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第二章『竜呪』~漆黒の嵐来たれり、ウォルヴァンシア~

採血と晩餐!

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 「はい、もう大丈夫ですよ。無事に血を頂けましたし、あとはユキ姫様の血の分析を行い、カイン皇子の解呪に用いた際の効果と、それにより起こり得る危険性を調べさせて頂きます」

「はい。よろしくお願いします。セレスフィーナさん」

 午後の時間を使って訪れた王宮医務室の一角。
 私は自分の血を採血して貰う為に、診察ベッドの上に仰向け状態で寝そべっていた。
 異世界での採血がどのようなものなのか知らなかった私は、苦手な注射器でも持ち出されるのだろかと少しだけ不安に思っていたのだけど、意外にも、採血は時間をかけずあっさりと終わってしまったのだ。私の右手に指先を添え、セレスフィーナさんが短く詠唱を綺麗な声に乗せて紡ぐと、私達の目の前に白銀の綺麗な光が集まり、それは一瞬で形を成すと、赤い液体を湛える小さな小瓶へと変化。注射器いらずの便利な採血手段を目にした私は、セレスフィーナさんに注射器などは使わないのかと疑問を向けてみた。
 すると、注射器自体はあるらしいのだけど、どうせ採血するなら痛みもなく一瞬で終わる方法が良いだろうというセレスフィーナさんの判断によって、術での採血法が選ばれたのだそうだ。
 注射が苦手な私には、とっても有難い便利で優しい方法です。ありがとう、セレスフィーナさん。

「今日は、検査の為の採血でしたから、少量で済んでいますが……、 もし、ユキ姫様の血を用いての解呪に臨む事になった場合ですと、頂く血の量も増えますので、その時は、少し具合を悪くされてしまうかもしれません」

「大丈夫です。カインさんも毎日禁呪と一生懸命闘っているんですから、少し具合が悪くなるくらい、私、頑張って乗り越えます」

「ユキ姫様……、有難うございます。出来れば、ユキ姫様の血を使わずに事が済むよう私達も術の構築の完成を急ぎますので」

 私の身体を支え、上半身を起き上がらせてくれたセレスフィーナさんの顔色は、決して健康的な色合いとは言えなかった。
 カインさんが禁呪によって倒れてから、王宮医師である彼女と、弟のルイヴェルさんは、連日連夜、解呪の為に術を構築する作業や、禁呪によって苦しむカインさんの容態を見守り、症状を緩和させる役目もあって、連日連夜、徹夜をしている事は間違いない。
 そんなお二人の努力と頑張りと、カインさんが必死に禁呪と闘っている様を見て来た私にとって、血を採られて少し具合が悪くなるぐらい、何て事はないもの。
 私は、私に出来る事をやるって、自分でちゃんと決めたんだから……。

「私も、レイフィード叔父さんも、王宮の皆さんも、セレスフィーナさん達の事を、心から信じています。 だけど、頑張りすぎてお二人が倒れてしまうような事になるのだけは駄目です。だから、そうなる前に、いざとなったら、私の血を遠慮なく使ってください」

「お気遣い、本当に有難うございます……。ユキ姫様や陛下達の想いを無駄にしないよう、最終段階に入っている術の構築を、 一日も早く完了させられるように、手を尽させて頂きます」

 たとえ不眠不休だとしても、セレスフィーナさんの凛とした物腰は変わらない。
 私は彼女に笑顔で頷くと、カインさんが眠る奥の部屋へと向かう事にした。
 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「よぉ」

 奥の部屋に入ると、今日は天蓋付きのベッドを包むカーテンが全て開かれており、中の様子が良く見えた。日によってカインさんの体調には違いがあるけれど、今日はなんだかいつもより元気そうだ。上半身の背を大きなクッションに預けた状態で、片手を上げて私を出迎えてくれた。

「何読んでるんですか?」

 丁度読書の途中だったらしく、その手に広げられている本に視線を向けると、どうやら冒険劇のような物語が綴られた作品を読んでいたらしい。
 好んで本を読みそうにはないという印象を抱いていたから、ちょっと意外かもしれない。

「一日が寝台の中だからな。爽快感のあるモンでも読んで、気分を紛らわせねぇとな」

「確かにそうですね。ずっと寝台の中ばかりだと退屈ですし……」

 可能であれば、私が支えになって、王宮内のお散歩にでも連れ出してあげたいと思うのだけど、いつ禁呪の影響が強く出るかわからないし、それ以前に、歩く為の体力まではまだ戻っていない。
 だから、カインさんも本を読む気になったんだろうな……。
 
