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第四章アレク×幸希編~蒼銀の誓いと咲き誇る騎士の花~

騎士の囁く愛の子守歌

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 ――Side 幸希


「アレク……、さん?」

 そよぐ優しい風が、開け放たれている窓から流れ込んでくる。
 小鳥の愛らしい囀りが耳を和ませ、握られている左手の先を辿っていくと、ベッドに顔を乗せて穏やかな寝息を立てているアレクさんの姿があった。
 何度か経験した、優しい目覚め。その時にはいつも、アレクさんが傍にいてくれて……。
 上体を起こし、室内を見回す。上品な調度品と、真っ白な壁に、幾つかの絵画。
 獅貴族の王宮内だろうか? 不穏の気配はどこにも感じられない。
 アレクさんを起こさないようにと、そっとその手を外してベッドの外に出る。
 窓に向かい、淀みなく澄み渡っている青空に表情を和ませる。
 爽やかな空気、どこまでも美しい青と、城壁の向こうに見渡せる獅貴族の王都。
 
「良かった……」

 冥界への道を閉じ、魂は人々の許へと……。
 清々しい空気を吸い込みながら微笑んだ私は、外の様子に目を凝らしていると、突然背後からまわされてきた力強い腕の感触に囚われてしまった。

「ユキ……」

「あ、おはようございます。アレクさ……、えっ? きゃああっ!!」

 ぎゅっと抱き締められたかと思ったら、今度はその腕に抱き上げられてベッドに放り出されてしまう。その上から、アレクさんが怒っている気配と共に覆い被さってきて……。
 蒼の双眸が、冷ややかに私を見下ろしてくる。

「まだ寝台から出るな……。自分がどれ程の無理をしていたのか、自覚してくれ」

「え、えーと、あの、沢山眠ったと思うので、もう大丈夫なんですよ? 痛っ」

 嘘じゃない。どれだけ眠っていたのかはわからないけれど、体調は万全に近く回復している。
 だから心配させないようにそう言ったのに、アレクさんは額をごつんと私の額にぶつけ、グリグリと押しやってきた。信じてくれていない、というか……、う~ん。

「一週間、飲まず食わずで眠り続けていたんだ……。急に起き上がるな」

「あ、それぐらいで済んだんですね。結構短っ……、ご、ごめんなさいっ」

 能天気にそう呟いた私とは違い、アレクさんの方は耐え難い怒りを抑え込んでいるようで、ぎろりと私を睨んでくる。まぁ、ヴァルドナーツさんの魂を取り込んで浄化したり、治療後に動いたりと、無理をした、と言えなくも、ない。
 それから一週間も眠り続けていたのだから、アレクさんは心の底から心配し続けてくれていたはず。迂闊な発言に内心で反省しながら謝ると、ふぅ……と、アレクさんの疲労感満載の温かな吐息が肌に触れてきた。

「食事は……、食べられそうか?」

「は、はい……。えっと、あの、今は何時ぐらいなんでしょうか?」

 そう尋ねると、アレクさんは騎士服のズボンのポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認してくれた。丁度お昼の時間帯だと伝えられ、一緒に昼食をとろうと、アレクさんが扉の外に消えて行く。そして、二段になっているワゴンを押して入って来ると、甲斐甲斐しく給仕にかかるアレクさん……。あれ? 何だかデジャブが。
 サイドテーブルを引き寄せ、それに自分と私の分の昼食のトレイを置いたアレクさんが、温かな野菜スープの入った器を手に抱え、木彫りのレンゲで中身を掬い……。

「口を開けてくれ」

「え? い、いえ、自分で食べられますから!!」

「駄目だ。お前に余計な負担はかけたくない」

 いえ、その甲斐甲斐しい給仕の方が、精神的に恥ずかしすぎて拷問です!!
 けれど、アレクさんはどんなに頼んでも引き下がってくれず、自分の分は放置して、私の口元に料理を運び始める。スープはとても美味しいけれど、どうにも味を楽しめない。

