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第五章・アレク×幸希編~蒼銀の誓いと咲き誇る騎士の花~

隠れんぼと再会

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 ――Side 幸希


「ユキちゃーん、ソルさん散歩に出てるってー」

 ウォルヴァンシアの王都でも、一番の大きさを誇る宿泊施設。
 その中から私達の待つ通りの方へと戻って来たのは、私服姿のサージェスさんだ。
 アレクさんのお父さんとソルさんが泊まっているという情報を頼りにやって来てみたけれど……、どうやら目当ての人物だけが外出中らしい。
 宿屋の一室にはアレクさんのお父さんしかいなくて、行先は不明、と……。
 夜の外出なんて珍しい事でも何でもなさそうだけど、私個人の考えとしては……、予想通りだった。腕の中で愛らしく不思議そうな鳴き声を漏らしているファニルちゃんの頭を撫で、遙か先に見えるウォルヴァンシア王宮へと視線を向ける。

「あっち、ですね……」

「ニュイ~?」

「なぁ、本当にソルとかいう奴がお前の親父なのか? 騎士団で会った時には何も感じなかったんだろ?」

 王宮への道を戻り始めていると、私の隣を歩いていたカインさんが怪訝そうにしながらファニルちゃんを掴み取った。
 本当はサージェスさんだけに同行して貰うはずだった今夜の行動。
 その予定に何故カインさんが一緒に来ているのかというと、丁度遊びに出て来ていたカインさんと通りでバッタリ、と。勿論、今日のアレに関する文句と怒りを怒涛の勢いでぶつけられ、頬を思いっきり引っ張られる羽目になり、そのついでという形で同行が決まったのだ。
 私はカインさんからの問いに頷くと、一度立ち止まり、美しい星屑の海となっている夜空を見上げた。

「神としての気配を完全に隠し、同じ神相手に探りを入れられても正体を看破されない方法があるんです。勿論、力の弱い神々が自分達よりも格上の神々相手にそれをする事は無意味ですけど……。あの人なら……、ソリュ・フェイトと呼ばれていた私の神としての父親なら、それを完璧にやってのける事が可能です」

 そう……。すでに覚醒を遂げていて、自分の意思で存在を隠しているのなら。
『はじまりの十二神』と呼ばれた、圧倒的な力を抱く最強の神。
 あの人からすれば、他の神々なんて子供同然。存在を気取らせずに単独行動をとり、何かを裏でやっていたとしても、決してバレる事はない。
 そう、事情があるのだ。お父様には、自分一人でやらなければならない、大事な仕事が。
 そこまで話をすると、カインさんが少し困ったような表情でまた口を開いた。

「で? お前はそれをわかってて、『会う』気なわけか?」

「はい。お父様にどんな事情があったとしても、アヴェル君達に関わる問題を解決する為には、お互いの情報を共有し合う必要があるんです。それに……」

「ん?」

「それに……、本当に自分の事を気取らせずに動きたいなら、お父様は最初から私に会ったりはしません。誰にも知られず、最後まで自分一人で動くはずですから」

「つまり、ソルさん……、ユキちゃんの神様パパさんは、『隠れんぼ』をしている可能性が高い、って事なんだねー」

 サージェスさんが私の横に並びながらそう言うと、カインさんが「はぁ?」と、疑問の声を漏らした。『隠れんぼ』、子供達の遊びのひとつ。
 遥か昔、天上で幸せな時を過ごしていた頃……、お父様は時々その遊びをする事があった。
 お父様が自分の気配を薄めて地上や天上のどこかに紛れ込み、それを私達が捜し出すという……、ハッキリ言って、壮大過ぎる隠れんぼ。
 まだ小さかった頃の私はそれを楽しんでやっていたけれど、よくよく考えてみれば、なんてお茶目が過ぎる規模の遊びだったのだろうか……。
 何日も何日もかけてお父様を捜し出したり、時にはレイシュお兄様が『時間の無駄だから一緒に帰ろうね~、ユキ』と言って私を天上に連れ帰ったり……。
 後日、しょんぼりとした様子でお父様が天上に帰って来るという事もあった。
 つまり、今度は……、姿は見えているけれど、ちゃんと父親の気配を表に引き出せるかな~? という、趣向の変わった隠れんぼになった可能性が高い。
 
