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第六章・アレク×幸希編~蒼銀の誓いと咲き誇る騎士の花~

混沌の地

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 ――Side 幸希


『レイシュ様、姫……、俺は、アイツの半神として、自分の責任を取ります』

 決意を秘めた眼差しで、自分から災厄の許に戻ると決めたユシィール……。
 双子神として生まれた、大切な片割れであるシルフィールを説得し、災厄から引き剥がす為に動くと言っていたユシィールは、今、……自身の運命と向き合っている。
 雲隠れしたシルフィールは、決して一人で逃げたりはしない。
 どこからか私達の、災厄の動きを、戻ってきたユシィールの行動を監視しているはず……。
 
「――ユキ」

 ユシィールは、私達の心に背き、許されざる行いに手を染めた自分達の罪を償いたいと言った。
 シルフィールは、エリュセードの神々に復讐をすると言った。
 そして、私とレイシュお兄様は……、追い詰めてしまった大切な家族に償う為に……、罪を引き受けると告げた。誰もが、愛する人達の為に選んだ決意の道。
 ユシィールは私とレイシュお兄様の決意をまだ知らないけど……、きっと知れば、シルフィールと同じように拒む事だろう。……私達は、お互いを失いたくなくて、必死に足掻いている。

「シルフィール……、ユシィール」

「ユキ!!」

「え? うぐっ!!」

 二人の番人に思いを馳せながら、アレクさん達のいる現地に向かっている最中だった。
 色濃く、その力を増していく災厄の気配を肌に感じながら夜空を駆けていた私のお腹にめり込んだ、強い力。
 ぐっと押さえ付けられた箇所が地味に痛くて、私はつい咳き込んでしまった。
 私のお腹を捕らえているのは、力強い男性の腕。
 ゆっくりと自分の背後を振り返ると、眉根を寄せた不機嫌気味の王宮医師様のご尊顔が!!

「きゅ、急に、何するんですか……っ。けほっ、けほっ」

「前を見ろ」

「え? ――あ」

 急停止をかけるように私を引き戻したルイヴェルさんの意図がわかった。
 大急ぎで向かっていた災厄の場と化した町。
 前を見ているようで、実はもうとっくにその場所まで来ていた事に気付かず……、私は町全体を覆っている災厄の強い力の渦へと飛び込むところだったのだ。
 あ、危なかった……。まだ『手順』を踏んでいないのに、あんな所に飛び込んだら、少なからず私も被害を受けていた事だろう。

「ご、ご迷惑をおかけしました~……、うぅ」

「……もう少し距離を取るぞ。レヴェリィ様とフォルメリィ様が『外』からの力を無効化するまでは、下手に飛び込むと面倒だからな」

「は、はい……」

 アレクさんから受けた、目の前の町での異変。
 アヴェル君……、いいえ、ユスティアードという名を抱き生まれてきたあの子が、マリディヴィアンナと一緒に町を襲っているという連絡を受けたのは少し前の事。
 アレクさんには王宮で待機していてほしかった……。
 だけど、彼は、ユスティアード君はアレクさんの、アヴェルオード様の息子だから……。
 自分が行かなくてはならない、と、強く深い決意の情を持って、アレクさんはあの場に向かってしまった。
 
「ルイヴェルさん……。災厄の力が、壁のようになって……」

 ディオノアードの鏡による災厄の力だけでなく、エリュセードの『外』……、『はじまりの世界』に寄生している別の災厄が、遥か遠く離れた場所から力を送ってきているせいで……。
 そのせいで、今、町全体を黒銀の光を帯びた靄が覆い尽くし……。
 星々を埋め尽くしている雲の向こう側から、同じ、いえ、それ以上の力を持った禍々しい輝きの細い稲妻が地上に向かって走り続けている。この力は……、ディオノアードの、十二の災厄以上の恐ろしいもの。
 肌で、生命(いのち)で、その脅威を感じとる。
 

「御二人は大丈夫でしょうか……」

『外』からの力を一時的にではあるけれど、無効化しに向かった十二神の御二人。
 双子神として生を受けられた、レヴェリィ様とフォルメリィ様。
 
『ふふ、大丈夫だって!! 僕とフォルだって、十二神なんだよ~? ソル兄様程じゃないけど、災厄の邪魔しに行くくらい軽いもんだよ!! ねぇ~、フォル』

『うん……。だいじょ~ぶ、だいじょ~ぶ。……だいじょぉ~~おおおおおおぶ! だよ』

 自信満々に御自分の胸を叩かれたレヴェリィ様。
 それと、何故かオペラのように歌い上げてからVサインをして下さったフォルメリィ様……。
 本体がエリュセードに辿り着いたわけじゃないし、災厄の力を受けた軍勢の姿もないから、アレクさん達に続く道を開くのに支障はないと仰っていたけれど……。