「アレクさん、もう自分で……」

「万全な状態に回復するまで、俺はお前の世話をする。異論は認めない……」

「うっ……。でも、ですね、子供でもないのに、アレクさんの手を煩わせるわけには。んぐっ」

 あ、アレクさん……、今、強引に口の中にジュワリと美味しく焼かれたお肉の欠片を捻じ込みましたね!? あぁ、でも、このジューシーな味わい……、もぐもぐ。
 うっかり獅貴族の料理に舌を楽しませていると、アレクさんが余計な反論を与える暇もなく、次から次へと私の口へ食べ物を運んでくる。
 一週間、流石にお腹はすっからかんで、与えられる食事を身体が拒む事はなかった。
 グラスの中で佇むオレンジジュースを時折運ばれながら、結局私は過保護な騎士様のお世話になり続ける羽目に。これ、鳥の餌付けみたいだなぁ……。あぁ、美味しい。

「……ん、ご馳走様でした。ふぅ、……あ、そういえば、レアンや皆さんは、今」

「レアンティーヌ姫は帰還したゼクレシアウォード王と一緒に元の生活に戻っている。ルイは一度ウォルヴァンシアに戻っているが、すぐにまたこちらに来るだろう」

「そうですか……。カインさんは?」

「あの竜は、イリューヴェル皇帝から呼び出しがかかり、北の地だ。最初はお前の事もあり拒んでいたんだが……、ルイが転移の陣に叩き込んだ」

 また強引な真似を……。
 引き攣った笑いと共に相槌を打った私を、アレクさんがベッドへと押し倒しまた寝かせようとする。本当に大丈夫なんだけどなぁ……。でも、真剣な蒼の眼差しには逆らえない。
 私を休ませたアレクさんは、今度は自分の食事を横で始めた。

「あの……、アレクさん」

「何だ……」

「さっきから思っていたんですけど、……怒ってますよね? かなり」

 毛布を口元まで引っ張りあげながら尋ねると、パンを口に運んでいたアレクさんの動きが止まった。じろり……、当たり前だろう、そう言いたげな不機嫌一色の眼差しが飛んでくる。
 
「今回、お前は勝手な事をし過ぎた……」

「反省はしてますけど……、やった事に、後悔はありません」

「それでも、お前に譲れない信念があっても、……俺は許せなかった」

 この人を悲しませ、傷つけてしまった自覚はある。
 けれど、同時に……、私の行動を許せない、と、明確に責める意志を見せてくれたアレクさんに、不謹慎だけど顔が緩んでしまった。
 それが気に障ったのか、アレクさんがその手を伸ばして私の頬をぷにっと摘まんできた。

「反省していない顔だ……。これでは、やはり許せない」

 許さないでください。自分勝手な私の行動を、貴方を傷つけている私を、どうか。
 へらっとしてしまう私を眺めながら、アレクさんは溜息と共に手を放す。
 パンをサイドテーブルのお皿の上に戻し、その手がベッドに重みをかける。

「アレクさん?」

「ルイではないが、今のお前には仕置きが必要だと思う……」

「え?」

 一瞬の間に美しい青年の姿が掻き消えると、毛布の中に大きなもふもふの気配が忍び込んできた。
 毛布の口から大きな銀毛の頭が現れ、私の頬をぺろりと長い舌でなめ上げる。

「きゃっ、あ、アレクさんっ!? な、なにやってるんですか!!」

『今後危ない事をしないと約束してくれるまで……、責め苦を与える事にする』

「は、はい!? 何言って、きゃっ、ふふ、ちょっ、擽ったいですよ!! あ、アレク、さんっ」

 大きな狼が私の上に覆い被さり、責め苦と称して顔を舐めてくる。
 全然痛みも何もないけれど、これはこれで確かに大変というか、は、恥ずかしいし擽ったい!
 どんなに頼んでもやめてくれないし、徐々に狼の双眸に愉しそうな気配が浮かび始めたのは気のせいなのだろうか。

『約束したら、すぐに離れる……』

「そ、それは、時と場合に、ふふっ、やっ、よ、より、ます!! もうっ、アレクさん許してください!!」

『それでは駄目だ……。仕置きをやめるわけにはいかない。次は首を攻める事にしよう』

 きらりと悪戯心に火がついたと言わんばかりの様子で、アレクさんはそれから暫く私にお仕置きと称したそれをし続けた。
 もっふもふの狼さんと戯れる時間は楽しかったけれど、まさかアレクさんがこういう悪戯を仕掛けてくるとは夢にも思わなくて……。
 ほんの少しだけ、アレクさんと私の間にあった遠慮の壁が薄らいだ気がした。

