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第一章~狼王族の国・ウォルヴァンシアへの移住~
異世界の王宮内を散策しました!
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レイフィード叔父さんが用意してくれた、勿体ないくらいに素敵なお部屋。
最初は戸惑いもしたけれど、これからの生活をここで始めるのだと思うと自然と心が弾んだ。
非現実的な目の前の現実と、さよならを告げた日常への未練を、別の感情にすり替える事で、自分自身を守ろうとしているかのように……。
どれだけ嫌だと拒んでも、私の生きる現実は変わってしまった。 変わって、ゆく。
だから、私自身も変わっていかないといけない。新しい世界に、自分から飛び込んで行く勇気を。
「幸希、お父さん達はこれから、叔父さんと話があるから、暫く部屋で休んでいなさい」
後から追いかけて来てくれたお父さんとお母さん、そしてレイフィード叔父さんと与えられた新しい自室でお茶をしていたら、お父さんが席を立ってそう言った。
「でも……」
「大丈夫だよ。ここはお父さんの実家だ。ちゃんと王宮の者には話が通っているから安心しなさい。それに、王宮を散策したくなったら、この部屋の外に出てもいい。道に迷ったり困った事があったら、メイドや騎士達に聞いてごらん」
一人この部屋に取り残される事に不安を感じた私に、お父さんが優しい笑みを浮かべ頭を撫でて、そう言ってくれた。
それだけで、少し不安が薄らいだ気がして、私は小さく頷いた。
そうだよね、もう大人なんだから子供みたいに不安がっていたら駄目だよね。
自分で判断する頭も、誰かに何かを尋ねる声も、行動できる手足もあるんだもの。
ここはひとつ、異世界の王宮を散策でもして気分転換を図ってみよう。
「ユキちゃん、またすぐに会いにくるからね!! 夜は一緒に、広間で美味しいご飯を食べようね~!」
「ふふっ、はい。ありがとうございます。レイフィード叔父さん。夕食、楽しみにしていますね」
部屋から出る際、今度は優しく包み込むようにレイフィード叔父さんが抱き締めてくれた。
そして、お父さんと同じように私の頭をひと撫ですると、お父さん達と共に行ってしまう。
……三人が出て行ってしまった事で、部屋の中が急に静まり返ったように感じる。
きょろきょろと室内を見回した私は、ひとつ溜息を吐いて下を向いた。
なんだか……、胸が……痛い。それは、一人にされてしまった寂しさからくる不安からか……。
私は一人ぼっちの迷子にでもなったかのような錯覚を覚えてしまった。
「お部屋が……、広すぎるから、かな」
このままここに一人でいるとますます心細くなりそうで、私は席を立ち、お父さん達が持って来てくれた自分の荷物の中から、大きめの布で出来た手提げ袋を手にとった。
この中には色々入れてあるから、重みがあって何となく落ち着く。
「まるで冒険にでも出る旅人みたい」
手ぶらで出れば良いのに……、何かに縋っていたいような気がして、私は手提げ袋をお守りのように抱き締めて、部屋を出た。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
何がどこにあるのか、ここが王宮のどの部分にあたるのかもわからない。
となると、まずは誰か人を探してみる事から始めた方が効率的かな。
お父さんが、王宮にはメイドさんや騎士さんがいるって言っていたから、きっと探せば見つかるだろう。
(でも、メイドって普通は貴族のお屋敷に仕えている人達の立場だったような……)
まぁ、気にしても意味はない。なにせ、ここは異世界。
私が向こうの世界で学んだ常識や知識がどこまで通用するかもわからない、全く別の世界だ。
