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第四章アレク×幸希編~蒼銀の誓いと咲き誇る騎士の花~
祭り最終日・王女と獅貴花に伸びる魔の手
しおりを挟む――Side 幸希
「皆の者、祭りも今宵で最後……。我が娘、レアンティーヌを巫女とし、神々への感謝とこれからの豊穣を祈る。この世界がこれからも平穏である事を、我が獅貴族の繁栄を願い……」
王宮内にある広い大庭、その一番奥に佇んでいる巨大な三日月を模した舞台の上で、ゼクレシアウォードの王様が豪奢な装飾に彩られている黄金の王杖の一番下部分を力強く地に打ち鳴らす。
祈りの巫女たるレアンの舞を見ようと王宮内に押しかけている人々の群れでいっぱいとなった大庭は、王様が現れるまで賑やかな音に包まれていたけれど、今は静かな気配に満ちている。
もうすぐ、レアンの出番がくる。最前列に陣取った私達は、微かに聞こえ始めた清らかな歌声を耳にしながら、高鳴る鼓動と共に舞台を見つめ続ける。
と、その時、私は自分の横に並んだ人影に視線を向け、思わず声を出しそうになってしまった。
エリュセードを見守り恩恵を授けるという三つの月明かりを浴びながら、私の方を見下ろしている帯剣姿の男性……、アレクさんだ。
何故ここに? という疑問と、先日の気まずい件の事もあり私が視線を背けると、頭の中に声が響いた。
(キャンディ、すまないが……、祭りが終わるまで、俺が傍に在る事を許してほしい)
心の底から申し訳なさそうなその低い音は、頭の中に直接注がれているかのようだった。
あの日、せっかくお祭りに連れ出してくれたアレクさんを拒絶したというのに、彼は責める気配を宿すでもなく、ただただ、『今だけ、傍に居させてほしい』と懇願してくる。
それに対しどう返せばいいのか迷ったものの、穏やかさと寂しそうな気配を宿している蒼の双眸に抗えなかった私は、頭の中で『はい』と答えた。
『ユキ』としての私を求めているアレクさんを傍に置く事は、正直言って複雑な心地を私にもたらす。いまだ戻らない記憶、時折見る不思議な夢……、見た事もないはずの人達と一緒に笑っている自分の存在。徐々に何かが目覚めそうな気配を感じている私は、アレクさんの顔をまともに見る勇気がない。
『偉大なるエリュセードの御柱、その長女神であられるフェルシアナ神と、全ての神々に……、我が祈りを捧げます』
三日月の舞台の奥から現れた巫女装束のレアンの方だけを見つめ続けながら、今喋る事の出来ない状況である事にほっと安堵する。
あの日の謝罪も、今抱えている思いも、隣にいるアレクさんの存在も……、見て見ぬふりをする理由が、目の前にあるから……。
祈りの歌を捧げる人達の透き通ったその響きと共に、レアンがその四肢をしなやかに踊らせながら、凛の響きを声音に宿し、主旋律となる音を乗せていく。
舞う動きに合わせて宙にふわりと揺蕩い、手足に着けている小さな鈴らしき存在が軽やかな音を立てる。
(レアン……、綺麗……)
普段の彼女ではなく、今目の前で舞っているのは、女神の巫女……。
彼女の旋律を辿りながら舞っていると、遥か上空に浮かんでいる三つの月や星々がその煌めきを増していくかのように輝きを増し、どこからか甘さを含んだ風がゆっくりと吹き始めた。
(え……?)
心地良い柔らかな風だけでなく、私達の頭上から薄桃色の花びらが舞い降り始める。
誰かが用意した演出か何かだろうか? 身体に触れると、それは幻のように煌めいて消えていく。
(女神フェルシアナが、巫女や民の祈りを受け取った証だ)
(アレクさん?)