「心配するな。あの御二人は子供のように感じる事の方が多いが、中身は億単位より上の、一応は大人だ。そして、どの神々よりも強大な神気を抱いた原初の神だからな。すぐに仕事をこなしてくれるだろう」

「ルイヴェルさん……」

 本当は、お父様……、十二神の頂点に立つソリュ・フェイト神も、私達と一緒に行くと言ってくれた。
 けれど、その発言を制したのはトワイ・リーフェル様で……。

『神兄殿、ふらふらと出歩ける時間は、もう終わりですよ。この先、何を犠牲にしても、貴方を失うわけには行かないのだから……』

『フェル……』

 トワイ・リーフェル様の声音には、決して逆らえない、というよりは……、頼むから言う事を聞いてほしい、そんな印象があった。
 そして、大人しくその注意にお父様が従うと、トワイ・リーフェル様は私にも自分達と一緒に残るようにと、そう、勧めてくれたのだけど、――。
 私が正直に自分の心に従い、アレクさん達の許に行くと告げると、予想通り、と書いてある微笑を向けられた。

『災厄と関りが深い貴女を行かせる事は、愚行そのものです。いえ、元々、神兄殿が記憶と力を取り戻し覚醒した後、貴女の存在を感知した段階で保護するべきだった……』

『トワイ・リーフェル様……』

『ですが、生憎と俺は過保護という言葉が嫌いでしてね。大切に守るだけでは、ただのか弱いお人形を囲っているのと同じです。――セレネ……、いいえ、ユキさん。貴女は誰にも縛られる事のない存在だ。自由に、貴女の信念に従って、生きなさい』

『……はいっ!!』

 危険が伴うと……、前回の件からも、私自身思うところはあったけれど、それでも、止まれないと思った。
 もう二度と……、目の前で大切な人を失うような現実を目にしたくないから。
 危険があるとしても、私が……、愛する人達の、――アレクさん、貴方の傍に在りたいと、願うから。
 
「始まったぞ、ユキ」

 ルイヴェルさんの視線が向かう先を一緒に見上げると、災厄の稲光が走る淀んだ厚い雲の壁が……、眩き一条の光によって渦を巻き、一瞬で星々の世界を取り戻した。
 遥か天空には、その力を弱めたとはいえ、災厄の稲光と、外側から送られてくる色濃い力の気配がまだ残っている。だけど、二つの人影がその中心で背中合わせに両手を前に掲げ、高らかに叫んだ。

「十二神たる僕達を舐めた罪は重いよ!!」

「偶然は、一度で充分……。もう、負けない」

 原初の神々が揮い始めた力が、外側から送られてくる災厄の禍々しい光へと絡みつくように急速な浸食を以って浄化を施していく。
 声などないはずの災厄が、苦痛の悲鳴を上げているかのように夜空の中で暴れ、浄化から逃げ延びようとエリュセードの外に向かって撤退を始める。
 その影響が強まっていくのと同時に、地上の町を覆っていた災厄の壁も徐々に薄れ始め……。

「――ッ!!」

 私達の前方下側に見えた光景。
 お母様の姿をした災厄を相手に苦戦を強いられている、レイフィード叔父さんの傷ついた姿。
 番人の一人であるユシィールの側に並び、剣を構え息を乱しているルディーさん。
 その鋭い視線の先に見据えているのは……、シルフィールと、アレク、さん?
 いいえ、違う……。シルフィールも自分の武器を手に構えを取り、ボロボロになりながら立ち向かおうとしている。――災厄の気配に支配されているアレクさんに!!
 銀色の、長い、髪……。最後に見たのは、ガデルフォーンで髪を切られた時の、あの短さのままだったのに。
 災厄により穢れを受けた神の魂……、その波動が、伝わってくる。

