、貴女とあの二人の事に関しては、色々と噂が聞こえてくるのよ~。で? もう告白はされたのかしら?」

「う、噂って、それ、どこから?」

 アレクさんとカインさんからその秘めた想いをわかりやすく示されるまで、私自身だって全然気付かなかったのに。一体どこから、どんな噂がお母さんの耳に入っていたのか、物凄く気になる!
 ずいっと顔を前に出して尋ねてみると、お母さんは「知りたい~?」と、勿体ぶって茶化してきた。娘の事なのに、やっぱり楽しむ気全開だっ。

「女性っていうのは、噂話が大好きな生き物なのよね~。ユキの事以外にも、王宮には色々と面白いネタが溢れているし。仕事の合間に息抜きしたくなっちゃうのよ~」

「……それって、メイドさん達の噂話、って事?」

「さぁ~? どうかしらね~。だけど、別に悪口を言ってるわけじゃないし、いいんじゃない? それに、お母さんも貴女達の事を見かける事もあるのよ~? ふふ、アレクさんもカイン君も、一途で可愛いわ~」

「お母さん……」

 王宮のメイドさん達を呼んでお茶を楽しむ事も大好きなお母さんは、どうやらそこからも情報を仕入れていたらしい。他にも、自分の目と耳で真実を見極める為に、こっそり陰から観察していた、と。全然気付かなかった……。さ、流石はお母さんと、有能なウォルヴァンシア王宮のメイドさん達っ。

「というわけで、ねぇ、ユキ? どっちが好きなのかしら~?」

「ど、どっちが……って、アレクさんとカインさんは、私にとって大切な……、ゆ、友人、みたいな人達で」

「でも、二人はユキの事を特別に想っているって、少しはアピールしてきてるんじゃないの?」

 その言葉に、嘘を吐くわけにもいかず頷くと、さらにお母さんのテンションは天へと駆け上がった。どちらも素敵な男性だから、優良物件に好かれてよかったわね~! とか……。
 もう本当に、娘の恋愛沙汰を楽しげに煽ってくるから困りものだ。

「アレクさんは真面目で一途! って感じで、結婚したら一生大事にしてくれそうよね~。だけど、どこか脆そうな部分もありそうな感じもして、そこがまた母性を擽ってくるっていうか」

「お母さん……」

「だけど、カイン君も捨てがたいのよ~!! この王宮に来た時は色々と悪い噂もあったけど、不良ぶってるかと思えば、王宮内で困ってる人達をさりげなく手助けしたり……。あれよね~,向こうの世界で言うところの、雨の中捨てられた子犬を腕に抱き上げて、見た事もない笑みを見せる実は良い人って感じよね!」

 確かに、カインさんなら捨て犬とか見て見ぬフリなんか出来なくて、こっそり王宮の自室で飼ってそうなイメージは、うん、あるなぁ。
 アレクさんも、頼もしい部分を強く感じていても、時々、酷く脆い存在に思える時があるし……。
 流石お母さん、見事に二人の性格とその深い部分を見抜いている。
 ……だけど、やっぱり恋する乙女の時代に戻ったかのような、このテンションの高さ。
 うん、楽しんでる。クラスメイトの恋路に興味津々のお友達ポジションに収まっている。
 私は、ふんわりのパン生地の感触を味わいながら、お母さんのキラキラとした眼差しを受け止めつつ、喉に食べ物を嚥下した後、「私は真剣に悩んでるんだけど……」と、遠い目をして呟いた。

「いいじゃないの~! 向こうにいた頃は、好きな人の話なんて一言もなかった娘に、ようやく春がきたのよ? 母としては色々と相談に乗ってあげたくなるのよ~!!」

「その気持ちは嬉しいんだけど……、正直、よくわからなくて」

 アレクさんとカインさんに対しての感情は、恋よりも信頼や友情寄りだ。
 王宮内の他の人達よりは特別、なのは本当だけど……、それでも、恋の対象に考えた事なんてなくて。初めての体験に戸惑っているのが本音だ。