「なんつーか……、お前の親父……、色々メンドイな」

「世界全部を使って隠れんぼする人って中々いないよねー……」

 あぁ、カインさんとサージェスさんの視線が痛い!!
 でも、それが私の神としての実の父親なんです!! 本当にごめんなさい!!
 その場にしゃがみ込んで頭を抱えてしまうと、カインさんの腕の中からファニルちゃんがぴょんっと飛び降りて私の頭をぷにっと小突いた。

「ニュイッ、ニュイ~!!」

「あ、ありがとう、ファニルちゃん……。うん、大丈夫。すぐに立ち直るから、うぅっ」

 神として目覚めてからは、術を使わなくてもファニルちゃんの言葉がわかるようになっている。
 ちなみに、今かけられた言葉は、『お茶目なパパさんも素敵だと思うよ!! ユキちゃん!!』だった。可愛いお友達にまで気を遣わせてしまうなんて……、はぁ。

「あ~……、その、お、俺の親父もアレな奴だしよ、そこまで落ち込む事ないだろ」

「いや、皇子君。ユキちゃんが落ち込んでるの、俺達にも責任あるからね?」

「うっ……。わ、悪かった」

「ごめんねー、ユキちゃん。神様レベルの壮大な遊びにちょっと吃驚しちゃっただけなんだよー」

 吃驚、じゃなくて、半分以上は呆れられていたような気がするのだけど……。
 まぁ、呆れられてしまうお父様のお茶目さは事実なわけだし、むしろ、その過去があったからこそ、こうやって確認に行く事も出来るのだ。
 そう、全ては必然。あのお茶目の壮大さも、きっと無駄じゃない。……と、思う。

「ふ、ふふ、ふふふふふふ……」

「ゆ、ユキちゃん?」

「ユキ? な、なんか、ドス黒いオーラ出してないか? お前」

「ニュイィィィィ……ッ」

 ソルさんが、本当に私のお父様だったら……。
 それを本人がきちんと認めてくれたら、溜まりに溜まったあらゆる感情と不満を全力でぶつけよう。それはもう、私の全身全霊全力を籠めた思いの丈を……!!

「お、おい、サージェス……っ、ユキの奴が何か黒い!! 黒いぞおい!!」

「あ~……、きっとお父さんに並々ならぬ何かを抱えてるんだろねー……。うん、ユキちゃん、いいよー。ソルさんの正体が本当にそうだったら、好きなだけね。サージェスお兄さんが許します」

「ふふふふ……、ありがとうございます、サージェスさん」

「ぉおおおおい!! 何ヤベぇ許可与えてんだよ!! いつものユキに戻せ!! いつものに!!」

「ニュィイイイイイッ!!」

 深夜の時間帯を迎えようとしている大通りに響き渡ったカインさんとファニルちゃんの悲鳴じみた叫びを耳にしても、私の決意は変わらない。
 向かうは、ウォルヴァンシア王宮……。レイフィード叔父さんの奥さんであり、この国の王妃、そして、エリュセードの御柱である……、フェルシアナ様の魂を抱いたその肉体が眠る場所。
 お父様の事だから、私達が今夜の事を口にしていなくとも、独自に情報を仕入れている可能性がある。だから……、きっと、いる。全てを見守る立場で、あの場所に。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「もう始まっちゃってるみたいだね~。ユキちゃん、どうする? 強力な結界が何重にも張ってあるから、中には入れないと思うよ?」