私の疑問を察したのか、アレクさんが何らかの方法で、また私の頭の中へと囁いた。
人々の祈りは神の力となり、世界を照らす恩恵となって降り注ぐ。
このゼクレシアウォードだけでなく、他の国々でも神々へ捧げる祭りは多く存在し、その度に神がそれに応えるかのように、幻想的な現象が起きるのだそうだ。
花びらに触れると、心の中が温かくなるような不思議な心地がして、確かに、神様の慈愛を受け取っているかのような気がする。
巫女の舞と、女神様からの想いに包まれて……、私はそっと瞼を閉じた。
世界を巡る大気と、この幻想的な空間と存在を溶かし合うかのように……、思考も消えていく。
今までにない幸福な感覚と共にそうしていると、突然ざわざわと不安の声が響き始めた。
「な、何……?」
瞼を開き、集まっている人達の指差す先を見上げると、大庭の範囲だけに留まらない巨大過ぎる謎の陣が禍々しい光を纏い浮かび上がっていた。
それだけに留まらず、夜空に存在を預けている三つの月が急速に黒銀の闇で覆われるかのように塗り潰され、地上を混乱の渦へと呑み込んでいく。
女神様に捧げる祈りの舞の最中に、なんて不吉な……。
人々の視線は頭上に釘付けとなったけれど、私はすぐに我へと返り、舞台上のレアンへと視線を投げた。舞を踊る動きを止め、不安と驚愕に目を見開きながら固まっている。
警備の人達が必死に民衆を宥める声は意味を成さず、アレクさんが私の腕を掴み自分の方に抱き寄せた。けれど、三日月の大舞台の上で立ち尽くしているレアンの背後に、私は見てしまったのだ。
不気味な狂気の笑みを纏う不精髭の男性が……、あの日、王都の中で出会った嫌な感じのする男性、ヴァルドナーツさんが、大切な親友へと忍び寄ろうとする、その光景を。
「レアン!! 逃げてぇえええええええええ!!」
瞬間、自分の中でまたあの溢れ出しそうな正体不明の力の気配を感じた私は、アレクさんを吹き飛ばし、気が付けば三日月の大舞台へと駆け出していた。
「ユキ!!!!!」
騒然となっている人混みに呑み込まれてしまったアレクさんは、私の方に腕を伸ばし制止の声をかけてくる。だけど、私の足は止まらない。
大切な親友を襲わんとしている恐ろしい予感に突き動かされながら、寸でのところでレアンに抱き着き、ヴァルドナーツさんの魔の手から逃がす事に成功した。
「ユキ……」
「大丈夫!? レアン!!」
親友が自分の事を別の音で呼んだ事にすら気を配れず、私は彼女を庇いながらヴァルドナーツさんを強く睨み付けながら振り返る。葉巻を吹かしながら大舞台の上に相応しくないダラシのない恰好で佇んでいるヴァルドナーツさんが、その髪をだるそうに掻き上げながら吐き気のするような笑みを深くしていく。
その目は、私を見ているわけじゃない。私が庇っているレアンの方に……、執着心と狂気を交ぜ合わせたかのような色で注がれている。
「レアンティーヌ・ゼクレシアウォード……。君は女神のものじゃないよ。永い永い時の中をどれだけ逃げようと、――俺だけのものなんだからねぇ?」
「こ、来ないで!! レアンに触れたら承知しないから!!」
人に対してこんな感情を抱きたくはないけれど……、近づいてくる男性は気色悪い程の声色でレアンを求めている。怖気が走る、というレベルの生易しさではなく、焦がれて焦がれて……、その果てに狂ってしまったかのような不精髭の男性の音。
その指がパチンと鳴り響くと、大庭や大舞台に恐ろしい異形の化け物達がその姿を現した。鋭く長い爪を纏う者、大きく裂けた口から汚らしい唾液を滴らせながら動きだす者、民衆は平常心を失う程の恐怖に包まれていく。
「ユキ!!」
人混みに呑まれたはずのアレクさんが剣を手に大舞台の上に現れると、私達と庇うようにヴァルドナーツさんの前に立ちはだかった。
その頼もしい背中を見つめていると、まるで昔から見慣れたもののように……、恐怖に包まれていた心が穏やかに凪いでいくのを感じてしまう。
『キャンディ』ではなく、『ユキ』しか求めていない人なのに、彼が守ろうとしているのは自分じゃなくて『ユキ』だと、そうわかっているのに……。
アレクさんの構えた剣全体に、蒼銀の光が滲むように寄り添っていくのが見える。
