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第四章アレク×幸希編~蒼銀の誓いと咲き誇る騎士の花~

囚われし神に差し伸べられる手

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 ――Side 幸希。


 失われた神の陣が、もう一度、その力を取り戻していく。
 アヴェルオードという偉大なる神の意図を受け、王都全体を呑み込む程に膨れ上がった眩き蒼銀の光が彷徨える魂を呑み込んでいく。
 まだ生を終えていない魂に道を示し、元の器の許へと……。
 人の瞳を模したように開きかけていた冥界への道が、事態の収束を感知し、閉じていく。

「これで……、獅貴族の都は大丈夫」

「すまない。世話をかけた……」

 王都を蝕んでいた巨大な陣も、アレクさんの力により押し潰され消失した。
 静かな夜更けの光景が、獅貴族の王都に戻っていく。
 被害なし、とは言えなかったけれど、浸食されて虚無に変わった区域も彼の力で元の姿を取り戻している。これで、獅貴族の地で起きていた不穏は一応の収束を迎えたと言えるだろう。
 私の方へと振り返ったアレクさんが、まだ罪悪感の消えきっていない眼差しで私を見やる。

「ユキ……。俺は」

「もう、謝らないでくださいね。でないと、もう口を利きませんから」

「……わかった」

 そう笑顔で言い含めても、すぐに全てがなかった事に出来るわけでもない。
 でも、そうでも言わないと、アレクさんが前に進めない気がして……。
 私はアレクさん達と王宮に戻ると、アヴェル君とマリディヴィアンナを捕らえている魔術師さん達の許へと戻った。
 王宮の三階、固定されていた転移の陣が消えたあの場所。
 そこには、幸いな事にまだ意識を失ったままのアヴェル君の姿があった。
 見張りで残された魔術師さん達も、意識を失ってはいるものの、無事。良かった……。
 けれど、彼らに近づいたその瞬間、アレクさんとルイヴェルさんが私を庇うように前へと進み出た。サージェスさんとカインさんも、警戒の意識が強く滲み出ている。

「……あ~あ、失敗しちゃったか」

 少し掠れた、寝起きを思わせる少年の声。
 言葉の割には、あまり落胆した様子が見られないのは、彼の中にまだ余裕があるからか。
 アレクさんが、気を失っている魔術師さん達を瞬時に結界で取り込んで守りに入る。
 アヴェル君達を捕らえている光の檻に亀裂が走るような音が響き、反撃の意図が見えた。
 けれど、こちら側には神が三人も揃っている。
 アレクさんとルイヴェルさんが右手を前に突き出し、神の詠唱を紡ぎ、檻が破られるのを防ぎ、先程よりも強固な戒めを与えた。
 それでも、……身を起こして座り込んでいるアヴェル君に劣勢の表情は見えない。
 隣の檻で目を覚ましたマリディヴィアンナの方は、少しだけ怯えの気配を抱いている。

「子供相手に酷い仕打ちだね……。大人げないよ」

「お前が生まれてから、すでにどれだけの時が流れていると思っている?」

「さぁ? 生憎と、眠っている時間の方が長かったからね。その辺はカウントしないでほしいと思うんだけど」

「アヴェル……。お前は、自分の意思で動いていると思っているようだが、それは違う。本来、お前は天上とこの地上の民を敵にまわす立場にはない」

 静かで、そして、悲しそうなアレクさんの声音。
 アヴェル君は眉根を寄せ、不機嫌そうに鼻で嗤ってみせる。
 アレクさんの言っている意味を、きっと正しく理解する事が出来ていないのだろう。
 自分が何者で、果たすべき役割が何なのか……。
 それもまた、遥か昔に起きた『悪しき存在』との戦いにより、アヴェル君が犠牲となった証明とも言える。