 魔力とは違う、三人の神による特別な結界。
 それは、外部からの侵入や干渉を阻む為でもあるけれど、もうひとつの役目は、中で何か大変な事態が起きた場合、その被害を結界の外に及ぼさない為でもある。
 ウォルヴァンシア王宮の裏手にある塔の周辺に張られた結界。
 この建物の地下に、フェルシアナ様の魂を抱いた王妃様が眠っている……。
 塔の手前にある小さな森の中から結界を覗き見た後、お父様の気配が近くにないか注意を向けてみた。捜す気配は、神としてのものではなく、ソルさん自身の気配。
 けれど、その気配自体も上手く隠しているのか、私達以外の人影も、気配も、どこにも見つけられなかった。

「大丈夫です。塔の中に入った場合は、レイフィード叔父さん達に捕獲を頼んでありますので、私は塔の外で、この場所で、解呪の儀式が終わるのを待ちます」

「で? その親父を外で見つけたら……、どうすんだよ、お前」

 恐る恐る私に尋ねてきたカインさんが、珍しくファニルちゃんと同調しているかのように抱き合い、青ざめた顔で私を窺う。
 
「勿論……、娘として色々とやらせて頂きますよ。親子ですから、遠慮は一切なしで……、一晩中」

 と、カインさんに顔を向けてニッコリと笑ってみせると、何故かさらに蒼白具合を深められてしまった。ファニルちゃんに至っては、長いふさふさのお耳や尻尾が凄い勢いで逆立って、泣き叫びたいのを堪えているような姿になっている。
 全然動じていないのは、ニコニコ笑顔で飄々としているサージェスさんだけ。
 
「私、何か怖がらせるような事を言ったでしょうか?」

 私の溜め込んだ怒りの感情をぶつけるのはお父様相手なのに、そんなに引かなくても……。
 まるで、大魔王化したルイヴェルさんを目の前にした時のような、私と同じ反応をしている一人と一匹。

「うーん、あれだねぇ……。本気で怒った女の子は、迂闊に突(つつ)いちゃ駄目って事かなー。ユキちゃん、とりあえず、お父さんへのあれこれを一旦内側に引っ込めようか。皇子君とファニルが怯えちゃってるからね」

「……そんなに、ですか?」

「うん、俺もちょっとだけ鳥肌立ってるよ。神様がどうこうじゃなくて、ユキちゃんの意外な面に良い意味でゾクゾクしてるというか……。うん、良いね」

 良い意味でゾクゾク、って……、何?
 含み笑いをしながら楽しそうにしているサージェスさんの言葉の意味がわからなくて、カインさんとファニルちゃんの方に視線で尋ねてみる。
 けれど、残念ながら蒼白具合が増しているだけで、何か答えが返ってくる事はなかった。

「――さてと、ソルさんがユキちゃんの張った罠に引っかかってくれれば万歳ものだけど、現実的な面で考えれば、引っかかる可能性……、ゼロに近いよね? 限りなく」

 茂みの陰に座り込み、周囲の様子を注意深く観察している最中にボソリと呟かれたサージェスさんの現実的な冷たさを含んだ言葉。
 最強の戦神を誘(おび)き出し捕獲する為の手段として塔の周囲に張った『罠』。
 普通に考えれば、最強の戦神が引っかかるような物ではない、と心配しているサージェスさんの気持ちもよくわかる。
 だけど……、私とレイフィード叔父さんからしてみれば、『引っかかる可能性大』の『罠』なのだ。今夜の事はちゃんと事前にレイフィード叔父さんにも相談してあるし、お父様を誘き出す為にはどんな手を使っても構わないと笑顔でお許しを頂いてもいる。
 ただし、結界の中には絶対に入らない事。日付が変わったら大人しく部屋に戻る事。
 それと、護衛役のサージェスさんから離れない事。この三つの条件を呑む事で今夜の行動が可能になった。
 だから、絶対に……、お父様を捕まえたい。ううん、捕まえてみせる。
 
「大丈夫です……。お父様は気まぐれなところもある人ですけど、根は一途で真っ直ぐな神(ひと)なんです。だから、私が仕掛けた『罠』に少しも反応を示さなかったら……、離婚の危機です」

