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第二章『恋蕾』~黒竜と銀狼・その想いの名は~

竜の王と狼の王~レイフィード視点~

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※ウォルヴァンシア王国、国王・レイフィードの視点で進みます。

 ――Side レイフィード

 基本的に僕は、子供達には自由に、のびのびと育ってほしいと思っている。
 感情を抑え込んで見えない所で涙を流されるより、多少やんちゃでも、元気に明るく笑っていてほしい。そう、自分の中で教育方針を定めてはいるんだけど……、ねぇ? カインのお見舞いに顔を出して見たら、面倒すぎる親子喧嘩の余波をもらっちゃったよ。はぁ……。
 どんなに小さな物でも、人に当たったら大変な事になるんだってこと、どうしてわからないのかなぁ。人に向けて物を投げたりしてはいけません、っていうのは、昔からの常識だよ?
 まぁ、僕の場合は小さい物どころか、丸テーブルの餌食になったわけだけど……。
 味わった痛みの分は、しっかりとあの親子に『お説教』という形で償ってもらったし、一応、気は晴れたかな。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「レイフィード……。いくらなんでも、『これ』はやりすぎだろう」

 戻って来た国王執務室の中で、げっそりと疲労困憊した色男が一名。
 ソファーに倒れ込んで自分の頭に出来た特大のたんこぶを慰めながら、恨みがましい目を向けてくる。
 漆黒の長い髪を纏うその男は、学院時代からの友人であり悪友とも呼べる存在だ。
 現、イリューヴェル皇国の最高権力者であり、カインの父親でもある男。
 歳を経て、ますます磨きと妖しさの増したその魔性とも言える美貌には、『この悪魔!!』と、僕に対する罵りの気配が浮かんでいる。
 
「やりすぎ? ははっ、何を言ってるのかな~? 部屋で暴れまわった挙句、危険極まりない物を投げまくった子供を叱るのは、――本来君の役目だろう? 僕はその代わりをしてあげただけだよ」

「うぐっ、そ、その事については……、悪いと思ってはいる。だが、カインの部屋での『あれ』は、叱るという生温いものではなかったと思うんだが」

 何を言っているのだか……。頭にたんこぶがひとつ出来たくらいで騒がないでほしいものだよ。
 僕はカインがやった事の何が悪いのかを、丁寧に一から十までを教えてあげただけなんだからね。
 子供を叱る事もしなかった駄目駄目な父親に何か言われる筋合いはないよ、うんうん。
 
「あれだけやれば、カインも反省すると思うよ? ……だけど、思った以上に君達親子の溝は深すぎるみたいだねぇ、イリューヴェル。完全に隙の一ヶ所もなく拒絶されてるじゃないか」

「俺も、……流石にあの頑なさには、どう接していいのか色々と」

 心が折れそうになっている、と、顔をクッションに押し付けたイリューヴェルに、僕は呆れの息を零す。もっと早い段階で、イリューヴェルが自分の正妃であるミシェナ殿と幼かったカインが受けている苦しみに気付いていれば……、今度の事件も起こらなかった事だろう。
 確かに国王や皇帝にとって政治というものは、何よりも優先しなくてはならない義務だけど、だからといって、家族を蔑ろにしていいわけはどこにもない。
 
「いいかい、イリューベル? 不器用だっていいんだよ。上手く息子と話が出来なくても、ぶつかっていく事をやめなければ、いつかその努力が実を結ぶ日が来るかもしれない。親としての思いを伝え続けて、何度だって謝ればいいんだ」

