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第四章アレク×幸希編~蒼銀の誓いと咲き誇る騎士の花~

アヴェルオードの秘密の隠れ家

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 ――Side 幸希


「やぁっ!! 我が愛する長兄と姫君!! ようこそ!! 約束の地へ!! ――ぐふぅうっ!!」

「何故お前がここにいる? そして、さっきの悪趣味なアレはなんだ? この愚弟」

「あ痛たたたたた!! 痛いっ、痛いけど嬉しいっ!!」

 ……大好きなお兄さんの靴底に踏みつけられながら喜ぶ、御柱のおひとり。
 狼王族としても、神々としても、本来は温厚で物静かなはずのアレクさんが、また荒ぶっている。
 まぁ……、ここに辿り着くまでに味わった吃驚仰天の出来事を考えれば、仕方ない、かな。
 私とアレクさんを舟ごと飲み込んだ大海の大穴。
 何の力もない徒人であれば、……その大自然の腕に抱かれ、一瞬で命を落としていたかもしれない。そう、あの大海が、自然の産物であれば確実に。
 けれど、幸いな事にあの世界も、この場所も、イリュレイオス様が創り出したもの。
 誰かを傷付ける意図のない創り物の世界は、ただ私達を不必要に驚かせる為に用意されていた。
 アレクさんに強く抱かれながら飛び込む羽目になってしまった大海の真っ黒な深淵は一瞬でその姿を変え、――今は淡い色合いの美しい花々に囲まれた、在りし日の楽園を映し出している。
 
(で……、その場所で悪意のない笑顔で待っていたのが)

「イリュレイオス……、お前の子供じみた悪戯癖は、いつになれば治るんだ? 俺相手にだけならまだしも、ユキにまで害を与えた罪は重い」

「あ痛ぁあああっ!! あ、アヴェル兄さんっ、愛が痛いっ、痛いけれど、この愛がイイ!!」

 まるで、どこぞの容赦なしの王宮医師様のようなドSな顔つきでイリュレイオス様をグリグリと踏み付けているアレクさんだけど、何故かいつの間にかこの場所に先回りしていた神父&シスター風フェルティアまで嬉々として自分の主をグリグリグリグリ。
 天上の楽園で暮らしていた頃にも、よくある幸せ? な光景のひとつだったなぁ……、これ。
 でも、約束の地が天上というのは、どういう事なのだろう。
 止めるに止められないお仕置きの光景を前にして、私は周囲を見回してみた。
 現実の天上とは違い、何もかもが問題のなかった平穏な日々の姿……。
 すぐ近くには、御柱の方々が役割の場として使っている神殿が三つ。
 表面にはそれぞれを象徴する紋章が神殿の表面に刻まれており、どこを見ても再現率の高い景観を創り出している。
 ただ……、私達の存在以外には、誰の気配もない。
 この場所に一体何があるのだろうと考えていた私は、暫くしてお兄さんのお仕置きから清々しい笑顔で解放されたイリュレイオス様に手を差し出された。

「お手をどうぞ、姫君」

「イリュレイオス様、わざわざ実体そっくりの器の中に入ってまで無理をなさらなくても」

 一見して麗しの貴公子様だったはずのイリュレイオス様は、その美貌に笑顔を浮かべながらもズタボロ状態だ。時代に合わせた仕立ての良い服を纏っているというのに、アレクさんの靴底やフェルティアの足裏の跡がドカドカとスタンプのように残っている。
 けれど、これは本物の天上で休んでいるイリュレイオス様の実体じゃない。
 その姿にそっくりの器を作り、必要な時に精神を飛ばせるようにしていたのだろう。
 以前に遊学先のガデルフォーンに現れた、レイフィード叔父さんの時と同じケース。
 そう言い当てた私に、イリュレイオス様は困ったように笑いながら私の手を取った。