「僕はね、ずっと……、ずっと、皆と一緒に解き放たれるその時を待ち続けて来たんだよ。天上の神々に見捨てられた僕達が、どんなに惨めな目に遭ってきたか」

「異空間に封じられた者達は、ディオノアードの鏡による浸食が深く……、ああするしか他に方法がなかった」

 私が眠りの中にありながらも、その魂を通して見ていた、『悪しき存在』との戦い。
 アレクさん達天上の神々は、助けられる者は出来る限り、その手に救い上げていた。
 けれど、神花と呼ばれる神の核ともいえる存在までも深く浸食され、当時手を差し伸べられずに異空間へと封じた神々の存在もある。
 あの時、あの場所に、私がいれば救えたかもしれない存在。
 災厄の女神となったお母様の娘である私は、その影響や力を宥め、また浸食が深くても浄化する力を抱いている。悔やんでも変えられない過去……。
 見捨てられたと考えるアヴェル君の言い分も、間違いではない。
 敵意と嘲笑を抱く少年に、アレクさんは静かに歩み寄り、膝を着く。

「アヴェル……。お前をあの異空間に残してしまった事、今でも申し訳ないと、そう思っている」

「君のそんな謝罪ひとつで、僕達の味わった苦痛が消えるとでも? 天上側は、僕や母様を捨てて、救う気もないのに、放置し続けた。その恨みがどれ程のものかっ」

 忌々しく吐き捨てるアヴェル君に、アレクさんはゆっくりと首を振った。
 その手を檻の中へと差し伸べ、少年の頬を撫でる。愛おしむように、優しく……。

「放置したわけじゃない。ディオノアードの欠片の浄化が終わり、神々の基盤が完全に落ち着いた後、お前達を救い出そうと考えていた」

「天上の神々はそうやって甘い事ばかり言って僕達を騙すんだろう? 穢れた存在なんかいらないから、反旗を翻さないように言い含めて……」

 違う。本当にアレクさん達は、天上の神々は同胞を見捨てようなんて思っていなかった。
 ディオノアードの浄化を終え、万全の態勢で異空間を開く。
 そうして、いずれは同胞を助け出そうと……。苦しんだのは封じられた彼らだけではない。
 手酷く打ち払われたその手を、アレクさんは悲しげに自分の方へと戻す。
 そして、とても言い難い事を話すように、アヴェル君の目を見据えた。

「お前がどう思っていようと、何を吹き込まれていようと……、嘘ではない。そして、アヴェル、お前に母親はいない」

「はぁっ!? 何それ!! 僕にはちゃんと母様がいるよ!! 異空間の中で、ずっと僕を守ってくれていた人が!! ふざけた事言わないでよ!!」

 母親などいない。それがどれ程アヴェル君の心を傷つけるのか……。
 予想通り、少年はムキになってアレクさんへと噛み付いてきた。

「母様は、自分達を見捨てた天上の神々に復讐するんだって、ずっとそれを願っていたんだ!! 僕を先に外に出して、皆の願いを叶える為にっ」

 違う。それは、その母親は……。
 私はアレクさんの傍に寄り添い膝を着くと、檻の中に手を差し入れて少年の手を包み込んだ。
 
「違うの……。その人は、貴方のお母さんじゃない。貴方を外の世界に出し、復讐を、災厄を望んだのは……」

「うるさい!! うるさいうるさい!! 僕の母さんはあの場所にいる!! 今もまだ、悲しみと怒りの涙を流しながら、僕が皆を解き放つのを待っているんだ!!」

 ぶわりと、アヴェル君の内側から、青銀の光が感情に引き摺られて溢れ出してくる。
 隣の檻で場を恐る恐る見守っていたマリディヴィアンナが大きく怯える程に。
 言葉を続けようとした私達の邪魔をするかのように、次の瞬間、王宮の窓や壁に大きな異変が起きた。外側から与えられた衝撃と共に、粉砕された硝子が廊下側へと無残な音を立てて割れ飛んできた。

「ユキ!!」

 破片が私を傷つけないように、アレクさんがその腕に私を庇ってくれる。
 けれど、その隙を突いてアヴェル君達を捕らえてある檻が破壊された壁の向こうへと消えていく。
 行く手を塞ぐ為だろう。瘴気と神の力を合わせた化け物まで廊下に送り込んできた。
 真実を告げなくてはいけないのに、こんな時に……!!
 
