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第四章アレク×幸希編~蒼銀の誓いと咲き誇る騎士の花~

ウォルヴァンシアへの帰還の朝。

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 ――Side 幸希


「はぁ……」

「ニュイッ!! ニュイ~!!」

 涙と羞恥をこれでもかと味わわされた私は、翌日……、出発の時間が近くなってきているというのに、いまだにベッドの中に隠れていた。
 すぐ傍には、サージェスさんのお蔭で再会を果たした薄桃色のもふもふぽっちゃりボディこと、ファニルちゃんがその可愛らしい肉球付きの前足で私の頬をペチペチと叩いている。
 きっと、早く起きないと困るよ~、と、そう言ってくれているのだろう。もしくは、早く朝ご飯の餌を寄越せという催促か……。
 でも、身支度をして玉座の間に行けば、……アレクさんがいる。
 強引過ぎる手段で私を拘束し、ずっと秘めてきた人の情けない部分を全部吐かせてしまった人。
 ポツポツと語る内に、悲しい記憶に感情が引き摺られて涙を零し始めたせいで、さらに羞恥は何倍にも膨れ上がった。そんな私を、アレクさんはよしよしと頭を撫でながらずっと耳を傾けてくれていて……。
 ある意味で、弱味を握られたと言ってもいい昨夜の出来事で負った私のダメージは凄まじい。
 あぁ、このままもう一度夢の世界に逃げ込みたいなぁ……。
 な~んて、現実逃避に走っていた私の思考を、訪問者の声が一瞬で現実に引き戻してくれた。

「ユキ、いつまで寝ているつもりだ? 出発まであと一時間もない。さっさと支度をしろ」

 ノックもなしに、しかも、鍵まで意味なしとばかりに踏み込んで来たのは、アレクさんとはまた別の意味で会うのが怖い、というか、気まずい人。
 普段なら、大魔王様に意地悪をされる前に飛び起きるところだけれど、今朝は……。

「あと十分だけ……、ここにいさせてください」

 ゴソゴソゴソ……。頭から毛布を被り込んで蓑虫になった私の傍に、容赦のない気配が近づいてくる。

「ウォルヴァンシアの王兄姫たる者が怠惰な事を言うな。ほら、――起きろ」

 問答無用で奪い取られた私の毛布。爽やかな朝の訪れを知らせる眩い光が、視界に飛び込んでくる。驚いたファニルちゃんがベッドから飛び降りて、ピョンピョンと室内を跳ね回り始めた。
 
「酷いですよ……っ」

「獅貴族の者達に笑われないように配慮してやっただけだろう? ……それよりも、どうした? その顔は」

「……あ」

 勢いよく顔を上げて抗議した私の顔を見た途端、ルイヴェルさんの呆れ気味の表情に険が宿った。
 ま、不味い……っ、昨夜のみっともない顔のままベッドに入ってしまっていた事に、今更ながらに気付いた。アレクさんの腕の中で包み隠さず話す羽目になった私の弱い部分。
 その結果、散々な顔になってしまったこれを、まさか術をかけて治す前に見られる事になろうとは……。とりあえず、近くにあったクッションを持ち上げて顔を隠してみる。

「隠すな」

 はい、一秒もかからずにベシンッ!! と、クッションをはたき落とされました!!
 ベッドに乗り上がって来たルイヴェルさんが、逃げ場を塞ぐ為に私の顔をがしっと両手に掴んでくる。眼鏡の奥の深緑が……、私の情けない顔から何かを探ろうとしている。

「昨夜、何があった? お前はアレクと天上に行っていたはずだが」

「は、はい……っ。み、御柱の、世界を支えるバランスを整える為に、ちゃんと、アレクさんはお仕事をしてきましたっ。で、え~と……、それが終わってから、ちょっとイリュレイオス様と色々と」

「どうでもいい部分は省け。俺が知りたいのは、お前の顔がこんな風になったその原因だ」

 以前なら、意地悪をされると、少し苦手だと、そう思いながらビクビクとこの深緑の瞳を受け止めていた私だけど、今は……、違う。
 ルイヴェルさんも私とアレクさんと同じ神。正確には、この世界の外から来た異界の神様。
 遥か遠い昔……、互いに素性を隠し、地上で出会った私とルイヴェルさん。
 ……私と出会ってしまったせいで、不幸になってしまった人の、一人。
 すでに神として覚醒しているのだから、ルイヴェル・フェリデロードとして生きてきた記憶の他に、この人の中には遠い昔の記憶も、私に対して抱いていた感情も、取り戻しているはず。
 けれど、ルイヴェルさんの私に対する接し方は何も変わらない。
 私が幸希として生まれ、幼かった頃に面倒を見てくれていた兄のような存在としての在り方を軸に、今も世話焼きな保護者の顔をしている。
 安堵するべきなのか、それとも、おかしいと思うべきなのか……。
 あえて踏み込む決心がつかず、私はブンブンと顔を振って、アレクさんとの件を誤魔化す事に集中した。