(あ、でも、こういうお話の本を読めるのなら、少年漫画もアリなのかもっ)

 そう思い付いたけれど、ここは異世界。
 たとえ漫画を持ちこめたとしても、まず書かれてある文字の種類が違うから、結局無理な話、かな。だけど、話のネタに良いかと思って、そういうものがあるのだと説明していると、私の背後からカインさんの手元に向かって、一冊の本が放り込まれてきた。
 
「え?」

 振り向くと、「こういう物の事でしょうか? ユキ姫様」と、私に問いかけてくるルイヴェルさんの姿があった。確か、用事があって城下に出ていると聞いていたのだけど、帰って来ていたらしい。
 ルイヴェルさんが寝台に放ってきたと思わしき本を手に取り、パラパラと捲ってみると……。

「何で漫画がここにあるんですか!?」

 まさかのまさかだった。
 日本で販売されている単行本よりも、少し大きなサイズの中に広がっている、正真正銘の漫画の世界……!! コマ割り、表情、キャラクター、モノクロの世界に広がる冒険の世界。
 所謂、少年漫画の世界観が、確かな存在として、そこにあった……。
 文字はエリュセードの物だけれど、……何故ここに。
 驚く私に、ルイヴェルさんは何て事のないように一言。

「二十年と少し前、エリュセードに迷い込んだナツハ様が、布教なされたのですよ」

「お、お母さんが!?」

 ルイヴェルさんの説明によると、お母さんがこの異世界エリュセードに迷い込んでしまった際、学校鞄の中に入っていた少女漫画が元となり、日本でいうところの、エリュセード版出版業界の方々が新たな試みとして、同じような物を作り始めてしまったとの事。
 しかも、率先して漫画をエリュセードに!! と、お母さんが色々動いていたらしい。
 
「人気や需要にも恵まれ、出版された当時はエリュセード中の注目の的になっていました」

「はぁ……」

「元々、芸術的な絵柄や可愛いマスコットなどを描く者はおりましたが、このマンガ……、こちらの世界では、『絵物語』と言われているのですが、それらしい絵柄を描ける者がおらず、まずそこからが問題だったそうです」

 何年もかかって似たような絵柄や、そこからまた独自のオリジナル性のある絵柄を生み出す行程を重ね、ようやく出版に辿り付けた、……らしい。
 元々、冒険劇や恋愛のお話は、小説として存在していたから、お話には事欠かなかった。
 そのお蔭で、徐々にではあるけれど、漫画、……じゃなくて、絵物語の世界を描く作家さんも徐々に増え、最初は原作付きの作家さんが主だったけれど、今では原作も絵も自分で描く人が増えたそうな……。

「ナツハ様の行動力は、俺も驚くものが多々ありましたからね……」

「何というか……、すみません」

 もたらした結果は良い事だったのだろうけれど、ルイヴェルさんが少しだけ遠い目をした為、あぁ、何か面倒な事にも巻き込まれたのだろうと察しがついてしまった。
 お母さん、本当に異世界での生活を心から楽しみまくっていたんだろうなぁ。

「おぉ、これこれ。三巻までは読み進めてたんだがなぁ。こっちに来てから四巻目が出たのを知ってさ、ルイヴェルに頼んどいたんだよ」

「丁度城下に用事があったからな。良い暇潰しにはなるだろう。他にも何冊か店員が勧める本を買っておいたから、あとで読むといい」

「おぉ、サンキュ」

 ……いつの間にか、カインさんにも素で喋るようになっている。
 私が頼んでも敬語をやめてくれなかったルイヴェルさんが、今度はカインさんにも素で……。
 何だか理不尽な気がしてならないのは、私の気のせいなのだろうか。

「ユキ姫様、どうかされましたか?」

「……ルイヴェルさん、素で喋ってください」

「申し訳ありません。王族の方に対する礼儀を弁えたい主義でして」

 それは何度も聞いた。まるで盾にとったみたいに、私が王族である事を主張して敬語を貫くルイヴェルさん。カインさんだって、イリューヴェル皇国の皇子様なのに。
 むぅっと頬を膨らませて大人げなくルイヴェルさんを睨んでみると、何故か小さく笑われ向こうに行かれてしまった。