「だってねぇ……、これから色々と忙しくなるんだよ? その前に、少しでも愛しき実兄の力になっておきたいじゃないか。たとえば~……」

「イリュレイオス……」

「ふふ~ん、睨んでも無駄だよ、アヴェル兄さん。むしろ健気で兄想いの弟を、そう、このボクに感謝したまえよ!! 奥手な家族の後押しをしようと言うのだからね!!」

「嫌な予感しかしないんだが……」

 げっそりとその綺麗な顔を手のひらで覆い隠しながら溜息を吐いたアレクさんに、フェルティア二頭が同意するように、ふぅ……。確実に精神的疲労度が一番高いのは、アレクさんだろう。
 背後の残念感満載のお兄さんと自分の眷属の反応も何のその、私達は上機嫌なイリュレイオス様に連れられて、御柱の一人、アヴェルオード様の場たる神殿に招かれる事になった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ひとつ、聞く……。何故お前が俺の秘所的空間の場所を把握している? そして何故、何度も入った事があるかのように再現率が高いんだ?」

「あ、アレクさん……。まぁまぁっ」

 天上の楽園において、一応役割の場としても、公の住居としても知られている神殿の中を進んでいた私達は、その中にあるアヴェルオード様の私室に通された。
 そして、何故か家族の事は何でも知っているとばかりに、その私室から通じている秘密の場所に行く為の術式の陣を発動させたイリュレイオス様。
アレクさんの口の端が怒りに引き攣っていくのは、当然のことだろう。
 どうやら、家族にも誰にも秘密にしておいた場所を知られていた事実にショックが大きいようだ。
 沢山の書物が収められた巨大な本棚の群れと、散らかった様子が一切ない蒼の絨毯が広がる足元。
 アレクさん……、アヴェルオード様の真面目できっちりとした性格が反映されている場所。
 視線の向こうには大きな全面窓張りの光景があって、外からは優しい月明かりが差し込んでいる。
 この場所は……、イリュレイオス様の創った世界じゃない。本物の……。
 
「アレクさん、ここは……」

「アヴェル兄さんお気に入りの、地上のどこかにある秘密のお屋敷だよ。本当はここに直通で飛んで来て貰っても良かったんだけど」

「俺の反応が見たいが為に、わざわざ神殿からにしたんだろう?」

「正解!! やぁ~、ボクがこの場所へ通じる術式を発動させた時のアヴェル兄さんのあの顔!! 見応え抜群過ぎて……、ふふふふふ、ボクの心のメモリアルに永久保存だよ!!」

 物凄く怖い気配で鋭い視線を突き刺されているのに、本棚の間を通って鼻歌を奏でているイリュレイオス様の心は、昔から変わらず鋼以上の図太さだ。
 しかも、そのお茶目? な悪戯の多くは、お兄さんに構ってほしい、愛情を伝えたいという、ルイヴェルさんとはまた違った意味での屈折さを誇っている。
 
(私のお兄様もイリュレイオス様と大雑把に見ると性格が似ていると言われる度に……、笑いながら怒ってたなぁ……。まぁ、テンションが高いのは、うん、似ているとは思うけれど)

 互いの兄と妹について笑顔でお茶をしていた頃のイリュレイオス様とお兄様を思い出してみた私は、その後必ず口喧嘩に発展していく笑顔の毒舌戦の光景までありありと思い浮かべてしまい、ははっと乾いた笑いを小さく零した。
 
「と、アヴェル兄さんの隠し物は~と……」

「ちょっと待て……!! この場所だけでなく、アレの事まで知っているのか……!?」

本棚の間を歩き回って目的地を目指すイリュレイオス様を、アレクさんが速足で追いかけていく。
 家族といえども、親しき仲にも礼儀ありを守らない弟さんを持つと苦労するなぁ……。
 悪気はないはず……、なのだけど、確実に再会を果たしたお兄さんの精神ゲージを真っ赤に点滅させるレベルの所業の数々。
 アレクさんじゃなくても、きっとイリュレイオス様に気に入られてしまった人は苦労する事だろう。……ルイヴェルさんからの意地悪と、どちらがマシかと問われて困るぐらいには。
 
「よっと!! はい、到着!! ゴタゴタしない内に早く渡したまえよ!!」

「はぁ、はぁ……、イリュレイオス、俺をおちょくるのもいい加減にっ」

「おちょくってなんかないよ。姫に遠慮ばっかりして、『彼』のような積極性もなくウジウジと悩み続ける愚かな兄に置き去りにされた可愛い子を、誰が見守り続けてあげていたと思っているのかな? 放置プレイにもほどがあるよ!!」