「ひ、久しぶりに、可愛いもっふもふのフェルティアさん達を触れたので、その感動でこんな事に!!」

「ほぉ……、それで俺を誤魔化せると考えているのか? そんな手で……、俺が頷くと?」

「う、頷いてくれると、嬉しい、ですっ」

「言わない、いや、言えないところを見ると、原因はアレクで決まりだな。少女期のお前を翻弄させるなと、何度注意すればわかるのか……。もういい、顔の腫れと目の散々な有り様を治療するぞ」

「ち、違いますから!! 断じてアレクさんのせいじゃっ、むぐぅうっ!!」

 大魔王様に誤魔化しなど通用しない事なんて、最初からわかっていたはずだったのに……。
 一度強めに顔を両手でパンっと挟まれた私は、すでに原因を確認し終えた王宮医師様の手によって治療を施され始めた。
 けれど……、やっぱり、覚醒する前のまま。
 治癒用の術詠唱を口にするルイヴェルさんを見つめながら、私は抱いていた違和感をさらに強めていく。

「……何か言いたい事でもあるのか?」

「いえ……、別に」

 じっと凝視していた私を冷ややかに見下ろしながら、ルイヴェルさんは治療を終えるとすぐに離れていった。
 何に対して違和感を抱いてしまうのか……、それはやっぱり。

(この人……、神様時代には、所構わず攻めてくるような人だったはずなのに)

 一体何度、その積極的な態度に翻弄された事か……。神として在った頃の記憶の中から、ルイヴェルさんにされ続けた口には出来ないアピールの数々が蘇ってくる。
 ……確かに、触れてくる事に躊躇いはない。
 けれど、問題はその触れ方と、私を見る眼差しの気配……。
 眠りに就いてからの私は、時折天上での出来事が魂へと流れ込んでくる事があったわけで、その中には、ルイヴェルさんについての記憶もある。
 ……意図的にその姿や行動を見えないように妨害を意図された、その断片的な記憶。
 それは、直接的ではないにしても、私に知るなと言っているも同じ事。
 だから……。

「治療、ありがとうございました。もう起きます」

「朝食はなしだぞ。身支度を整えたら、すぐに玉座の間に来い」

「はい」

 知らないふりをする。腫れの引いた顔で、ニッコリと笑って……。
 多分……、今の私では、踏み込めない何かがあるはずだから。
 もし、それに触れられる時が来るとすれば、それは。

「ニュイ~……」

「あ、ファニルちゃん……。大丈夫だよ、ファニルちゃんの朝食は、ちゃんと食べさせてあげるからね」

「ニュイ!? ニュイ~!!」

 扉の向こうへとルイヴェルさんが消えた後、私は身支度を整えに入る前にファニルちゃんの餌を用意した。有難い事に、サージェスさんが差し入れてくれたものだ。
 美味しそうにそれを頬張るファニルちゃんを横目で見ながら、私も支度に入る。
 ルイヴェルさんの件も気になるけれど、今はそれよりも……。

(アレクさんを前にしたら、また昨日の事を思い出して泣きそうになるかも……)

 強引な手段で聞き出されはしたものの、……やっぱり、嫌いにはなれなかった。
 むしろ、以前よりも強く、……その存在に心が惹き寄せられるかのように。
 全てを吐露し終えた私をその腕に抱き締め、アレクさんは静かに一言。

『今まで……、よく耐えてきたな』

 そう優しい声音で囁いて、泣きじゃくる私の背中を労わるように撫でてくれていた。
 あぁ、今思い出しても、ものすっごく……、恥ずかしい!!
 子供みたいに泣いて、自分の弱味をアレクさんに晒し出すなんて!!
 ……本当に、何をやってしまったの、私は。
 白いブラウスの袖に腕を通しながら、何度目とも知れない溜息を吐き出した。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「皆さん、お待たせしました!!」