「待って……、アヴェル君!!」

 私の叫んだ悲痛な声は、夜闇と化け物の彷徨に呑み込まれ消えてしまう。
 
「くそっ、なんでこう次から次へと……!!」

「とりあえずは……、この魔獣の団体さんをどうにかしないと、だね」

 倒れ込んでいる人達に被害が出ないようにと、私達はアヴェル君の後を追う事も出来ず化け物の相手をする羽目になった。さらに強度と威力の増した人工の化け物。
 それは、私達のいる区域を中心に、別の場所へも進行し始めていく。
 これ以上の被害は絶対に広げてはならない。
 化け物を見据え、攻撃に転じた私達は、それから余計な時間をその障害達に煩わされる羽目になったのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 そして、獅貴族での騒動が落ち着き、久しぶりの気分で穏やかな夢に落ちた、その頃……。
 
「――逃げられちゃった、か~」

 やれやれといった様子で木のテーブルに着いた私の前に差し出された紅茶。
 目の前の席へと腰を下ろした不精髭……、が、綺麗になくなっている男性。
 現在私の中で浄化中の四十代前半程の姿バージョンが気に入っているらしきヴァルドナーツさんが、お皿に盛っている甘い香りのする美味しそうなドーナツを差し出してくれた。
 いつの間にか……、私の中に立派な一軒家が立ってしまった事にツッコミを入れればいいのか、暢気にお菓子作りに興じているヴァルドーナツさんを目撃してしまった事に呆れれば良いのか……。ともかく、浄化を受けながら心の平穏を取り戻している彼の接待を受けながら、私はアヴェル君達の事を話していた。
 真実を告げようとした矢先に、恐らくは仲間の手により逃がされてしまったアヴェル君とマリディヴィアンナ。母親の存在を否定した事で、さらに私達への敵意は増したと言えるだろう。

「寝てる時も、たまに『母様』って口にしてたからねぇ……。子供にとって、母親は父親よりも存在価値が高いともいうし、そりゃ怒るだろうね」

「ですよね……。私もそれはわかっていたんですけど、説明しない事には、彼の中の敵意を払えないと思ったんです」

「たとえそれを告げたとしても、きっとすぐには受け入れなかったと思うよ? 彼にとっての真実と、君達にとっての真実が違うようにね」

「はい……」

 アヴェル君に母親はいない。それは紛れもない事実。
 あの子は元々、アヴェルオード様の後継ぎとして生を受けた存在だから……。
 その証拠に、アヴェル君の中にはアヴェルオード様の神花の一部と力の半分が含まれている。
 やがて、天上を統べる三人の御柱のひとつとなる為、アヴェルオード様が役目を捨て去り、永遠の眠りへと入る為に。
 それもまた、私が原因となっている……。これでは、お母様と同じではないか。
 自分のせいで、誰かを不幸にして傷つけて、新たな傷と罪を生み出してしまう。
 溜息と共に紅茶の甘い香りに鼻を擽られていると、ヴァルドナーツさんがすいっと指先を私の額に当ててきた。

「……何やってるんですか?」

「ん~? 眉間の皺は女の子の大敵だからね。ほぐしてあげようと思って」

「ありがとう……、ございます」

 ニッコリと笑って私の事を遠回しに慰めてくれている目の前の男性も、お母様のせいにばかりしていたけれど、私のせいで犠牲となった人でもあると、改めて気づく。
 お父様を失って、悲しみと孤独に耐え切れず壊れたお母様の件が心の傷となっていて、誰か、自分にとって唯一人の男性と恋に落ちる事を怖がっていた自分。それは今も、この心に。
 少しだけ泣きそうな気持ちになりながらも、私はヴァルドナーツさんお手製のドーナツを頬張って、悲しみや自己嫌悪を胸の奥に隠した。