「あらまぁ……、仕方ないと言えば、まぁ、そうなんでしょうけど……。幸希、そこまで逃げ腰になる事はないんじゃないかしら?」

「逃げてるわけじゃないの……。アレクさんとカインさんから、その……、確かな言葉で、こ、告白されたら、ちゃんと受け止めようとは思っているし、だけど……、答えが」

「経験値ゼロの幸希だもの。それは仕方ないわよ~」

 経験値……、ゼロ。以前にどこかの誰かさんにその台詞で散々からかわれた気がするのだけど。
 まぁ、それはさておき、お母さんはどこまでも動じない人だなぁ。
 恋愛経験値がゼロどころか、マイナスに近い私が二人からの想いに応えられる感情を持っていない事を知っても、まるで問題ではないと言わんばかりに微笑んでいる。

「確かに、同時に二人からっていうのは、ユキには大変な事だと思うわ。だけどね、よく考えてごらんなさい。同時に二人、って事は、選択肢が二つある、っていう事なのよ?」

「それでさらに困った事態になってるんだけど」

「お馬鹿さんね~、選択肢が二つもあるって事は、未来の旦那様候補が二人もいるって事じゃないの~。この場合は何て言うのかしらね~、両手に花? それとも、両手に優良物件、かしら~」

「お母さん、そうやって面白がるの……、やめてほしいなぁ」

 とてもじゃないけれど、お母さんのようにはしゃいで喜ぶ気にはなれない。
 グラスの中でカランと、小さな音を立てた氷の浮かぶジュースを見つめながら、私は憂鬱一色の溜息を吐き出す。

「アレクさんとカインさんは……、本気、なんだと思うの。だけど、私にはその本気に応える心が なくて、というか、そんな風に思った事なんかなくて、このままじゃ、どちらも傷つけて終わるんじゃないかって、少し、怖いの」

 テーブルの上に両手を乗せ、その手のひらをぎゅっと強く握り込んで俯くと、温かな感触が私の手の上に添えられる。
 少しだけ顔を上げてみると、さっきまでの茶化すような気配が消え去ったお母さんが、穏やかに私を見つめて微笑んでいるのが見えた。

「大丈夫よ。怖がらなくてもいいの……。人の本気って、確かに怖い部分もあるし、受け止めきれないものでもあるわ。だけどね、アレクさんもカイン君も、幸希の事をちゃんと考えてくれていると思うわよ?」

「お母さん……?」

「きっとね、知っていてほしかったのよ。自分の中に抑え切れない程、『幸希の事を大切に想っています』……、ってね」

 その声音はとても静かで、けれど、私の怯えた心を優しく包み込んでくれるかのような温かさに満ちていた。

「答えが貰えなくても、自分の気持ちを知って貰えているだけで幸せ、って事もあるでしょう? ずっと秘めたままで何も伝えずにいたら、別の誰かが先に想いを伝えてしまうかもしれない……。だから、アレクさんもカイン君も、やれるだけの事を精一杯やっておこう、って、幸希に自分の心を知ってほしいって、勇気を出してくれたんじゃないかしら」

「だけど……」

「だけどは、なし、ね? 真剣に向き合ってくれる人を前にしたら、たとえどんなに遅くなってもいいから、答えを出せるように頑張りなさい。アレクさんとカイン君なら、きっと待っててくれるわ」

「お母さん……」

「大丈夫、大丈夫よ。向こうでは味わえなかった女の子らしい瞬間が、ようやくきたんだもの。沢山ドキドキして、沢山迷いなさい」

 じんわりと心に沁み込んでくる、お母さんの言葉。
 それは、アレクさんとカインさんからの心を受け止める為の支えとなってくれるかのようだった。
 ううん、ちゃんと私の心の一部となって、向き合う勇気を大きくしてくれたように思う。
 私はお母さんの手に自分の手を重ね、指を絡めて微笑んだ。

「頑張ってみる。私、お母さんの娘だから、きっと何とかなるよね」

「ふふ、そうよ。それと、もしお付き合いをする人が決まったら、その人は物凄く苦労をするでしょうけど、とりあえず、ユーディスは私が抑えておくから、幸希はレイちゃんとルイヴェルさんを頑張って抑え込んでね?」

「え?」

 レイフィード叔父さんが暴走しそうなのはわかるけど……、どうしてルイヴェルさんまで?
 私が誰と付き合っても、意地悪をしてきそうなのは予想出来る。
 疑問を抱いて首を傾げる私に、「レゼノスさん、早く帰って来ないかしらね~」と、お母さんが見知らぬ人の名を口にして、微笑ましそうに晴れやかな大空を見上げるのだった。
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