「そういえば、今日は番犬野郎は一緒じゃないのか? いつもべったり張り付いてんだろ」

「あぁ、アレクさんなら、今日は騎士団のお仕事でいないんですよ。だから、今日はロゼリアさんにここまで送って頂いて、また後で迎えに来て貰う予定なんです」

「ふぅん……。確かアイツ、騎士団の副団長職だったよな」

「はい。私の護衛の任に就いてくれているので、負担をかけてしまっていますけど」

 カインさんに襲われる心配はもうないし、護衛の任は必要ない気はするけれど、レイフィード叔父さんからの指示があるまでは、という事で、アレクさんにはいまだに迷惑をかけてしまっている。
 副団長さんともなると、お仕事も沢山あるはずなのに、ずっと……。

「そろそろ、騎士団のお仕事に戻してあげないとって思うんですけどね」

「……」

「カインさん?」

「何でもねぇ。ま、世間知らずのお姫様は手がかかるだろうし、番犬野郎も傍で見てないと心配なんだろうよ。過保護そうだからな」

「カインさん、私が世間知らずで皆さんにご迷惑をおかけしている事は認めますけど、アレクさんの事、番犬野郎とか言うのやめて貰えませんか?」

「別にいいじゃねぇか。お前にくっつきまくってる犬みたいな奴で違いねぇんだし」

「カインさんっ」

 確かにアレクさんは、もふもふの素敵な狼さんに変身できますけど、いつもは人の姿をしているのだし、そんな風に呼ぶのはどこからどう見ても失礼な事だ。
 少しだけ声を大きめに出して怒ってみるけれど、カインさんは急に不機嫌な様子になって横を向いてしまう。
 
「ちゃんと名前で呼んであげてください。お願いしますから」

「断る。アイツだって、俺に名前で呼ばれても嬉しくないだろうよ。それに……、気に入らねぇしな」

「真面目で礼儀正しいアレクさんのどこが気に入らないんですかっ」

「お前にはわかんねぇよ。……なんか疲れた。おい、ルイヴェル。喉が渇いたから、茶でも淹れてくれよ」

 開いているカーテンの向こうに声をかけると、椅子に座って書類らしき紙束を見ていたルイヴェルさんが頷き、お茶を淹れに席を立つ。

「ユキ」

「何ですか……」

 ルイヴェルさんが部屋から消えると、カインさんは暫く私からは視線を外したまま、自分の手元にある本を見つめ、……溜息を吐いた。

「悪ぃ……。番犬野郎の事は、お前には話せねぇけど……俺の中で色々あるんだよ。だから、呼び方も、接し方も……変える気はない」

「カインさん……」

「それに、元々相性も悪ぃみてぇだしな。お前が気にする事はねぇよ」

「もう……、仕方ありませんね」

 本人が変える気がないと言っているものを、無理に変えさせる事も出来ない。
 私は同じく溜息を返し、カインさんの左手にぬくもりを重ねた。
 カインさんの解呪に使う私の血もだけど、私自身が彼の手を握る事によって、カインさんの中で蠢いている禁呪の影響を緩和させる事も出来ると聞いている。
 こうやってぬくもりを共有する事で、カインさんの助けになれるのならと、私はその手をぎゅっと握りしめた。カインさんの手のひらは……、王宮医師のお二人が術で影響を緩和させているとはいっても、体温は低く冷たい……。

「そういや、……俺の解呪、お前にも世話になる可能性があるらしいな」

「え? あぁ、はい」

「こうやって手を握ってくれんのも、その為か?」

「そうですね……。もし解呪に私が必要となった場合は、血が必要になるらしいんですけど、こうやって手を握る事でも効果があるというので、力になれればと」

「……ふぅん」

 カインさんは握っている私の手ごと持ち上げ、ゆっくりと自分の口許にそれを運ぶと、何を思ったのか、私の手の甲に唇を寄せ、そっと……その温もりを触れ合せた。

「なっ!! なななななっ、な、なに、やってるんですか~!!」

「あったかいな……、お前の温もりは」

「え? か、カインさん……?」

「死にかけの俺には、勿体ないぐらい……落ち着く温かさだ」

 さっきまでとは違う、カインさんの……、少し低い声音。
 どこか寂しそうな気配を感じた私は、戸惑いながら声をかける。

「どうしたんですか? もしかして、また具合が悪くなったとか」

「……違う。……けど、お前が傍にいてくれるなら、……そうなった方がいいかもな」

「何言ってるんですか、きゃあっ」

 どこにそんな力が戻っていたのか、カインさんは私の手を引っ張ると、自分の胸へと私を引き寄せ、縋るように背中を掻き抱いてきた。
 
「カインさんっ、く、苦しいっ」

「何もしない。だから……大人しくしてろ。お前の温もりを……傍に感じていたい……だけ、だから」

「……」

 首筋に顔を埋め、切ない響きと共にカインさんの右手が私の背中を強く抱き締めてくる。
 確かに、身の危険は感じないけれど、トクトクと……生きている鼓動を奏でるカインさんの心臓の音が私の身体に伝わりながら、彼の身体が小さく震えている事を察した。
 