「ユシィール!! 何があったんですか!! アレクさんはっ」

「申し訳ありません、姫……っ。アヴェルオード神は、俺と戦った際に穢された御自分の魂を一時的に取り込み、災厄の気配が段違いに増した直後、――呑まれました」

「――っ!! でも、レヴェリィ様とフォルメリィ様が今っ」

 外側からの力を浄化し、在る場所へと追い返してくれた。
 ディオノアードの鏡の力だって、浄化されたはず……!!
 それなのに、アヴェルオード様の、アレクさんの中に息づいている魂は浄化を受け付けていないかのように、――彼を彼でないものに変えてしまっている。

『ふふふふ、あらあら……。愛する人の窮地に、また間に合わなかったわね~。ねぇ? ユキ』

「貴女は……!! どうして? 何故まだそこにいるの!? レヴェリィ様達が『貴女達』を消し去ったというのにっ」

 妖艶な仕草で口元に手を添えながら私達のすぐ背後に現れた一人の女性。
 ディオノアードの鏡……、その欠片から生じた、災厄の意思。
 はじまりの世界に寄生している災厄に比べれば、あまりに脆く、弱い存在だと聞いていたのに……。
 何故、レヴェリィ様とフォルメリィ様の力を受けて尚、そこにいるの!?

「知りたぁ~い? ふふ、ふふふふふふふ。――お・か・あ・さ・ま」

「――ッ!! あくまで、自分達の存在は、『セレネフィオーラ』あってのものだと言いたいの?」

 うっとりとしながら、恋い慕うかのような声音で私を呼ぶ災厄。
 ルイヴェルさんが私をその背に庇ってくれたけれど、隠れているわけにはいかない。
 
「ルイヴェルさん、災厄と話をさせてください。あの人には……、ずっと聞きたかった事があるんです」

 アレクさんは、災厄の支配を受けている為か、今は動くなと命じられているのか、沈黙している。
 ユシィールとシルフィールが私を気遣い、向けてくる視線。
 ……道は違っても、私を想ってくれる二人の番人。

「姫ちゃん、アレクの事は俺達に任せとけ。けど、……無理と無茶は駄目だからな?」

「ルディーさん……。はいっ」

「悪いが、俺はお前から離れる気はないぞ。何かあれば、災厄がお前に害を成そうとすれば、すぐに離脱させる」

「ありがとうございます、ルイヴェルさん」

 何故、アレクさんがああなってしまったのか……。
 もしも、災厄に穢された魂によって支配を受けたのだとしても、さっきの浄化で正気に戻ったはず。
 その理由を知りたい。そして……、災厄が何故、用済みとなった母胎をいまだにお母様と慕うのか、何故……、何かを期待しているかのような、意味深な事ばかりを言ってくるのか。

 私はルイヴェルさんに付き添われ、お母様の姿をしている災厄に警戒の念を抱きながら視線を据えた。

「まず、アレクさんに何をしたのか教えて。貴女はお喋りが好きでしょう? きっと私に語りたくて、私を絶望させたくて、我慢出来なくなっているんじゃない?」

『ふふふ、そうね~。『私達』は貴女の悲しむ顔、絶望を抱く心が大好き。貴女が大切な者を、愛する者を壊していけば、必ず『目覚めて』くれるはずだから……』

「目覚める……? 私が、セレネフィオーラとしての記憶を取り戻す事を期待しているの?」

『さぁ、『私達』が求めているのは、『何』なのかしらねぇ~……。だけど、あの御柱を失ったと、そう思った貴女は、目覚めかけていたのよ? 『私達の愛しいお母様』として』

 セレネフィオーラの記憶。セレネフィオーラとしての覚醒。
 わからない……。災厄がセレネフィオーラに寄せるこの親しみのある音と、求め続ける意味が。
 だけど、アレクさんの魂を目の前で粉々に砕かれ、滅びを与えられたと勘違いしてしまったあの瞬間。
 私は、我を失い、荒れ狂い出した感情の中で、……何かを、見たように感じた。
 見た、だけじゃなくて……、何かが掴めそうだったような気もして、だけど、それは、ひとつじゃ、なくて……。

『でも、貴女はユキのまま、なのよね……。はぁ、……やっぱり、全部壊しちゃった方が正解ね』

 災厄が自分の人差し指で何かを宙に描くような仕草をすると、背後で剣を構える音が聞こえた。
 支配を受けているアレクさんが、私の背中に向かって、その切っ先を向けているのを感じる。