「いつまでもお前達の手のひらで踊る趣味はない……。仕留めさせてもらうぞ」
「そんな物騒な目で見ないでほしいねぇ……。俺は迎えに来ただけなんだよ。遥か昔から……、死んでも忘れられない、俺だけのお姫様を」
「生憎だったな。貴様の求める相手は、ここにはいない」
鋭く叩き落すようなその冷たい声音に、ヴァルドナーツさんが眉を顰めるのが見えた。
私が抱き締めて庇っているレアンの方に探るような視線を向けると……、次に聞こえたのは忌々しそうな舌打ち。葉巻を投げ捨てその足で踏み躙ると、「少しは頭がまわるようになったか~」と、全く笑えない不機嫌さと不穏さを秘めた音で嗤う。
「俺の神様以外に、『目印』が見える奴がいるとはねぇ……。アヴェルと似た感じがするけど、君もあれなの?」
「答える義務はない。だが……、やはり貴様が王女の魂に『印』をつけた亡霊である事は間違いないようだな」
「そうだよ~。もう三千年以上前の話だけどね。結婚指輪の代わりってやつだよ。死んでも離さない、どれだけ愛しても足りない程に焦がれて求め続けた唯一人の女性……。ようやく迎えに来れたんだ~。一途だよね、俺」
アレクさん達は一体何の話をしているのだろうか……。
レアンについている『印』という言葉の意味も、あのヴァルドナーツさんと彼女の関係も、私には理解出来ない話ばかりだ。大舞台に現れている化け物達はまだ動いていないものの、その外では人々の悲鳴や戦っている騎士さんや魔術師さん達の落ち着かない音が響いている。
レアンを抱き締め状況を見守っていた私は、ふと、腕の中で身じろいだ彼女に視線を落とした。
「レアン……?」
「ユキ、今から結界を作る。お前はその中でじっとしていろ」
え……。い、今、親友の口から、どう考えても男性の低い声が聞こえたような気がっ。
それも、初めて耳にする声じゃなくて、前にも聞いた事のある……。
「ま、まさか……」
私の目に、親友らしからぬ不敵な笑みを浮かべたレアンが、何かの音を紡いだ後に立ち上がり、一瞬だけ私達の周りを壁のように取り囲んだ光を見届けた後、アレクさんの方に歩み出してしまった。え? ちょっ、れ、レアン? な、何してるの!?
その後を追おうとした私だったけれど、ビタン……と、見えない壁に阻まれて、アレクさん達の方へ行く事が出来ないっ。
「お前には散々な苦渋を味わわされてきたからな。今日はその分の借しを何倍にもして返してやる」
「……あのさ、悪いんだけど、その子の姿で似合わない嫌味顔するの、やめてくれないかなぁ。一応、転生の度に見守ってきたわけなんだよ、わかる? 俺のお姫様を穢すの本当勘弁してほしいっていうか」
アレクさんよりも一歩前に出て仁王立ちをした見かけはレアンそのもの、中身は……、あまり口にしたくない。ともかく、彼女の姿を纏っている中身の人が不敵な笑みと共に両腕を前で組みヴァルドナーツさんを見据えると、その可憐で美しい巫女の姿が光に包まれていった。
「お前の愛おしい女の姿を模してやったのに、何が不服だ? ヴァルドナーツ」
「軽くトラウマになりそうなんだけどね……」
げっそりとした表情で新しい葉巻を取り出したヴァルドナーツさんが半眼で見つめているのは、――ウォルヴァンシアの王宮医師こと、ルイヴェルさんだった。
予想通りというべきか、光に包まれながら背や構成されている全ての要素が彼のものへと変化し、大舞台に真白の白衣が翻る。い、一体いつから……!? レアンとすり替わっていた瞬間がわからずに呆然としていると、私の目の前ですぐさま戦闘が始まった。
それと同時に、大舞台の外では次々と化け物達が倒されていく音が響き渡り、私は結界と言われたその壁の中から大庭へと目を奪われた。
大庭で逃げ惑っている人々の姿が次々と消え去り、夜空に浮かぶ不気味な陣の下では魔術師らしき人達がその眼下で暴れている化け物を討伐しようと、炎や氷といった様々な術を駆使して戦いを繰り広げている。一方では謎の陣を消そうと、別の魔術師の人達がそこに向けて両手を伸ばし、何らかの力を注いでいる様子が見えた。
「一体……、何がどうなってるの?」
それに、本物のレアンはどこに行ってしまったのだろうか。
あんなに巫女の役目を授けられた事に喜んでいたのに、彼女はどこに……?