 と……、イリュレイオス様が自分の度を越した所業をうやむやにした挙句ビシッ!! と指差したその場所には、一冊の……、本?
 本棚の間から上へと続く階段の左右にずらりと並んだそれらの一角、光の及ばない一角にそれはあった。私がその場所に辿り着いた時にはすでに二人の喧嘩は始まっており、今はその本を奪い取ろうとアレクさんが激怒しながら奮闘している最中だ。

「安心していいよ!! アヴェル兄さん!! これは正真正銘本物だからね!! ボクが定期的に通って、音楽を聞かせたり、一緒にお茶をしたり!! 甲斐甲斐しく掃除や保存環境までバッチリにしておいたんだよ!! さぁ!! 褒めたまえ!! 感謝したまえよ!!」

「ふざけるな、イリュレイオス……!! お前は昔っから、いつもいつも、末っ子だからと自分の好き勝手に破天荒な事ばかりっ。――今日を限りに兄弟の縁を切ってもいいんだぞ……!!」

「え……」

 その瞬間、ポロリとイリュレイオス様の手から落ちかけた大きな本を、アレクさんがその手に掴んだ。ほっ……、と、安堵の音が小さく聞こえた。

「アレクさん……、い、イリュレイオス様が」

 地に両手を着いての、絶望満載の打ちひしがれたポーズ……。
 麗しの貴公子様スタイルのイリュレイオス様の美貌から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちている。
 
「うぅっ……、生まれた時からずっと一緒に育ってきたのにっ、ボクの何が不満なんだい!!」

「主にその土足で人の心に踏み込んで笑っていられる悪趣味な性格だ」

「ぐはぁああっ!! ぼ、ボクは……、ただ、片想いに苦しんできたアヴェル兄さんの切なる想いを姫に届けさせようとしただけ、なのにっ。何故だ……!! 何故理解されないっ」

 ……多分、それに至るまでの過程が酷いからじゃないかなぁ。
 私のお兄様の一途で素直な愛情表現と違って、イリュレイオス様は毎回その方向性が多大に間違っているから。
 そう事実を告げたいけれど、あまりの嘆きように何も言えない。
 
「えーと……、とりあえず、その本の事、聞いても、いいですか? アレクさん」

「……」

 見たところ、アレクさんの持っている本は、エリュセードのもふもふ大図鑑とタイトルが付けられているけれど、それは見せかけのカモフラージュなのだろう。
 中に何かを隠してあるらしく、滅多な事では取り出せないように陣が裏側に刻まれている。
 
「これの中身を知っているという事は……、あの時、見ていたな? イリュレイオス……っ」

「ふんっ、アヴェル兄さんが姫の為に作っている姿や、たまに、姫への愛を小声で囁きながら至福の表情になっていた事とか、あの件の後にこっそりそれをこの場所に隠しに来た事ぐらいしか見てな」

「見たんだな? 全部……、俺がこっそりとやっていた事を、余す事なく……!!」

「あああっ!! アレクさんっ、落ち着いてくださいっ、アレクさん!! 実の弟さん相手に刃を向けないでください!!」

 誰だって隠していた事を暴かれるのは辛い。
 それが人に見られたくないものや自分だけの秘密だったら、顔を真っ赤にして羞恥と怒りの感情に苛まれる事だろう。その点では、確実にイリュレイオス様が悪い。
 だけど……、多分、姫というのは、私の事ではないだろうか。
 その本の中に、私に関係する何かが……、あるの?
 アレクさんの身体にしがみ付きながらその存在を気にしていた私は、ちょっとだけその中身を知りたくなってしまった。

「はぁ、はぁ……」

「大丈夫ですか? アレクさん……。とりあえず、イリュレイオス様の悪戯はさておいて……、あ」

「どうした? ……ん?」

 じーっと、その手に持っている本を見つめた私に戸惑う様子を見せたその直後、アレクさんはいつの間にか目の前から消えてしまっていたイリュレイオス様に、またピキリと表情を苛つかせた。
 けれど、もう姿のない者に感情を荒げていても仕方がないと気付いたのか、アレクさんは呼吸を落ち着かせながら私の方へと向き直る。