『好きな人と殺し合い。ふふ、愉しそうね』

「アレクさんと殺し合う気なんてないっ。いい加減にして!!」

『ふふ、でもねぇ~、彼の中には、『原初の災厄』を仕込んでおいたから、簡単には浄化出来ないわよ?』

「原初の、災厄……?」

 それが、はじまりの世界に初めて現れた災厄の種や、孵化した存在である事は間違いない。
 だけど、……原初の災厄をアレクさんの中に仕込んだ? それは、どういう事?
 血が凍りつくかのような心地を覚えながら、喉が渇いていくのを感じる。
 ルイヴェルさんが私の肩を抱き、冷静な声音で口を開く。

「ソル様を滅ぼしたあの時代……、持ち込んだものは、軍勢と種だけではなかった、という事だな? 特別製の何かを、お前達は隠し持っていたという事だろう?」

『ふふ、ふふふふふふ。正解よ。私達災厄の力によって滅びてしまったはじまりの世界ではね、沢山の『希望』を作る作業が繰り返されていたの……』

「希望、だと?」

『愛しいお母様のいない世界は、存在価値ゼロ以下なの。お母様がいてこそ、私達は幸せになれるのだから』

「下らない話はいい。つまり、『お前達』はアヴェルオードの息子を使い、アレクの中に『特別な種』を仕込み、孵化させた。そういう事だろう?」

 特別な、種……? 恐る恐るルイヴェルさんを見上げれば、酷い焦りを感じさせる険しい表情があった。
 直後、刃が拮抗する気配が響き渡り、私達の意識がそちらに向かおうとしたけれど――。

「私達がこんな風に生まれたのは、貴女の愛情の賜物よ。――お母様」

 とても小さな、小さな、……泣きそうな、声。
 その音を拾った私が災厄をもう一度見据えると、……なみ、だ?
 お母様の姿で一筋の涙を流す災厄。心が、私の、奥深い部分が、何かを感じ取り、……手を、伸ばす。

『……だ、……ら、……の、が、……かな、……ず、……に、……祝福、を』

「え……」

 目の前の災厄からじゃない。頭の中で聞こえた、誰かの声。
 女性なのか、男性なのか、……その判別さえつけられず、ただ……、とても、懐かしい感覚を味わう。
 手を伸ばした先が真っ白になったかのような錯覚を覚え、私は目を瞬いた。
 
『――はじまり、……の、向こう、……待って、……はや、く』

「だ、れ……?」

 他の何もかもが消失してしまったかのような、真っ白に埋め尽くされた世界が闇に閉ざされる。
 白銀の光に包まれた誰かの姿。その人の指先が伸ばしている私の手に触れて……、そして――。

「ユキ!!」

「…………」

 硝子の世界が砕け散るかのように現実へと戻った私の意識。
 ルイヴェルさんが伸ばしていた私の手を引き戻し、頬を少しだけ強く何度か叩いてきた。

「……わた、し、……ルイヴェル、さん?」

「今、何を視ていた? お前に干渉してきたのは、なんだ?」

「……かん、しょう。……あれは、……誰?」

 正気に返ると、自分達の仕事を終えたレヴェリィ様とフォルメリィ様が次の行動に移っていた。
 フォルメリィ様がアレクさんの前に立ちはだかり、レヴェリィ様が私達の目の前にいる。

「ただこの世界にちょっかい掛けてきた~ってわけじゃなかったんだね。――誰の器を利用してんだよ、この疫病神野郎っ!!」

 レヴェリィ様がドスの利いた声で罵声を叩きつけ、姿を変えるのと同時に、災厄もニヤリと嗤う。
 大人の青年の姿に変じたレヴェリィ様が放った神気がお母様の、女神ファンドレアーラの姿を吹き飛ばし……、その偽りの皮が剥がれた直後、現れたのは――。

「どういう、事……?」

 レヴェリィ様の睨みつける先にいたのは、……色は違えど、……私と、同じ顔をした、一人の少女の姿が、そこに。ふわふわとした長い黒髪に、真紅の瞳。古の時代を思わせる衣装に身を包むその姿。

「セレネフィオーラ……!」

「ルイヴェル、さん?」

 私と同じ顔をした、暗い嘲笑を抱く一人の少女……。
 ルイヴェルさんの小さな舌打ちと呟きに、私は理解した。
 ――あれは、はじまりの世界に置き去りの身となった、私の……、遥か、はじまりの、姿(器)。
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