「そうは言うがな……。これまでにも何度か話をしようとした事は」

「大方、周囲の目を気にして、上から目線で言ったんじゃないのかい?」

「うっ……」

 まぁ、大国の皇帝陛下だからね。家臣に弱い所を見せるのは極力避けたいっていう気持ちはわかるよ。僕はあんまり気にした事ないけど。
 だけど……、問題はイリューヴェル自身にも、父親から愛された記憶がない、という事かな。
 先代のイリューヴェル皇帝は、その魔性の美貌と権力を思う存分に有効活用して、多くの女性を侍らせ、国庫の財を窮地にまで追い込んだ、所謂、愚王だ。
 妻にも息子にも、真摯な愛情を注がず、自分の欲の赴くままに遊興に耽った最低最悪の男。それを、現皇帝であるイリューヴェルが武力行使を以て廃位に追い込んだ。
 その首を刎ねなかったのは……、イリューヴェルの心の奥底に残っていた、親への最後の愛情からなのかもしれない。
 そんな父親がいたせいか、イリューヴェルは基本的に家族というものを苦手としている。愛する女性と巡り会う暇もなく、正妃を据えられ皇帝となった友人……。
 それを役目だと、義務だと諦めの境地で受け入れたこの男は、正妃とは最低限の関わりだけを持ち、あとは皇帝としての仕事に逃げ込んだ。
 政務に集中し、民にとって良き王となる道。
 それを成していれば……、全てが許されると、愚かにも信じ込んで……。
 その努力の成果が実り、イリューヴェルの地は、大国としての威厳と財力を取り戻した。これに関しては、イリューヴェルを始めとした臣下や民の頑張りが功を奏したお蔭だろう。
 けれど、政務に明け暮れ、国の事しか見ていなかったこの男は、家族の存在を見落としてしまっていたのだ。

「君は昔から、鈍感で抜けている所が多々みられていたからね……。特に、女性に関しては、その容姿と相反して、理解度が全く追いついてなかった」

「うぐっ……」

「そのくせ、女性関係のトラブルに巻き込まれる面倒な気質のせいで、毎回苦労苦労、不憫、不憫、不憫の連続……。実際のところ、君、女性に対してものすっごい苦手意識があるよね?」

 グサリグサリと嫌味の棘をその背中に突き刺していくのは、今回の一件で、僕の可愛い姪御であるユキちゃんが色々と苦労をさせられたからだ。
 男と女という関係上、決して完璧には理解しあう事は不可能だ。まぁ、それはいいとして。
 だけど、逃げてばかりいたイリューヴェルの不甲斐なさが、全ての歪みを生み出した。その事だけは、強く自覚して貰わなくては困る。
 皇妃であるミシェナ殿が、どれだけの悲しみと苦しみをその胸に抱えていたのか。
 息子のカインがどれだけ、その幼い身に酷な恐怖と絶望を味わい続けていたのか……。 
 学院時代に、この足りない友人の性格をもう少し柔軟に矯正しておけば良かったと、本当に悔やまれるよ。

「全面的に……、俺が悪いとは思っている。カインにも、以前に『テメェには何の期待もしてねぇんだよ!! だから、俺の事は放っておけばいいだろうが!!』と言われた事もある。好きに生きている父親と同じように、自分も好きに生きるから干渉するな、と」

「まぁ、そうなるだろうね。カインとしてはイリューヴェル皇国から出ていきたかったみたいだけど。君が国外に出られないように枷を施していたせいで、さらに捻くれちゃったみたいだし?」

「国内だけでもカインの悪評は凄まじかったからな……。他国に放てばイリューヴェルだけの問題ではなくなる。それに……」

「自分の手元にカインを留めておきたかった、からかな?」

「あぁ……」

 どこまでも不器用なお父さんだねぇ~。
 片手で頬杖を着いた僕は、意気消沈気味に自分のこれまでの人生ならぬ、竜生を振り返っている大国の皇帝の姿に、やれやれと目元を和ませた。
 恐らく、……今のカインの状態を考えると、そう簡単に和解が叶う事はないだろう。だけど、何もしないよりは、ぶつかり続けた方がいい事もある。

「まぁ、滞在期間もあと僅かなんだろう? それなら、その範囲で頑張って、また時間が出来たら訪ねてくればいいさ」

「その前に、カインがどこかに行ってしまったらどうする気だっ」

「行かないよ。というよりも……、あの子はこの国を離れないと思うよ」

「どういう意味だ?」

 自由を好み、外の世界に憧れと逃げ場を探していた不器用な竜の子は、このウォルヴァンシアの地で大切な存在《もの》を見つけた。
 自分の小さな世界の全てに絶望し、悲しみを抱いていたカインが出会った、――たったひとつの奇跡。その存在以外にも、あの子はこのウォルヴァンシアに集う者達の存在に触れて、その心に離れがたい情を覚えていった。
 長い間、ずっと求め続けてきた温かな世界。
 カインの求めるものが、ここには在る。
 カインがウォルヴァンシアに来てからの出来事を聞かせてあげると、イリューヴェルはさらに困ったように喉の奥を唸らせた。