「キャンディ~、おっはよう!! そんな急がなくてもいいのに。まだ全員揃ってないみたいだし、こっちにおいでよ~」

 餌を貰って満足そうな顔をしているファニルちゃんを抱えて飛び込んだ玉座の間。
 外からの光が差し込むその場所には、女官さん達や騎士の人達が壁側と窓の近くに控えている。
 最奥に配されている豪奢な金色の玉座には、微笑ましそうな顔で私とレアンのやり取りを見ている獅貴族の王様の姿が。
 
「あれ? サージェスさんと、カインさんだけ……、ですか?」

 レアンとの挨拶を済ませ、周囲を見回した私は首を傾げた。
 荷物ひとつなく、身軽な姿でレアンの傍に立っているサージェスさんとカインさん。
 それに、御主人様とシャルさんの姿もあるというのに……。
 玉座の間のどこを見回しても、先に来ているはずのルイヴェルさんとアレクさんの姿がない。

「ふあぁぁ……、その内来るだろ」

「そう、ですかね……」

「おはよう、ユキちゃん。ルイちゃんなら一度こっちに来たんだけど、ちょっとね。もうすぐアレク君と戻って来るだろうから、一緒に待ってようねー」

「はい……」

 まさか、こっそりとアレクさんに何か良からぬ仕打ちをしているんじゃ……。
 ぞくりと背筋に嫌な予感を覚えた私だったけど、それは気のせいなんかじゃなかった。
 暫くして足早に玉座の間へと入ってきた白衣姿のルイヴェルさんと……。

「あ、アレクさん……!! どうしたんですかっ、その頭の」

 おっきすぎる腫れあがったタンコブは!!
 何故真顔で立っていられるのか、近づいてきたアレクさんの頭のタンコブに大声を上げた私は、大慌てで理由を尋ねる。答えは、逸らされた視線の彷徨い方ですぐにわかった。
 飄々とトランクをひとつ手に持っているルイヴェルさんを睨み付ける。

「違う、って、私言いましたよね?」

「アレクと話をした結果がそれだ。お前の答えは関係ない。それよりも、王の御前だ。静かにしていろ」

「あとでちゃんと謝ってくださいよっ、もうっ」

 タンコブひとつで済んで良かったというべきか……。
 アレクさんを心配しつつも、私は心の中でこっそりと安堵している。
 天上時代の頃なら、間違いなく大変な事態に発展していたはず、なのだから。
 
「ユキ……、俺の事なら大丈夫だ。ルイが手加減してくれたからな」

「いや、番犬野郎……、お前、頭の上のモン鏡で見て来いよ。すげぇぞ……」

「うんうん、顔より大きいよね、そのタンコブ……。騎士さん、治療した方がいいよ。本気で」
 
 引き気味にアレクさんの負傷状態を心配しているカインさんとレアン。
 顔を合わせれば喧嘩ばかりの相手に対して同情の目を向ける程に、カインさんから見てもアレクさんのタンコブは凄い物だった。
 顔を合わせた瞬間から酷い状態だったので、さっきまで抱いてきた緊張もどこへやら。
 アレクさんの隣に立った私は、こっそりと頭の上に治癒の術をかけておいた。
 そして……、レアンのお父さんである獅貴族の王様との形式的な別れの挨拶を終え、私達はルイヴェルさんの発動させた陣の中へと。

「キャンディ~!! また遊ぼうね!!」

「キャンディ……、身体に気を付けて頑張るのよ。またボクの所で飼ってほしくなったら、いつでもいらっしゃいな」

「キャンディさん、お元気で」

 国王様の傍で涙ぐみながら手を振ってくれるレアン、少し寂しそうに片手をあげた、珍しく欠伸まじりでない物言いの御主人様と、笑顔のシャルさん。
 記憶喪失が縁で結ばれたこの獅貴族の地での絆を確かに感じながら、私も再会を約束して手を振り返す。

「ウォルヴァンシアに戻り次第……、多忙が待っているんだがな」

「ルイヴェルさん……。そうですね、やらなくちゃいけない事が、待っていますから」

 別れを惜しむ暇はない、と、ルイヴェルさんは溜息と共に私へと視線を流してくる。
 アレクさんもそれに頷き、私の手を取ってしっかりと握り締めてくれた。
 事情を知らないカインさんの方は、少し蚊帳の外に置かれたようで不機嫌そうだけど、仕方がない。ウォルヴァンシアに戻ったら、まずは、――レイフィード叔父さんの許に。
 目覚めを迎えかけている家族の事を思い浮かべながら、それがどうか穏便に済みますようにと、私は何度も祈りながら転移の陣の光に包まれ、獅貴族の地を旅立つのだった。
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