ここはひとつ、頭を空にして、ゼロから始める気持ちで散策してみよう。
今度はゆっくりと一人で散策出来るお陰で、王宮の中をゆっくりと観察しながら歩く事が出来る。
広々とした王宮の廊下には、真っ赤な絨毯が中央に伸びて敷かれており、壁の方には、目を和ませる花を飾ってある花瓶や、芸術的な雰囲気を醸し出す美術品などが並んでいる。
本当に、写真やテレビで見るような西洋の王様が住むような内装だ。
「……夢みたい」
でも、これは現実。日本とは全く違う建築物や、感じられる異なった気配も……、全部。
上を見上げれば、すごく高い位置に天井があった。
「こんなに広いと、本当に迷子になっちゃいそう……」
……なんて、流石に叔父の家で遭難はしないだろう。
万が一、私がこの荘厳なる王宮内で迷子になったとしても、必ず助けが来るはずだ。
でも、そろそろ誰かに遭遇しても良いはずなのに、まだメイドさんの姿も、その他の人達の姿も、私の視界には入って来ない。
見知らぬ場所での一人ぼっちは正直寂しい。ふぅ、……と、思わずその場に座り込んでしまいそうな気になっていると、明るい声が一条の光のように響いた。
「もしかして、ユキ姫様ではありませんか!?」
「え?」
「あぁ、やっぱり!! 先ほど陛下とご一緒におられましたよね? 今日ご帰還なされると伺っておりましたので、お会いできて光栄です!!」
人懐っこい明るい笑みの似合う、両サイド三つ編みヘアのメイドさん。
日本で言えば、中学生くらいの幼さが見える、可愛い顔立ちをした女の子。
「ユキ姫様、初めまして!! この王宮でメイドをしております、リィーナと申します。どうぞよろしくお願いいたしますね!!」
「は、はいっ。えっと、幸希といいます。こちらこそよろしくお願いします」
なんてフレンドリーな女の子だろう。
そこに嫌味な感じも押し付けるような印象も与えない清々しさがある。
こちらを丸ごと包み込むような柔らかさがあるというか、初対面なのに前から知っているかのような錯覚を覚える相手。
ようやく出会えた王宮の住人の姿に安堵し、私は不安を抱えていた表情を和ませる。
「あの……、ところで、『姫』っていうのは……」
この王宮に到着した時に、王宮医師と名乗ったお二人にもそう呼ばれたような気がする。
まさか、また……。背中に気まずい汗がひと滴流れたような心地になった私に、リィーナさんは当然のように喜びながらこう言った。
「ユキ姫様は、ユキ姫様ですよ!! 国王陛下のお兄様であられる御方、ユーディス殿下の大切なお嬢様。私達にとっても、敬うべき愛すべきお姫様ですもの!!」
「……う、敬うべき存在? 愛すべき、お姫様?」
どうしよう……。一般庶民だった私が、またここでも、お姫様扱い確定らしい。
恐れ多すぎるというか、今すぐにこの場から逃げ出したい心境になってしまうのは仕方がないと思う。国王陛下の姪御、王兄殿下の娘……、世界を飛び越えた先で変わる、庶民からの王族メタモルフォーゼ。あぁ、やっぱり現実逃避したい。これ、絶対夢だと思うものっ。
一瞬意識が飛びかけた私だったけれど、時々こちらの世界に里帰りをしていたという私のお父さんの話をしてくれた彼女の声音には、立場だけじゃない、お父さん自身の人柄への敬愛が見えて、娘としては嬉しくなってしまうのも事実で。
(お父さん、故郷の人達に慕われているんだなぁ。リィーナさん、すっごく嬉しそうに話してくれてる)
「父の事を褒めて下さって、本当にありがとうございます。でも、私自身はただ娘というだけなので、気楽に接してくださいね。出来れば、敬称とかはつけずに」
と、さりげなくお友達関係的な接し方をお願いしてみたら、何故か瞳をうるうると悲しげに揺らされてしまった。