「やっぱ……、お前がいると、安心する」

「カインさん……」

「今から言う事は、……俺の独り言だ。聞いたらすぐに忘れろ」

 小声で呟いたカインさんに、私は何も言えず抱き締められながら続きを耳にする。

「正直言って……、俺みたいな奴は、いつ死んでもおかしくねぇって思って生きてきた。生まれた時から、ずっと存在を疎まれて、死ねばいいって、そう……思われて育って来たからな。最初に生まれてれば、それもなかったのかもしれねぇが、最後に生まれちまったし、自分の境遇を変える事なんか、とっくに諦めきって……」

「……」

「命を狙われて刺客を差し向けられる事もあったし、殺されるって危機感を抱いた事なんて山ほどある……。時には、このまま死んでもいいかもなって思う時もあったが、それでも……」

「カインさん……」

「やっぱ……本当の意味で『死』と直面したら、怖ぇんだよな。土壇場で力が出て、自分を殺す存在を全部薙ぎ払って、逆に『死』を与えてる自分がいた」

 自分の命を守る為に、この人は誰かの命を奪った事がある……。
 そんな怖い話を知ったというのに、私はカインさんを恐れる気持ちが湧かなかった。
 人が死ぬという事には恐れがあるけれど、それでも……この人が生きていてくれて良かったと思える自分がいるから……。
 カインさんがイリューヴェル皇国で、肩身の狭い思いをしている事は、ルディーさんから聞いて知っていた。それが……、まさか、刺客を向けられるほどだったなんて。

「もしかして、あの時の怪我も……」

「あれより酷い怪我も結構あったけどな……。まぁ、そういうわけで、俺は結局、本音では生き延びたいと足掻いてる臆病者だ。自分が消える事、俺を目障りだと思う奴らの思い通りになりたくもないという意地……。だからこそ、この遊学を終えたら、俺はどこか遠くに逃げようと思っていた。イリューヴェル皇国と縁を切って、ただのカインとして、やり直したかったんだ……」

 背中を抱く力が強まり、カインさんの低い体温を感じながら、黙って続きを待つ。

「それが……このザマだ。どこの誰かは知らねぇが、俺なんか殺したって仕方ねぇのにな? 自分の命まで捧げて……、馬鹿な真似しやがって……。下手したら……、俺は本当にあの世行きだ……」

「そ、そんな事ありませんっ。セレスフィーナさん達なら、きっと貴方を救う術を完成させてくれますっ」

「万が一って事も……ある、だろ?あいつらが術を完成させる前に状況が悪化すれば……俺は確実に死ぬ」

「だから、そんな心配はっ」

「いいから、ちょっと黙って聞いてろ」

 どうして、そんな悲観的な事ばかり口にし出したのかわからず、否定しようと声を上げるけれど、カインさんは苦笑を漏らし、私の背中を宥めるように軽く叩いてくる。

「俺だって死にたくなんかねぇが、禁呪なんて大それたモンにかかっちまったからな……。やっぱ、それなりの覚悟はしてるし……、出来れば生き延びたいって願いもある。死んじまったら……、お前にも、会えなくなるしな」

 瞬間、私の耳元に寄ってきたカインさんの呟きが、切なく悲しい響きを纏い、心の奥底まで届いた。何だろう。カインさんの身体は体温も低く、私の身体にもそれが伝わってきていたはずなのに、今ので……、自分の身体が熱を持ってしまったような心地がする。

「からかうと面白ぇし、滞在期間が終わるまでは、遊び倒してやる気満々だったからなぁ。それが出来なくなると思うと、すげぇつまんねぇだろ?」

「なっ!! 人の事なんだと思ってるんですか~!! 私はカインさんの玩具じゃないんですよ!!」

「ま、玩具みてぇなもんだな。飽きる気がしねぇし、……ずっと遊んでいたくなる」

「うぅっ、もうっ、放してください!! そうやって人の事をからかうつもりなら、大人しくなんてしませんからね!!」

 普通だったら大人の男性の拘束に敵うわけもないけれど、今のカインさんは病人同然。
 私は大声を上げて抗議するのと同時に、カインさんの胸を突き飛ばそうとし……ようとして、さらに深く抱き込まれてしまった。
 