「離婚……、って、そんなに重要な問題に発展しちゃうの?」

「はい。物凄く……」

 ほんの僅かに表情を引き攣らせたサージェスさんに、私はしっかりと頷いてみせる。

「ってか、仕掛けた罠って何だよ?」

「ニュイ~?」

「愛の試練的なものです」

『罠』の中身を知らないカインさんとファニルちゃんに真顔を向け、私はまた監視に戻る。
 お父様が、塔の外で中の様子を見守っている事を祈りながら……。
 ――やがて、静寂と闇に包まれた世界に、淡い白銀の光を纏う人影が現れた。
 
「ん? 何だあれ?」

「しーっ、皇子君、気配消す事に集中して」

「お、おぅ……」

 塔を背に立つ、しなやかで魅惑的な身体つきをした、一人の女性……。
 木々や茂みを揺らす風の流れに靡く、蒼の柔らかな長い髪。
 閉じられた瞼がゆっくりと開き、彼女の抱くアメジストの双眸が穏やかな気配と共に現れる。
 その身に纏っているのは、遥か古の時代に彼(か)の女神が好んでいた白の衣。
 
「……でけぇな、胸」

「私もそう思いますけど、その流れで私の胸を見るのやめて貰えませんか? ……怒りますよ?」

「皇子君、思ったままの感想を口にするのは自由だけど、それ、女の子の前で言ったら好感度ダダ下がりだからね?」

「ニュイニュイッ」

 カインさんの正直な感想の通り、塔の前に佇んでいる女性の身体つきは、男性の皆さんには堪らないものなのだろう。
 彼女が浮かべている微笑はその気がなくとも絶大な威力を発揮し、世の男性達を虜にするものだ。
 
「別に下心からの感想じゃねぇっつの……。はぁ、でも……、なんか、誰かに似てるな? あの女……」

 カインさんとサージェスさんの視線が、私へと注がれてくる。
 その視線を感じながらも、私は塔の前にいる女性の姿を見つめ続け……、やがて、一言だけ、こう呟いた。

「親子ですから……」

 スタイルは全然違うけれど、幾つか似た部分はあるのだろう。
 遥か古の時代に愛する夫神を失い、その悲しみの果てに……、災厄の女神となった女性。
 戦神、ソリュ・フェイトの妻……、ファンドレアーラ。
 私の持つ記憶を元に偽りの人形を創り上げ、あの場所で姿を現すように仕掛けておいた。
 ぼんやりとしながらお母様の姿を見つめている私から、注がれていた視線が外されていく。

「あれが……、お前のもう一人の、母親、か」

「はい……」

 月夜の下で静かに佇んでいた女神が楽しそうに歌い始め、愛する人を迎え入れようとするかのように、その両手を夜空へと向かって広げた。
 お父様から見れば、すぐに偽物だとわかってしまう。
 けれど、誰よりも深く愛した女性の姿を象った人形を目にすれば……、何らかの反応を得られるのではないかと、私はそれを期待している。 
 姿を現さないでもいい。ただ、ソルさんの中に隠れている……、お父様の気配が少しでも表に出てくれれば、居場所の特定が出来る。
 そして、お父様の気配を私が一瞬でも掴む事が出来れば、もう言い逃れは出来ない。
 
「お父様……、来てください」

 私が胸の前で両手を組み合わせながらそう呟いていると、お母様の姿を模した人形が一枚の紙を取り出した。それをひらひらと片手に持って振り、彼女の唇がある言葉を小さく紡いだ。
 と、同時に一瞬で星々の世界を覆い隠すかのように群れ雲が集まり、塔や私達を凄まじい稲光が轟音と共に照らし出した。
 
「ねぇ、ユキちゃん……、あの女神様(人形)がひらひら振ってるのって、もしかして……」

 頭上の気配が大きく変わり果てようと、お母様を模した人形は一枚の紙をひらひらとさせながら塔の周囲を歩き回り、同じ言葉を小さく囁くように繰り返し続けている。
 そんな人形の様子を観察し、手に持っている紙が何なのかをサージェスさんが口にしようとした、――その時。

「来た!」

 一瞬前までの変化が生温いものであった事を思い知らせるかのように、私達の肌に恐ろしい震えが走り始める。踊り狂う雷光と群れ雲の中から飛び降りてきた何かが、人形の目の前に立ち……。