「なるほどな……。それでは、イリューヴェルに帰る見込みは、限りなくゼロに近い、か」

「ゼロ、とは言えないけど、当分は無理だろうねぇ……」

「はぁ……。息子の初恋ならば、父親として喜ぶべき吉事なのだろうが、よりにもよって、お前の姪御になのか……。カイン、俺に似て……、何と苦労の多い道を」

「それはどういう意味かな~? 僕は広い心でカインに接しているつもりなんだけどねぇ? 大体、僕の大事な姪御に、君の馬鹿息子は出会い頭に何をしたのか知らないから、そんな事が言えるんだよ」

 イリューヴェルの向かい側のソファーに腰かけた僕は、隅に置いてある四角いクッションをその魔性の美貌と謳われる顔面に軽く投げつけた。
 ユキちゃんとカインの関係が修復されなければ、今頃ユキちゃんの心がどうなっていた事か……。
 あえて教えずに文句も言わず堪えていた僕達の気持ちも少しは考えるべきだよ。
 僕達とカインの間に起こった禁呪の件以外の困った一連の話を聞かせてやると、イリューヴェルはサァァァァッと一気に顔を青ざめさせていった。

「そ、そんな恐ろしい事が……っ!! ゆ、ユキ姫は……、そんな愚かな真似をしたカインを許してくれたと言うのかっ?」

「そうだよ~。ユキちゃんの繊細なハートを壊しかけてくれちゃった君の馬鹿息子を、女神のような慈愛に満ちた心根で許してくれたんだよ。流石は僕の可愛い姪御ちゃんだよね。君はカインの代わりに額を地に擦りつけて、ユキちゃんに感謝するといいよ」

「うぅ……。知らなかった事とはいえ、本当に何から何まで……、世話をかけた」

 終わりよければ全て良し、ってわけじゃないけどね。
 だけど、もうユキちゃんの心の中で、カインはあの子にとって大切な友人の一人となった。
 その存在を終わらせたくはないと、だからこそ、ユキちゃんは自分の血を奪われる事に躊躇せず、積極的に行動したんだから……。
 一度目は叡智の神殿で、二度目は暗い闇に覆われた崖の上、そして三度目は……。

(まさか、ユキちゃんが自分の身体を傷つけてでもカインを助けるとは……、思い切りが良すぎるあの行動に、流石の僕も度肝を抜かれたよ)

 物腰穏やかで争いを好まないユキちゃんだけど、その中には確かに……、ユーディス兄上とナーちゃん、彼女の両親達が抱く一番大事な部分が、しっかりと受け継がれているようだ。
 誰かの為に自分の身を犠牲にしてでも助けたいと願う強い意志。
 それが、カインを救うきっかけとなった。

「まぁ、今では仲良しさんのようだし、これ以上責める気はないよ」

「そうしてもらえると助かる……。お前の説教や嫌味は昔から容赦がないからな」

「ははっ、学院時代にあれだけ面倒を見てあげたのに、可愛くない事を言うのは……、この口かな~!!」

「いひゃああ!! やめっ、レイフィ、がふがふっ」

 僕達が国の王として立つ前、この世界の丁度真ん中に位置する場所、各国の王族や才能に恵まれた者達が集う、――エリュセード学院の学生だった頃。
 色々と問題のあったこの男を、どれだけ僕が親身になって世話をしてやっていた事か。それを忘れてのこの発言、許せないよ!! もっとその無駄にいい顔の頬を抓ってやる!!
 気が済むまで目の前の男に文句をぶつけながらお仕置きをやり尽した後。
 流石にもう体力も気力も限界だったのか、頬を真っ赤に腫らしたイリューヴェルがどさりとソファーに倒れ込んだ。
 
「はぁ……」

「そこで暫く反省してるんだね!!」

「レイフィード……」

「何だい?」

 クッションをその腕に抱き締め、イリューヴェルはもうどうしていいのかわからないと、その目に虚ろな気配を宿した。
 どんなに自分の思いを伝えようとしても聞いてくれない息子の頑なさに、どう立ち向かえばいいか、って感じかな。

「俺は一体どうしたら……」

「ぶつかり続けるしかないよ。どんなに拒まれても、罵られて怒鳴られ続けても、時間の許す限り、君はイリューヴェル皇国の皇帝ではなく、一人の父親として言葉と想いを伝え続けるべきだ」