「いけませんっ!! ユキ姫様は、ユキ姫様なんですから!! 昔からこの王宮に仕えておられるメイド長様にも言われているんです!! 幼かったユキ姫様が、ようやくこのウォルヴァンシアに戻って来られる。だから、誠心誠意、今度こそ、異世界に奪われる事のないようにお仕えせよ、と!!」
背後から荒ぶる炎でも燃え盛ってくるような熱意の籠った眼差しに変わったリィーナさんが、両手を握り締めて力説した。
……この異世界での、幼い頃に経験した記憶。それを覚えていない私にはよくわからないけれど、どうやら幼い頃からとても大切にされていたらしい。
ただ、リィーナさんはメイドになってまだ数年、といった所なので、彼女の中に根付いている私への熱意は、メイド長さんが原因らしい事だけはわかった。
「なので!!」
「は、はいっ!?」
「これからも、敬愛と忠誠を込めて、ユキ姫様と、呼ばせて頂きますね」
ニッコリ。美少女の愛らしさ全開で微笑まれ、私の敗北が決定した。
はぁ……、この分だと、王宮中の誰にお願いしても、お姫様扱いは消えないのかもしれない。
「ところで、ユキ姫様はこれからどちらに? 先ほどお見かけしたところ、目的地があるようには見えなかったのですが」
「あ、はい。ちょっと、王宮の散策してみようかなって思ったんですが、今日着いたばかりで、詳しくなくて……。それで、色々教えてもらおうと思って、人を探していたんです」
「まあ!! では、丁度良かったですね!! ユキ姫様、これを!!」
「え?」
ポン! と手のひらに握り拳を打ったリィーナさんが、目を輝かせてメイド服の純白エプロンの内側から何かを取り出した。
「え~と、え~と……、これじゃない、あ、これでもない」
「……あの、リィーナさん。そのエプロン、どういう作りになってるんですか?」
「え? 普通ですよ」
きょとんとした彼女がエプロンの内側をまたゴソゴソと漁り、真っ赤な絨毯の上に……、メモ帳やら万年筆らしき物や、……き、筋力トレーニングに使いそうな重たい物が落ちていく。
普通のエプロンって、何だったかな……。また、意識が飛びそうになる私。
けれど、リィーナさんにとっては何の不思議もないそのエプロンから、ようやく目的の物が出て来たらしい。
「これです!!」
すっと、私に差し出されてきたのは、観光名所などで配られるパンフレットに似た存在。
表面には文字らしきものが書かれていたけれど、どうやら言葉は通じても、やっぱり文字の類になると世界観の違いが出てくるらしい。
勧められるままそれを開いてみると、何か建物のような絵や文字が、マップのように描かれていた。
「これって……」
「はい! 王宮内の部屋や場所の案内図です!!」
手作り感漂う王宮パンフレット。これは、リィーナさんが一生懸命作ってくれた物らしい。
ウォルヴァンシアに戻ってくる私が王宮内で迷子にならないように、自分に出来る事をしてあげたいから、と。
(リィーナさん、なんて良い人なの!! 是非お友達に!!)
今は無理かもしれないけれど、時間をかければいつか、女性同士の楽しい日々が待っているかもしれない。
(でも、ごめんなさい!! 文字が全然読めません!!)
瞳を感動と罪悪感で潤ませながらそう打ち明けようとしたその時。
ふと、パンフレットの文字の上に指が触れたのがきっかけか、頭の中に日本語が流れ込んできた。
音、じゃなくて、脳がこの異世界の文字を瞬時に理解したような……、そんな感覚。
「ふふ、ユキ姫様は異世界でのご生活が長いとお聞きしましたので、私の書いた文字を理解出来るように、術をかけて頂いたのです」
「術を?」
「はい!! 王宮医師のお二人に作成を助けて頂きました!! 最初はセレスフィーナ様に手伝って貰っていたんですけど、途中からルイヴェル様も何だか内心乗り気なご様子でマップの作成に加わって下さったんです!!」
王宮医師……。確か、レイフィード叔父さんの後に現れた、美麗姉弟の人達、かな?