「何でこんなに力があるんですか~!!」

「今日は調子が良いからな。王宮医師の二人には感謝感謝だな」

 禁呪に苛まれて苦しんでいるよりはマシだけれど、これはちょっと元気すぎというかっ。
 私の動きを封じて嬉しそうに笑うカインさんのせいで、本当に抜け出せない。
 
「なぁ、ユキ……」

「な、何ですかっ」

「前にした話、覚えてるか?」

「え?」

 前にした話? どれの事を言っているのだろうかと、動きを止め、首を傾げる。
 何の事ですかと問いをかけようとすると、背後で部屋の扉が開く音が聞こえ、カインさんの拘束が緩まった。その隙をついて、後ろに引いた私は、扉の所でティーカップを載せたトレイを持って佇むルイヴェルさんを発見。
 私を抱き締めていたカインさんの様子を見たはずなのに、何も言わずこちらへと歩いてくる。

「ユキ姫様、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 何も言われなくてほっとしたような……、居心地が悪いような。
 カインさんもカップを受け取り、涼しい顔をして中身を口に含んでいる。
 蜂蜜に似た味わいがするけれど、飲みやすく後味はスッキリしているから、とても飲みやすい。

「ルイヴェルさんって、お茶を淹れるのお上手なんですね。とても美味しいです」

「いえ、自分で淹れる機会も多いので、慣れているだけです。それよりも、ユキ姫様……」

「はい」

「特定の相手と密やかな時間を過ごされるのでしたら、場所は選ばれた方がよろしいかと」

「んぐっ!! げほっ、げほっ、い、いきなり、……な、何を言っているんですか!!」

 淡々と、さっきの出来事に関する苦言を向けられ、私は口に含んでいたお茶を噴き出しそうになってしまった。カインさんの方は全然動じてないけれど、私の頭は大パニックだ。

「か、カインさんとはそういう関係じゃありません!! へ、変な事言わないでください!!」

 私にはまだ、恋人どころか、好きな人や初恋だってまだなのに、何を言い出しているの!!
 
「だそうだぞ? 前途多難だな、カイン」

「……うるせぇ」

 しかも、私には全く意味がわからない事を言いながら、二人は視線を合わせて、また私を見遣ってくる。何でカインさんは、私を呆れたような目で見ているの!?
 何でルイヴェルさんは、溜息を吐いてカインさんの肩を慰めるように叩いているの!?

「一体何なんですか……、もうっ」

「ユキ姫様、今度男女の機微について書かれた本をお持ちしましょうか」

「結構です!!」

 私は、椅子から勢いよく立ち上がり、カインさんとルイヴェルさんに背を向けると、セレスフィーナさんがいる方の部屋へと足音も荒く早足で進んだ。
 けれど、扉を開けようとした瞬間、カインさんから声がかかり、私は仕方なく後ろを振り返る。

「また来いよ。俺の玩具ちゃん?」

「――っ!!」

 片目を瞑り、ウインクと意地悪な言葉を寄越したカインさんに憤慨した私は、フン!! と、前を向いて、今度こそ扉を開けて、向こうの部屋へと移った。
 乱暴に閉めた扉の向こうから、カインさんが爆笑している声がするけれど、無視!!
 
「あの……、ユキ姫様、どうかなされましたか?」

 肩を怒らせていると、机に向かっていたセレスフィーナさんが困惑げに声をかけてくれた。
 それに気付いた私は、目に悔し涙を浮かべて、椅子に座っている彼女の膝に泣き付いてしまう。

「セレスフィーナさ~ん!! カインさんとルイヴェルさんを見返す方法を教えてください~!!」

「え? え?」

 勿論、セレスフィーナさんは何を言われているのかわからず、きょとんとしながらも、私があの二人に、意地悪な事をされたのであろう事だけは察してくれて、頭を優しく撫でてくれた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ルイヴェルさんとカインさんの意地悪な言動を受けてから数時間後、私はメイドのリィーナさんから食事の準備が出来た事を知らされ、広間へと足を運んでいた。
 私以外もう皆席に着いていて、美味しそうな匂いが鼻を擽ってくる。

「ユキちゃん、早くおいで~。今日は採血で頑張ったユキちゃんの為に、血をいっぱい作る要素のあるお肉満載の料理にして貰ったからね~」

「今晩は。レイフィード叔父さん。……あの、これ……全部、ですか?」

 自分の席に向かうと、何故か私の分だけ、大きなお皿に盛り沢山のお肉仕様の料理が鎮座しており、そのあまりの量に一瞬足を引かせた私は、それを見つめながらなんとか席へと着いた。
 