「美味しい?」

「……はい。お菓子作り、上手なんですね」

「まぁね~。生前も趣味でやってたし、……アヴェル達と旅をしている頃も、色々と作ってあげていたしね」

 ディオノアードの呪縛から解放されても、彼の心の中には、その魂には、アヴェル君達と過ごした記憶や、寄り添った情が確かに残っている。
 だからこそ、アヴェル君達の事も助けてほしいと口にしたのだろう。
 心優しい……、不幸になどなるべきではなかった魂。
 私はドーナツをひとつ食べ終えると、これからの事を考え始めた。
 今の私はあの騒動の後、限界を迎えて意識を失い眠りに就いたのだろう。
 現実では何日経っているのか……、目覚めないという事は、まだ回復が追いついていないという事だ。

「あまり、一人で抱え込んじゃ駄目だよ? すぐ潰れちゃうからね」

「そう、ですね……。けど、急がないと……、異空間が開いてからじゃ、遅いんです」

「『悪しき存在』が封じられているっていうあれかい?」

「はい。神の核である神花を浸食され、封じる事しか出来なかった犠牲者達は、天上や地上に対する恨みが根深いと思うんです。それこそ、解き放たれた瞬間に、各地へ襲い掛かる程に」

 それに……、あの異空間には、厄介な事にディオノアードの鏡の核のひとつが眠っている。鏡面の中央にある核ではなく、装飾部分の核。
 これは、装飾と鏡面を合わせてひとつ、という意味を兼ね備えている。
 アヴェル君が母様と呼んでいるのも、きっとその装飾部分の核だ。
 私のお母様の魂を分けた災厄のひとつ。それに宿っているのは……。
 一番良いのは、アヴェル君に真実を告げて正しき道を示す事。
 そうすれば、マリディヴィアンナと、カインさんによく似たあの男性の魂も浄化出来る。
 そして、異空間の封印を強固なものとし、時が来るまで準備に入る事も……。
 でも、アヴェル君はあの異空間から抜け出している。という事は、間違いなく綻びがあるという事だ。それも、一気に打ち破る事の出来る綻びではなく、外からの助けが必要となる……、小さな綻び。目覚めたらまず、異空間を開く為の鍵を抱く王達に会わなくてはならない。
 やる事が山積み過ぎて……。

「はぁ……」

「俺が言える事じゃないけど、悩み過ぎても毒にしかならないよ~。ほら、休める時にリラックスリラックス」

 眠っているのに、精神的な疲弊でぐったりとしている自分も本当にどうなのだろう。
 私は気遣ってくれるヴァルドナーツさんに頷くと、……ふと、壁側に飾られている絵画に視線を向けた。綺麗な黄金色の髪の女性が描かれている。
 どことなく、レアンに似ている気がするのだけど……。

「あれ、レフェナさんですか?」

「うん。一人だと、ちょっと寂しくてね……。彼女と向き合う意味も込めて、描いてみたんだ」

 魔術に料理に絵画にと、本当に多才な人だ。
 レフェナさんの絵を見つめながら語ったヴァルドナーツさんの音は、悲しげで……。
 暢気に過ごしているというわけではないという事が伝わってくる。
 犯した罪と、これからを考えながら……、彼はこの場所で贖罪の時を待っているのだ。
 本当に……、犠牲となっていい人ではなかったのに。
 申し訳ない目に遭わせてしまったと、私はレフェナさんの絵を眺めるヴァルドナーツさんの横顔に無言で謝罪を繰り返す。
 そして、はっきりとしていた意識が、現実で眠りを覚えるのと同じように霞み始め……。

「ん……」

 現実へと戻った私は、自分の手に優しい温もりを感じていた。
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