名前が同じだから、多分同一人物のはず。
「そうだったんですか。あのお二人が……。じゃあ、今度お会いした時にお礼を伝えなきゃ、ですね」
「はい!! きっと喜ばれます!! 王宮の者達もですけど、王宮医師のお二人は特に、ユキ姫様の御帰還を楽しみにしておられましたから!!」
私が覚えていない記憶。その思い出の中で、あのお二人にとって私はどんな存在だったのか、私にとって、あのお二人は、どんな人達だったのか……。
自分だけ知らない、覚えていないというのは、なんだか申し訳なくもあり、寂しくもあり。
パンフレットの中に描かれてある絵や文字、触れた先から伝わってくる情報と、ほのかに温かい感覚。リィーナさんだけじゃなく、これにはお二人の気持ちも詰まっているのだろう。
パンフレットをそっと胸に抱き締め、もう一度、私は「ありがとうございます」と感謝の気持ちをリィーナさんと、王宮医師のお二人に向ける。
「喜んで頂けて、本当に良かったです。それと、目的の場所を定めておられないのなら、パンフレットに載せた、え~と、すみません、お借りしますね」
共同作成のパンフレットをリィーナさんに渡すと、その中にひとつに彼女は指を差した。
「これです。『エトワールの鈴園』という正式名称があるんですけど、王宮の者達は休息を兼ねて立ち寄る事が多いので、憩いの庭園と呼んでいます。ここなんかどうでしょうか?」
「憩いの庭園……、ですか」
『憩いの庭園』と呼ばれる場所は、綺麗な季節の花々が咲いているらしく、休息に適した建物もあるらしい。
楽しそうに説明をしてくれるリィーナさんを見ていると、頭の中にイメージが広がり、うずうずと好奇心が騒ぎ出す。
「これ以外にも、まだまだ素敵な場所は盛り沢山なんですが、やはりご帰還初日ですから、ユキ姫様がゆっくりできる場所がいいと思うんです!!」
「ありがとうございます、リィーナさん。私、そこに行ってみますね」
「はい!! どうかウォルヴァンシア王宮を楽しまれてください。またお声をおかけくだされば、他のお勧めポイントもお教えいたしますので!!」
「はい、楽しみにしてますね。本当にありがとうございました、リィーナさん」
手を振りながら見送ってくれる彼女に背を向け、私はお勧めポイント第一弾、『エトワールの鈴園』こと、通称『憩いの庭園』へと進み始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
目的地である『憩いの庭園』へと辿り着くと、私は思わず大きく目を瞠ってしまった。
視界に映るのは、風に戯れる色とりどりの美しい花々。
柔らかな風を感じる度に、どこからか心地よい鈴のような音が微かに響き渡ってくる。
見ているだけでも癒されるその風景に、私は惹き込まれるように足を踏み入れてゆく。
庭園の中をゆっくりと進むと、その先に階段のようなものが現れ、人が休憩出来るであろう建物へと続いていた。
透明な美しいクリスタルのような壁に囲まれてはいるけれど、中には誰もいないようだ。
リィーナさんが言っていた休憩場所とは、あれの事なのだろう。
「入ってみよう、かな……」
階段を上り中に入ってみると、十人ぐらい入っても余裕のありそうな空間が広がっていた。
休憩所の中をぐるりと一周するように、入り口に向かって三日月の口が開いているような形に設えられてある、真っ白なソファー。
ソファーの表面には、お父さんが発動させた魔術の陣に描かれていたのと同じような紋様が描かれているようだ。
私はそっとそこに腰かけてみた。ふわりと包み込むような柔らかな質感……。
もしここで横になってお昼寝をする許可が出たら、きっと寝心地最高で安眠出来るかもしれない。
「ふあぁぁ、……本当に眠くなりそう」
異世界にお引越しをしてから、まだ二時間程度。
けれど、全く別の世界の景色や住人達との出会いにより、私の緊張感は無意識に強まっていたのかもしれない。
思わず瞼を閉じそうになってしまった私は、名残り惜し気に休憩所を出た。
「――あれ?」
階段を下りた後、辺りを見回した私は、そこでふと……、妙なものを見つけた。
――茂みの蔭から、……銀色のふさふさした毛のようなものが。
一体あれは何だろう? 恐る恐る、気になるそれへと向かって忍び足で近づいてゆく。
(これ……、動物の毛か、何か、かな?)
じっくりと観察していると、ふさふさ尻尾が上下にパタパタと揺れ始めた。
(……何だか、犬の尻尾みたい)
ご機嫌な様子で可愛らしく揺れるそれをじっくりと眺める私。
多分これは、尻尾の類だと思う。だとしたら……、この茂みの向こうには。
(も、もふもふが……、いる?)