探しに行きたくても、ルイヴェルさんの創り出した結界がそれを阻んでしまう。
レアンは無事なのか、今どこでどうしているのか、彼女の安否が気になって仕方がない。
ヴァルドナーツさんの合図で暴れ始めた大舞台上の化け物達との戦闘が激化し、私を守る為なのか、目の前ではアレクさんが寄ってくる敵をその剣で斬り裂き、一歩も踏み込ませないようにしてくれている。
「アレクさんっ、わ、私、私、どうしたらっ」
「そこでじっとしていてくれ……! ルイがあの男を仕留めれば、すぐに解放する」
「でも……」
このゼクレシアウォード王宮で一体何が起きているのか、化け物やヴァルドナーツさんは何の目的でこんな事を仕出かしているのか、情報を持っていない私は不安で仕方がない。
御主人様やシャルさんの姿も見えないし、本当に自分がここでじっとしていいのかさえもわからないでいる。
(レアン……、レアン……っ、私どうしたらいいの)
見た事もない巨大な化け物の姿を目に映しているだけでも気を失いそうなのに、状況を把握出来ていない事実が私の心を恐ろしい不安で包み込み、息まで落ち着かなくさせていく。
ここから消えてしまいたいと、大切な親友の姿を探したいという色々な思いが混ざり合い、やがて……、硝子にヒビが入るような奇妙な音が耳に小さく響いた。
「な、何……っ」
目の前で戦ってくれているアレクさんは、化け物達の咆哮のせいで生じた異変に気付いていない。
だけど、私の耳に響く亀裂の音は徐々に大きくなっていって……。
それは本当にゆっくりと……、見えないはずの壁が粉々に砕け散っていく様子を私の目に映した。
「ユキっ!?」
結界が破壊された気配を察知したのか、アレクさんが化け物を斬り捨てて私の方へと振り向き腕を伸ばすのが見えたのを最後に、周囲の景色は眩い光に包まれてしまった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……やはり仕出かしたか」
「ん……」
呆れ交じりに吐き出された息と低い声音に目を覚ました私は、冷たい地面の感触からゆっくりと抱き起された。私を覗き込んでいるのは……、え? ルイヴェル……さん?