「はぁ、はぁ……、酷すぎますよ、アレクさんっ」

『頑固なお前が悪い……。何故約束してくれないんだ』

 ごろん、と、大きな狼の体躯が私の横に転がり、もふんとうつ伏せ状態で尻尾を揺らしながら、アレクさんは私を軽く睨んできた。
 そんな目をされましても……、流石にこればかりは、約束出来ない。
 これから何が起こるのか、安全な場所で守られる気のない私は、彼の頭をひと撫でして謝る。

「私は、自分に出来る事がある限り、きっと走り続けます」

『……こんなに頼んでも、駄目、なのか。俺達が全てを片付けてみせると言っても?』

「傍観者ではいられません。私は、災厄の女神の娘ですから……」

 今の私は、狼王族のお父さんと、地球で生まれたお母さんの娘である幸希でもあり、また、遥か古の時代から後悔を抱き、それを乗り越える為に目覚めた神でもある。
 自分が負っている責任と、成すべき事はわかっているつもりなのだ。
 だからこそ……、アレクさんからのお願いに頷く事が出来ない。
 真白のシーツに寝そべり、こちらを向いている蒼の双眸に微笑む。

「だから、一緒に戦わせてください。アレクさん」

『俺は……、お前を危険な目に遭わせたくはない。だが、……お前は、思っていた以上に、頑固だ』

「神様だった頃から頑固だったと思いますけど?」

『……昔よりも、頑固の度合いが強い。はぁ、……困った』

 ぽふぽふと上下に揺れる銀毛の尻尾と、悲しそうにへにゃんと垂れる獣の耳。
 私はアレクさんの前足を優しく包み込むと、困った顔でまたごめんなさいと囁く。
 アレクさんだけじゃなくて、他の人達にもきっと心配や苦労をかけると思う。
 私の行動次第では、誰かを傷つけ、また、過ちを繰り返す事も……。
 それでも、逃げるわけにはいかなくて、今度こそ立ち向かいたくて、私は今ここにいる。

「でも、一人で危険な事に飛び込んだりはしませんから……。必ず、アレクさんや皆さんに協力して貰って、頑張っていこうと思っています」

『……信用出来ない』

 ぷいっと、アレクさんが不満そうに顔を背けてしまう。
 確かに、ヴァルドナーツさんの件で無茶をしてしまっているから、信じては貰えないのだろうけれど……。一人で頑張る事だけはしないと、ちゃんと考えている。
 まぁ、必要があれば、危険の中に飛び込む事もあるのだけど……。
 
「今はそれしか言えないんです……。ごめんなさい、アレクさん」

 ベッドから出ようとした私に、アレクさんが少しだけ焦った様子で狼の姿から人の姿へと戻り、私を抱き締めてくる。心配性で、優しくて、止められないとわかっていても、私を守ろうとしてくれる人……。

「じゃあ……、俺も、自分の心に従って行動する。お前が危ない事をしようとすれば、無理にでも止めるし、その行く手を阻む」

「それは、……困りますね」

「駄目だと言われても、お前に嫌われても、俺はお前を守る……。頑固はお互い様だ」

 それを言われては、……どうしようもない。
 互いに譲れない信念を抱いているのだ。どちらも否定出来ず、その道を歩くしかない。
 アレクさんの方に身体を向ければ、辛そうな表情が私を見下ろしていた。
 神であった頃も、狼王族である今も、彼は変わらずに私の事を想ってくれている。
 それに応えたい気持ちもあるけれど……、やっぱり怖いと思ってしまう私は、とても卑怯な存在だ。過去、気の遠くなるような昔に、向けられた想いに答えを返せなかった理由……。
 それは、唯一人の男性を愛し、その果てに壊れた女性を知っているから……。
 私もまた、お母様のように壊れる日が来るのかと、恐れている。
 だから、神としての記憶がなかった幸希としての時間の中でも、私はアレクさんとカインさんに答えを返せなかった。少女期故だと、そのせいで迷いが大きくなり、唯一人を定められないのだと言われていたけれど、……本当は。

(私は……、誰かを愛して、失うのが、怖い)