昔から動物の類が大好きだった私には、堪らない誘惑だった。
まるで猫じゃらしを振られた猫のように、揺れる銀毛の尻尾? に、手を伸ばす。
(……って、いきなり尻尾を触られたら、驚かせてしまう気も)
大体、この茂みの向こうにいる動物が、小さいのか、大型なのかわからない。
とりあえず、危険がないか、姿を確認する事から始めてみよう。
そぉ~と……、茂みの奥を覗く為に葉を一部分だけ掻き分けてみると。
若草色の芝生の上で心地良さそうに大きな体躯を丸めていた1頭のもふもふ。
それは、――大きな銀色の毛並みを纏った……、雄々しい狼だった。
最初は戸惑いもしたけれど、これからの生活をここで始めるのだと思うと自然と心が弾んだ。
非現実的な目の前の現実と、さよならを告げた日常への未練を、別の感情にすり替える事で、自分自身を守ろうとしているかのように……。
どれだけ嫌だと拒んでも、私の生きる現実は変わってしまった。 変わって、ゆく。
だから、私自身も変わっていかないといけない。新しい世界に、自分から飛び込んで行く勇気を。
「幸希、お父さん達はこれから、叔父さんと話があるから、暫く部屋で休んでいなさい」
後から追いかけて来てくれたお父さんとお母さん、そしてレイフィード叔父さんと与えられた新しい自室でお茶をしていたら、お父さんが席を立ってそう言った。
「でも……」
「大丈夫だよ。ここはお父さんの実家だ。ちゃんと王宮の者には話が通っているから安心しなさい。それに、王宮を散策したくなったら、この部屋の外に出てもいい。道に迷ったり困った事があったら、メイドや騎士達に聞いてごらん」
一人この部屋に取り残される事に不安を感じた私に、お父さんが優しい笑みを浮かべ頭を撫でて、そう言ってくれた。
それだけで、少し不安が薄らいだ気がして、私は小さく頷いた。
そうだよね、もう大人なんだから子供みたいに不安がっていたら駄目だよね。
自分で判断する頭も、誰かに何かを尋ねる声も、行動できる手足もあるんだもの。
ここはひとつ、異世界の王宮を散策でもして気分転換を図ってみよう。
「ユキちゃん、またすぐに会いにくるからね!! 夜は一緒に、広間で美味しいご飯を食べようね~!」
「ふふっ、はい。ありがとうございます。レイフィード叔父さん。夕食、楽しみにしていますね」
部屋から出る際、今度は優しく包み込むようにレイフィード叔父さんが抱き締めてくれた。
そして、お父さんと同じように私の頭をひと撫ですると、お父さん達と共に行ってしまう。
……三人が出て行ってしまった事で、部屋の中が急に静まり返ったように感じる。
きょろきょろと室内を見回した私は、ひとつ溜息を吐いて下を向いた。
なんだか……、胸が……痛い。それは、一人にされてしまった寂しさからくる不安からか……。
私は一人ぼっちの迷子にでもなったかのような錯覚を覚えてしまった。
「お部屋が……、広すぎるから、かな」
このままここに一人でいるとますます心細くなりそうで、私は席を立ち、お父さん達が持って来てくれた自分の荷物の中から、大きめの布で出来た手提げ袋を手にとった。
この中には色々入れてあるから、重みがあって何となく落ち着く。
「まるで冒険にでも出る旅人みたい」
手ぶらで出れば良いのに……、何かに縋っていたいような気がして、私は手提げ袋をお守りのように抱き締めて、部屋を出た。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
何がどこにあるのか、ここが王宮のどの部分にあたるのかもわからない。
となると、まずは誰か人を探してみる事から始めた方が効率的かな。
お父さんが、王宮にはメイドさんや騎士さんがいるって言っていたから、きっと探せば見つかるだろう。
(でも、メイドって普通は貴族のお屋敷に仕えている人達の立場だったような……)
まぁ、気にしても意味はない。なにせ、ここは異世界。