銀フレームの眼鏡と、知を抱くその深緑の眼差しは間違いなく、その人のもので……。
だけを周囲を見回した私は、今自分のいる場所が、ゼクレシアウォードの地下にある『獅貴花』の眠る間だという事に気づき、混乱状態に陥ってしまった。
大庭にいたはずの私が、ヴァルドナーツさんと戦っていたはずのルイヴェルさんが、何故ここに……? それに……、視線の向こうで嫌な笑みを湛えているのは、ヴァルドナーツさんと一緒にいた金髪の女の子。その隣には、見慣れない銀青の色を髪に纏う男の子が立っていた。
「どういう……、事?」
「あらぁ~!! お姉様じゃありませんの!! 私に会いに来てくださいましたの~!?」
「え、あ、あの……、っ!?」
『獅貴花』の眠る間の入り口で、ぐったりと倒れているゴーレムのライちゃんの姿に、私は小さく喉の奥で悲鳴を上げた。何でライちゃんが、頑強な岩の身体を持つゴーレムのライちゃんがあんな惨い姿になっているの!? ボロボロに傷ついて、苦痛の呻きを漏らしている。
そのライちゃんの上に、少女と少年は我が物顔で立っているのだ。
「岩で出来た醜いガーディアンなんて、気持ち悪くて仕方ありませんわ~。ねぇ、アヴェル?」
飼い主に懐く子猫のように、少女は隣に立っている銀青の色を纏う少年をアヴェルと呼び腕を絡める。アヴェル……、それが、あの少年の名前。
「別に逃げてもいいよ? 僕達の目的は『獅貴花』の中にある物だからね。楽に回収出来るのならそれに越した事はない」
彼らは何を言っているのだろうか……。やはりここでも、私にはわからない話ばかりが出てくる。
ルイヴェルさんと共に立ち上がり、その背に庇われた私は背後に何かを感じて振り返った。
そこには、以前と同じように真白の巨大な花弁と共に蕾を閉じたままの『獅貴花』の姿が。
けれど、……何かに怯えているのか、蕾の中で弱々しい光が消えたり発光したりを繰り返している。
「生憎だが、『獅貴花』は王族の声にしか応えない。この巨大な蕾ごと持って行く気か?」
挑発的にルイヴェルさんがそう言えば、アヴェル君は天使のような愛らしい笑みを浮かべた。
金髪の少女も同じく、動揺も不安も抱いてはいない余裕のある表情をしている。
アヴェル君が両手の中に何かを囲むような仕草をとると、その中に闇が現れた……。
禍々しい光を宿す、小さな煌めきが浮かぶ闇……、その光景にルイヴェルさんは眉を顰めた。
星々の清らかな純粋な光とは違い、あれは一目見て良くないものだと感じられる不吉の塊のような存在だと、本能が警鐘を鳴らしている。
「それが、今までに集めた鏡の欠片というわけか……」
「ふぅん……。どこで知ったのか知らないけど、僕達の目的を把握してるみたいだね。……神でも味方につけたかな?」
「さぁ、どうだろうな……。ただ、お前達が俺達の思惑通りに行動してくれた事にだけは礼を言おうか?」
ルイヴェルさんの愉しげな音が落ちるのと同時に、アヴェル達の背後で巨大な扉が大きな音を立てて閉まった。まるで、逃げ道を塞ぐように……。
そして、今まで倒れ込んでいたゴーレムのライちゃんが力強い咆哮を上げながらアヴェル君達を振り払い起き上がった。ら、ライちゃん!?
まるで寝たふりでもしていたかのように、ライちゃんは岩で出来ている頭を振って巨大な扉の番人を請け負うかのように立ちはだかる。
しかも、それだけでなく、『獅貴花』の眠るこの空間の端々から武装をした人達が何も見えなかったはずの空間から現れ、アヴェル君達に敵意の籠った鋭い視線を投じた。
「目には目を、歯には歯をと言うべきだろうが……、この場合は、神には神を、だな」
「る、ルイヴェルさん、これは一体……」
私からの戸惑いの声には答えずに、ルイヴェルさんがただ一言。
「――やれ」
上に立つ者の絶対的な音を聞いた人達が、役割をわかっているかのようにアヴェル君達を取り囲んだ。
剣を構えている騎士さん達、その背後で何かの言葉を紡いでいるのは、魔術師の人達だろう。
それぞれが定められた制服のような衣に身を包み、ルイヴェルさんの命令に従っている。
状況を把握出来ない私は目を丸くしてその光景を見守るだけ……。
アヴェル君と少女の足元には複雑な紋様の浮かぶ魔術の陣が眩い光と共にその姿を現し、その時初めて、余裕を抱いていた子供達の表情に険が宿った。