「あー……、凄いねぇ。有無を言わさずっていうか、女神様から取り上げた紙を速攻で破り始めたよ……、あの人」

「ニュイ~……」

「あぁ……、良かった。本当に、良かったっ」

「何がだよ……」

 昔と変わらないその在り方を見つめながら涙ぐんだ私に、カインさんがげんなりとしながら、ぺしんっと胸の辺りにツッコミを入れてきた。
 けれど、遠い昔に離れて以来の懐かしい思い出を彷彿とさせる目の前の光景は、涙ぐんで感動してしまうぐらいに嬉しいものだったのだ。
 お母様もお父様の事を深く愛していたけれど、お父様のお母様に対する愛情も、それはそれは見事な……、天上の神々が口から大量の砂砂糖をだばだばと吐き出しそうなものだったから……。
 そんなラブラブ夫婦神二人を見ていられないとばかりに、レイフィード叔父さんことレイシュお兄様はよく私を腕に抱いてお散歩に出かけていたっけ……。あぁ、本当に懐かしい。

「――って、いけない!! 早く捕獲しないと!!」

「うぉっ!! ちょっ、ユキ!!」

 みじん切り状態の如く引き裂かれ地面に散らばった離婚届の残骸。
 そして、偽物とわかってはいても、愛する妻を模して作られた人形を抱き締めている男性……。
 逃げられない内に早く、早く……!!
事前に仕掛けておいた捕獲用の術に助けて貰いながら、私は一直線に神の力を発動させながらあの人の許に、――ソルさんの背中目がけて飛び込んでいく。

「お父様!!」

 背を向けていた前任の騎士団長、ソルさんの身体が……、まるで私の行動を読んでいたかのようにくるりと自分の懐を向けるのが見えた。
 昔と同じ……、穏やかで頼もしい微笑が、私の姿を捉えた。

「きゃぁっ!!」

「おっと。……大丈夫か? 王兄姫殿下殿」

 危うく顔面から地面に突っ込みそうになった私をしっかりとその腕に抱き締め、優しい手つきで頭をよしよしと撫でてくれるのに……。
 王兄姫殿下、と、そう口にするのはどういう了見なのか……。
 私を抱き留めた後に自分の四肢へと絡み付いてきた光の鎖にも動じず、ソルさん……、お父様は、ゆっくりと私の顔を上げさせた。
 まだ足りないの? まだ、お父様とわかった上で行動した私に対して、まだ……。
 
「こんな夜更けに外出とは感心しないな? 子供は夢の中に行く時間だ」

「……お父様」

「生憎と、俺はまだ独身でな。まぁ、こんなに可愛らしい王兄姫殿下の父親になら、なってみたい木もするが」

 ……お母様を模した人形の前に喰い付いて出てきたくせに。
 とっくに正体がバレている事に気付かないはずがない。それなのに、まだとぼける気なの?
 イライラとしながらその身体に縋り付いている私の許へ、サージェスさん達が駆け寄ってきた。

「捕まっちゃったねぇ……、ソルさん。観念したら?」

「これはまた、賑やかな夜の散歩だな? で? 観念、とは、どういう意味なのか、俺にはさっぱりなんだが」

「おい……、このおっさん、まだとぼける気みたいだぜ? 無理がありすぎだろ……」

「ニュイニュイ……」

 本当に……。往生際が悪いにも程がある。
 集まった全員でじとぉおおおおおおおお……、と、ソルさんに呆れ果てた視線を注ぎ、最終的にカマでもかけてみようかと私は口を開いた。

「お父様……、私、今度結婚します」

「ほぉ……、それはめでたい事だな。だが、ウォルヴァンシアの王兄姫殿下に求婚となると、それ相応の相手ではないと、……まず、俺がその幸運な男の腕試しを」

「おぉ~い……、違うとか言いながら正直一直線じゃねぇか。いい加減とっとと認めろよ、おっさん」

「だねー……。っていうか、ソルさーん、大事な娘を取られそうなお父さん特有のオーラが怖いくらいにダダ漏れになってるよー。自分でもわかってるよね?」

 再び、じとぉおおおおおおおおおおおおおおおお……。
 自分がソリュ・フェイトだと、バレているとわかっているくせに、何の意味があって視線を別方向へと逸らすのか……。