「そう、だな……」

「まぁ、そんなに落ち込む必要もないだろう? ここには仲を取り持ってくれそうな子達がいっぱいいるし、僕も出来る限り手伝ってあげるからさ」

「レイフィード……」

 僕だって出来れば、親子には仲良くいてほしいからね……。
 こじれたまま、お互いに後悔しながら分かり合えずに生きていくのは……、とても悲しい事だ。
 お茶とお菓子を運んで来た女官にお礼の言葉をかけた僕は、まずは体力と気力の回復をしたらどうだい? と、イリューヴェルに促した。
 のっそりと、……イリューヴェルが幽霊のような陰鬱さを纏って起き上がってくる。

「親子というものは、難しいものだな……」

「まぁね。これっていう決まった教科書があるわけじゃないし、手探りでやっていくしかないよ。……本当の親子にね」

「本当の……、親子、か。俺に出来るだろうか」

「イリューヴェル……、出来るだろうか、じゃなくて、――やるしかないんだよ」

 ティーカップの水面に口をつけながら、僕は目を細めて『励まし』の言葉を送る。
 びくりと、全身に鳥肌が立ったかのように震え上がったイリューヴェルが、友人思いの僕にコクコクと全力で頷いた。そうそう、何事も素直に真っ直ぐに頑張るべきなんだよ、うん。

「カインの心を俺に向けられるよう……、頑張ってみよう」

「うんうん、頑張ってね~、不器用でヘタレなお父さん」

「普通に応援出来んのか……、お前という奴はっ」

「これが僕という男だよ!! 悪いかな!? 悪くないよね!! 今回、結構頑張ったよ、僕も皆も!!」

「うぐっ……!! す、すまなかった。お前とは、いずれ親戚関係になるというのに、感謝と気遣いが足りていなかった」

 と、イリューヴェルが一気にお茶を飲み干した直後、今度は僕が全身に鳥肌を立てる番だった。
 今……、何て言った、かなぁ? イリューヴェルと僕が……、親戚関係?
 それってつまり……、『ある関係』が発展しなきゃ無理な話だよね……。

「まさか君……、ウチのユキちゃんとカインがゆくゆくは両想いになって結婚するとか、そんなありえない未来を確定させちゃってるんじゃないだろうね?」

「……ち、違う、のか? カインは、ユキ姫の事が好きなのだろう? 彼女も、カインと仲が良い、と」

「違ぁあああああああああう!!」

 目の前のテーブルを勢いよくひっくり返し、僕は爆発した感情と共に大声で叫んだ。僕はただ、ユキちゃんとカインの関係が修復されて、良い友人になったと言っただけだよ!! そりゃあ、カインがユキちゃんに惹かれて、お熱だって事はわかってるよ、わかってるけどね!!

「誰が、僕の可愛い姪御ちゃんをイリューヴェルの馬鹿息子に渡すもんかああああ!!」

「ちょっ、れ、レイフィード、落ち着け!! 俺が悪かった!! まだそんな関係ではない、これからに期待というかっ」

「これからに期待って何だい!! カインがユキちゃんを好きな気持ちは許してあげるけどね……、そう簡単に実るとは思わない事だよ!! ユキちゃんに想いを寄せているのは、カインだけじゃないんだからね!!」

「な、何……!?」

 って、まぁ、他の子にもユキちゃんを早々に渡す気なんか全然ないんだけどね!!
 イリューヴェルに過酷な現実を突きつけてやると、予想通り、息子の初恋を祝う気持ちの中に前途多難の気配を大いに感じたらしく、頭を抱えて唸り出されてしまった。

「一体どうすれば……っ。あの捻くれ者のカインが初めて好きになった本気の女性なのだろう!? もしフラれでもした日には、また非行に走るんじゃっ」

「傷心の旅には出るかもしれないね。だけど、それもまた良い人生経験だよ。……それよりも、君はカインに許しを乞うて和解するのが、今一番大事な優先事項だろう?」

「はっ!! そ、そうだったな!! カインの初恋は和解してからじっくりと俺が手助けを」

「したら怒るよ。大体、恋愛自体した事ない男が介入したところで、カインの負けが濃くなるだけだからね」

「うぅっ……」

 まぁ、僕はそれでも全然かまわないんだけどね? 
 ユキちゃんに好きな人が出来ちゃったら……、僕達家族との時間も減っちゃうだろうし、イリューヴェルがカインの足枷になってくれるなら、それもいい展開かもしれない。……なーんて、そこまで意地悪な事を考えるほど、僕は大人げなくないよ。
 あくまで、子供達の心には自由でいてもらいたいし、カインが頑張る事を邪魔しようとは思わない。だけど、……ユキちゃんを何よりも大事にしているアレクの存在もあるし、それに、『あの子』もいるからねぇ。
 イリューヴェルが思うようには、なかなか進まないだろう。
 それもまた、あの子達次第……。