私が向こうの世界で学んだ常識や知識がどこまで通用するかもわからない、全く別の世界だ。
ここはひとつ、頭を空にして、ゼロから始める気持ちで散策してみよう。
今度はゆっくりと一人で散策出来るお陰で、王宮の中をゆっくりと観察しながら歩く事が出来る。
広々とした王宮の廊下には、真っ赤な絨毯が中央に伸びて敷かれており、壁の方には、目を和ませる花を飾ってある花瓶や、芸術的な雰囲気を醸し出す美術品などが並んでいる。
本当に、写真やテレビで見るような西洋の王様が住むような内装だ。
「……夢みたい」
でも、これは現実。日本とは全く違う建築物や、感じられる異なった気配も……、全部。
上を見上げれば、すごく高い位置に天井があった。
「こんなに広いと、本当に迷子になっちゃいそう……」
……なんて、流石に叔父の家で遭難はしないだろう。
万が一、私がこの荘厳なる王宮内で迷子になったとしても、必ず助けが来るはずだ。
でも、そろそろ誰かに遭遇しても良いはずなのに、まだメイドさんの姿も、その他の人達の姿も、私の視界には入って来ない。
見知らぬ場所での一人ぼっちは正直寂しい。ふぅ、……と、思わずその場に座り込んでしまいそうな気になっていると、明るい声が一条の光のように響いた。
「もしかして、ユキ姫様ではありませんか!?」
「え?」
「あぁ、やっぱり!! 先ほど陛下とご一緒におられましたよね? 今日ご帰還なされると伺っておりましたので、お会いできて光栄です!!」
人懐っこい明るい笑みの似合う、両サイド三つ編みヘアのメイドさん。
日本で言えば、中学生くらいの幼さが見える、可愛い顔立ちをした女の子。
「ユキ姫様、初めまして!! この王宮でメイドをしております、リィーナと申します。どうぞよろしくお願いいたしますね!!」
「は、はいっ。えっと、幸希といいます。こちらこそよろしくお願いします」
なんてフレンドリーな女の子だろう。
そこに嫌味な感じも押し付けるような印象も与えない清々しさがある。
こちらを丸ごと包み込むような柔らかさがあるというか、初対面なのに前から知っているかのような錯覚を覚える相手。
ようやく出会えた王宮の住人の姿に安堵し、私は不安を抱えていた表情を和ませる。
「あの……、ところで、『姫』っていうのは……」
この王宮に到着した時に、王宮医師と名乗ったお二人にもそう呼ばれたような気がする。
まさか、また……。背中に気まずい汗がひと滴流れたような心地になった私に、リィーナさんは当然のように喜びながらこう言った。
「ユキ姫様は、ユキ姫様ですよ!! 国王陛下のお兄様であられる御方、ユーディス殿下の大切なお嬢様。私達にとっても、敬うべき愛すべきお姫様ですもの!!」
「……う、敬うべき存在? 愛すべき、お姫様?」
どうしよう……。一般庶民だった私が、またここでも、お姫様扱い確定らしい。
恐れ多すぎるというか、今すぐにこの場から逃げ出したい心境になってしまうのは仕方がないと思う。国王陛下の姪御、王兄殿下の娘……、世界を飛び越えた先で変わる、庶民からの王族メタモルフォーゼ。あぁ、やっぱり現実逃避したい。これ、絶対夢だと思うものっ。
一瞬意識が飛びかけた私だったけれど、時々こちらの世界に里帰りをしていたという私のお父さんの話をしてくれた彼女の声音には、立場だけじゃない、お父さん自身の人柄への敬愛が見えて、娘としては嬉しくなってしまうのも事実で。
(お父さん、故郷の人達に慕われているんだなぁ。リィーナさん、すっごく嬉しそうに話してくれてる)
「父の事を褒めて下さって、本当にありがとうございます。でも、私自身はただ娘というだけなので、気楽に接してくださいね。出来れば、敬称とかはつけずに」
と、さりげなくお友達関係的な接し方をお願いしてみたら、何故か瞳をうるうると悲しげに揺らされてしまった。