「お・と・う・さ・ま」

「……」

「どうして……、どうして応えてくれないんですか? ずっと、ずっと、会いたかったのに……、なんで他人のふりをして逃げようとするんですかっ」

「……て、ない」

「え?」

 私の両肩に手を添えて少し引き離すと、ソルさんは物足りなそうな顔をして、小さく呟いた。
 まだ……、隠れんぼが終わっていない、と。
 終わって……、ない? ニコニコとした表情でまだ周囲を歩き回っていたお母様そっくりの人形が、私の傍へとやってくる。偽物のはずなのに……、何故か、本物のお母様が私に何かを促しているように、笑みを深めた。
 隠れんぼ……、捜して、見つけて、……そして。
 
「お、お父様……、み、み~つけた!」

 まるであの頃のように、無邪気で素直な心のまま、一心にお父様を捜してはしゃいでいた……、幼かった頃の私。一生懸命捜して捜して……、その姿を見つけた時、必ず満面の笑顔で口にしていた言葉。隠れんぼ終了を告げる、合図。
 まさかこんなに大きくなってから言う事になるとは思わなかったけれど、私はお父様を正面から見据え、あの頃と同じように笑顔で終了の合図を告げた。
 すると、今度は力強く、ソルさんの……、お父様の両腕が私をその胸に掻き抱いた。

「寂しい思いをさせて……、すまなかったな。ユキ」

「お父様……、っ、は、はいっ。お、お帰り、なさい!!」

 今度はちゃんと、正真正銘、私を受け入れてくれた温かい腕の中。
 いつの間にか頭上の雷鳴は止み、星空を覆い隠していた雲の群れも、綺麗に姿を消し去っていた。
 何千、何万、数えきれない程の過ぎ去った時は永すぎて……。
 私は溢れ出る涙を止められず、お父様の腕の中で子供のように泣きじゃくり続けたのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「――で、感動の親子の再会が済んだわけだけど、どうする? これから」

 思いっきり泣いて、ようやく感情の高ぶりが落ち着いてきた頃、サージェスさんが塔の方を親指で示しながら質問を寄越してきた。
 
「ソルさんも知ってるんでしょ? 塔の中で何が行われているのか」

「あぁ。無事に解呪が終わるまでは俺がここで見張りをするつもりだ。だから、お前達はユキを連れて部屋に戻ってくれ」

「……お父様」

「ん?」

「あの……」

 元々お父様は、ソルさんはアレクさんのお父さんと一緒に仕事のついででこの王都に訪れていた。
 という事は、王都に用がなくなれば帰ってしまうという事で……。
 せっかく再会出来た喜びが悲しみに変わってしまうのではないかと、そんな心細さから、私はお父様の胸にしがみついたまま、小さな声で我儘を口にしていた。

「どこにも……、行かないでください」

 子供じみた我儘。お父様にはお父様の考えがあって、それを邪魔してしまうわけにはいかないのに……。でも、せめて、これからの事を話し合って、情報を共有し合う時間くらいは、作ってほしい。
 そうお願いするはずだったのに、口から零れ出た言葉は酷く我儘なもので……。
 じっと私を見下ろしたまま、お父様は困ったように苦笑を漏らす。

「安心しろ。解呪を見届けた後からは、俺もお前達と行動を共にする。そうする為に、この王都に来たんだからな」

「ほ、本当に?」

「あぁ。だから、解呪が終わった後は、お前の部屋に邪魔するとしよう」

「――っ!! ま、待ってます!! 寝ずに待ってます!! お父様!!」

 昔と変わらない包容力のある優しい笑みで頭を撫でてくれたお父様に、私は大きく目を見開いてそう大声を張り上げていた。もうどこにも行かない、ずっと、ずっと、一緒にいられる。
 もう一度お父様に力いっぱい抱き着く。