「さてと、僕は執務に入るけど、休んでいくならそこで寝ているといいよ」

「あぁ……。甘えさせてもらう。すまないな、レイフィード……」

「仲直り……、絶対に諦めちゃ駄目だよ? カインにとっての父親は、世界で唯一人、君だけなんだからね。――グラヴァード」

「レイフィード……」

 エリュセード学院時代、僕はイリューヴェルの事をラヴァードと呼んでいた。
 皇帝となってから、滅多に呼ばれなくなった彼の本名。
 学院生時代、記念すべき卒業式を迎えたあの日……。
 僕にとって大事な瞬間を邪魔してくれたグラヴァードに腹を立ててしまい、つい……、もう名前では呼んでやらないと拗ねてしまったんだよね。
 で、卒業後もたまに連絡をとったり、会う事もあるにはあったんだけど……、すぐに呼び名を直すのも負けた気がして、結局そのままに。我ながら子供じみた事をしていたものだと、苦笑が漏れるよ。

「感謝する……」

「いいよ。貸しひとつにしておくからね。それじゃあ、僕は仕事仕事~っと」

 執務机に戻り、端に避けておいた書類の束を手元に引き寄せ、羽根ペンを手に取る。やり慣れた作業を繰り返し、国王のサイン欄にサラサラと自分の名前を綴っていく。グラヴァードは、まだカインの許に行く気力が戻らないのか、無言でソファーに座ったまま、クッションを抱き締めている。
 昔からの友人がそこにいる事は、決して不快なものはなく、むしろ心地いいとさえ思えるものだ。懐かしいあの頃が、二人の間に戻って来たかのように……。
 聞こえるのは、壁にかけられた時計の数字を追う針の音だけ。

「……ところで、レイフィード」

「ん~?」

「この国に来て、ひとつ……、気になった事があるんだが」

「なんだい?」

 書類から視線を上げる事はせず、僕は適当にグラヴァードの言葉に相槌を打つ。
 どうせ他愛のない話題を口にして、気を紛らわしたいのだろう。

「お前……、『王妃』はどうした?」

 瞬間、羽根ペンを走らせる手が止まった。
 書類の表面に……、じわりと重たい黒が、広がっていく。
 鈍感なくせに……、余計な所に気が付いてくれたものだ。
 心中の動揺を表には出さないように、僕は笑みを貼り付けながらグラヴァードに答えを返す。

「ちょっと身体の方を壊してしまってね……。今は、ウォルヴァンシアの中でも自然の多い別荘地で、ゆっくりと療養中なんだよ」

 僕の返事に、グラヴァードがゆっくりと……、その真紅の双眸に気分を害したと言わんばかりの苛立ちを込めて、視線を定めてくる。
 
「その程度の存在、という事か……。俺は」

 それは、あきらかに僕の返した答えが『偽り』であると見抜いての言葉だった。
 ウォルヴァンシアの国王の傍に寄り添う『王妃』の存在が、仮にも他国の皇帝が非公式で訪れているとはいえ、一度も挨拶に来ないのはおかしい。
 そして、理由を尋ねても、返ってきた答えが『偽り』だとわかってしまえば……。
 僕が今まで口にしてきた、『友人』という言葉に含まれる信頼や情が酷く薄っぺらなものに感じられてしまう事だろう。
 このグラヴァードという男は、情を覚えた相手に入れ込む性質がある。
 学院時代にも、トラブルに巻き込まれるとわかった上で、関わってしまった相手に情を抱き、何度となく親身に力を尽くした挙句、自分が不憫な目に遭うという、人の好さが。

「違うよ、グラヴァード……。僕にとって君は、なんだかんだ言いつつも、大切な昔からの友人だ。その事だけは、確かなんだよ」

「なら、どうして『本当の事』を言わない? 俺は、お前が自分から言うのを待ち続けた……」

「なるほどね……。だから、三週間経っても、誰にも聞かなかったわけ、か」
 
 そういう所は、何というか、昔と変わらず律儀な奴だね……。
 だけど、『あの件』を話してしまえば、グラヴァードにも余計な負担をかけてしまう。情の深い男だからね。一度それを知ってしまえば、僕達の事にまで心を悩ませてしまうに違いない。
 だから……。