「お、……多い」

「ふふ、ユキの為にって、レイちゃんが料理長さんに頼んでくれたのよ~。秘伝のタレたっぷりに付けて焼いたそうだから、とっても美味しそうよ。良かったわね~」

「はは……う、うん」

 食べ切れる量……には見えないけれど、せっかくのレイフィード叔父さんからの気遣いだと、自分を納得させた私は、食事開始の合図と共に、意を決してお肉をパクリと口の中に放り込んだ。

「お、美味しい!!」

 口の中に広がる、蕩けるようなお肉の舌触りと、秘伝のタレが食欲の倍増を誘ってくる。
 流石料理長さんの手作り料理!! 食べる人の心をグッと鷲掴むのはお手の物ですね!!

「ユキ、今日は採血に行ったと聞いたけれど、大丈夫だったかい?」

 食事を進めていたお父さんがフォークとナイフを置き、私へと顔を向けてくる。
 私が血を提供する事は、レイフィード叔父さんを始めとした関係者の皆は全員知っているのだけど、お父さんとしては娘の私を心配してくれているらしく、その瞳には案じる気配が強く浮かんでいた。

「うん。セレスフィーナさんが何事もなく終わらせてくれたから。カインさんも今日は元気な様子だったし、何の心配もないよ」

「そうか……。なら良いんだが」

「ユーディスったら、採血に自分も付き合うって言って、止めるのが大変だったのよね~」

「な、夏葉。バラさなくてもいいだろう」

 私とお父さんの間に挟まれていたお母さんが、ワインの入ったグラスを傾けながら、楽しそうに微笑む。その隣では、知られた事を恥ずかしがっているらしいお父さんが頬を掻いている。

「娘の事を大切に想う貴方は素敵だと思うわよ? だけど、もう少し過保護な部分を改めるべきね。でないと、いつか幸希をお嫁に出す時に、悪化していそうだもの」

「お、お嫁……っ」

 その言葉に、お父さんがピキリと固まり、席を立ち上がると、私の許へと歩み寄り、物凄く真面目な顔をして、両肩に手を置いて来た。

「幸希……、お父さんに隠れて異性と付き合っているとかは、ないだろうね?」

「……え?」

「ユキちゃん、叔父さんも聞きたいなぁ……。誰かお付き合いしている人はいるのかい?」

 何を言っているのだろうかと首を傾げていると、何故か、いつの間にか席を離れていたレイフィード叔父さんが私の背後に立っており、お父さんの手に重ねるように両手を置き、低めた声で同じ問いを落としてきた。

「お、お父さん、レイフィード叔父さん」

「父上、ユキが困っているでしょう。やめてください」

「そんな事言ったって、レイル君!! せっかくウォルヴァンシアでユキちゃんが暮らせるようになったのに、もしこの国を出て行く事になっちゃったらどうするんだい!! そうなったら……僕は、僕はっ」

「「「ゆきちゃん、どっかいっちゃうのぉ~?」」」

 レイル君に注意を受けても、レイフィード叔父さんは譲らず、「いないよね? ね?」と、何度も確認してくる。
 果ては、三つ子ちゃん達まで私の席へと駆け寄ってきて、心配そうに見上げ始めてしまった。

「はぁ……、娘の事になるとこれなんだから……。ユーディス、いい加減にしてちょうだい。ほら、こっちに戻って」

「痛たたたたたっ、夏葉、耳を引っ張らないでくれっ。わかった、わかったからっ」

 あぁ……、お母さんが笑顔の所業とは思えない怖い気配を宿してお父さんの耳を引っ張り、席へと強制的に戻していく。
 昔から、お父さんはお母さんに勝てないものね……。

「「「ゆきちゃん、どこにもいかないで~」」」

「三つ子ちゃん……。ふふ、大丈夫だよ。私はどこにも行かないし、それに、まだお嫁に行く予定もないし、恋人だっていないもの」

「本当!? ユキちゃん!!」

「ほっ」

「「「ゆきちゃん、ずっといっしょ~!! やった~!!」」」
 
 私が生きて行く場所はこのウォルヴァンシア王国だし、恋人なんて、まだまだ夢のような話。
 そう言って笑うと、レイフィード叔父さんもお父さんも、心底安心したように溜息を吐いていた。
 三つ子ちゃん達も嬉しそうに私の足下で笑っている。
 そう、まだまだ……先の話だもの。そんな心配いらないのに。