「約束ですから!! 破らないでくださいね、お父様!!」

「勿論だ。……だが、ユキ」

「はいっ」

「俺を誘き出す為とはいえ……、随分と手の込んだ悪戯をしてくれたようだな?」

「あ……」

 ニコニコと笑みを纏うお父様が、ちらりとお母様人形に視線を向け、また私へと戻した。
 嵐の予兆が……、お父様の背後から唸り声を上げて爆発する瞬間を待っている……、気が、する。
顔面蒼白になりながら周囲へと視線を走らせると、私達の傍から、サージェスさんとカインさん、ファニルちゃんが無言のまま……。

「ユキ! 頑張れよ!!」

「ユキちゃん、ファイトー」

「ニュイ~!!」

「えっ? ちょっ、か、カインさん!! サージェスさん!! ファニルちゃんまで!?」

 一気に距離を取って木陰に隠れた二人と一匹の行動は、まさに、触らぬ神に祟りなし!
 最愛の妻を模した人形、心臓に悪すぎる離婚届、美しい形の良い唇が囁いた、『離婚、しましょうか?』という、最悪の脅し文句。
 お母様の事を深くどころの話ではないレベルで愛しているお父様からしてみれば、これは悪趣味な悪戯以外の何物でもない。

「あ、あのっ、わ、悪気があったわけじゃなくて、その、確実にお父様を捕獲、じゃなくて!! お父様に会いたくて、あの、あのっ」

「素直で心優しかった愛娘から、こんな仕打ちを受けるとはな……」

 顔を背けたお父様が、悲しそうに表情を歪ませてしまう。
 けれど、それは僅かな間の事で……、私へと顔を向けなおした瞬間には、――獲物を喰らう獰猛な光がその双眸にしっかりと宿っていた。

「レイシュには……、後でしっかりと親子の時間を設ける事にしよう」

「あ、……ば、バレて、ました?」

「ああいう悪趣味な事を考え付くのはレイシュの方だろうからな。だが、それを受け入れて実行に移したお前にも、お父様は怒っている。――後で仕置きを覚悟しておくように」

「うぅ……っ、は、はいっ」

 不気味な含み笑いと共に、一応は怒りを収めてくれたお父様にほっとしていると、不意に奇妙な音が耳に触れた。強固な壁を外側から力をぶつけて亀裂を入れていくかのように、その不快な音はどんどん大きくなっていく。
 
「あー……、やっぱり来ちゃったみたいだねー。あの悪ガキちゃん達」

「ニュィイイイッ!!」

 呆れの音が含まれた、サージェスさんの冷たい声。
 威嚇の声を上げたファニルちゃんを急いで腕の中に保護し、私も構えの態勢に入った。
 神としての記憶を取り戻す前なら、きっと皆さんの背中に隠れて守られるだけの存在だったはず。
 けれど、今の私は違う。力の限りに、敵と戦う事が出来る。

「ユキ!! お前は下がってろ!!」

「大丈夫です!! もう、カインさん達の足を引っ張ったりはしませんからっ」

 即座に右手を竜の形態へと変えたカインさんに叫び返すと、その返事を待つ暇もなく、今度は私達の方へと向かって攻撃の手が無数に放たれてきた。
 あらゆる術の複合技は槍のように降り注ぎ、塔を中心とした一帯は混沌一色に包まれていく。
 恐ろしいまでに執拗な攻撃を避けつつ私が見上げたその先には……。

「マリディヴィアンナ……」

 夜闇に黄金の柔らかな髪を靡かせ、無数の魔術の陣を背景に佇む可憐な少女。
 彼女の顔には笑みでなく、激しい憎悪に満ちた気配が滲んでいる……。
 そして、……彼女の傍らには、見知らぬ女性が一人。
ガデルフォーン皇国の亡霊であるマリディヴィアンナと同じ憤怒の表情と共に、ひとつの小箱を両手に持って空中に佇んでいた。
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