「いけませんっ!! ユキ姫様は、ユキ姫様なんですから!! 昔からこの王宮に仕えておられるメイド長様にも言われているんです!! 幼かったユキ姫様が、ようやくこのウォルヴァンシアに戻って来られる。だから、誠心誠意、今度こそ、異世界に奪われる事のないようにお仕えせよ、と!!」
背後から荒ぶる炎でも燃え盛ってくるような熱意の籠った眼差しに変わったリィーナさんが、両手を握り締めて力説した。
……この異世界での、幼い頃に経験した記憶。それを覚えていない私にはよくわからないけれど、どうやら幼い頃からとても大切にされていたらしい。
ただ、リィーナさんはメイドになってまだ数年、といった所なので、彼女の中に根付いている私への熱意は、メイド長さんが原因らしい事だけはわかった。
「なので!!」
「は、はいっ!?」
「これからも、敬愛と忠誠を込めて、ユキ姫様と、呼ばせて頂きますね」
ニッコリ。美少女の愛らしさ全開で微笑まれ、私の敗北が決定した。
はぁ……、この分だと、王宮中の誰にお願いしても、お姫様扱いは消えないのかもしれない。
「ところで、ユキ姫様はこれからどちらに? 先ほどお見かけしたところ、目的地があるようには見えなかったのですが」
「あ、はい。ちょっと、王宮の散策してみようかなって思ったんですが、今日着いたばかりで、詳しくなくて……。それで、色々教えてもらおうと思って、人を探していたんです」
「まあ!! では、丁度良かったですね!! ユキ姫様、これを!!」
「え?」
ポン! と手のひらに握り拳を打ったリィーナさんが、目を輝かせてメイド服の純白エプロンの内側から何かを取り出した。
「え~と、え~と……、これじゃない、あ、これでもない」
「……あの、リィーナさん。そのエプロン、どういう作りになってるんですか?」
「え? 普通ですよ」
きょとんとした彼女がエプロンの内側をまたゴソゴソと漁り、真っ赤な絨毯の上に……、メモ帳やら万年筆らしき物や、……き、筋力トレーニングに使いそうな重たい物が落ちていく。
普通のエプロンって、何だったかな……。また、意識が飛びそうになる私。
けれど、リィーナさんにとっては何の不思議もないそのエプロンから、ようやく目的の物が出て来たらしい。
「これです!!」
すっと、私に差し出されてきたのは、観光名所などで配られるパンフレットに似た存在。
表面には文字らしきものが書かれていたけれど、どうやら言葉は通じても、やっぱり文字の類になると世界観の違いが出てくるらしい。
勧められるままそれを開いてみると、何か建物のような絵や文字が、マップのように描かれていた。
「これって……」
「はい! 王宮内の部屋や場所の案内図です!!」
手作り感漂う王宮パンフレット。これは、リィーナさんが一生懸命作ってくれた物らしい。
ウォルヴァンシアに戻ってくる私が王宮内で迷子にならないように、自分に出来る事をしてあげたいから、と。
(リィーナさん、なんて良い人なの!! 是非お友達に!!)
今は無理かもしれないけれど、時間をかければいつか、女性同士の楽しい日々が待っているかもしれない。
(でも、ごめんなさい!! 文字が全然読めません!!)
瞳を感動と罪悪感で潤ませながらそう打ち明けようとしたその時。
ふと、パンフレットの文字の上に指が触れたのがきっかけか、頭の中に日本語が流れ込んできた。
音、じゃなくて、脳がこの異世界の文字を瞬時に理解したような……、そんな感覚。
「ふふ、ユキ姫様は異世界でのご生活が長いとお聞きしましたので、私の書いた文字を理解出来るように、術をかけて頂いたのです」
「術を?」
「はい!! 王宮医師のお二人に作成を助けて頂きました!! 最初はセレスフィーナ様に手伝って貰っていたんですけど、途中からルイヴェル様も何だか内心乗り気なご様子でマップの作成に加わって下さったんです!!」
王宮医師……。確か、レイフィード叔父さんの後に現れた、美麗姉弟の人達、かな?