「いやぁ、叔父さん取り乱しちゃってごめんね~。ずっと君や兄上達と生活を出来る日を夢見ていたから、ついつい。あ、でも、勿論、いつかユキちゃんを任せるに値する人が現れたら、ちゃんと祝福するからね!!」

「ふふ、はい」

 席へと戻って行くレイフィード叔父さんを笑って見送りながら、自分は本当に恵まれているなと感じていた。常に周りには、温かな人達がいて、いつも私を想ってくれる優しさが在る。
 だけど、……ふと、私の意識は王宮医務室の奥で禁呪と闘っているカインさんの許へと向いた。
 彼は、生まれた時から、その立場のせいで苦しんできた人……。
 
(カインさんの傍に足りなかったのは……、『人の温かさ』なのかな)

 第三皇子という立場で生まれた、一番皇帝としての立場に近い血を持つ皇子様……。
 第一皇子として生まれていれば、きっと彼の周りには、沢山の愛が溢れていたのだろう。
 お兄さん達との差を感じ、コンプレックスや、命を狙われる心配に悩まされる事もなく……。
 違う道を歩む事が出来たのだろうか……。
 本人が聞けば、同情なんかいらないと怒るに違いないだろうけれど、私は、同情とは違う想いを抱いていた。
 カインさんが禁呪にかかり、その命を危険に晒しているというのに、いまだ姿を現さないイリューヴェルの皇帝さん、カインさんの……お父さん。
 その人がもっと早くに、そんな歪な皇宮の在り方を変えて、幼い日のカインさんに愛を注いでいてくれれば、こんな事にはならなかったのではないだろうかと、八つ当たりのような怒りを覚えてしまう。勿論、イリューヴェル皇国においてのカインさんが積み重ねてきた悪評は、彼自身の自業自得。
 だけど……、幼かった頃に、どうにか手を打っておけば、カインさんは……。
 歩み終わった道をどう振り返っても、変わる事など何もないのに。
 自分が優しい温もりに包まれれば包まれるほど……、カインさんの事が頭に思い浮かんで……。

(ううん、昔じゃなくて、今を変えていけばいいんだもの。禁呪が解かれたら、きっとカインさんも……自分の生き方をやり直せるはず)

 あれ……。でも、どうしてカインさんは……、もっと早くにイリューヴェル皇国を出なかったんだろう。そんなに嫌で嫌で堪らない場所で暮らしていたなら、普通の男の子だったら家出くらいすると思うのだけど……。
 他国にだって、行こうと思えば……、行ける、よね?

(まぁ、私が考えてもわからない、か)

「ユキ、大丈夫か?」

「え……」

 カインさんに対する疑問を頭に浮かべていると、目の前の席から私を心配そうに見ていたレイル君と目が合った。
 
「「「ゆきちゃ~ん?」」」

「あ、ごめんなさい。ちょっと、ぼーっとしてたみたい」

「カイン皇子の……、事か?」

「え? ……う、うん」

「カインの事が心配なのはわかるけれど、ずっとそればかりでは疲れちゃうよ? ユキちゃん、もう少し、肩の力を抜きなさい。叔父さん達も付いているんだからね」

 確かに、カインさんの事ばかり考えるのは良くないのかもしれない。
 だけど、もしかしたら、レイフィード叔父さんは何かを知っているかもしれないし、聞いてみる価値があるかも。私はレイフィード叔父さんの方に顔を向けると、思い切って聞いてみる事にした。

「あの、レイフィード叔父さん。カインさんは……、どうして、もっと早くにイリューヴェル皇国を出なかったんでしょうか?自分の境遇に不満があるのなら、皇子としての立場を省みなくなっていたのなら、イリューヴェル皇国を出るという選択肢があったと思うんですけど」

「……そうだね。普通の家の男の子なら、家出のひとつくらいするだろうね。まぁ、カインは、皇宮に帰らないのは日常茶飯事だったみたいだけど、どうしても……、国からは出られなかったようだ」

「どうして……」

「その辺りは色々事情があるんだけどね……。大人になって暫くしてからは、やっぱり国を出ようと行動した事もあったみたいだよ。だけど、それはイリューヴェル皇帝が施した術によって阻まれ、イリューヴェル国内からは、自由になれない仕様になっていた……」