「悪いね、グラヴァード……。これはウォルヴァンシアの……、僕達家族の問題なんだ」

「人の家庭の事に口を出した奴の言う事か……?」

 ソファーから立ち上がったグラヴァードの全身から、堪え切れない怒気の気配がゆらりと燃え上がる。僕のいる執務机の方まで来ると……。

「ふざけるなよ……!! 人の事には散々口を出しておいて、自分はだんまりか!? 人を小馬鹿にしたような態度を取りやがって!!」

 黒い衣が翻ったかと思うと、グラヴァードの凄まじい蹴りの一撃が僕の執務机に炸裂した。
 本気で腹に据えかねると言わんばかりの形相。
 零れ出るのは、懐かしい昔を思い出しての苦笑だ。

「口調……、戻ってるよ? 学院時代の頃に」

「やかましい!! カインがこれだけ世話になって迷惑をかけたんだ!! お前の迷惑も俺に寄越しやがれ!!」

「うわ~、一国の皇帝陛下が他国の王にマジギレだ~。あははっ、怖いね~」

「茶化すなっつってんだろうが!! この腹黒クソ野郎!!」

 執務机を挟んでいるというのに、グラヴァードは僕の胸倉を掴み上げ、本当の事を話せと、脅し同然の口調で怒鳴ってくる。あぁ、本当に懐かしいね、このやりとり……。今のこの姿をカインやユキちゃん達が見たら、きっと度肝を抜かれるだろねぇ~。皇帝に即位してから、その品格や威厳を保つ為に口調や態度を矯正してきたグラヴァードだけど、感情の枷が外れると、あっさり戻っちゃうんだよね。

「グラヴァード、今君が成すべき事はなんだい? 僕の事情を探る事じゃない。自分の息子からの信頼を、少しでもいいから築き上げる事だろう?」

「ぐっ……」

「カインと本当の親子になる為に、その為に……、ウォルヴァンシアへと来たんだろう?」

 僕の為に怒ってくれている事は十分にわかっている……。
 それでも、グラヴァードが今優先すべきなのは、僕の事じゃない。
 心の離れてしまった、闇の中で膝を抱えて泣いている……、息子(カイン)なんだよ。それをわからせる為に、僕はあえて抵抗せずに、その真紅の双眸を静かに見つめ返す。
 
「約束しろ……。カインの件が片付いたら、その時は話せ。でないと……」

「そういう性格だから……、損ばかりするんだよ、君は。だけど、……そうだね。カインとの事が上手く行けば、その時は、……少しだけ、教えてあげてもいいかな?」

 暫しの間、へらりと笑う僕の視線を真っすぐに見返してくるグラヴァードとの攻防が続いたけれど、流石に、この男同士の微妙な空気は居た堪れないね。
 力の緩んだ隙を見逃さず、グラヴァードの手を払い、僕は椅子に座りなおした。
 勿論……、話す気はこれっぽっちもないけれど、こうでも言わないと、昔からの友人は引いてくれない。

「言質は取ったからな……。もし嘘を吐いて、俺を体よく追い返そうとしたら、『ナッシュ』をたきつけて、お前の許に向かわせてやる」

「それ……、地味に酷い嫌がらせだね~……」

 『ナッシュ』というのは、グラヴァードと同じく、エリュセード学院時代の友人の一人なんだけど……、色々と面倒で暑苦しい人なんだよね。
 あれが押しかけてくるかと思うと……、あ、気が遠くなってきた。
 ナッシュとグラヴァードのダブル攻撃とか、本当にやめてほしいよ、まったく……。

「嘘は吐かないよ。それよりも、さっさと仮眠して、デレてくれない息子の所に頑張って押しかけていきなよ」

「その言葉、信じるからな……」

 グラヴァードは僕に背を向けると、不機嫌さの治まらない様子でソファーに倒れ込んでいった。クッションを枕に、時間をかけずに穏やかな寝息が聞こえ始める……。

(本当……、鈍感のくせに、情だけは誰よりも強い男だね)

 そんな君を騙す事に良心が痛まないわけではないけれど……。
 グラヴァードが知ったところで、出来る事は何もない。
 不必要に心配の種を植えつけるくらいなら……、バレない嘘を拵える事にしよう。
 君がイリューヴェルという大国と、家族の事だけを考えていられるように……。
 僕は、――『真実』を語る事は決してない。
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