「有効のようだな? ガデルフォーンの時とは違い、『特別製』だ……。たっぷりと味わって貰おうか」
私をその場に残し、魔術師さん達が開いた道を歩み子供達の前に立ったルイヴェルさんが、微動だにしない二人を見下ろすように顔を傾けた。
私のいる位置からはルイヴェルさんの背中しか見えないけれど、離れているここにも伝わってくる程に、冷酷で無慈悲な気配がその身を包んでいる。
子供に対して向けるものじゃない……。あれは紛れもなく、敵と定めた相手への。
「ひとつ聞いてもいいかな? 君達の味方についた神様って、誰?」
追い込まれているというのに、アヴェル君は顔を俯けながらルイヴェルさんへと尋ねる。
その声に怯えの気配はなく、……むしろ、嗤っているかのように不気味な響きを伴っているように思えた。嫌な予感がする……。
「……どういう意味だ?」
質問されているのは簡潔な事だ。『君達の味方についた神様の名前』……。
けれど、ルイヴェルさんはその問いの中に違う何かを感じたように、さらに声を低めた。
周囲に集まっている人達が若干足を引いてルイヴェルさんから離れかけたけれど、むしろその反応は遅いくらいだと思う。開かれた道を通って少年達に声をかけ始めた辺りから、もうドス黒いラボス級のオーラが滲み出していたというか、普通に受け答え出来ているアヴェル君に賞賛の言葉を送りたいぐらいだ。
現に今、私の足元は急激に凍り付いてしまったかのように一歩も動けないでいる。
「言葉通りの意味だよ? だって、同じ神なわけだしねぇ……、名前くらいは知っておきたいじゃないか」
「俺には別の意味に聞こえたんだがな? 自分と比べて勝てる神かどうか、それを知りたかったんじゃないのか?」
「まぁ、……それもあるかな。だけど、ちょっと気になる事があってね。駄目かな?」
顔を上げたアヴェル君は、子供らしいお茶目なウインクと共に問いを重ねる。
もう自分達を逃げられない檻に囲い込んだのだから、何も憂う心配はないだろう? ……と。
確かに、あんなに大勢の人達に取り囲まれたら逃げ道なんてない。
どんな罪を犯したのかは知らないけれど、あの状態から逃げ切るのは無理だ。
けれど、ルイヴェルさんはしおらしくしている二人の子供を見下ろしながら冷やかに言った。
「お前達にこちらの情報を与えると、ろくな事にしかならないだろう? 誰が教えるものか。特注の牢獄の中で反省してくるんだな」
バッサリ斬った……。遠くから見てもドス黒いオーラ百倍増しで大魔王様の如く即答したルイヴェルさんに、また周囲の人達が足を引いていく。……本当に一体どれだけの恨みをあの子供達に抱いているのだろうか。
けれど、何故だろう……。状況はルイヴェルさん達の優勢に見えているのに、胸の奥が奇妙なざわつきを覚えている。背後に佇んでいる『獅貴花』の蕾も、その震えをどんどん大きくしていっているような……。何かが起こる、そんな確信めいた予感を抱いた私は、ゆっくりとアヴェル君達のいる場所へと歩み出した。
大魔王ゾーンの只中に行くのは怖いけれど、私の足は不思議と止まらずに動き続けている。
近づくにつれ見えてきた……、アヴェル君の中の、何か。
丁度彼の胸の辺りで燻る炎のように揺れている黒銀と銀青の光の気配。
綺麗な……、とは言えない、淀みを抱く二つの光は、アヴェル君の中で交ざり合っているようだ。
その理解出来ない存在が、私の中に芽生えている不安を急速に膨れ上がらせていく。
とても小さな……、存在を限界まで隠そうとしているかのようなその存在に、ルイヴェルさん達は気づいているのだろうか? ううん、きっと気づいているはず。
だって、私みたいな何も知らない力もない人間に見えているのだから……。
そう信じ込んだものの、徐々に私の足取りは速くなっていく。
「ルイヴェルさん……! あのっ」
「ユキ? 危ないからお前は、――っ!!」
振り向いたルイヴェルさんの向こう側で、子供達の周囲を囲んでいた魔術の陣が一瞬にしてその効力を失ったかのように光も紋様も掻き消えてしまったのを目にした直後。
――アヴェル君の中で膨れ上がった二つの光が、『獅貴花』の眠る間を爆発的な規模に膨れ上がり私達を呑み込んでいった。
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