「イリューヴェル皇帝さんが……」

「だけど、今回のウォルヴァンシア遊学の件によって、その術は解かれ、一時的にカインは自由になれた……。勿論、国に戻ればまた術をかけられた思うけど、あの子はどこかに行く気だったみたいだね。二度とイリューヴェルの踏まない覚悟で、自由を求めていた」

「だから、……今までは国から出られなかったんですね」

 やっぱり、そういう事情があったんだ……。
 もしかして、そのせいで、自由になれない自分を持て余して、悪評を積み重ねていたんじゃ……。
 イリューヴェル皇帝さんが呆れ果てて、もうこんな息子はいらないと、自由にしてくれる事を期待していたとしたら、その悪評の根本となるものが見えてくるのかもしれない。

「カインさんは、ウォルヴァンシアでの滞在期間が終わったら、どこか遠くに行くみたいな事を行っていました……」

「せっかくイリューヴェルから出られたんだ。そう考えてしまうのも仕方がないね……。だけど、僕としてはまだ……、希望を捨てたくはないと思っているよ」

 ワインを含み、コクっと喉を鳴らしたレイフィード叔父さんは、グラスを横に置いた。
 その目に、優しい気配を湛えて、私を見つめてくる。

「父親の方が、まだ足掻きまくっているから……。僕としては、禁呪を解呪するのも含め、もう少しカインをウォルヴァンシアに足止めしておきたいんだよ」

「でも、イリューヴェル皇帝さんはまだ、カインさんが苦しんでいても、ウォルヴァンシアを訪ねて来てくれていません。どうして……」

「彼もなかなか多忙な身だからね……。だけど、必死になってこっちに来ようと頑張っているみたいだから、失望するのは、もう少し待ってあげてくれるかな?」

「レイフィード叔父さん……、はい。ごめんなさい」

 イリューヴェル皇帝さんの事情も知らず、勝手な事を言ってしまったと反省した私は、膝の上で両手を揃え、申し訳ない気持ちを込めて顔を俯けた。
 
「あぁ、ユキちゃん。気にする事なんかないんだよ~。イリューヴェルが物凄ぉ~く不器用で、子育てに失敗しているのは本当の事なんだから。 この甲斐性なし!! って、言いたい気はよぉ~くわかるよ、うんうん」

「えっ、いえ、そこまでは思ってませんけど」

「「「とうさま~、かいしょうなしってなに~?」」」

「イリューヴェル皇帝みたいな男の事を言うんだよ~。君達も大きくなって結婚したら、家族を心から大事にするんだよ~。うっかり手を抜くと、取り返しのつかない大騒動や反抗に遭っちゃうからね~」

「れ、レイフィード叔父さん……」

 言っている事は一理あるとは思うのだけど、三つ子ちゃん達にそれを言ってもまだ難しいんじゃないかなぁ。そう心配したけれど、三つ子ちゃん達は顔を見合わせた後、「「「はぁ~い!!」」」と元気よく返事をし、自分達の席へと戻って行った。

「まぁ、どこのご家庭にも、少なからず問題ってものはあるし、イリューヴェル皇家の場合も、頑張れば何とかなるものだと僕は思っているよ。その為に……、イリューヴェルも出来る事をやっている最中だからね」

「……はい。私も、カインさんとイリューヴェル皇帝さんが分かり合えるように、心の中で祈っておきます。きっと……、家族としてやり直せる、って」

「うん。有難う、ユキちゃん。よし、じゃあ、そろそろユキちゃんの為に手配したデザートを持って来て貰おうかな!!」

「え?」

 レイフィード叔父さんが右手を上げ、メイドさん達に声をかけると扉が開き、ワゴンに乗せられ、蓋をされた物が幾つも運び込まれてきた。

「血の提供を行ってくれているユキちゃんには、沢山お礼をしないとね!! 生クリームたっぷりのケーキがいい? それともアイス系が良いかな~!! 色々用意したから、好きな物をお腹いっぱい食べていいんだよ~!!」

「……」

 レイフィード叔父さんが物凄くハイテンションなのは良い事なのだけど、すみません……、今目の前にあるお肉の山だけでも食べ切れるのかわからないのに……ちょっと、これはっ。
 丁重にお断りしたい気持ちを抱きつつも、結局……、自室に戻る頃の私は、体重増加を気にしつつも、出来るところまでその美味しいお料理やデザートの味を堪能し、朦朧とする意識と共に、ふかふかのベッドへと、倒れたのであった。
 ……料理長、さん。美味しいお料理とデザート、御馳走……様、でした。ぐふっ。
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