「すまない……。予感はあったんだが……、相変わらずイリュレイオスは困った弟だ。ユキまで巻き込んでこの場所に連れて来るとは」

「いえ、私は特に気にしてませんから大丈夫ですよ。でも……、地上に秘密の場所を作っていたなんて、初めて知りました」

 天上で暮らしていた頃、この場所について聞かされた事は一度もない。
 それは、アレクさんにとって本当に秘密の、一人になりたい時に使われていた場所だからなのだろう。御柱としての重大な責任を課された存在が、その心を休める事が出来る秘密の隠れ家。
 イリュレイオス様に連れて来られたとはいえ、私まで知ってしまって良かったのだろうか。
 とりあえず先に謝っておくと、アレクさんは気にしていないと言って微かな笑みを浮かべてくれた。

「お前なら、構わない……」

 本を抱き、私の手を握ったアレクさんが、促しながら階段を下りて行く。
 月明かりの光の他に、室内を浮遊する淡い蛍のような光とは別に、窓際にあったテーブルの許に向かうと、一瞬で室内全体を照らし出す為の明かりがついた。
 
「ユキ……、お前には辛い事を思い出させるようで悪いとは思うが、俺とお前が離れ離れになったあの一件の前に、ある約束をしていた事を覚えているか?」

「約束、ですか……? ちょっと待ってくださいね、ん~」

 私の優柔不断さが招いたあの悲しい一件の前……、アレクさんとの、約束。
 神としての記憶を取り戻したとはいっても、やはり何千年も、それよりも前の記憶となると、細部を思い出すには結構な難易度が立ちはだかっている。
 けれど、アレクさんの真摯な眼差しを前にしては、忘れた、とは言えない。

「ちょっと待ってくださいねっ、全力で思い出しますからっ」

「いや、覚えていないのならいいんだ……。あの時のお前が負った心の傷を思えば、その前の記憶は酷く不確かなものになっているだろうからな」

「すみません……」

 温かみのある四角い木のテーブルを挟んで向き合いながら、私はぺこりとアレクさんに頭を下げる。遠い昔に交わした約束……、本当に、何故記憶から取り出せないのか。
 苦笑気味に許してくれているけれど、アレクさんにとっては大事な約束だったのだろう。
 それを忘れるなんて、あぁ……、不義理をしているようで、本当に申し訳ない。

「本当は、あの件の翌日に……、お前と地上に降りる気だった。その誘いを事前にしておいたんだが、結局……、この場所に招くまでかなりの時が経ってしまっていた」

「……あ、思い出しました!! 私を連れて行きたい場所がある、って……、そう誘ってくれていたのに、本当にすみませんっ」

「気にしないでくれ。遥か昔の事だ……。神であっても、全てを覚えるには、無理がある」

 窓から見える三つの月に視線を上げたアレクさんは、遠い昔の日々を懐かしむように本の表紙を指先で撫ぜた。
 狼王族の騎士様と、この世界に帰還してきた二つの世界のハーフとして出会ったのが始まりだったはずなのに……、気が付けば、夢か幻のように感じられる遠き日々の記憶が心の奥で溢れている。
 お父さんとお母さんの娘、『幸希』。天上の戦神だったお父様と災厄の女神となったお母様の娘、
『ユキ』。どちらも、私であり、どちらも本物の記憶と存在。
 幸希として生きてきた記憶でさえ、昔の事は朧気に感じられる時がある……。
 神としてのユキが抱いていた、そう在った頃の記憶もまた、同じように。
 けれど、出来れば言われる前に思い出したかった。
 心優しい真面目な騎士様の、神様の、彼と交わした大事な約束を。

「でも、やっぱり忘れていた自分が許せないので、ごめんなさい」

「ユキ……。お前は、神であった頃も、今も、律儀な子だな」

「そうですか? 真面目さと律儀さは、アレクさんに敵わないと思うんですけど」

「いいや、俺などよりも……、お前は自分を犠牲にしても貫こうとする真面目さが、昔からある」

 くすりと笑った後、寂しそうに蒼の双眸を細めたアレクさんが、そっとテーブルの上にあった私の手に温もりを重ねてきた。
 大きな、触れていると……、心から安心できる、優しい手。
 トクン、と、自分の奥で少し緊張した響きを感じた私は、次にアレクさんが口にした言葉で、その鼓動を不安の音に変えてしまった。

「ユキ……、天上での事だが、やはり改めて思った。お前は、『母親』の影に囚われ過ぎている、と」

「アレクさん……」

 引きかけた手を、アレクさんの温もりに掴み取られた私に、――逃げ場はなかった。




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