名前が同じだから、多分同一人物のはず。
「そうだったんですか。あのお二人が……。じゃあ、今度お会いした時にお礼を伝えなきゃ、ですね」
「はい!! きっと喜ばれます!! 王宮の者達もですけど、王宮医師のお二人は特に、ユキ姫様の御帰還を楽しみにしておられましたから!!」
私が覚えていない記憶。その思い出の中で、あのお二人にとって私はどんな存在だったのか、私にとって、あのお二人は、どんな人達だったのか……。
自分だけ知らない、覚えていないというのは、なんだか申し訳なくもあり、寂しくもあり。
パンフレットの中に描かれてある絵や文字、触れた先から伝わってくる情報と、ほのかに温かい感覚。リィーナさんだけじゃなく、これにはお二人の気持ちも詰まっているのだろう。
パンフレットをそっと胸に抱き締め、もう一度、私は「ありがとうございます」と感謝の気持ちをリィーナさんと、王宮医師のお二人に向ける。
「喜んで頂けて、本当に良かったです。それと、目的の場所を定めておられないのなら、パンフレットに載せた、え~と、すみません、お借りしますね」
共同作成のパンフレットをリィーナさんに渡すと、その中にひとつに彼女は指を差した。
「これです。『エトワールの鈴園』という正式名称があるんですけど、王宮の者達は休息を兼ねて立ち寄る事が多いので、憩いの庭園と呼んでいます。ここなんかどうでしょうか?」
「憩いの庭園……、ですか」
『憩いの庭園』と呼ばれる場所は、綺麗な季節の花々が咲いているらしく、休息に適した建物もあるらしい。
楽しそうに説明をしてくれるリィーナさんを見ていると、頭の中にイメージが広がり、うずうずと好奇心が騒ぎ出す。
「これ以外にも、まだまだ素敵な場所は盛り沢山なんですが、やはりご帰還初日ですから、ユキ姫様がゆっくりできる場所がいいと思うんです!!」
「ありがとうございます、リィーナさん。私、そこに行ってみますね」
「はい!! どうかウォルヴァンシア王宮を楽しまれてください。またお声をおかけくだされば、他のお勧めポイントもお教えいたしますので!!」
「はい、楽しみにしてますね。本当にありがとうございました、リィーナさん」
手を振りながら見送ってくれる彼女に背を向け、私はお勧めポイント第一弾、『エトワールの鈴園』こと、通称『憩いの庭園』へと進み始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
目的地である『憩いの庭園』へと辿り着くと、私は思わず大きく目を瞠ってしまった。
視界に映るのは、風に戯れる色とりどりの美しい花々。
柔らかな風を感じる度に、どこからか心地よい鈴のような音が微かに響き渡ってくる。
見ているだけでも癒されるその風景に、私は惹き込まれるように足を踏み入れてゆく。
庭園の中をゆっくりと進むと、その先に階段のようなものが現れ、人が休憩出来るであろう建物へと続いていた。
透明な美しいクリスタルのような壁に囲まれてはいるけれど、中には誰もいないようだ。
リィーナさんが言っていた休憩場所とは、あれの事なのだろう。
「入ってみよう、かな……」
階段を上り中に入ってみると、十人ぐらい入っても余裕のありそうな空間が広がっていた。
休憩所の中をぐるりと一周するように、入り口に向かって三日月の口が開いているような形に設えられてある、真っ白なソファー。
ソファーの表面には、お父さんが発動させた魔術の陣に描かれていたのと同じような紋様が描かれているようだ。
私はそっとそこに腰かけてみた。ふわりと包み込むような柔らかな質感……。
もしここで横になってお昼寝をする許可が出たら、きっと寝心地最高で安眠出来るかもしれない。
「ふあぁぁ、……本当に眠くなりそう」
異世界にお引越しをしてから、まだ二時間程度。
けれど、全く別の世界の景色や住人達との出会いにより、私の緊張感は無意識に強まっていたのかもしれない。
思わず瞼を閉じそうになってしまった私は、名残り惜し気に休憩所を出た。
「――あれ?」
階段を下りた後、辺りを見回した私は、そこでふと……、妙なものを見つけた。
――茂みの蔭から、……銀色のふさふさした毛のようなものが。
一体あれは何だろう? 恐る恐る、気になるそれへと向かって忍び足で近づいてゆく。
(これ……、動物の毛か、何か、かな?)
じっくりと観察していると、ふさふさ尻尾が上下にパタパタと揺れ始めた。
(……何だか、犬の尻尾みたい)
ご機嫌な様子で可愛らしく揺れるそれをじっくりと眺める私。
多分これは、尻尾の類だと思う。だとしたら……、この茂みの向こうには。
(も、もふもふが……、いる?)
昔から動物の類が大好きだった私には、堪らない誘惑だった。
まるで猫じゃらしを振られた猫のように、揺れる銀毛の尻尾? に、手を伸ばす。
(……って、いきなり尻尾を触られたら、驚かせてしまう気も)
大体、この茂みの向こうにいる動物が、小さいのか、大型なのかわからない。
とりあえず、危険がないか、姿を確認する事から始めてみよう。
そぉ~と……、茂みの奥を覗く為に葉を一部分だけ掻き分けてみると。
若草色の芝生の上で心地良さそうに大きな体躯を丸めていた1頭のもふもふ。
それは、――大きな銀色の毛並みを纏った……、雄々しい狼だった。
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