 だから、無意識に心は恋愛に対して消極的になり、前に進む事が出来なかったのだろう。
 全ては、弱い私の心のせい……。愛する事が、愛される事が、何よりも怖い。
 いつか、自分が災厄の女神と成り果てたら……。そんな想像ばかりがいつも頭の片隅にあって。
 私の中で、お父様とお母様の件は根深いトラウマとなっているのだ……。
 そんな私の不安を見抜いているのか、アレクさんはさらなる力を込めて私を抱き締めてくれた。

「お前が拒んでも……、俺は、お前を想い続け、守り続ける」

「どうして……、ですか? 貴方の望む答えを返そうとしない私を、どうしてそんなにも想ってくれるんですか? 無駄に終わったら、どうするんですか……」

「愛する事に、唯一人を想う事に、無駄なものは何ひとつない……。俺は、お前を好きになれた事が幸せであり、生涯の宝だ。たとえ叶わなくても、俺の想いは永遠に在り続ける」

 それでは、アレクさんが損をするばかりだ。
 誰かを相手として決めるどころか、遠い昔の私は、その想いから逃げ出した。
 今だって、もう一度やり直すと決めてこの世界に生まれてきたけれど、正直、自信はない。
 こんな弱くてどうしようもない私を、何故好きでいてくれるのか……。
 揺らぐ瞳でその蒼を見上げれば、恋心という名の熱を抱く瞳が私の存在を抱いた。

「ユキ、お前が幸せでいてくれる事……。それが、俺の願いだ。神であった頃よりも深く、お前の傍に在りたいと、身勝手な望みを抱き続けている」

「私は、優柔不断で、どうしようもなく、弱いんです……。アレクさんの傍に寄り添う資格も」

「アヴェルオードとアレクディース、どちらも俺だが……、お前のその真面目さも、心優しいところも、俺達の事を想って離れようとするその思い遣りも、昔から変わらずに愛している」

「こ、心優しい女神様なら、天上にも沢山いましたよ? 地上にだって、綺麗で優しい人は沢山いて、むしろ、こんな面倒な子よりも、良い人が沢山……」

 アレクさんやカインさん、それに、異界の神様にも、特別な何かをした覚えはない。
 自分の何を気に入って、愛されるようになったのか……、神であった頃から永遠の疑問となっている。そんな私に苦笑を零すと、アレクさんは緩やかに首を振って答えた。

「外見の美醜や、ありがちな性格など、そんなものは問題じゃない……。共に過ごし、存在を寄り添わせ、相手を知り、気づけば心惹かれている。確かに好きな部分を口にする事は出来るだろう。だが……、本当に大事な事は、相手を愛しく想い、その存在を求める自分の心の在り様だ」

「恋をするのに、理由はいらない……、って事ですか?」

「そうだな……。気付けば惹かれていた。それが、恋のはじまりであり、すでにハマっている状態なんだろうな」

 嬉しそうに話すアレクさんは、自分の抱く恋心に迷いなど一切抱いていないようだった。
 私に恋をして、一緒にいられる事自体が幸せだと……、そう、心からの言葉をくれる。
 その優しい笑みに鼓動を逸らせながら、身体を離そうとした私を、アレクさんは逃がさないとばかりに自分の腕の中に閉じ込めてしまう。

「あ、アレクさんっ」

「怖がらないでくれ……。俺の想いは、お前を傷つけたりはしない。あの時のような目には、遭わせない。今度こそ……、お前を大切に、その幸せを願い、この想いを貫こう」

 背中を優しく撫でられながら、耳元で囁かれたその低い音に、鼓動が苦しい程に鳴り響く。
 きっと、今の私は顔どころか、全身真っ赤に困った状態になっている事だろう。
 何も返せない私に、まだ往生際悪く迷っている私に、こんなにも優しくて温かい人は勿体ない。
 それなのに、私の全てを包み込んでくれるアレクさんの存在が、怯えを抱くこの心に優しく沁みこんでくるようで……。
 顔を上げさせられ、どうしていいかわからずに戸惑っている私の唇へと、アレクさんが吸い寄せられるように温もりを。

「……ん? ユキ?」

 ふらりと、限界点突破を知らせるかのように、身体からへにゃりと力が抜けて目が回り始める。
 アレクさんから注がれる蕩ける程に甘い気配に当てられたのか、声さえも遠くなって……。
 私の意識はまた、許容量限界の為、真っ暗にフェードアウトしてしまったのだった。
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